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正義躍動する三日目
三日目の終わり
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自分以外誰もいない静かな部屋。
来た当初はその静けさに寂しい気持ちを抱いていたが、今は、それが凄く有難い。
宮城さんの死を、誰に邪魔されることなく悼むことができるから。
私――秋華千尋は、ベッドに腰を掛けてパタパタと足を揺らしながらぼんやり虚空を見つめた。
視界に映るのは武骨な壁や天井のみ。しかし私が見ているのは、昨晩見た宮城の姿。
真剣に、必死に、純粋に。自身の行いに生じる矛盾への葛藤と戦い続ける、哀れな男の姿。
『おそらく俺は死ぬだろう』
悲壮感とは一切無縁の声で、開口一番に宮城はそう告げた。
『はて。死ぬ未来が分かるなら、死なない未来を選択すればよいのではないですか? それとも既に死ぬ選択をした後なのでしょうか?』
人によっては馬鹿にした、とぼけたとも言われる無表情で私は素早く切り返す。彼はそんな私の態度に腹を立てることもなく、淡々と言葉を続けた。
『これから、俺は死ぬ未来を選択する。それは俺が正義の使者であるために必要なことだからだ。そしてそれ自体にはさして悩んでいるわけではない』
『では、何をお話ししに来たのですか? 正義の使者としてやり残したことの代行作業でも頼みにきましたか』
『違う。正義の使者としての活動は俺だけのものだ。他の誰にも任せられるものじゃない。俺はただ……死ぬ前に俺自身の行いを、誰かに裁いてもらいたいと思ったんだ。俺の行いは、よそから見れば、世に蔓延る悪人共と大差ないのかを。はっきりと確認しておいてから死ぬ必要があると思えたから』
正義の使者として見せていた毅然な態度を崩し、自身の行いに悩み続ける年相応の表情が顔を出す。聞けば彼はつい半年前に二十歳になったばかりだとか。そして正義の使者としての活動を始めたのも、ちょうど二十歳になった頃から。つまりこの館に集まった犯罪者全員をドン引きさせるキャラになってから、まだ半年しか経ていないのだ。
であれば、いまだ自身への行いに対する疑問や戸惑いだって多く存在するだろう。正義の使者など、普通の人生を送っていた人が名乗るにはハードルが高すぎるもの。そこに違和感を覚えさせず、血命館に集った悪人たちと対峙していたのだから、その精神力(順応力?)は大したものである。
私にしては珍しく、この時ばかりは返答に時間を要した。まず間違いなく彼が裁きを頼みたい相手は、私などではなく無垢なる心を持った善人――もしくは善と悪の心を両立させた一般人のはず。そのどちらでもない私なぞがそんな大役をしていいものか迷ってしまった。
それでも結局は、なぜ自分がなどと聞き返さず『分かりました』と申し出を受け入れた。彼は自らの足で私のもとを訪れた。ならばそれに疑問の声を上げるのは筋違いだと思ったからだ。
私の返答にホッとしたのか。宮城は幼さを露わにした顔付きで、ぽつぽつと正義の使者になるまでの経緯を語りだした。
そしてその語りは、『俺は幼少期から馬鹿だったのだ』という自虐から始まった。
『この館にいる奴らが俺をどう捉えているかは知らないが、俺は至極まっとうな人生を歩んできた。それなりに裕福な家庭に生まれ、小学校は当然のこと、中高と私立の進学校に通わせてもらい、それなりに有名な大学に入学することもできた。家族との仲も良好だったし、気軽に話せる友人だって何人もいた。だが、俺は幼少期から一貫して馬鹿だったんだ。周囲の大人が自身の行いを棚に上げて語る理想論を、この世の真実であり善なる行いだと信じていた。盲目的にな。
困っている人がいたら助けてあげる。
いじめられている者がいれば救ってあげる。
誰もが平等で幸せな世界が、誰にとっても幸せな世界である――といった様にな。
だが、現実は当たり前だが全く違う。誰もが自身の利益を追求し、人を虐げることや貶めることに躊躇しない。
自身が急いでいれば、重い荷物を背負った老人など目にも入らず。
自身が人より優れている、もしくは下に見られたくないと思う者は、率先していじめを行い弱者を作る。
誰もが幸福になる道があったとしても、自身がより幸福になる道があれば他者を不幸にしてでも自身の幸福を追求する。
正義の使者となった今ではそれも少し理解できる。誰だって、世界は自分中心に回るものだ。いや、自分以外の世界など見ようとしても見れる物じゃない。だから最も分かりやすい世界のみを、楽で素敵な世界に変えようとする。そう。おかしなことじゃないんだ。だが――』
『あなたにとっては彼らの幸せが理解できなかったのですね。自分じゃない誰かの世界が、傷つき、壊れていく。一部の人はそれにより自身の世界を充実させる。対して、視界に映るそうした被害者の姿も、宮城さんにとっては自身の世界の一部だった。だから、他者を傷つけて幸せにする人を認めることができなかった』
それは分からない気持ちじゃないのです。
私はそんな風に言葉を添えて、彼の反応を見た。
弁解の余地なく否定されなかったことに安堵を覚えたのか、どこかほっとした表情を浮かべている。私なんかに同意されるのはむしろ危険なことなんじゃないかと思うが、本人がそれでいいなら口を出す必要はないだろう。
しばらくお互い無言でいた後、宮城は具体的に自分が何を目にして正義の使者を選んだのか話し始めた。といっても、それは先ほど例に挙げてくれたものに肉付けをしたもの。
自身が前日に荷物を持ってあげた老婆が、次の日、駆け足で階段を下りてきた青年に接触。老婆は階段を転がり落ち亡くなったそうだ。宮城はその青年に対し怒りを露わにしたが、周囲の反応はむしろ青年に同情的な物だったとか。老婆と青年がぶつかったのは早朝でそれなりに混雑した駅でのこと。学校に遅刻しまいと急いでいた青年の気持ちを周囲は理解できたし、その時間帯なら接触することも決してないことではない。老婆の運が悪かったのだという意見が大半だったらしい。宮城はそれに対しても納得していなかったが、さらにそんな時間に老婆が駅にいたことを非難する声を聞き、いよいよ負の感情を抱いてしまった。「なぜ、駅を歩いていただけの老婆が非難されるのか。自身の都合から周囲へ目を向けることをせず、混雑した階段を駆けて行った青年の方がどう考えても悪いはずだ」と。
中学時代には、クラスで虐められていた同級生をかばったことがあった。いじめられている理由は彼の家が貧乏で、ほぼ毎日同じ服を着ていたからなどという不当なもの。そんなことで人を傷つけるなと、宮城は声を大にして言ったとか。当時からそれなりに逞しかった宮城に真っ向から歯向かう者はおらず、苛めは沈静化したように見えた。でもその一か月後。宮城がかばった同級生はいじめを苦に自殺した。なんでも、宮城が彼をかばってから、苛めがより陰湿で耐え難いものになっていたそうだ。絶望した思いで宮城がその子を弔いに行ったとき、彼の母親からさらに自身を打ちのめす一言をもらった。「あなたが余計なことさえしなければ、うちの子は死ななかったのに。最後まで責任を持って守ることもできないなら、かばってなんて欲しくなかった」と。
さらに大学時代には、宮城が所属するサークルの部費を横領される事件があった。それはサークルでも柄が悪いことで有名な二人組の犯行。ただ、彼らがやったことはまず間違いないことではあったが、確たる証拠をつかむことはできず、奪われた金をとり返すことはできなかったとか。結果、その時部員の怒りが向かった矛先は、その二人でなく売り上げの管理を任されていた部長と会計。「なぜあんな危険な奴らがいるのに、ずっと金を見張っていなかったのか。もっと安全な管理ができたはずじゃないのか。お前らが金を盗んだも同然だ」と、犯人以上に責め立てられ部を追われたそうだ。
そして宮城を正義の使者に変えた決定的な事件は、彼の二十歳の誕生日のこと。絶対の信頼を抱いていた両親が、保険金目的で宮城を毒殺しようとしたらしい。もとより宮城の家計は決して貧乏でなく、むしろ裕福なくらいだった。にも関わらず、最愛の息子を不慮の事故で亡くした哀れな夫婦という肩書や、裕福であるがゆえに宮城にかけることができた多額の保険金に目がくらみ、彼を殺そうとしたのだ。とある偶然から両親の計画は彼にばれ失敗したのだが、その計画を知った宮城の衝撃は言語を絶した。
そうした事件を経て人々に抱いていた疑念はより強まり、何が正しくどう生きるのがいいかさっぱり分からなくなった――そんな時。両親の事件を担当した刑事から、正義の使者という道を示されたのだそうだ。
『お前が体験してきた出来事の中心には、いつだって悪人がいるんだ。そして悪人の影響を受け、本来なら善良な奴らも悪に染まってしまう。だから世界を平和に保つためには悪を根絶しないといけない。だが、今の日本の法律では、悪人だからという理由だけでは人を裁くことができない。実際にそいつらが悪事をなした証拠を掴めなければ、どれだけ分かりきった悪であろうとも裁くことはできないんだ。冤罪を作り出さないためには仕方のない処置かもしれないが、世間には疑いの余地のない悪人も公道を自由に闊歩している。なあ、君はそれをどう思う? 善良な人々を不幸にすると分かっている存在を、法で裁けないからと野放しにしておいていいと思うか? もし君がそれを良しとしないなら、俺から一つ提案があるんだ』
そう言って刑事が提案したのが、法で裁けぬ犯罪者を正義の使者として裁くこと。
私からしたら胡散臭いことこの上ない誘いであり、まず受け入れたりしないだろうとは思うのだが、当時の宮城はそれを受け入れてしまった。それほど人生に絶望していたのだ。
その後刑事の指示通り、宮城は法で裁けぬ悪人を退治する『正義の使者』としての活動を始めた。実際彼が対面した者は、刑事の言う通りどうしようもない悪人ばかり。刑事のサポートもあり、活動は概ね順調だった。しかし、今から約一か月前。宮城が裁こうとした悪人が、こんなことを言ってきた。『お前は俺の幼少期を知らないのに、なぜ今の俺だけを見て悪だと決めつけるんだ。俺も昔はこんな奴じゃなかったんだ』というもの。
重要なのは過去でなく今何をしているのか。そんなこと正義の使者でなくとも分かる道理であり、ふざけた責任転嫁――のはずだったのだが、宮城はこの言葉にいたく衝撃を受けてしまった。
――過去ではなく今が大事なら、未来という現在(いま)で普通の生き方をできる者は殺すべきじゃないのではないか、と。
その結果、彼は正義の使者として悪人を裁く前に必ず相手に罪の告白をさせ、それをどう捉えているかを話させるようにしたのだとか。しかしそれで無駄に時間を使うようになり、うまく正義の使者としての活動が行えなくなり始めた頃――ここに集められることになったようだ。
私は黙って彼の話を聞き終えると、『ふむ』と首を傾げて見せた。
『宮城さんの言う正義とは、その刑事さんのことだったのですね。そして今あなたは、自身が信じていた正義を疑っている状況にある。今も昔も、盲目的に誰かの言葉を信じ続けて、それを考えずに実行してきたことを、ここにきて後悔したというところですか』
『そう、なのだろうな。俺は今まで自分の行いや考えを間違っていると思わなかった。だが、そうしてただ一つの考えだけを正義とし、他に目を向けることのできなかった俺は、それこそ俺が裁いてきた悪人と同じなんじゃないかと、今になって思う。だから俺は――』
『悪いですが私にはあなたを裁けないのです』
宮城が何を言いたいのかを察し、彼が言い終える前に釘をさしておく。申し訳ないけれど、私は善とか悪とかで、世界を見たりはしていない。私を裏切ってもいない人に、裁きなんて下す気はさらさらないのだ。
『善とか悪とか、どうでもいいのです。誰だって好きなことをやって生きてるし、その好きなことが法律の外にあるなら、皆諦めるか誤魔化すか場所を変えるかを選択するのです。その選択には善も悪もなく、選択の結果を周りで見ていた人が善か悪かを勝手に判断するのです。そして私は別に宮城さんに何もされていないので、あなたを悪だとは思わないのです。たとえあなたが過去にどれだけの罪を犯していると聞かされようとも、その考えは変わりません。だからあなたが感じている問題は、自分で解決するしかないのです』
私の言葉を聞き、宮城がどんな表情を浮かべたのか……視界が歪んでしまって今は見ることができない。ただ、しばらくの沈黙の後。満足げな声で『俺は正義の使者なんだ。そんなこと、貴様に言われるまでもない』と返ってきた。
そして今日。彼は自身にとって、本当の意味での正義の使者として、私たちと向かい合った。そんなことをすれば殺されるだろうことは分かり切っていたにも関わらず。
全く、どうしてあんなに愚直に生きられるのか。
彼が正しいか間違っていたのかなどは私には知らないが、その生き様には、好感を持たずにはいられなかった。だから生きていてほしかった。それなのに――
私は過去の光景から目を離し、ベッドから立ち上がる。
そして小学生の頃から変わらぬ小さな自分の左手を見つめ、「鬼道院充」と言いながら親指を折り曲げた。
次に人差し指を折り曲げつつ、
「六道天馬」
さらに中指を折り、
「佐久間喜一郎」
そして薬指を曲げ、
「姫宮真貴」
最後残った小指だけは、すぐに曲げず、じっと見つめる。けれど結局、もう片方の手をそっと小指に添え、
「秋華千尋」
と、ポキッという軽快な音と共に自身の名を加えた。
これで全員。
今回私が復讐する相手。
「さて、彼らには存分に後悔してもらうのです」
来た当初はその静けさに寂しい気持ちを抱いていたが、今は、それが凄く有難い。
宮城さんの死を、誰に邪魔されることなく悼むことができるから。
私――秋華千尋は、ベッドに腰を掛けてパタパタと足を揺らしながらぼんやり虚空を見つめた。
視界に映るのは武骨な壁や天井のみ。しかし私が見ているのは、昨晩見た宮城の姿。
真剣に、必死に、純粋に。自身の行いに生じる矛盾への葛藤と戦い続ける、哀れな男の姿。
『おそらく俺は死ぬだろう』
悲壮感とは一切無縁の声で、開口一番に宮城はそう告げた。
『はて。死ぬ未来が分かるなら、死なない未来を選択すればよいのではないですか? それとも既に死ぬ選択をした後なのでしょうか?』
人によっては馬鹿にした、とぼけたとも言われる無表情で私は素早く切り返す。彼はそんな私の態度に腹を立てることもなく、淡々と言葉を続けた。
『これから、俺は死ぬ未来を選択する。それは俺が正義の使者であるために必要なことだからだ。そしてそれ自体にはさして悩んでいるわけではない』
『では、何をお話ししに来たのですか? 正義の使者としてやり残したことの代行作業でも頼みにきましたか』
『違う。正義の使者としての活動は俺だけのものだ。他の誰にも任せられるものじゃない。俺はただ……死ぬ前に俺自身の行いを、誰かに裁いてもらいたいと思ったんだ。俺の行いは、よそから見れば、世に蔓延る悪人共と大差ないのかを。はっきりと確認しておいてから死ぬ必要があると思えたから』
正義の使者として見せていた毅然な態度を崩し、自身の行いに悩み続ける年相応の表情が顔を出す。聞けば彼はつい半年前に二十歳になったばかりだとか。そして正義の使者としての活動を始めたのも、ちょうど二十歳になった頃から。つまりこの館に集まった犯罪者全員をドン引きさせるキャラになってから、まだ半年しか経ていないのだ。
であれば、いまだ自身への行いに対する疑問や戸惑いだって多く存在するだろう。正義の使者など、普通の人生を送っていた人が名乗るにはハードルが高すぎるもの。そこに違和感を覚えさせず、血命館に集った悪人たちと対峙していたのだから、その精神力(順応力?)は大したものである。
私にしては珍しく、この時ばかりは返答に時間を要した。まず間違いなく彼が裁きを頼みたい相手は、私などではなく無垢なる心を持った善人――もしくは善と悪の心を両立させた一般人のはず。そのどちらでもない私なぞがそんな大役をしていいものか迷ってしまった。
それでも結局は、なぜ自分がなどと聞き返さず『分かりました』と申し出を受け入れた。彼は自らの足で私のもとを訪れた。ならばそれに疑問の声を上げるのは筋違いだと思ったからだ。
私の返答にホッとしたのか。宮城は幼さを露わにした顔付きで、ぽつぽつと正義の使者になるまでの経緯を語りだした。
そしてその語りは、『俺は幼少期から馬鹿だったのだ』という自虐から始まった。
『この館にいる奴らが俺をどう捉えているかは知らないが、俺は至極まっとうな人生を歩んできた。それなりに裕福な家庭に生まれ、小学校は当然のこと、中高と私立の進学校に通わせてもらい、それなりに有名な大学に入学することもできた。家族との仲も良好だったし、気軽に話せる友人だって何人もいた。だが、俺は幼少期から一貫して馬鹿だったんだ。周囲の大人が自身の行いを棚に上げて語る理想論を、この世の真実であり善なる行いだと信じていた。盲目的にな。
困っている人がいたら助けてあげる。
いじめられている者がいれば救ってあげる。
誰もが平等で幸せな世界が、誰にとっても幸せな世界である――といった様にな。
だが、現実は当たり前だが全く違う。誰もが自身の利益を追求し、人を虐げることや貶めることに躊躇しない。
自身が急いでいれば、重い荷物を背負った老人など目にも入らず。
自身が人より優れている、もしくは下に見られたくないと思う者は、率先していじめを行い弱者を作る。
誰もが幸福になる道があったとしても、自身がより幸福になる道があれば他者を不幸にしてでも自身の幸福を追求する。
正義の使者となった今ではそれも少し理解できる。誰だって、世界は自分中心に回るものだ。いや、自分以外の世界など見ようとしても見れる物じゃない。だから最も分かりやすい世界のみを、楽で素敵な世界に変えようとする。そう。おかしなことじゃないんだ。だが――』
『あなたにとっては彼らの幸せが理解できなかったのですね。自分じゃない誰かの世界が、傷つき、壊れていく。一部の人はそれにより自身の世界を充実させる。対して、視界に映るそうした被害者の姿も、宮城さんにとっては自身の世界の一部だった。だから、他者を傷つけて幸せにする人を認めることができなかった』
それは分からない気持ちじゃないのです。
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しばらくお互い無言でいた後、宮城は具体的に自分が何を目にして正義の使者を選んだのか話し始めた。といっても、それは先ほど例に挙げてくれたものに肉付けをしたもの。
自身が前日に荷物を持ってあげた老婆が、次の日、駆け足で階段を下りてきた青年に接触。老婆は階段を転がり落ち亡くなったそうだ。宮城はその青年に対し怒りを露わにしたが、周囲の反応はむしろ青年に同情的な物だったとか。老婆と青年がぶつかったのは早朝でそれなりに混雑した駅でのこと。学校に遅刻しまいと急いでいた青年の気持ちを周囲は理解できたし、その時間帯なら接触することも決してないことではない。老婆の運が悪かったのだという意見が大半だったらしい。宮城はそれに対しても納得していなかったが、さらにそんな時間に老婆が駅にいたことを非難する声を聞き、いよいよ負の感情を抱いてしまった。「なぜ、駅を歩いていただけの老婆が非難されるのか。自身の都合から周囲へ目を向けることをせず、混雑した階段を駆けて行った青年の方がどう考えても悪いはずだ」と。
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さらに大学時代には、宮城が所属するサークルの部費を横領される事件があった。それはサークルでも柄が悪いことで有名な二人組の犯行。ただ、彼らがやったことはまず間違いないことではあったが、確たる証拠をつかむことはできず、奪われた金をとり返すことはできなかったとか。結果、その時部員の怒りが向かった矛先は、その二人でなく売り上げの管理を任されていた部長と会計。「なぜあんな危険な奴らがいるのに、ずっと金を見張っていなかったのか。もっと安全な管理ができたはずじゃないのか。お前らが金を盗んだも同然だ」と、犯人以上に責め立てられ部を追われたそうだ。
そして宮城を正義の使者に変えた決定的な事件は、彼の二十歳の誕生日のこと。絶対の信頼を抱いていた両親が、保険金目的で宮城を毒殺しようとしたらしい。もとより宮城の家計は決して貧乏でなく、むしろ裕福なくらいだった。にも関わらず、最愛の息子を不慮の事故で亡くした哀れな夫婦という肩書や、裕福であるがゆえに宮城にかけることができた多額の保険金に目がくらみ、彼を殺そうとしたのだ。とある偶然から両親の計画は彼にばれ失敗したのだが、その計画を知った宮城の衝撃は言語を絶した。
そうした事件を経て人々に抱いていた疑念はより強まり、何が正しくどう生きるのがいいかさっぱり分からなくなった――そんな時。両親の事件を担当した刑事から、正義の使者という道を示されたのだそうだ。
『お前が体験してきた出来事の中心には、いつだって悪人がいるんだ。そして悪人の影響を受け、本来なら善良な奴らも悪に染まってしまう。だから世界を平和に保つためには悪を根絶しないといけない。だが、今の日本の法律では、悪人だからという理由だけでは人を裁くことができない。実際にそいつらが悪事をなした証拠を掴めなければ、どれだけ分かりきった悪であろうとも裁くことはできないんだ。冤罪を作り出さないためには仕方のない処置かもしれないが、世間には疑いの余地のない悪人も公道を自由に闊歩している。なあ、君はそれをどう思う? 善良な人々を不幸にすると分かっている存在を、法で裁けないからと野放しにしておいていいと思うか? もし君がそれを良しとしないなら、俺から一つ提案があるんだ』
そう言って刑事が提案したのが、法で裁けぬ犯罪者を正義の使者として裁くこと。
私からしたら胡散臭いことこの上ない誘いであり、まず受け入れたりしないだろうとは思うのだが、当時の宮城はそれを受け入れてしまった。それほど人生に絶望していたのだ。
その後刑事の指示通り、宮城は法で裁けぬ悪人を退治する『正義の使者』としての活動を始めた。実際彼が対面した者は、刑事の言う通りどうしようもない悪人ばかり。刑事のサポートもあり、活動は概ね順調だった。しかし、今から約一か月前。宮城が裁こうとした悪人が、こんなことを言ってきた。『お前は俺の幼少期を知らないのに、なぜ今の俺だけを見て悪だと決めつけるんだ。俺も昔はこんな奴じゃなかったんだ』というもの。
重要なのは過去でなく今何をしているのか。そんなこと正義の使者でなくとも分かる道理であり、ふざけた責任転嫁――のはずだったのだが、宮城はこの言葉にいたく衝撃を受けてしまった。
――過去ではなく今が大事なら、未来という現在(いま)で普通の生き方をできる者は殺すべきじゃないのではないか、と。
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『そう、なのだろうな。俺は今まで自分の行いや考えを間違っていると思わなかった。だが、そうしてただ一つの考えだけを正義とし、他に目を向けることのできなかった俺は、それこそ俺が裁いてきた悪人と同じなんじゃないかと、今になって思う。だから俺は――』
『悪いですが私にはあなたを裁けないのです』
宮城が何を言いたいのかを察し、彼が言い終える前に釘をさしておく。申し訳ないけれど、私は善とか悪とかで、世界を見たりはしていない。私を裏切ってもいない人に、裁きなんて下す気はさらさらないのだ。
『善とか悪とか、どうでもいいのです。誰だって好きなことをやって生きてるし、その好きなことが法律の外にあるなら、皆諦めるか誤魔化すか場所を変えるかを選択するのです。その選択には善も悪もなく、選択の結果を周りで見ていた人が善か悪かを勝手に判断するのです。そして私は別に宮城さんに何もされていないので、あなたを悪だとは思わないのです。たとえあなたが過去にどれだけの罪を犯していると聞かされようとも、その考えは変わりません。だからあなたが感じている問題は、自分で解決するしかないのです』
私の言葉を聞き、宮城がどんな表情を浮かべたのか……視界が歪んでしまって今は見ることができない。ただ、しばらくの沈黙の後。満足げな声で『俺は正義の使者なんだ。そんなこと、貴様に言われるまでもない』と返ってきた。
そして今日。彼は自身にとって、本当の意味での正義の使者として、私たちと向かい合った。そんなことをすれば殺されるだろうことは分かり切っていたにも関わらず。
全く、どうしてあんなに愚直に生きられるのか。
彼が正しいか間違っていたのかなどは私には知らないが、その生き様には、好感を持たずにはいられなかった。だから生きていてほしかった。それなのに――
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次に人差し指を折り曲げつつ、
「六道天馬」
さらに中指を折り、
「佐久間喜一郎」
そして薬指を曲げ、
「姫宮真貴」
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