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第一章 田舎娘とお猫様の日常
田舎娘は、森へ行く
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森が静かすぎる。
初めに言い出したのが誰だったかは忘れたけれど、今この村ではその話題で持ちきりだった。
「やはり最近おかしいぞ。魔獣も森の奥に引っ込んじまってる」
「星詠み様たちの話じゃあ、今年は厳冬になるんだろう? 村の蓄えも多めにしないといけないってのに、狩れる魔獣がいないのは困りものだ」
私も果物などを採取するために大きな籠を背負って森へと向かっていたのだけれど、その途中、村の広場で男の人たちが何やら話し合っている場面に遭遇したので足を止めた。
彼らはこの村の狩人たちだ。狩人たちは普段では考えられない森の異常を、ここしばらく調査していた。彼らが落胆している様子を見るに、今日も獲物である魔獣は現れなかったようだ。使用された形跡のない魔道具がそれを物語っている。
「お父さん、今日もだめだったの?」
私は広場へと足を向け、この村一番の狩人だと言われているお父さんに声を掛けた。
「ん? おお、アイラか。ああ、今日もベルギアルどころかテティラビーの一匹も姿を見せなかった」
お父さんはふう、と溜め息をつく。この一週間ほど、お父さんは村の狩人たちを連れて森の中に入りっぱなしだったから疲れているはずだ。狩りをしていない分肉体的にはそうでもないかもしれないけれど、森の様子がおかしいから精神的な疲労は溜まっているに違いない。
「このまま魔獣が狩れないと、アイラの採ってくる果物と野草で冬を凌がないといけなくなるな」
「ええ、それは責任重大だね」
原因不明の森の異常に頭を痛めている狩人達を和ませるように、私は冗談めかして言った。自分にできることなど、せいぜいそれくらいしかないから。
お父さんは私の気持ちを汲んでくれたのか、ハハ、と声を出して笑った。
「期待しているよ。だが、森の様子が普段とは違う。絶対に奥まで行くんじゃないぞ」
「分かってるって」
「もしかしたら神獣が迷い込んでいるかもしれん。見掛けたらすぐに逃げてくるんだぞ」
「はーい」
私は間延びした返事をして、通い慣れた森へと向かった。
私の名前はアイラ。切るタイミングがつかめなくて背中まで伸びてしまった茶色の髪と、普通の茶色の目を持つ、至って凡庸な田舎村の娘だ。
そんなどこにでもいそうな女である私が住んでいるのは、魔王国の端っこに位置する『テス』という小さな村だ。神王国との国境付近にあるということ以外これといった特徴のない、絵に描いたような田舎村と言っていい。
そんな田舎村のテスだけれど、森の恵みは豊かだ。近くの森に生息しているベルギアルやテティラビーの肉は特に美味だと評判で、近隣の町から商人が買い付けに来るほど。
私はどちらかというとベルギアルよりテティラビーの肉が好きで、森で採れる香草と一緒に焼いて食べると幸せいっぱいになる。だからいつも食べ過ぎてしまうのはご愛嬌だ。
私の食事風景を見たお父さんが「お前は色気より食い気だな」と呆れ返ることもままあるが、美味しいご飯というものはそれだけで正義なので仕方ないのである。いくら私が十八歳という結婚適齢期であっても、美味しいご飯の前には異性など無力なので本当に仕方がないのである。
……ううん、ちょっとだけ嘘。
本当は女の子同士で恋愛話をしてみたいと思うこともある。だけど、それはどれだけ望んでも叶わない夢だ。だって、この村の若者は私を除いてみんな都会に行ってしまったから。
それならどうして私は村を出ないのかというと、理由は簡単、お父さんが心配だからだ。
今でこそ元気にしているお父さんだが、二年前にお母さんが流行病で死んでしまった時は、娘の私よりもひどく落ち込んでいた。それこそお母さんの後を追うのではないかと思えるほどに。
だから私は、お父さんが馬鹿なことをしないためにもこの村に残ったのだ。
その結果、私は村を出るタイミングを逃してしまった。
だけどまぁ、都会とは違って娯楽などはほとんどないけれどもそれなりに平和な日々を送れるので、生まれ育ったこの村のことは割と好きだ。
しかしやはり田舎は田舎、私ももちろん働かなければならない。
そういうわけで、私は森に生っている果物や木の実、食べられる野草、香草、薬草などを採取することを仕事としていた。今の時期は冬の蓄えのために、保存食に加工できる果物や木の実をメインで採ることが多い。
それにしても空気が冷たい。風も吹いていないのに肌を刺されているような感覚があるので、もうそこまで冬が迫っているのだと強く感じた。散歩がてらのんびり行こうかと思っていたけれど、これは少し急いだ方がいいかもしれない。
私は森まで小走りに駆けた。通い慣れた道であることもあり、あっという間にいつもの採取場の近くに到着する。私は籠を背負い直してから、注意深く付近の探索を始めた。
……確かに、森が静かだ。いつもならテティラビーの姿くらいは見るというのに。
もしかしたらお父さんが言う通り、神獣がこの森に迷い込んだのかもしれない。
「神獣はなぁ……見てる分には綺麗なんだけどなぁ」
神王国の聖なる獣、神獣。
神獣は一様に美しい純白の体毛や羽毛の持ち主で、実に神秘的な存在だ。だけど神族以外にはとにかく凶暴になるという一面があった。
理由はもちろんある。大昔に起こった魔王国と神王国の戦争の名残なのだ。
当時、戦争の兵器として魔王国では魔獣を、神王国では神獣を造った。そして両国とも『敵を見付けたら絶対殺せ』なんていう大雑把でいい加減な命令を与えてしまったので、創造主である魔族・神族以外には牙を剥く凶暴な生き物になってしまったのだという。本当、はた迷惑な話だった。
……なんてことをつらつらと考えてしまったので、私は軽く頭を振って気合いを入れ直す。その後改めて神経を尖らせながらしばらく付近を見回していたけれど、めぼしいものは見付からなかった。
「どうしようかな。そろそろユキイチゴが甘くなる時期だから、それを採りに行くのもいいんだけど……」
ユキイチゴの群生地は、森の少々奥の方にある。神獣がいるかもしれないとお父さんから言われたばかりなので、さすがに躊躇ってしまうのはこの際仕方がだろう。
だけど、このまま何も採らずに帰ってしまうのも気が引ける。最近はただでさえ魔獣が狩れていないから、越冬用の食料が足りていないのだ。
「でもなぁ、本当に神獣が出たら、それこそ命が危ないし、うーん……」
それらしく腕を組んで、うんうんと唸ってみた時だった。
カサ、と。
ごくごく小さな葉擦れの音がした。
「ひぇっ! い、今の音は?」
私は音が聞こえてきた方に視線を向ける。これがテティラビーがひょっこり顔を出しているだけなら、どうってことない。ベルギアルだったら少し恐いけれど、神獣が出てくるなんかよりはるかにマシだ。もちろん、一番いいのは何もないことなのだが。
そんな私の希望的観測は、ものの見事に外れることになった。
木々の合間の暗がりから、黄色く光る双眸がこちらを覗いている。
「ヒッ!」
あれは魔獣じゃない。だって魔獣は、全部赤い目をしているから。そして神獣はというと……黄色というか、金色の目をしている。つまり、今私を見ているアレは。
「神獣……!」
逃げなきゃ!
私はくるりと回れ右をして、森の出口に駆け出そうとした。だけど、恐怖のあまり足がもつれて転んでしまう。早く早くと気持ちだけが急いて、上手いこと立ち上がれない。
一人で必死にもがいていると、またもやカサカサ、と葉擦れの音がした。
ああ、こちらに近付いてきているんだ。私はこのまま、神獣に襲われて死んでしまうんだ。
恐怖心と諦めで視界が滲む。私はその場に縮こまり、嗚咽を漏らした。
「痛いのは嫌だなぁ」
だからせめて、あの時みたいに一瞬で死ねたら。
ギュッと目をつむり、誰に向けるでもなく心の中で祈る。それは本当に無意識の行動だった。
目を閉じたことで何も見えなくなり他の器官が鋭敏になった私は、うっかり神獣の気配を肌で感じ取ってしまう。そのせいで恐怖心が増幅されてしまった。
しまった、と思ったけれどもう後の祭りだ。私はこの恐怖心に苛まれながら、一生を終えるのだ。
葉擦れの音はもう聞こえない。だけど、神獣が近付いてきているということだけは分かる。足音も立てずに私の傍に立った神獣は、おもむろに顔を寄せてきて――
――ニャア。
そう、小さく、鳴いた。
初めに言い出したのが誰だったかは忘れたけれど、今この村ではその話題で持ちきりだった。
「やはり最近おかしいぞ。魔獣も森の奥に引っ込んじまってる」
「星詠み様たちの話じゃあ、今年は厳冬になるんだろう? 村の蓄えも多めにしないといけないってのに、狩れる魔獣がいないのは困りものだ」
私も果物などを採取するために大きな籠を背負って森へと向かっていたのだけれど、その途中、村の広場で男の人たちが何やら話し合っている場面に遭遇したので足を止めた。
彼らはこの村の狩人たちだ。狩人たちは普段では考えられない森の異常を、ここしばらく調査していた。彼らが落胆している様子を見るに、今日も獲物である魔獣は現れなかったようだ。使用された形跡のない魔道具がそれを物語っている。
「お父さん、今日もだめだったの?」
私は広場へと足を向け、この村一番の狩人だと言われているお父さんに声を掛けた。
「ん? おお、アイラか。ああ、今日もベルギアルどころかテティラビーの一匹も姿を見せなかった」
お父さんはふう、と溜め息をつく。この一週間ほど、お父さんは村の狩人たちを連れて森の中に入りっぱなしだったから疲れているはずだ。狩りをしていない分肉体的にはそうでもないかもしれないけれど、森の様子がおかしいから精神的な疲労は溜まっているに違いない。
「このまま魔獣が狩れないと、アイラの採ってくる果物と野草で冬を凌がないといけなくなるな」
「ええ、それは責任重大だね」
原因不明の森の異常に頭を痛めている狩人達を和ませるように、私は冗談めかして言った。自分にできることなど、せいぜいそれくらいしかないから。
お父さんは私の気持ちを汲んでくれたのか、ハハ、と声を出して笑った。
「期待しているよ。だが、森の様子が普段とは違う。絶対に奥まで行くんじゃないぞ」
「分かってるって」
「もしかしたら神獣が迷い込んでいるかもしれん。見掛けたらすぐに逃げてくるんだぞ」
「はーい」
私は間延びした返事をして、通い慣れた森へと向かった。
私の名前はアイラ。切るタイミングがつかめなくて背中まで伸びてしまった茶色の髪と、普通の茶色の目を持つ、至って凡庸な田舎村の娘だ。
そんなどこにでもいそうな女である私が住んでいるのは、魔王国の端っこに位置する『テス』という小さな村だ。神王国との国境付近にあるということ以外これといった特徴のない、絵に描いたような田舎村と言っていい。
そんな田舎村のテスだけれど、森の恵みは豊かだ。近くの森に生息しているベルギアルやテティラビーの肉は特に美味だと評判で、近隣の町から商人が買い付けに来るほど。
私はどちらかというとベルギアルよりテティラビーの肉が好きで、森で採れる香草と一緒に焼いて食べると幸せいっぱいになる。だからいつも食べ過ぎてしまうのはご愛嬌だ。
私の食事風景を見たお父さんが「お前は色気より食い気だな」と呆れ返ることもままあるが、美味しいご飯というものはそれだけで正義なので仕方ないのである。いくら私が十八歳という結婚適齢期であっても、美味しいご飯の前には異性など無力なので本当に仕方がないのである。
……ううん、ちょっとだけ嘘。
本当は女の子同士で恋愛話をしてみたいと思うこともある。だけど、それはどれだけ望んでも叶わない夢だ。だって、この村の若者は私を除いてみんな都会に行ってしまったから。
それならどうして私は村を出ないのかというと、理由は簡単、お父さんが心配だからだ。
今でこそ元気にしているお父さんだが、二年前にお母さんが流行病で死んでしまった時は、娘の私よりもひどく落ち込んでいた。それこそお母さんの後を追うのではないかと思えるほどに。
だから私は、お父さんが馬鹿なことをしないためにもこの村に残ったのだ。
その結果、私は村を出るタイミングを逃してしまった。
だけどまぁ、都会とは違って娯楽などはほとんどないけれどもそれなりに平和な日々を送れるので、生まれ育ったこの村のことは割と好きだ。
しかしやはり田舎は田舎、私ももちろん働かなければならない。
そういうわけで、私は森に生っている果物や木の実、食べられる野草、香草、薬草などを採取することを仕事としていた。今の時期は冬の蓄えのために、保存食に加工できる果物や木の実をメインで採ることが多い。
それにしても空気が冷たい。風も吹いていないのに肌を刺されているような感覚があるので、もうそこまで冬が迫っているのだと強く感じた。散歩がてらのんびり行こうかと思っていたけれど、これは少し急いだ方がいいかもしれない。
私は森まで小走りに駆けた。通い慣れた道であることもあり、あっという間にいつもの採取場の近くに到着する。私は籠を背負い直してから、注意深く付近の探索を始めた。
……確かに、森が静かだ。いつもならテティラビーの姿くらいは見るというのに。
もしかしたらお父さんが言う通り、神獣がこの森に迷い込んだのかもしれない。
「神獣はなぁ……見てる分には綺麗なんだけどなぁ」
神王国の聖なる獣、神獣。
神獣は一様に美しい純白の体毛や羽毛の持ち主で、実に神秘的な存在だ。だけど神族以外にはとにかく凶暴になるという一面があった。
理由はもちろんある。大昔に起こった魔王国と神王国の戦争の名残なのだ。
当時、戦争の兵器として魔王国では魔獣を、神王国では神獣を造った。そして両国とも『敵を見付けたら絶対殺せ』なんていう大雑把でいい加減な命令を与えてしまったので、創造主である魔族・神族以外には牙を剥く凶暴な生き物になってしまったのだという。本当、はた迷惑な話だった。
……なんてことをつらつらと考えてしまったので、私は軽く頭を振って気合いを入れ直す。その後改めて神経を尖らせながらしばらく付近を見回していたけれど、めぼしいものは見付からなかった。
「どうしようかな。そろそろユキイチゴが甘くなる時期だから、それを採りに行くのもいいんだけど……」
ユキイチゴの群生地は、森の少々奥の方にある。神獣がいるかもしれないとお父さんから言われたばかりなので、さすがに躊躇ってしまうのはこの際仕方がだろう。
だけど、このまま何も採らずに帰ってしまうのも気が引ける。最近はただでさえ魔獣が狩れていないから、越冬用の食料が足りていないのだ。
「でもなぁ、本当に神獣が出たら、それこそ命が危ないし、うーん……」
それらしく腕を組んで、うんうんと唸ってみた時だった。
カサ、と。
ごくごく小さな葉擦れの音がした。
「ひぇっ! い、今の音は?」
私は音が聞こえてきた方に視線を向ける。これがテティラビーがひょっこり顔を出しているだけなら、どうってことない。ベルギアルだったら少し恐いけれど、神獣が出てくるなんかよりはるかにマシだ。もちろん、一番いいのは何もないことなのだが。
そんな私の希望的観測は、ものの見事に外れることになった。
木々の合間の暗がりから、黄色く光る双眸がこちらを覗いている。
「ヒッ!」
あれは魔獣じゃない。だって魔獣は、全部赤い目をしているから。そして神獣はというと……黄色というか、金色の目をしている。つまり、今私を見ているアレは。
「神獣……!」
逃げなきゃ!
私はくるりと回れ右をして、森の出口に駆け出そうとした。だけど、恐怖のあまり足がもつれて転んでしまう。早く早くと気持ちだけが急いて、上手いこと立ち上がれない。
一人で必死にもがいていると、またもやカサカサ、と葉擦れの音がした。
ああ、こちらに近付いてきているんだ。私はこのまま、神獣に襲われて死んでしまうんだ。
恐怖心と諦めで視界が滲む。私はその場に縮こまり、嗚咽を漏らした。
「痛いのは嫌だなぁ」
だからせめて、あの時みたいに一瞬で死ねたら。
ギュッと目をつむり、誰に向けるでもなく心の中で祈る。それは本当に無意識の行動だった。
目を閉じたことで何も見えなくなり他の器官が鋭敏になった私は、うっかり神獣の気配を肌で感じ取ってしまう。そのせいで恐怖心が増幅されてしまった。
しまった、と思ったけれどもう後の祭りだ。私はこの恐怖心に苛まれながら、一生を終えるのだ。
葉擦れの音はもう聞こえない。だけど、神獣が近付いてきているということだけは分かる。足音も立てずに私の傍に立った神獣は、おもむろに顔を寄せてきて――
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