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本編
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しおりを挟むどれだけ空気が気まずくとも、朝の見送りと夜の出迎えを欠かしたことはなかった。それをしなくなってしまえば、なんとなく、不味い気がしたのだ。
「おかえりなさいませ、旦那様」
「…ただいま。君の顔を見て疲れも吹っ飛んだよ」
「…そうですか」
「今日は何をして過ごしていたんだ?」
よく言われていたその言葉が、私にとって初めて面倒なのに感じた。こうして一日の行動を報告するのが当たり前のようになっていたけれど、そんな当たり前は聞いたこともない。
夫婦にだってプライバシーはあるはずだし、そのための私室だと少なくともカレンはそう思っていた。
「化粧台の引き出しに物が溢れましたから、整理をしておりました」
その言葉にシークの顔色が明らかに変わる。あぁ、やはり、そうなのか。何度願っても顔色ひとつ変えなかった彼がこんなにも表情豊かになるなんて喜ばしいことなんだろうか?
「──大切なものが見つからないんです」
別に夫を泥棒だと責めたいわけでもない。誰でも開けられるような場所に置いていた私が悪かった。離縁届のように、鍵付きの箱の中に入れて隠さなければならなかったのに。
どうせすぐに使うだろうとそこに置いていた私の責任だ。しかし、人の家の鍵を関係のない人に渡すようなことは出来ない。
「明日には、あるべき場所に戻っていると助かるのですが」
「…なんのことか」
「ただの戯言ですわ。お疲れになっていらっしゃるでしょう、夕食にしましょう」
「カレン」
歩き出した私の名前を呼んだ彼に振り向けば、随分と冷めきった表情をしていた。それから小さく息を吐いて、こちらにその冷たい瞳を向けてくる。
「君にとって一番大切なものはなんだ?」
そんな、子供に尋ねる謎かけのような質問に私はあくまでも模範的な答えを述べる。
「勿論、旦那様とこの家で…」
「君が息をするように嘘をつくのは知っている」
「…あら、お言葉ですわね」
どういう意味か知らないけれど嫌味であることに違いはない。あまりに唐突だったから、ついこちらも笑顔を作るのを忘れてしまった。
メイドたちの戸惑った表情にあまり長引かせるのも良くないと判断する。
「大なり小なり、嘘をつかぬ女などおりませんわ」
「それでも躊躇いなく嘘を口にするだろう、君は。…本心が聞きたいだけだ」
嘘でも愛していると言えば良いのかしら。あぁ、どうしてこんなに面倒な人と結婚してしまったのだろう。そんなの決まっている、家のためだ。
政略結婚で情は育めても愛は育めない。
「…そんなもの、とうに忘れました」
ずっと大切にしていた心があった。けれどそんなものは、この人と結婚したことで永遠に叶わぬ夢となった。
「けれど、そんな私にとってあれは唯一の心の支えです。…明日の朝、元通りになっていることを願います」
「カレン!」
「申し訳ありませんが気分が優れないようです。先にお休みさせていただきます」
一か八かの賭けだった。これで戻ってこないようならば、もうアレクに正直に話して謝ろうと思っていた。
けれど翌日、鍵は確かにそこにあって、私は安堵と、昨夜言われたことへの妙な苛立ちをため息に交えて吐き出した。
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