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終話 友禅の未来
新たな依頼
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呼び出された場所は、東茶屋街の近くにある駐車場だった。
「すまないな、仕事で回っている途中で思い立ったから、ここまで来てもらった」
そこには、晃ではなく、父辰巳が待っていた。
軽トラックが一台、そばに停めてある。
「遠野君に依頼したのって、もしかして、お父さん?」
「ああ。彼は、何も言ってなかったのか? 俺の名前も伝えていたんだが」
「ううん。何も」
答えながら、藍子は、きっと晃のことだから妙な悪戯心を起こして、実際に現地に行くまで依頼人がわからないように伏せていたのだろう、と推測した。
(余計なサプライズ、してくれちゃって)
そんなことを思いつつも、藍子はほほ笑んでいた。こういうおふざけは、嫌いではない。
「まあ、いい。依頼内容は聞いているな?」
「そのトラックを、加賀友禅調にデコレーションしたいんでしょ?」
辰巳の依頼は、庭師の仕事用に使っている軽トラックを、加賀友禅調のデザインで飾ることである。
どうやって装飾するか、素材等はまた考えるとして、早くも藍子は何十通りもの図案を頭の中で作り上げている。
いかにも金沢らしい、加賀友禅調の絵図をあしらった軽トラックが、市内を走り回っている姿を想像する。それは、この街の風景に溶け込んだ、とても映えるものになることだろう。
「ああ。ただ、申し訳ない。図案についてはリクエストがある」
「お父さんから? 何かお気に入りの友禅絵でもあるの?」
「これだ」
そう言って、父がバッグから出してきたのは、一枚の写真だった。
藍子は、体を小さく震わせた。
「化鳥……!」
それは母の作品だった。泉鏡花の小説を題材にした、幻想的な絵。黒留袖に描かれた、光り輝く橋と、浅野川、そして宙を飛ぶ翼の生えた天女。
この絵を、軽トラックの装飾として再現してほしい、というのだ。
「難しいか?」
父の問いに対して、藍子は、かぶりを振った。
たとえ難度は高かろうと、母の遺した作品に自分が携われるのなら、この上なくやり甲斐はある。
しかも、その軽トラックを使うのは、父だ。
なぜ父が、母の作品を、自分が使用する車にあしらってもらおうとしているのか、その気持ちを想像すると、断ることなんて出来ない。
「やらせて! 私、やってみたい!」
力強い藍子の返事に、父は顔を綻ばせた。
「良かった。ありがとう」
その笑顔は、藍子にとって、すでに何よりの報酬だった。
母がもし生きていたら、こんな風に加賀友禅の本道から外れて、デザインの仕事をしている自分のことを、どう感じて、どういう言葉を投げかけてきただろうか。
応援してくれただろうか。それとも考え直すよう諭しただろうか。
(ううん。お母さんは、きっと何も言わず、優しく見守ってくれていたと思う)
藍子が一所懸命生きる姿を、愛しげに目を細めて、ただじっと眺めていたことだろう。そして、たまに、藍子には聞こえないくらい小さな声で、「頑張って」とエールを送ったに違いない。
「すまないな、仕事で回っている途中で思い立ったから、ここまで来てもらった」
そこには、晃ではなく、父辰巳が待っていた。
軽トラックが一台、そばに停めてある。
「遠野君に依頼したのって、もしかして、お父さん?」
「ああ。彼は、何も言ってなかったのか? 俺の名前も伝えていたんだが」
「ううん。何も」
答えながら、藍子は、きっと晃のことだから妙な悪戯心を起こして、実際に現地に行くまで依頼人がわからないように伏せていたのだろう、と推測した。
(余計なサプライズ、してくれちゃって)
そんなことを思いつつも、藍子はほほ笑んでいた。こういうおふざけは、嫌いではない。
「まあ、いい。依頼内容は聞いているな?」
「そのトラックを、加賀友禅調にデコレーションしたいんでしょ?」
辰巳の依頼は、庭師の仕事用に使っている軽トラックを、加賀友禅調のデザインで飾ることである。
どうやって装飾するか、素材等はまた考えるとして、早くも藍子は何十通りもの図案を頭の中で作り上げている。
いかにも金沢らしい、加賀友禅調の絵図をあしらった軽トラックが、市内を走り回っている姿を想像する。それは、この街の風景に溶け込んだ、とても映えるものになることだろう。
「ああ。ただ、申し訳ない。図案についてはリクエストがある」
「お父さんから? 何かお気に入りの友禅絵でもあるの?」
「これだ」
そう言って、父がバッグから出してきたのは、一枚の写真だった。
藍子は、体を小さく震わせた。
「化鳥……!」
それは母の作品だった。泉鏡花の小説を題材にした、幻想的な絵。黒留袖に描かれた、光り輝く橋と、浅野川、そして宙を飛ぶ翼の生えた天女。
この絵を、軽トラックの装飾として再現してほしい、というのだ。
「難しいか?」
父の問いに対して、藍子は、かぶりを振った。
たとえ難度は高かろうと、母の遺した作品に自分が携われるのなら、この上なくやり甲斐はある。
しかも、その軽トラックを使うのは、父だ。
なぜ父が、母の作品を、自分が使用する車にあしらってもらおうとしているのか、その気持ちを想像すると、断ることなんて出来ない。
「やらせて! 私、やってみたい!」
力強い藍子の返事に、父は顔を綻ばせた。
「良かった。ありがとう」
その笑顔は、藍子にとって、すでに何よりの報酬だった。
母がもし生きていたら、こんな風に加賀友禅の本道から外れて、デザインの仕事をしている自分のことを、どう感じて、どういう言葉を投げかけてきただろうか。
応援してくれただろうか。それとも考え直すよう諭しただろうか。
(ううん。お母さんは、きっと何も言わず、優しく見守ってくれていたと思う)
藍子が一所懸命生きる姿を、愛しげに目を細めて、ただじっと眺めていたことだろう。そして、たまに、藍子には聞こえないくらい小さな声で、「頑張って」とエールを送ったに違いない。
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