夫に離縁が切り出せません

えんどう

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 客室の床まで広げられていた荷物はもうすっかり片付けられていた。いくつかの大きなトランクには彼の両手いっぱいに収まらない大切なものが入っているのだろうなと思う。
「アレク。もう準備が終わったの?」
「あぁ、せっかく行き先も決まったからな。これ以上ここで厄介者にならずに済んで安心している」
「怪我の具合は?」
「もうすっかりいいって。……本当に感謝してる、カレン」
 あの後おじ様は本当にこちらに干渉してくることはなくなり、最初は警戒していたアレクも、もう無理に連れ戻されることはないのだと安堵したあたりでここを出るための準備を始めてしまった。
「私はあまり何もしていないわ。旦那様がほとんどやってくださったから」
「公爵にも頭が上がらない。本当に良い旦那を捕まえられたみたいでよかった」
「あなた、離婚しろって言っていたくせに」
 現金な人ねと眉を寄せればなんの憂いもなさそうに彼はからりと笑った。
「ゼノも良い子だし、なによりここにいるお前は幸せそうだ。俺にはそれが一番大事だからな」
「──あなたと一緒に行きたかったのは本当よ」
「あぁ、知ってる」
「あなたのことをとても愛してるのも本当よ」
「知ってるって。俺もだよ」
 けれど幼かった私はそれが親愛なのか恋愛なのかよく分からなかった。分からないままでいいと思っていた。だってそのボーダーを作ってしまったら、もう元には戻れない気がしたから。
「お前が望むのならいつだって俺と一緒に来たらいい」
 その言葉に嘘偽りなく、彼は私が連れて行ってと頼んだらどこにだって共に旅立ってくれるだろう。そんな生活を思い描いたこともあったけれど。
「……やめておくわ。私には今の生活が手放せないから」
 シークとゼノがいて、ラストハート公爵夫人として暮らすこの生活を捨てることなど私にはできない。捨ててもいいかもしれないなんて思えないほど大切になってしまった。
「そうか、残念だ。俺は一人で寂しく旅をするか」
「あなたならすぐにパートナーを見つけてちゃっかり子どもでも作っていそうだけれど」
「確かにな。反抗心がきっかけだったとはいえ女遊びはそれなりに楽しかった」
「最低ね」
「最低な俺も好きだったんだろ?」
 にやりと不敵に笑うその顔はどこか挑発的で、いつかもそんな表情でこちらを見ていたなと眉を寄せる。
「馬鹿。たまには連絡をよこしなさいよ」
「わかってるって。……元気でな。ゼノにも別れの挨拶してくるよ」
 私の頭を撫でるように軽く叩いて部屋を出ていった彼に、何故だか分からないけれどきっともう私に会うために帰ってくることはないのだろうなと思った。ここを出る時もきっと何も言わずに黙って出て行く気がした。けれどそれをとやかく言う気はもうない。私はただの幼馴染で従兄妹で、それ以上でもそれ以下でもないのだ。
 彼の心の内側に入ることはきっとこの先もう一度だってないのだと思う。それでいい。ようやく私たちは子どもだったあの頃と決別できる。
 もう二人だけの狭い世界はなく、他にできた大切な人と幸せになれるように生きているのだから。
「元気でね、アレク……」


 その次の日の明け方、彼に朝食を持っていったメイドから彼が荷物と共に消えていることを聞いた。追いかけましょうかと言った彼女に首を横に振ったのはこうなることを分かっていたからで、けれど私が寂しさを感じていることに気が付いたのか、シークはただ静かに寄り添ってくれた。
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