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四章

三十七話 ~決意、のち混濁~

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散々な一日が終わろうとしている。

 事前に説明をしてくれていたからか、マリーもサムもあまり取り立てて根掘り葉掘り聞こうとはしてこないので助かった。唯一おんぶされて帰ってきたシャルに怒りが向けられているが、自業自得。むしろもっと怒ってくれと言いたいくらいだった。

 寝服に着替えていると、雨粒が窓を濡らしていることに気づいた。しとしとと降り注いでいたが、次第にパラパラ、ザアザアと激しさを増していく。

(もうそんな季節か)

 一寸先も見通せないどんよりと暗い雲を背景にした雨足は弱まる気配がない。毎年のことだが、季節の移り変わりを実感する。

(ん?)

 何気なく下を見ると、傘を差した誰かが庭を歩いていた。二人いるが、顔は見えない。身ぶり手ぶりから揉めているようでもある。

「どうしたんだ?」

 行ってみると、マリーとサムだった。話を聞くと普段使っている道具を中に運ぼうとしていたそうだ。その途中、納屋についてまで話が及んだ。だいぶ古くなっているので雨漏りをしていないかどうか薪が濡れていないかたしかめたいと。

 明日になってから調べればいいと主張したサムと、いざというときにそれでは遅いと主張したマリー。二人の意見が異なっていたので口論になりかけていたと。

「わかった、なら俺が見てくる」

 睡眠欲を優先したいのだと一目でわかるサムは、嬉々として受け入れた。だがそんなサムに対して、更にマリーは立腹していく。

「シャルちゃんに言われたことが引っかかってるからって当たるなよ」
「な、兄さん!」

 角灯を少し強引に取り、そのままサムを追い立て納屋に向った。納屋は外観的に問題は見えない。だが、中に入ってみると泥濘んでいた。天井の所々から雨漏りがしているが、それだけでここまで酷くはならない。

 原因は地面を伝って室内に流れこんできたからだろう。

「建て直したほうがいいか?」
「大工の方を呼びますか?」

 独りごちに相槌を打ちそうになり振り返った。どうやら付いてきていたらしいマリーが角灯にぼんやりと照らし出された。幽霊かとおもって全身の毛が逆立った。

「そうしようとおもう。買ったときに多少手直しはしたが、元々ガタがきていたということだろうし」

 そのまま薪を机の上に移動させるマリーに遅れて、そんな話を振りながら手伝う。その間にも柱や壁も古さが目立ってきているのを発見して更に直す気持ちが固まる。

「去年まではどうだった?」
「特に問題はありませんでした」
「屋敷のほうは?  ついでだ。悪くなっているところも見てもらおう」

  簡素すぎる、事務的なやりとり。いつものことだ。

「では明日来てもらいましょう。見積もりを作成してもらってからになりますが、よろしいですね?」
「ああ。なんだったら俺も大工と直接話そう。どうせ外にはいかないしな」
「? 明日は出勤する日では?」
「暫く俺は騎士団から離れる。ある命令でな」
「・・・・・・・・・・さよう、ですか。いつまででしょうか?」
「具体的には決まっていない」
「かしこまりました」

 だが、シャルの会話がまだどこかに残っているのか。物悲しさを意識せずにはいられない。よそよそしく、お互いに一歩引いているというのが浮き彫りにかんじるのだ。

「マリー。サムが言っていたことだが、シャルとなにがあった?」
「・・・・・・なんでもございません」

 僅かな変化。小さいときからなにかあったときの癖を見て取ったが、そこから先に踏み込めない。

「ただ、反抗をされただけです」
「反抗?」
「私が叱っているとシャルは、マリーさんと旦那様は間違っている! お互いがお互いに誤解をしている! と。わけのわからないことを」
「う~~~~~~~~~む・・・・・・・・・」
「その話は関係ないと申したのですが、あの子は聞く耳を持たず」

 そんなことになっていたのか。

 てっきり、一方的にマリーが叱り倒していたとばかり。

「あの子には困りっぱなしです。本当に」
「それは俺も心底そうおもう」
「しまいには旦那様の尻尾をだなんて」
「うん?」
「いえ、主に対して遠慮がなさすぎます」
「すまん・・・・・・」
「どうして旦那様が謝るのですか?」
「あの子を雇うと決めたのは俺だしな。それに・・・・・・・・・・」

 ただでさえ呪われ騎士の使用人になっている。俺が気づいていないだけで、サムもマリーも多大な負担がかかっているはずだ。

「だが、シャルがここにいるのはそう長くないだろう」
「どういうことですか?」
「今日一緒にいるとき、そういう話になった」
「さようですか・・・・・・・」
「厳密にはいつと決まったわけではないがな。そのうち新しい使用人を募集したほうがいいだろう」

 そうだ。遠くない未来、いずれそうなる。

 わかっていたことを改めて自分にも言い聞かせるが、チクリと胸が疼く。

「旦那様は、それでよろしいのですか?」

 そして、マリーがそんな風に尋ねてきたのが意外すぎた。

「何故だ?」
「シャルが来てから、旦那様が少し変わったので。まるで・・・・・・・・・・・・・・・」

 変わっているんじゃない。シャルに振り回されているだけだ。

 考えてもみろ。一国の主が命を狙われているからといって、正体を隠して女中に扮している。そして女中として働き、こちらの想像を余裕で越える行動をしているんだ。いつもどおりでいられなくて当然だろう。

 そんな言い訳じみた理由なんてマリーに説明できるはずもなく。焦れったいやるせなさに塗れながら、チクチクと止まらない疼きに苛まれる。

「いいか、マリー・・・・・・・・・・それは一体なんだ?」
「はい?」
「その腕飾りだ」

 暗いのとブラウスの袖に隠れていて気づかなかったが、見慣れないものを身につけていたんだ。

「これは、買い物をしたときに出会った占い師にもらったのです」
「もらった?」

 お世辞にも、デザイン的に優れているとはいえない。幾重にも巻かれた茶色い紐に宝石とも骨ともいえないものがいくつか括られている。色とりどりだが、湾曲していて丸みを帯びていたり、先が尖っていたり。物騒な印象がある。

 女性が身につけるのを好む物じゃない。

「なんでも遠くの国で古来より伝わる魔除けだそうで」
「へぇ。占い師ってそういうのも売るのか」
「というよりも、こちらにお金はかかりませんでした。占ったあとのサービスだそうで」

 王都には様々な人間がいる。占いを生業とする輩も少なからずいるとは耳にした。だが、マリーと占いがうまく結びつかない。

 どちらかといえば、性格や好み的にそういうのは避けたり嫌ったりすると勝手に思い込んでいた。

「よく利用するのか?」
「いえ。買い物途中休んでいたら声をかけられて。最初は無視をしようとしたのですが私のことを言い当てられてしまい」
「うん?」
「私が昼食に食べた物も、使用人をしていることも今夜の夕食のメニューもズバリ言い当てたのです」

 それは口の臭いと服装、それと買った物から予測しただけでは?

「それですっかり信じてしまったと? なにか占ってもらいたいという気分になったのか?」
「はい・・・・・・・・・そして占いの結果、この腕飾りを」
「そうか、しかしマリーはなにを・・・・・・・・・・・・」
「旦那様?」

 冷や汗がとまらない。

 内側から焼け尽くされていくようなジリジリとした痛み。筋肉の一本一本を焦すようなビリビリとした痺れ。否応なく痙攣が体のあちこちで生じる。寒くもないのに震えがとめられず、全身の毛という毛が逆立つ。

 暴れている。体の中でなにかが。臓腑をすべて食い尽されているかのような苦しさが突然襲いかかってきた。

(これは)

 覚えがある。この異変は、かつて味わったことがある苦しさだ。

「どうされたのですか、旦那様!?」
「ま、マリー・・・・・・・・・・」

 呼吸が上手くできない。たまらず膝から崩れおちる。

「がああっっ!!」

 マリーが触れた瞬間、一際苦しさが増した。

「旦那様! エリク様!?」
「触るなっっっ!!」

 かつての記憶。薄れていく視界が映し出す光景。声を大にしてこちらを叫び、何事かと驚いているマリー。

「あのときと、同じ、ぐうう!!」

 そんな彼女の腕が、光っていた。忌まわしい記憶の中にある、呪われたあのときと同じおどろおどろしい影のような光を放っている。

「は・・・・・・・・・せ、」

 あのときと、同じ。

「それを外せっっっ!!!! 呪われるぞ!!」

 飛びついた。引き千切った。刹那、つんざくような破壊音。

 途端に、全てが切れた。

 聴覚も、触覚も、嗅覚も、味覚も、視覚も、自我も。切れたとしか例えようがないほど唐突に消えた。

「エリク様!!」

 深く、深く沈んでいく。

 眠りに落ちるより素早く、暗く、気持ちの悪い意識の消失だった。


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