ゆらゆらのおと

風雅ゆゆ

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ゆらゆらのおと

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ある日、森の主に呼ばれたシュナは御鏡の間へとやって来ました。
ここには森一番の綺麗な水が湧く泉があります。特別な事がある時、森の住人は皆ここで自分の姿を映して身支度を整えるのです。
シュナは主がやってくるのを待つ間、泉の中の自分を見て遊んでいました。

「待たせたな、シュナ」

「主様、」

足音もなく、森の主が現れました。
シュナは慌てて立ち上がると、服の裾に付いた葉っぱを払い落としました。
森の主はクスッと微笑みながらシュナの様子を眺めています。でも、次の瞬間その表情に蔭がさしました。
顔を上げたシュナは不思議そうに首を傾げます。

「どうかしましたか、主様?」

「いいや、何でもないよ。それより彼方で座って話そうか。」

主は近くにあった平たい石に腰掛けました。シュナも隣に座ります。
フサフサと茂ったコケがモモに心地よく当たりました。
葉擦れの囁きを聞き、クスクス笑うシュナでしたが、主がずうっと何も話してくれないのでだんだんと不安になってきました。 

「あの・・・主様。僕に話って・・・?」

上目使いに訊ねると、主はシュナを振り返りました。

「シュナ・・・泉に姿を映してごらん、」

頷いたシュナは、先ほどと同じ様に泉を覗き込みました。
水面には、尖った大きな耳に深緑の髪をした少年が現れます。 
主はそっとシュナの肩に手を置きました。

「気づいているだろう。君はこの森の誰とも違う。」

「・・・はい」

自分の一番畏れていた事を言われ、シュナの表情が強ばりました。
森に住む動物達とも木霊達とも違う。
それを一番気にしていたのは彼自身でした。
兄弟は皆ふんわりとした姿を持つ木霊で、優しい光をまとって木々の世話をしています。
しかしシュナには何年経っても光を放つことは出来ませんし、空を舞えないので木の世話を手伝う事も出来ません。
森の仲間は優しくしてくれますが、中にはシュナの容姿を気味悪がり、疎外する者もいました。
それでも兄弟や他の仲間が暖かく励ましてくれるので、シュナは明るく過ごす事ができました。
しかし他の者と違うという足枷は消えません。

落ち込んでいるシュナを見て、主が重い口を開きました。 

「今朝私は夢をみたんだよ、シュナ。君の夢だ。」

「・・・僕の夢、」

シュナの顔が強張ります。
主は夢で未来を見る事が出来る力を持っていました。天災などの夢を見ては森の者を総動員し、木々が傷つかないよう対策をするのですが、今回は様子が違うようです。
主は暗い表情でシュナを見つめています。

「君は・・・近々森を出ることになるだろう。」

「僕が森を?」

シュナの目が大きく開かれました。
森で生まれ育ったシュナは、「外」の世界を知りません。
不安で胸が押しつぶされそうでした。

主は続けます。

「理由までは見ることが出来なかった。しかし君が森を離れる事は確かだ。多分・・・「外」の者と。」

「・・・僕が・・・「外」の者と・・・・・・?」

「・・・伝えたかったのはそれだけだ。今から覚悟をしておきなさい。」

「・・・・・・はい・・・」

シュナは虚ろに返事を返しました。
思わぬ宣告に、シュナの唇の震えは止まりません。
主は徐に立ち上がると、しずかに森の奥へと帰って行きます。
残されたシュナはその場でしばらくうずくまってました。


夢見の宣告から何事もなく数日が過ぎ、シュナは次第に主の言葉を忘れていきました。
今日も夕暮れ時、兄弟達と落ち灯拾いで楽しく遊んでいました。
しかし、その時突然聞き慣れない足音が聞こえてきました。
獣でもありませんし、木霊達が草の上を過ぎる音でもありません。
ザクザクと草を踏み、ガシャガシャと聞いたことのない様ないかつい音です。
シュナと彼の兄弟達は不安げに足音のする方を見つめていました。
次第に話し声が聞こえてきます。 

「ったくよぉ・・・森に迷い込むたぁツイてねぇなぁ」

別の声が疲れたように答えました。

「お前が地図を無くしたからだろ!・・・おい・・・見ろよ、光がある!人がいるかもしれないぞ!」

声の主はシュナ達が拾った流れ星の光を見つけてゾロゾロと走ってきました。
シュナと兄弟は光をキラキラと落とし、慌ててその場から逃げようとしましたが間に合いませんでした。
男はシュナの腕を掴みます。

「っ!やぁっ!」

シュナは手を振り解こうとしましたが、男の力は強すぎて全くかないません。
兄弟達はシュナを助けようと男達に襲いかかりました。

「うわっ!何だコレ!?人魂かよ?」

シュナを掴んでいた男が、見たこともない木霊の姿を見て尻餅をつきました。
もう一人の男は慌てた様子で刀を抜きます。

「ば・・・化け物っ!たたっ斬れ!」

男が振り下ろした刃は兄弟の体を次々に斬り裂きました。
彼等の体は小さな光の欠片になって空へと散っていきます。
シュナは声を出すことも出来ず、その場で茫然と立ち尽くしていました。
やがて兄弟が皆消えてしまい、辺りはすっかり光を失ってしまいました。
森がザワザワと悲しそうに揺らいでいます。

「はぁ・・・はぁ・・・!何だったんだあの化け物っ・・・!」

「のっぺら坊の類じゃねえのか?本物の妖しなんて初めて見たぜ俺あ・・・」

男達は地面に刀を突き刺し、息を切らせながらその場に座り込みました。
シュナは自分の体が冷水に浸かったように冷えていくような気がしました。

先程まで一緒に遊んでいた兄弟は皆消えてしまった。

木々の囁きはもう聴こえてきません。
この侵入者達を頑として拒むように、森は口を閉ざしてしまいました。
シュナがその場から動けずにいると、更に新しい足音が近づいてきました。続いて明るい声が飛んできます。

「おーい!お前等ソコにいたのか!探したぜ全く!」

数人の男達がゾロゾロとやって来ます。兄弟を斬った男達はスクッと立ち上がると、その声の主にお辞儀をしました。
どうやらその人間がリーダーのようです。彼だけ特別豪奢な作りの甲冑を身につけていました。

「何か騒がしい音が聞こえてきたから来てみたんだが・・・会えて良かった。森は広いんだからもうはぐれるなよ。」

「へい。」

二人の男は申し訳無さそうに再度頭を下げます。
その時、シュナに気づいたのかリーダーの男がこちらを覗き込んできました。

「おい…そこにいるの、子供じゃないか?」

リーダーの言葉で初めて気づいたように、2人の男もハッとシュナの方を振り返ります。 
シュナは慌ててその場にしゃがみこみました。
身を守るように腕で頭を覆います。
シュナは真っ白い肌に深緑の髪を持つ、森のはみだし者。

侵入者達はきっと醜い自分の事を攻撃してくるに違いない。
シュナは眼を閉じて最期の時を待ちました。
しかし一向に鋭い刃は降りてきません。
代わりに暖かな手がシュナの頭に触れました。

「泣いてるのか?暗い森の中、1人で妖物に囲まれてさぞ怖がっただろう。俺達が村まで送り届けてやるよ。」

辺りが薄暗いので男の顔は見えませんでしたが、穏やかに語りかけてくる声はシュナに心地良く響きました。
シュナは恐る恐る腕をほどき、顔を上げます。
男はまた優しく頭を撫でると、シュナの体をふわりと持ち上げました。

「おお!軽いなお前!まるで木の葉のようだ。名は何という?」

「・・・、・・・、」

シュナは口をパクパク動かしますが、声が出て来ません。兄弟を失ったショックで話せなくなってしまった様です。
男は苦笑しながらシュナを見下ろしました。

「ああお前、口が利けないのだな。ようし、それならば一つ俺が名をつけてやろうか。葉のように軽いから<このは>としようか。どうだ?」

シュナはビクビクと頷きました。もし反抗すればたちまち斬られてしまうかもしれない。
シュナが頷いたのを見ると、男は嬉しそうに微笑みました。

「よし、決まりだな!おい皆!村へ下るまでこの子も連れていくからな。いじめて泣かすんじゃねえぞ!」

それを聞いた他の男達は呆れた顔で笑い声を上げました。

「また刹那様のお人好しが始まった・・・」

「犬っころでも何でも拾って帰るんだからな刹那様は・・・」

「へっ!うるせーよ!ともかく夜が明ける前には村へ辿り着かねえと報酬金がパァになっちまうぜ!急げよ馬鹿ども!」

刹那はシュナの体を抱えて歩き出します。
その時不意に、小さな小さな森の囁きが聞こえてきました。

「シュナ、シュナ。
僕らの大切な兄弟」

シュナは慌てて刹那を振り返りましたが、彼には森の囁きがまるで聞こえていないようです。 
森は小さく歌い始めました。

「僕らは消えても無くならない」

「僕らはシュナのそばでシュナを守ろう」

声に合わせて小さな光の粒が降ってきました。すると見る見る尖った耳が小さく、丸くなり、髪の毛の色は真っ黒になりました。

「僕らはシュナのために道をつくろう」

その声に合わせて降って来た小さな光は滑らかな苔に灯を灯します。
刹那は光苔に気がつき、仲間に声をかけました。

「おい皆、ついてるぞ!光苔だ!光苔を辿っていけば村の川縁に着くことが出来る!」

それを聞いた仲間からは大きな安堵のため息が漏れました。 
道を見つけた刹那達は、その歩調を早めていきます。
森から離れるに連れ、シュナの心臓には張り裂けてしまいそうなくらいの痛みが走りました。

彼らの足音が遠ざかった頃、森は最後に呟きました。

「僕らはシュナの帰る場所になろう」

「いつでもシュナを導こう、シュナが還りたいと望むなら・・・」

最後の声はシュナに届いたのかわかりません。
サワサワと光の粉が舞い、シュナを森から優しく送り出しました。






空が白みかけた頃、一行は苔の光のおかげで村役場へ容易にたどり着つくことができました。

「権兵衛のおっさーん!約束の首だぜー!」

刹那が乱暴に戸を叩くと、不機嫌な顔をした男がひょっこり顔を出しました。

「朝っぱらから大声出すんじゃねぇ刹那っ!・・・で?首は何処だ?」

権兵衛という男は大きな欠伸をしなら刹那を睨みつけます。
シュナを抱えたままの刹那は、顎で男達に棺桶を開けるよう指示しました。
彼らが太い閂をはずすと、桶の中から巨大な獣の首が現れました。
シュナは息を飲みます。
それはつい昨日まで一緒に遊んでいた獅子のものだったのです。
森でも一、二を争うほどの大きなからだで、シュナ達を乗せて遊んでくれました。
シュナは彼の立派な鬣に頬摺りするのが大好きで、黄金色に透ける獅子の背で幾度もうたた寝をしてしまったこともあります。
その彼も今は目をかたく閉じ、仮面になってしまったかのように動きません。
権兵衛は感嘆の声を漏らしながら獅子の首を調べました。

「コイツぁたまげた。てぇしたもんだぜお前ら!本当に森の暴れ獣を退治しちまうたぁな!それで、本体はどうした?」

権兵衛の喜びようを見て、刹那は満足そうに鼻をならしました。

「肉は運べないので皮を矧いできた。これが見事な黄金色なんだ。これは仕立て屋へ渡しておくよ。」

権兵衛は算盤を器用に弾き、麻袋一杯に銭を詰めて刹那に差し出しました。

「皮の代金は客の買値がついてからだ。ひとまず約束の報酬を渡しておく。少しだが多めに入れておいたから今夜は酒でもひっかけてゆっくり休めよ!」

思わぬ収入を得て皆大はしゃぎです。
一行は各々自分達の家へと帰りますが、何故か刹那だけは宿屋で部屋をとりました。
宿主はシュナをいかがわしい物でもみるような目つきで睨みましたが、しぶしぶと二人を部屋へ案内しました。
刹那は抱えていたシュナをゆっくり下ろすやいなや、布団の上に大の字になって寝ころがりました。

「だー!疲れたなあ!二晩も寝ずに獣退治だったからなあ。さて、風呂に入って一眠りするか。このは、お前も一緒に入るか?」

そういいながら、刹那は二人分の手ぬぐいを備え付けの箪笥から取り出し、シュナの手を取って浴場へと歩き出しました。
シュナは引っ張られるままにトコトコと後をついていきます。

脱衣場で颯爽と着物を脱いだ刹那はふとシュナの着物に目を留めました。

「おいこのは、お前珍しい着物を着ているな。何だろうこの生地は・・・絹か何かか?」

シュナは答えに詰まって俯きます。この服は森の精が丹精を込めて作り上げた物でした。軽く、丈夫で、サテンの様な柔らかい生地で肌によくなじみます。

「ま、いいか。後でよくみせてくれるか。」

物珍しげに服を眺めた後、刹那はシュナの手を引いて浴場へと入っていきました。
浴場にはシュナと刹那以外に人影がみあたりません。

「よし!俺がお前を洗ってやろう。そこに座れこのは、」

刹那はシュナの体に湯をふりかけ、手ぬぐいでこすり始めました。

「お前、雪のように白い肌をしているな。まるで人形のように見事だ・・・」

自分の体をじっくりと見つめられ、シュナは赤くなって下を向きます。
その時ふと自分の髪の色が黒くなっていることに気づきました。
腰まで垂れた長い髪は見慣れた葉の青ではなく、目の前にいる「外の者」と同じ黒色をしていました。
自分の髪の毛を握ったまま硬直するシュナを訝しげにみつめ、刹那が口を開きました。

「どうかしたのか、このは?」

シュナはビクリと震えると、脅えた様子で首を横に振りました。
刹那はなかなか懐いてくれないシュナを困ったように見つめていましたが、小さく微笑むとまた手を動かし始めました。
彼はとても優しく触れてくれるので、シュナの緊張も次第にほぐれて来ます。
ふっ、と刹那を見上げると、彼の体や顔の作りは泉で姿を映したときに見た自分に似ていました。
木霊の様に光りも放っていませんし、空も飛んでいません。
でも何故だか刹那からは不思議な輝きが溢れていました。

「よし、綺麗になったな!」

そういうと、刹那はシュナの体の泡を洗い流し、岩風呂へと連れていきました。
湯船に浸かってる間、刹那はシュナの体をまじまじと眺めました。
シュナは困った様に俯いています。
刹那は苦笑しながらシュナの長い髪を掬い上げました。

「ああ、凝視してしまってすまない。あまりにお前の容貌や雰囲気が他の者と違うので驚いていたのだ。許せよ。」

それを聞いたシュナの体がビクンと強張りました。
自分から隠れたところで何度も囁かれた言葉。
記憶に甦る森での生活。
兄弟達の優しさに包まれながらも、やはり異形の姿を持つ自分に対する悪態はチクチクとシュナを刺しました。
刹那が続けて口を開こうとする前に、シュナは急いで耳を塞ぎます。
言わなくても自分が一番分かっている。

醜く、周りとは違うこと。

刹那はシュナの手に自分の手を重ねると、優しく上を向かせました。湯を浴びて温もりを帯びた手はシュナの緊迫を少しずつ溶かしていきます。

「言い方が悪かったか?すまないな、俺は口調も行動も粗暴だとよく言われるんだ。お前の目も髪も肌も、綿密に設計されたかのように美しいよこのは。俺なりに褒めてるつもりなんだが・・・」

そう言ってから、照れたように付け加えました。

「なんだか俺がお前を口説いているようだな。・・・それにしてもお前、その怯えよう・・・以前に何か言われたのか?」

シュナは耳を塞いでいた手を力なく下ろし、かすかに頷きました。刹那は、そうか、と呟いたきり沈黙してしまいました。
しばらく2人は無言で湯に浸かっていましたが、宿主が朝食の支度が整ったと伝えに来たので、ゆっくりと腰をあげました。
刹那は脱衣籠から手ぬぐいを取り出し、シュナの体をそっと拭いてやりました。
屈んでシュナと目線を合わせます。

「このは、言葉はお前を傷つけるためにあるのではないんだよ。お互いを分かり合う為に与えられたものだ。だからいつか・・・お前の声を聞かせてくれ。」

何のふくみも持たない微笑を向けられ、シュナの胸はトクトクと不思議な鼓動を奏で始めました。若い芝生に寝転んで柔らかな葉の感触を楽しむような心地よさを感じ、シュナの口元にも知らず知らずのうちに笑みが浮かんでいました。
刹那は初めて笑うシュナを見て嬉しそうに笑い返すと、シュナに浴衣を着せてやりました。
2人は部屋へ戻り朝食を平らげると、夕刻の宴会までから一眠りすることにしました。



菫の空が朱鷺色と混ざり合う頃、シュナはのそのそと布団からおきあがりました。
隣を見ると、刹那は二日に渡る野宿の疲れが溜まっているのかぐっすりと眠っています。
暫く布団の中でぐずぐずしていましたが、再度寝付くことも出来ず、暇をもてあましたシュナは刹那を起こさないようにゆっくり部屋から出て行きました。

中庭に出ると、見事な満月が夜空を照らしていました。
いつもとちがい周りには木々がないので、月光は真正面からシュナに降り注いできます。
あまりの眩しさに畏怖したシュナは慌てて軒先の影に身を隠しました。

「・・・・・・・・・。」

ふっとため息をつくと、大きな御影石の上に腰掛けました。
嵐の風が吹きすさぶように、シュナの頭の中を今日起きた出来事が走り抜けます。

切り捨てられて星屑になる兄弟。
突然現れて森の秩序を乱した侵入者。
大好きだった友達の無残な姿。
不思議な「外」の者、刹那。
そして今「外」にいる自分。

「・・・・・・・・・、」

森に帰りたい・・・

声にならない呟きは、通り過ぎていった夜風と一緒にどこかへ行ってしまいました。

「このは、ここにいたのか」

突然背後から話しかけられ、シュナは慌てて振り返ります。
そこには寝癖だらけの刹那が欠伸をしながらたっていました。
彼は頭をがしがしとかきながら、シュナの隣へすわります。
シュナは両手を硬く組んで、地面を揺れる葉の影を見つめていました。

「あの天上人の様な羽衣をつけて空へ帰ってしまったかと思ったよ。」

ふふっと笑いシュナを振り向いた瞬間、刹那の目が大きく見開かれました。
月明かりを浴びるシュナの髪の毛が森の緑色に見えたからです。
刹那は両目をゴシゴシと擦りましたが、やはり緑色をしていました。

「このは・・・お前は何者だ?」

明朗さが消えうせ、慄きの混じった刹那の声を聞いてシュナは不思議そうに顔を上げました。
昼間見たときは確かに黒かったシュナの瞳は、今は磨かれた緑柱石の様に変化しています。
シュナは現状を把握できず、ただ首を傾げるだけでした。
刹那は動揺する自分を抑えるように数回深呼吸をすると、ゆっくりと月を見上げました。
会話のない時間が流れます。
遠くから何やら騒がしい声が聞こえてきました。彼らのいる中庭からは、宴会場の様子が見えます。もうすぐはじまる刹那たちの宴のため、従業員達が慌しく支度をしているようです。
シュナは遠くに見える宴会場の光を暫く眺めてから、また刹那の方に向き直りました。
刹那はまだ月を見つめています。

「・・・月の光は強すぎるな。殊に今日は俺を追い払うかのような眩しさだ。漆黒を吸い込み、それを浄化して光にして吐き出している。知っているか、今俺達を照らしているこの光は、元は闇だったんだ。」

彼は唐突にそんなことを言いました。
シュナはどう返していいやら分からずに、ただ首を傾げていました。
刹那はそんなシュナをみて苦笑します。

「そんなことを思うのは俺だけかな。俺は満月を直視できない。自分を見透かされてそうで、怖いんだよ。」

シュナは驚いた表情で刹那を見つめました。

自分以外にも月の光を怖がる者がいるのか。

刹那は誰にともなく笑みを浮かべ、静かに目を閉じました。

「・・・すこし・・・話を聞いてくれるか、このは、」

シュナはこくんと頷きます。
刹那は淡々とはなしはじめました。

「俺さ、小さい頃売られたんだよ。年季奉公人としてわずかな金の為に・・・。毎日毎日過酷な労働ばかりをやらされてそりゃ辛かったが、その分体力がついた。で、ある日雇い人の屋敷から逃げ出したんだ。」

話しの中には聞いたことがない言葉が沢山ありましたが、シュナは聞き漏らさないよう集中し、相槌をうちました。刹那にとってこの話がとても大切なものだということが伝わってきたからです。
彼は続けます。

「木の実やそこらに生えている草を食べて飢えをしのぎ、何とか故郷へ繋がる道に辿り着いた。懐かしい景色が見えてきて、俺は興奮に震えたよ。親父とお袋がきっと迎えてくれると思ったからな。」

刹那は身近にあった葉っぱを一枚取り、そっと自分の口に当てました。シュナの耳には小さく「イタイ」と木の悲鳴が聞こえました。

「・・・でもな、少ずつ村に近づくたび、何かがおかしいことに気付いたんだ。村の周りをあんなに青々と茂っていた草や灯花がすすけて散らばっていた。俺は走って村へと急いだよ」

シュナは焼かれてしまった草花をおもい、顔をしかめました。

「やっとの思いで辿り着いた俺を迎えたのは一面の焼け野原だった。かろうじて形をとっていた家も、俺が触れると脆く崩れていった・・・・・・。」

刹那はまた月を見上げます。目を開いていてもどこも見ていないような虚ろな顔をしていました。

「なんとか記憶を頼りに、自分の家・・・があった場所へたどりついたんだ。俺は折り重なった消し炭みたいな家の残骸をかきわけた。寝床があったはずの場所を掘り返していると・・・・・・・・・・・・いたんだ。」

刹那は目を閉じると、手にしていた葉っぱをかじりました。
シュナは息をするのも忘れ、刹那の話に聞き入っていました。

「不思議と何も感じなかった俺は、両親のどちらともわからない骨を庭に埋めた。その後、村中を回って体力が続く限り皆を埋めて回った。」

「・・・・・・・・。」

「その後は死んだみたいに徘徊して、気が付いたら見知らぬ街にやってきていた。身なりの薄汚い俺が街の風貌を損ねるからといって誰かが通報したんだろうな・・・役人がやってきて俺を豚箱に投げ込みやがった。やけに大人しい俺を不思議に思った役人はやたらと話しかけてきたんだ。村や俺の名前を次々に尋ねてくる。素直に答えると、急にそいつは目つきを変え、鞭で俺を叩き出した。・・・どうしてか分かるか。」

シュナはフルフルと首を振りました。

「俺が部落の出だからだよ。遥か昔の因縁が今もこびりついて離れない。同じ色の肌や髪を持っているのに、生まれた場所が数里違うだけで忌み嫌われる。役人は俺の体が蚯蚓腫れになっても俺を打つのを止めなかった。それだけじゃなく他の仲間をつれてきて俺を好き放題叩きやがった。でも俺は沢山のものを失いすぎて抵抗する気力がなかった。」

「・・・・・・・・。」

「奴らは俺を叩きながら、村が焼かれた理由を教えてくれた。俺のいた村は他の村に比べて税率の負担が数倍重かったんだ。あまりの差別に村民の一人が抗議をしにいった。そうしたら、領主はその日の夜俺の村を焼いたんだ。小さな村の一つや二つ、アイツにとってはどうでもいいんだ。あまりの理不尽さに、俺は声も出なかった」

優しい刹那が辛い目にあっているのを想像すると胸が絞られるように痛み、シュナの瞳にはいつの間にか涙があふれていました。
それに気付いた刹那は笑いながらシュナを撫でてやります。

「俺のためにないてくれるのか。お前は優しいな・・・、だけどな、叩かれても平気だった。奴らにいくら打たれても何も感じなかった・・・・・・でもな、」

「・・・・・・・?」

「あいつらが何か言ったとき、俺は理性を失くすくらい腹を立てたんだ。それが何という言葉だったのかは何故だか思い出せない。気付いたら俺はその役人達を殴り殺していた。」

シュナは硬直してただただ刹那を見つめていました。

「役場から逃げ出した俺は身分を隠し、名前を変え、領主を殺した。前々から領主を憎んでいた奴は星の数ほどいたからな。協力者を集めるのは簡単だった。その後は、朝のように猛獣を倒したりして賞金稼ぎをしながらあちこち回っているんだ。俺の名はここらじゃ有名でな、過去の実績からして信頼も篤い。名誉も金も手に入れた。・・・でももし、奴らに俺の身分を公開したらどうなると思う?」

そこまで言うと、刹那は口を閉ざし、握っていた葉っぱを地面に落としました。

遠くで宿主が刹那の名を呼ぶのが聞こえます。
宴会の準備が整っようです。

刹那はパッと立ち上がると、軽く着物をはたきました。

「罵られた雑言や与えられた暴力はおまえ自身を傷つけてはいない。・・・お前となら<言葉>をうまく交わせると思うんだ。だから、早くお前の声を聞かせてくれ。」

「・・・・・・。」

シュナはこくんとうなずきました。その振動でポロポロと涙がこぼれます。ぬぐってもぬぐっても何故か涙は止まりませんでした。

刹那は優しくシュナを撫でてやると、2人で宴会場へと向かいました。




宴会場へ行くと、もうすでに宴が始まっていました。宿の外からも賑やかさが伺えるほど、皆はしゃいでいました。
刹那は呆れ顔で辺りを見回し、シュナを連れて空いている席へ座りました。

「あれ?このはお前・・・髪の毛の色が黒に戻ってるな。やはり俺の目がおかしかったのか・・・?」

刹那はシュナの髪の毛を掬いながら首を傾げます。
そこへいきなり、酔っ払った男がお猪口をもって現れました。

「いよー!!刹那の兄貴!あんたのおかげで今日は飲み食いし放題だとよ!さあ飲んだ飲んだ!」

「ああありがとう。」

刹那は杯を飲み干すと、隣に座っていたシュナに笑いかけました。

「おいこのは、お前も飲んでみるか?」

シュナはわけも分からずコクリとうなずきました。

「ほら、一気にいけよ。」

刹那から受け取った徳利の中には強い香りのする水が入っていました。
シュナは言われたとおりにその水を飲み干しました。
途端、喉に痛みが走り、シュナはケフケフとむせ始めました。

「うお!ほんとに一気に飲みやがった・・・!コイツまさか酒を知らないのか?」

刹那は慌ててシュナの肩をさすってやりましたが、咳と涙がとまりません。胸が焼けるように熱くなり、頭が靄がかってきました。
刹那は笑いながら宴会場の隣部屋にシュナを運び、布団に寝かせてやりました。
シュナは体を冷まそうと懸命に呼吸をしています。

「すまないな、このは。お前が酒を知らないなんて思わなくて・・・気分が落ち着くまで休んでいるといい。」

「お~い刹那の兄貴!こっちで改めて乾杯しましょうぜ!!!」
「ああ、今行く」

刹那は申し訳なさそうに頭をかくと、宴会場へと戻っていきました。


子一時間もたった頃、盛り上がった宴会場があまりに騒がしいので、シュナは目を覚ましてしまいました。刹那が運んでくれたのか、枕元に水がおいてあります。臭いをかいで本当に水である事を確認したシュナは、それを飲み干した後、ゆっくり体を起こしました。
まだふら付く頭を抱えながら立ち上がりましたが、視界が揺れたかと思うとまたそのまま布団に倒れこんでしまいました。

「・・・・・・・」

シュナが布団の上でぼうっとしていると、突然宴会場の襖が開きました。
澱酔した男が2人部屋に入ってくると、シュナに近づいてきました。

「お~色っぺ~ねえちゃんが寝てるぜ佐吉!」

「俺達といいことしよ~ぜ~ねえちゃん」

彼らの視線はシュナの露出した太ももに注がれていました。倒れこんだときに着物が肌蹴てしまったのです。
シュナは上半身を起こすと、慌てて着物のすそをかき寄せました。

「おっと、」

片方の男がよろけた拍子に持っていた杯の中身をひっくり返してしまいました。
酒はシュナの頭にかかります。酒が目に入り、シュナは泣きながら目を擦りました。
そうこうしているうちにも男はシュナの腰帯を解いていきます。
着物を剥ぎ取られ、シュナは生まれたてのすがたにむかれてしまいました。

「おい何かついてるぜ~?」

「ほんとだ。なんだこれ」

2人はシュナの下肢をまさぐり、女性が持ち得ない物をキュッと握りました。
シュナはビクリと体を強張らせ、我武者羅に暴れだしました。

「・・・!・・・・!!!!」

「あばれるなよねえちゃん」

男たちはシュナの腰帯で手を縛り、足を押さえつけました。
細身のシュナを完全に女性だと思い込んでいるようです。
手で下半身を弄り回していると、今度はあるべきはずのものがないことに気が付きました。

「おい、穴がねえよこのねえちゃん。」

「はあ~?ないわけねえよ。しっかりさがせよ!」

「んなこといってもなあ~・・・あ」

男の指がシュナの蕾に到達しました。シュナは思いがけない部分に触れられ、おびえながら足をばたつかせました。
叫んでも声が出ず、刹那に助けを呼ぶことも出来ません。
男は舌でシュナの蕾を舐め始めました。
あまりの嫌悪感にシュナは気を失ってしまいそうでした。

「小さいなあ・・・はじめてなのかこのねえちゃん。」

「初物か。今日は縁起がいいこと続きだな~!」

男たちがふざけて笑っていると、突然襖が開きました。

「おいこのは、気分はどう・・・・・・・・・」

薬湯を持った刹那は男たちに犯されかけているシュナを見て言葉を失いました。
シュナは刹那を見ると、声にならない声で懸命に泣き叫びました。
酔っ払った男たちは笑いながら刹那を見あげました。

「お、兄貴もまじりますかあ~?初物ですぜこの女・・・」

男が台詞を言い終わる前に、刹那は男に殴りかかっていました。シュナの手を押さえつけていた男は腰を抜かしてうろたえています。

「お前ら・・・・・・・・!!!」

低く唸る様な声を絞り出した刹那は、男の顔がはれ上がっても尚殴り続けました。
シュナは刹那がまた殺生をしてしまうのではないかと思い、無我夢中で刹那に飛びつきました。

「・・・・・・!」

「・・・このは!」

刹那は危うくシュナを殴りそうになり、慌てて手を引っ込めました。
殴られていた男は顔を押さえ、悲鳴を上げながら逃げていきました。もう一人も彼を追って走っていきます。

シュナはカタカタ震えながら刹那にしがみつきました。

「畜生、下種共め・・・・・・・!!このは、体は大丈夫なのか!?・・・すまない、明日の朝一番で宿を出よう。」

刹那はシュナを抱き上げると、仲間に挨拶もせずに風呂場へ向かいました。



シュナは自分から発せられる酒の臭いにくらくらしていました。刹那がすまなそうな表情でそれを洗い流してやります。
月光を浴び、またシュナの髪の毛が深緑色に染まりました。

「月の光はお前の正体を隠してくれないのだな・・・。」

刹那が独り言のようにつぶやきました。
シュナはそれに気付かず、ふらふらしながら虚ろな表情を浮かべていました。

男たちが自分に何をしようとしたのかは分からないが、それよりも刹那が人を殺めてしまうのが怖くてたまらなかった。
憎しみに満ちた刹那の表情はとても怖くて、哀しかった。

シュナは見よう見まねで手ぬぐいをあわ立てると刹那と向かい合わせになり、自分も刹那の首をごしごしと洗い始めました。

「・・・・・・・・・ありがとう、このは」

おぼつかないシュナの手付きを見ると、刹那の顔にたちまち笑顔が戻りました。
シュナもにっこり笑い返しました。



翌朝シュナが目覚めると、刹那はすでに身支度を整えていました。
軽く朝食を済ませ、二人は早々に宿を出て行きました。
道中刹那が話しかけてきます。

「本当はお前が話せるまでまとうと思ったのだがな・・・。やはり早く家に帰ったほうがいいな。
このは、お前の村は一体ドコなんだ?場所・・・せめて村の名前は分からないか?」

シュナは困ったように目を伏せました。

もし家が森であると正直に言ったとしたら、刹那はどういう反応をするだろう。
自分が人間ではなく森の子だと知ったら、気味悪がって倒そうとするかもしれない。

黙りこくってしまったシュナに、刹那は優しく声をかけました。

「・・・やはりまだ声が出ないか?ならば地面に書いてみろ。」

刹那は気さくに笑い、木の棒を差し出してきました。
シュナは暗い顔でそれを受け取ります。
表情が冴えない理由を勘違いした刹那は、シュナの肩に手を置き、目線を合わせました。

「大丈夫。どれほど遠くても俺はお前を見捨てて行きはしない。必ず家まで送り届けるよこのは。」

「・・・・・・・・」

シュナはすっと目を閉じると、小さくうなずきました。
いつも刹那には精霊とは違った輝きが溢れています。真っ直ぐな瞳で見つめられると、嘘をつこうとしていても忽ち心が洗い流されてしまいます。
人間の文字がわからないシュナは枝分かれした線を引き、木の絵を描きました。
それを何度も何度も繰り返し、やがて地面は何十個もの木の絵で埋め尽くされました。
刹那は顎に手を当てて首を傾げています。
おもむろに口を開きました。

「木が沢山・・・これは・・・・・林・・・いや、森か?」

シュナがコクコクとうなずくのを見ると、刹那は少年の様に顔を輝かせました。

「お!!当りか!!そうかお前の家は森かー・・・・・・も、森?」

刹那が眉をしかめてコチラを振り返ります。
シュナはもう一度うなずきました。

「あー・・・もしかしてお前に会った森の中におまえの家があったのか?じゃあおれはお前をわざわざ親元から引き剥がしてしまったというわけか・・・。すまなかったな、このは・・・」

「・・・・・・。」

「じゃあ早速もといた森へ向かうとするか。さあいこう。」

刹那はシュナの手をとり、頼もしい足取りで歩き始めました。
折角森へ帰れるというのに、何故だかシュナの顔色は優れません。
引きずられるようにして、自分の<家>へと向かいました。



その頃森では、仲間の帰還を察した森が嬉しそうに囁き声を交わしていました。
風の届けてくれた声を聞き、森の主も祠から出てきます。
主は風に礼を言うと、おもむろに呟きました。

「・・・還るのか・・・・・・シュナ、」

役割を終えた風の子供達は満足そうに舞い上がっていき、親の元へ戻っていきました。
主は何をするでもなく、遠くを見つめています。
シュナ達が一歩一歩近づいてくるにつれ、木々の囁きが大きくなっていきました。




「ああ、ようやくついたな・・・。朝早くに出発してこの時間か。もう御天とさんが帰っちまうよ。」

刹那は額に浮かんだ汗を拭うと、シュナのほうに顔を向けました。
身軽なシュナは疲れたりしないので、汗一つかかずにもくもくと歩いています。

「・・・たいした体力だなこのは。さて、森に着いたはいいが・・・ここからどっちへ行けばいいのかわかるか?」

「・・・・・・・」

途端、またシュナの表情に翳が射しました。
彼らはもうすでにシュナの<家>の中にいます。あんなに帰りたいと思っていた森なのに、何故か居心地がいいと思えません。
このまま刹那の手を引っぱって、どこか遠くへ逃げ出したい気持ちになりました。

「?解らないか?・・・まあ森は広いからな。地図持ってる大人も迷うくらいだし・・・」

刹那はこの前の獣退治の仲間を思い出し、苦い表情を浮かべます。
そのとき不意に、いたずら好きな風の子供たちが2人の間を吹き抜けました。
シュナは驚いてよろけてしまい、刹那の方へ寄りかかってしまいます。

「おお、大丈夫かこのは?何だ今の風・・・かまいたちの子供か?」

腕に抱かれ、シュナは思わず固まってしまいました。
刹那が何か喋るたび、振動が肌を通して伝わってきます。
心地よい体温にうっとりした表情のシュナを見下ろし、刹那は頭を撫でてやりました。

「どうしたこのは?疲れたのか?昼に飯処を出てから歩きっぱなしだったからな。どこか休める場所を探して少しゆっくりしようか。」

シュナがうなずいたのを見ると、刹那はシュナを抱き上げ、休める場所を探して歩き始めました。
二十分もたった頃、ようやく小さな泉が見えてきました。
そこはいつもシュナがあそびにいっていた「御鏡の間」です。
シュナをゆっくり下ろしてやり、刹那はマントを脱いで泉の水を飲み始めました。
気が付くとあたりはすっかり真っ暗です。
飛び散る水しぶきが、月の光を浴びてコロコロした輝きを放ちました。
シュナは重くため息をつき、木々を見あげました。
彼らは小さく「お帰りシュナ、」と挨拶をしてくれます。でも当の本人はあまり喜んでいる様子ではありません。
困惑した木々達は、次第に押し黙ってしまいました。

「このは、おいで!水が気持ちいいぞ!」

刹那はこの泉が気に入ったのか、子供のようにはしゃいでいます。
シュナはクスッと微笑むと、彼の方へ歩いていきました。

「長距離を歩いて汗をかいただろう。皮袋に飲み水は確保したし、少しココで水浴びをしていかないか?」

言うが早いか、刹那は着ているものを次々と脱ぎ始めました。
ざぶん、と音を立て、泉に浸かります。
シュナも衣を脱ぎ取り、ゆっくりと泉の中へ入っていきました。

「・・・・・・」

森の精気が下界の汚れを洗い流して生きます。
何故か綺麗になるのが怖くて、シュナは徐に泉から出ようとしましたが、腕を刹那につかまれてしまいました。

「こら。せっかく入ったんだから綺麗にしていこうぜ?俺が洗ってやるよ。」

「・・・・・・・」

刹那はあまり気乗りしていないシュナを後ろに向かせ、薄い手ぬぐいでごしごし洗ってやりました。
体を洗ってもらっている間暇をもてあましていたシュナは、ふと泉に移った自分を見下ろしました。そこに映っていたのは、何と元の姿の自分です。翠の髪に、尖った醜い耳をしています。
シュナは蒼くなって思わず耳を押さえました。

「?どうした、このは?」

シュナはただ黙って首を振るだけです。
今夜は快晴で、月は明るく2人を照らしていました。こんな至近距離にいる刹那には、自分の姿が見えないはずありません。
刹那はなんとなく気配を察してか、シュナの体を回して向かい合わせにしました。

「手をお放し、このは。お前はきづいていなかったのかもしれないが、月夜の晩にはお前の髪の色は萌える翠色に変化し、耳は角をもつ。それが・・・・・・お前の本当の姿なのだな?」

刹那は淡々とした口調で話します。シュナは恐怖で顔を上げることが出来ませんでした。
本当の姿を見られ醜いと罵られるよりも、刹那に嫌われてしまうのが怖くて怖くて、只俯くことしかできません。
しかし、刹那の声の中に慄いた様な含みは少しもありませんでした。激しく動揺するシュナをなだめるように、その腕に抱いてやります。

「お前は美しいよ、このは。初めて見たときから人間ではないのだなと思っていた。心も身体も真っ白なのだな、お前は・・・・・・。」

シュナの肩が大きく震えます。
自分の姿を受け入れてくれたのだから喜んでもいいはずなのに、溢れてくる涙が止まりません。
大好きな刹那自身の口から人間では無いという事実を告げられ、崖を抉ったかの様に心が削り取られてしまうようです。
密接して確かにお互いの体温を感じるのに、顔も見えぬほど何千里も離れているような気がしてしまいます。
刹那はシュナの背中を撫でてやりながらゆっくり口を開きます。

「・・・・・・家に帰りたいか、このは」

「・・・・・・・」

自分の心がつかめず泣きそうな表情をするシュナの肩を掴み、刹那が真っ直ぐな瞳で見つめてきました。

「俺と・・・来ないか?」

「?」

「俺と一緒にこのまま旅をしないか・・・?」

「・・・・・・」

突然の申し出に、シュナは息をするのも忘れて目を丸くしました。
絵に描いたように驚いた表情のシュナを見て、刹那は肩をすくめます。

「・・・悪い。いきなり何をいってるんだろうな俺は。・・・でもな、森に近づくにつれてお前の表情が暗くなっていくのをみて何だか居た堪れなくなったんだ。本当はお前・・・・・・・・・」

「・・・・!!!!!!」

その時、急にシュナの視界が暗くなりました。
矢が頭を貫くように外部から映像が強制的に流し込まれてきます。
濁流のような画面が次第に明るくなり、視界は白い光で満たされました。
続いて遠くから声がします。

「お帰り・・・シュナ。」

ふんわりと靄がかった視界の向こうに、森の主の姿が現れました。
シュナは自分の身体の感覚が無く、その場から動くことが出来ません。
霞が段々と濃くなってきました。
夢を見ているような意識の中で、主が少しずつ近づいてくるのを見ていることしか出来ませんでした。
主はシュナの目の前まで来ましたが、何故か顔は霞んでいてその表情まではわかりません。

「・・・この二日間、外の世界を見てどう思ったかい?」

「・・・主様・・・」

久しぶりに、シュナの口から声が現れました。
シュナは驚きながら、何度も喉を撫でて声を確かめます。
主は機械的な口調で同じ台詞を繰り返しました。

「この二日間、外の世界を見て何か感じたかい?」

「主様、僕・・・・・・・・」

シュナは突然言葉に詰まりました。言いたいことが次々に溢れてくるので、頭の中で整理するのが追いつきません。この二日間は森の中で百年過ごしたのかと思うほど沢山の出来事がありました。
シュナに新しい想いを抱かせるには十分すぎる時間です。
それに気付いた主は、シュナの返事を待たずに話し始めました。

「外の者と随分仲がよくなったみたいだねえ。そういえば・・・君の友人でもある獅子の亡骸は見たかね?」

主の口調が少し高くなります。獅子の首を思い出したシュナはビクリと震え、力なくうなだれました。主はそんなシュナの身体を抱きしめました。それでも何故か表情は見えません。

「おお、かわいそうなシュナよ。大事にな友人を失ってさぞ哀しいだろうに。しかしな、シュナ。君も・・・・・・人間なんだよ。」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・え?」

一瞬何を言われたのかわからず、シュナは硬直したまま目を見開きました。
身体が次第に震えていきます。

「君は、森の精と人間の女性が交わって出来た禁忌の子。人間の毒にやられ、その精は星屑となって消えてしまった。人間の女性は身ごもり、まもなく君を出産したが・・・・・・その醜い容姿に脅え、人里はなれたこの森へ捨てていったのだよ。」

シュナはまた失言症に陥ってしまいました。今主が話した事を主観的に受け止められず、主の腕の中で固まる事しか出来ません。
主は続けます。

「中途半端で可哀想なシュナ。君は、森にかえりたいかい?」

「・・・・・・・・・・」

「本当の森の精になって、兄弟の元へ還ろうシュナ。」

「・・・え?」

シュナが顔を上げた途端、白い靄が炸裂し、辺りを覆いました。目の前が白に満たされたあと、何故か次第に身体が重くなっていきます。支えるものが無いと倒れてしまいそうになり思わず身近にあったものにしがみつくと、驚いたような声が返ってきました。

「おいこのは!このは!!!?気が付いたのか?しっかりしろおい!!!」

「・・・せ・・・つな・・・?」

シュナが虚ろに目を開くと、刹那が心配そうにコチラを覗き込んできました。

「きゅうにお前が動かなくなって・・・心配したぞこのは、・・・ん?今俺のこと<せつな>って呼ばなかったか・・・?」

「・・・せつな、」

刹那の顔を見て安心したシュナは、身体を震わせて相手を抱きしめました。刹那は驚きながらシュナを見下ろしました。

「お前!!しゃべれるようになったのか!!!想像通り、川のせせらぎの様な美しい声をしているな!おい、もっと何か話してくれ。お前の声を聞きたいんだ」

その時、細い小枝が刹那の頬を掠めました。肌が切れてしまったのか、傷から血が滲み出します。続けて太い枝が鞭のように飛んできて、シュナの身体をさらっていきました。
刹那は何が起きているのかわからず、枝に捕まったシュナを呆然と見上げます。
何処からか、頭に低く響き渡る声が聞こえてきました。


「シュナ、シュナ。君は森の子、僕らの仲間。穢れを清め、仲間の元へ還るんだ。」

「僕らは皆ひとつになるよ」

「森へ還ろう。皆の森へ」


声がするたび、彼方此方で光の輪がはじけました。
迷子の星屑が悪戯に降り注いできます。

「何だ・・・あれ。木が・・・動いている・・・・・・!?」

刹那は急いで泉から出ると、シュナから目を離さないようにしながら衣を手早く身に着けました。
シュナは枝に身体を拘束されています。
白い肌に蔓が食い込み、紅くなってしまいました。

「皆の森・・・」

そうシュナが呟くと、葉擦れの音が一斉に大きくなりました。

「森はいつでも君を受け入れる。君も森を受け入れる。」

「還れば皆一緒」

「同じになれる」

枝が妖しく撓み始めました。先端が丸まり、白味がかった樹液が染み出してきました。
蔓はシュナの両手足をひっぱり、彼の身体を大の字に開きます。
開放された全身をくまなく吟味するように枝がシュナを嬲りはじめました。

「や・・・!?何これ・・・!!!皆・・・やめて・・・!!!!」

シュナが思わず泣き叫ぶと、ますます蔓の締め付けが強くなりました。
顔にも胸にも樹液が垂れ落ち、体中から甘いにおいがします。
木々はシュナの身体を撫で回しながら隣の木に渡しあい、彼をどこかへ運んでいきました。

「くそっ!おい!!このはを何処へやるつもりだ!!」

刹那は刀を腰にさすと、シュナを見失わないように急いで駆けていきました。




木々に運ばれている間中、シュナはまるで自分が浮遊しているような感覚にとらわれてました。
締め付けられた痛みに揺らぐ意識の中、虚ろに呟きました。

「もし本当の森の精になったら・・・僕も・・・飛べるのかな、」

皆と同じように空を舞い、森の世話をする。
もう気味が悪いなんていわれない。


-・・・皆と同じ・・・-


「・・・それも・・・・・・・いいかもしれない・・・・・・」

「ならば還ろうシュナ。」

思わぬ返答を受け、シュナはハッと顔を上げました。いつの間にか自分は森一番の大木の前にいたのです。
この木は森のちょうど中心部に生えていて、いつも森全体を公平な距離から見守っていたのでした。他の木と比べて幹は格段に太く、シュナが十人手を繋いで周りを囲っても、余ってしまうほどです。
雨の日でも雪の日でも、この木に触れると不思議な温かさが伝わってくるので、寒くて凍えそうな時にはこの大木に温かさを分けてもらっていました。
シュナは大木の枝に掴まれ、身動きが取れません。

「君、しゃべれたのかい?」

シュナは窮屈そうに枝を引っ張りながら大木に話しかけました。枝は少しも緩む気配がありません。
身体を締め付ける強さに反して、大木は穏やかな口調で応えました。

「ああ、喋れるとも。私はお喋りが大好きなんだよ。」

「それなら、どうしていままで僕に話しかけてくれなかったんだい?」

大木は細い枝をしならせ、その先に付いた柔らかな若葉でシュナの身体に触れました。
シュナはくすぐったそうに身をすくませます。
葉は胸や下肢に付いた突起を執拗に撫で回しました。

「君が森とは余りに遠かったから、声が届かなかったんだ。」

大木の返答に、シュナは首を傾げました。

「??・・・・・・僕は今迄一度だって森から離れたことはなかったろう。それなのに、遠いとは一体どういうことだい?」

「・・・・・・少し前まで君の心は<外>にあった。でも今は森にある。皮肉にも、あの外の者が君の身体も心も一緒に運んでくれたからね。」

大木は自嘲気味に応えます。最初は低かった声が、何故かだんだん高く、若くなっていきました。比例してシュナにまとわり付く樹液が少しずつ熱を帯びていきます。
シュナには大木の言うことが何一つ理解できませんでした。考えようにも液体の熱が思考力を鈍らせます。

「・・・<僕>は此処にいるよ・・・、」

「・・・そうだね。森に帰ってきたんだ。皆と一緒になるために。」

大木はシュナの下肢を重点的に撫で上げました。
先日、宴会で酔った男に握られてしまった場所です。樹液の熱さが伝染したのか、シュナの下肢も次第に熱を持ち始めます。
柔らかく、下を向いていたものが、今は硬い首を持ち上げていました。
樹木に濡れてヌラヌラと光っています。
シュナは自分の身体の変化に脅え、言葉を失いました。
大木はシュナを自分の身近に寄せると、太くがっしりとした根の方へと降ろしていきました。

「私を受け止めるんだシュナ。」

その声と同時に、幹から飛び出た枝がシュナの双丘を割り開いて進入してきました。枝の先は丸まり、樹液を溢れさせています。
狭い蕾を無理矢理開花され、シュナは思わず叫び声をあげました。

「ぎゃ・・・あぁあああ!!!痛い・・・!!痛いィい・・・!!」

濃厚な樹液の助けを借り、枝はシュナの身体へやすやすと入っていきました。ヌルンと滑り込んだ異物に吐気を覚えたシュナは、苦しそうに呻いています。

「せ・・・つなぁ・・・!!!せつな・・・・・・・・・ッ!!!」

痛みと圧迫感で、視界に火花が散りました。腹の中に到達した枝は体内でうごめき、シュナの弱い部分を探します。枝が上向きに曲がりくねったとき、身体に電流が走ったような刺激が表れました。
シュナはビクリと身体を震わせます。

「いあぁっ・・・!な・・・に・・・今の・・・、」

その様子を見た大木は、ふうん、と息をこぼしました。

「ここは君を身体の中から浄化するための釦だよ。早く穢れを解き放って皆の中に還ろう・・・」

「え・・・?・・・あ・・・!!!!!」

突然枝に身体を引っ張られ、枝から引き抜かれました。開放されてほっと安堵する間も無く、また樹木の楔が身体を貫きます。大木は枝をしなやかに操り、シュナの身体に何度も何度も楔を打ち付けました。
濡れた音を響かせながら、シュナの身体は四方から迫り来る枝に犯されていきます。
熱に意識を取られながらも何とか力を振り絞り、シュナは口の中を出入りする枝に噛み付きました。

「!!!!!君ってやつは・・・!」

大木は鋭く蔓を振り、シュナを打ちました。切り傷から鮮血が染み出してきます。

「・・・その血の色、汚らわしい丹朱をしているだろう。赤は緑と相反する存在なんだ。・・・森にその色は必要ない」

大木は傷口に樹液を擦り付けると、また枝をシュナの中へと嵌め込みました。
身体を揺さぶられながらシュナは同じ言葉を何度も、何度も、叫び続けます。

「刹・・・那・・・・・・せつ・・・・・な・・・!せ・・・つな・・・っ・・・」

「このはーーーーーーーーー!!!!」

爆音の様な声と同時に突然鋭い刃が閃きました。
枝は切られ、シュナは真っ逆様に落ちていきます。
刹那はシュナを抱きとめ、乱れた呼吸を抑えながら笑いかけてきました。

「すまない・・・。木が俺の邪魔をしやがってな。遅くなってしまった・・・、!!?・・・このはお前・・・!!!」

全身が液体にまみれたシュナを見下ろし、刹那は眉をひそめました。蕾からはコプンと音をたてて樹液が垂れ落ちます。
幼い身体に受けたダメージが強すぎて、シュナは指を動かすこともままなりません。ただただ全身が疲れきっていました。
刹那はシュナを大切そうに抱きなおすと、大木に向かって声を張り上げました。

「貴様!!このはに何をした!?」

「彼の名は<シュナ>だよ。シュナは森の子。森に生まれ森に還る。お前が手を出せる領域ではない。」

大木は淡々と応えました。刹那を牽制するかのように、蔓が周囲を鋭い動きで飛び回っています。刹那はそれに動じることも無く更に大木へと詰め寄ります。

「森の子とは一体なんだ?このは・・・いや、シュナはやはり人間ではないのか?」

「お前はシュナの名前を知った。姿を知った。それで十分じゃあないか。」

刹那はシュナを抱く手に力を込めます。

「・・・知ることに十分なんてありはしない。お前はシュナをどうするつもりなんだ、」

大木は少し黙り込むと、ゆっくり枝を降ろしました。

「シュナは哀れな少年だ。森の精でも人間でもない。何処へ言っても周りを囲むのは、<違い>を盾に迫る者ばかり。」

「森の・・・精、」

呆然と立ち尽くす刹那には構わず、大木は話を続けます。

「いつもかえる場所を探して遠くを見つめていた。皆と同じになれる場所を。」

「・・・・・・このは・・・、」

刹那が腕の中を見るとシュナは弱々しく息をしながら身を縮こまらせていました。体の中からダメージを受けて衰弱しているようです。
とにかく一度此処から離れた方がいいと思った刹那は、大木から離れようと身を翻しました。
すると突然、周りを飛び交っていた枝が急に消え、、辺りは静けさに覆われました。

「・・・一体どうなっているんだ、」

刹那は訝しげに後ろを振り返ると、そこには大木ではなく人の様な形をした光が揺らめいていました。

「あれ?さっきの大木はどこへ行ったのだ!?」

「・・・私だよ。」

光はゆったりとした動きで刹那に近づいてきました。シュナを抱えた刹那は刀を抜くことが出来ないので、駆け出せる体制のままジリジリと後ずさりをしていきます。

「私・・・?まさかお前があの木だと言うのか!?」

「そうだ。シュナをこちらに渡せ。」

光は暗い風を纏って距離を縮めてきます。刹那はシュナの身体を固く抱きしめると、一目散にその場から走り出しました。
光は余裕を含んだ笑みを漏らすと、面白がるように刹那を追いました。


彼らが来た道を戻ろうとすると、木々が小枝をしならせて刹那を襲ってきました。

「ちっ・・・小賢しい・・・!」

刹那はシュナを肩に担ぎ、小刀を振って攻撃から身を守ります。
しかし多勢に無勢。数十本にも及ぶ枝の攻撃を防ぎきることも出来ず、確実に傷は増えていきました。

「くそ・・・ッ!」

刹那は汗を滲ませながら走り続けます。やがて先程水浴びをしていた<御鏡の間>へと戻ってきてしまいました。木々は容赦なく枝を振り下ろしてきます。
森へ入るときに歩いてきた道を思い出そうとしていると、追いかけてきた光が刹那のすぐ目の前に迫ってきました。小刀で切り付けましたが、空を切るばかりで攻撃は届きません。

「お前は一体何者だ!?」

刹那は自分の身体を盾にし、シュナの身体を光から隠しました。
光は感情のない様子でクスクス笑っています。

「だから私があの大木だよ。この森の主だ。」

「なんだって・・・?」

刹那が戸惑っていると、後ろで微かに声がしました。

「・・・主様が・・・あの木だったなんて、」

「!!! このは!よかった気が付いたのか!!!」

シュナは弱々しく顔を上げると、刹那に微笑みかけました。

「ん・・・大丈夫。・・・!刹那!怪我してる・・・!」

「俺は平気だ。それよりもこの森から早く出よう。道を教えてくれないか、」

すると後ろから投げ捨てるような嘲笑が聞こえました。
光はゆらゆらとおぼろげな形をとりながら浮かんでいます。

「そんな身体でどこへ行っても無駄だよシュナ。今外へいけば君は死ぬ。」

思わぬ台詞に、刹那とシュナは同時に言葉を失いました。
唇を震わせながら刹那がたずねます。

「い・・・一体どういうことだ・・・?こ・・・シュナはお前の仲間だろう!?」

「ああそうだ。大切な仲間だ。だから望みの通りにしてやったのだ。」

そういわれて、シュナは眉をしかめました。

「主様に僕の望みがわかるというのですか。」

「ああわかるよ。私は君の育ての親だからな。」

「それでは・・・・・・一体何だとお思いですか?」

シュナはふら付きながらも足を踏ん張り、自力で立ち上がりました。
刹那が手を貸そうとしましたが、彼は首を軽く振って遠慮します。
その様子を見た主は一瞬不機嫌そうにだまりましたが、次には自信のこもった口調で話し始めました。

「君が望むのは、森の精として兄弟達と共に森で過ごすこと。皆一緒だ。同じ地に根付き、同じ太光を浴び、同じ時に眠る。そうだろう可哀想なシュナ。君を沢山悩ませてしまったね。でも今日からは違う。皆の基へ還ろう。」

光はシュナの上に降り、身体を包みました。
懐かしい森の香り、優しい暖かさが意識を支配します。
心地よいはずなのに、何故だか涙が頬を伝ってきました。
どうしようもない感情が心から溢れ出てとまりません。
シュナは顔を上げ、主を見つめました。

「・・・違います・・・・・・・主様、」

「・・・なんだって?」

「僕自身、自分の望みはまだ見えません。・・・でも<帰る>のは此処じゃない。」

主はシュナから離れ、信じられないというように彼を見つめました。

「君が還れるのは森だけだ。<外>の世界は君を拒否したではないか。」

「・・・僕は還りたくなんかない。帰る所は場所じゃなくてもいいんだ・・・」

シュナは主から離れ、刹那の傍に戻っていきました。

「何を言い出すんだシュナ。あれほど皆の様になりたがっていたではないか。」

「・・・森を離れた時、僕は<外>を少し見ることが出来たんです・・・。」

口調はしっかりしていましたが、シュナの身体は小刻みに震えていました。今迄こんな風に自分の思ったことや感じたことを主に話したことはありませんでした。
刹那はシュナの手を握り、緊張をほどいてやりました。
シュナはふっと目を閉じると、話を続けました。

「その少しは、決して綺麗な物ばかりではありませんでした。残酷なことや醜いことが沢山ありました。けど・・・刹那に会えました。」

たどたどしい言葉の中にも、しっかりとシュナの気持ちが込められています。
刹那は彼の背中を撫でてやりました。
シュナは一言一言を大切に紡いで行きました。

「・・・言葉は自分を苦しめるだけの物じゃないって、刹那が教えてくれました。森にいたときは重く感じていた身体も、今はとても軽い。皆と一緒に空を飛べるんじゃないかというほどです。そんな小さな事を知っただけなのに、何だか自分が新しくなったみたいなんだ・・・。」

主は徐に空を見上げました。
大きな雲が月を覆い隠していきます。
刹那は目を細めてシュナを見下ろしました。

「・・・このは・・・お前、」

「刹那、僕を連れて行ってくれる・・・?」

シュナは身体を蝕む痛みに汗を滲ませながらも、刹那に微笑みかけました。

「このは・・・」

「姿が変わっても、僕と話してくれる・・・?」

「・・・勿論だ!!このは、一緒に行こう。とりあえずここからはなれるんだ。おい、お前!このはは俺とくるって言っているんだ。育ての親なら、そろそろ子離れしたらどうなんだ?」

刹那は手ぬぐいでシュナの身体を拭いてやりました。樹液の匂いはもう体中にしみこんでしまっています。
主はふっと笑い、泉の上に浮かびました。

「何もお前が森を出ることはないシュナ。目的はその男だろう?ならばそいつも浄化して森の一部にしてしまおう」

台詞が終わると同時に、再び木々が動き始めました。枝が唸りをあげて刹那を攻撃してきます。
太い枝が勢い良く振り下ろされ、刹那の腕が嫌な音を立てて潰れました。

「ぐああぁあああああ!!!!」

「刹那!!!!主様、止めてください!僕の望みは森に還ることじゃない!!・・・刹那と一緒にいることなんだ・・・・・・!」

刹那に近づこうとすると木々は枝を編んで壁を作り、通せんぼをしてきました。木は仲間のシュナを傷つけたくないようです。
その間にも、枝は容赦なく刹那を殴りつけます。折れた片腕をかばいながら刹那も応戦しますが、利き手が使えないので思うように攻撃が出来ません。
主はふわっと近づいてくると、シュナの耳元に囁きました。

「私はお前を愛しているんだよ、シュナ。君には幸せをあげたいんだ。」

「・・・・・・僕は・・・幸せになんかならない。刹那がいないこの森で、僕は幸せになんてなれない・・・。」

音を立てて体中の細胞が壊れていくのを感じます。シュナはよろめきながらも何とか歩き出し、木の防壁を叩き始めました。

「刹那を殺さないで、みんな・・・!おねがい・・・!おねがい・・・!!!」

枝の隙間から刹那が打ちのめされている様子が見えます。
シュナは主の方を振り返りました。

「僕は皆と違ったっていい。罵られたって怖くない。僕の望みを叶えてくれるなら、今すぐ攻撃を止めてください!!!」

「・・・それは、人間共の中に入っていくということだな?しかし遅い。お前の身体はもう・・・」

主の台詞を遮る様に、シュナは声を張り上げました。

「・・・わかってる!!でも、例え姿が変わっても、刹那は僕を連れて行ってくれるから、」

「・・・・・・そうか。お前は私を拒むのだな。」

「違う。僕は拒んでなんかいない。ただ・・・・・・」

そのときシュナの後ろで刹那の悲鳴が聞こえました。

「刹那・・・!」

シュナは後ろを振り向き、木の壁に向かって怒鳴ります。

「そこをどいて!!!!」

木は一瞬怯みましたが、主の命令でシュナを通すわけにはいきません。
怒りに震えたシュナの首輪が突然音を立てて割れました。
深緑の瞳は満月のような黄金色に染まり、身体の周りを不思議な光が集まってきます。
シュナは宙に浮き、壁を作っていた木も軽々と飛び越えていきました。

「刹那!!刹那・・・!」

地面に降り立つと、刹那が血を流して倒れていました。右腕は不恰好に折れ曲がり、体中痣だらけになっています。
シュナは刹那の身体を抱きしめると、周りの木々をにらみつけました。

「刹那を傷つけないで・・・!」

そこに主が渇を入れました。

「お前達、腕を休めるな!!」

地の底から響くような恐ろしい声を出され、木々は脅えたように攻撃を再開しました。シュナに枝がぶつかる寸前、突如現れた小さな光の泡が盾を作り攻撃を跳ね返します。

「!?」

光の飛んできた方向を見ると、まだ植えられて間もない沢山の苗が埋まっていました。
柔らかな若葉は次々に光を生み、シュナを守ってくれます。
葉は跳ねるようなリズムを奏で、歌い始めました。

「シュナ、シュナ、僕らの兄弟」

「僕らは消えても無くならない」

「シュナ、シュナ。僕らの大切な兄弟」

シュナはハッと顔を上げました。
消えたはずの兄弟が、いつもと変わらない様子で陽気に歌っています。
声は聞こえてくるのに、その姿は見えませんでした。



「旅立ちの震えを覚えているかい」

「シュナは歩き出した」

「シュナが遠く離れても」

「僕らはシュナを想っていよう」

「シュナが形を喪っても」

「シュナは僕らの兄弟」

「僕らはシュナを送り出そう」

「シュナは消えても無くならない」

何十層もの囁き声が光の雨を降らせました。
刹那の血は洗い流され、瞬く間に身体が綺麗になっていきました。
シュナは誰にとも無く頷くと、主の方を振り返りました。
主は計算外だというようにたじろいでいます。

「私は君の望みを叶えたかっただけだ。その人間とともに森に還ればいい。何故今更拒むのだ・・・?」

シュナはゆっくり歩き出すと、穏やかな笑みを浮かべて主の頬に触れました。

「簡単なこと。皆が一緒の森は暖かいし心地いい。けれど此処は刹那の帰るところでもないし、僕の帰る場所じゃなかった・・・・・・それだけです。」

「シュナは還ってくれないのか、」

威勢のよかった主の声が、急に頼りなく小声になります。
シュナはにっこり微笑むと、光の雨を集めて主に振り掛けました。

「・・・僕が還るところは僕自身でありたいだけなんだ・・・。」

主はシュナの笑顔を見つめながら意識を失いました。
人型の光はだんだんと消えていき、またあの大木が姿を現しました。
シュナはフッとため息を吐くと、急いで刹那の方へ戻っていきました。
先程彼を纏っていた光はいつの間にか消えていて、シュナの瞳にも緑が戻っていました

一歩一歩歩くたびに、細胞がだんだん崩壊していくのを感じます。
汗を滲ませながら、たった数歩の距離を数分かけて進んでいきました。

「刹那、刹那・・・。」

身体を軽く揺すると、刹那は小さなうめき声を上げて目を開きました。
 
「ク・・・っ、このは。いや・・・シュナ。無事か・・・?」

シュナは痛みと戦いながらも必死に笑顔を保ちました。

「このはでいいよ。僕は平気。刹那は怪我・・・大丈夫?」

先程の光の雨で、刹那の怪我は殆ど治っていました。あとは数箇所軽い打撲が見受けられる程度です。
刹那は不思議そうに首をかしげ、折られたはずの腕を持ち上げました。
痛みはまだ残っていますが、骨は元通りになっているようです。
身体を動かすことが出来ないので、顔だけシュナに向けました。

「・・・これは凄いな。このはが治してくれたのか?」

「ううん。僕の兄弟が・・・・・・」

シュナは顔を持ち上げ、若い苗が埋まっている方を見ました。
しかしそこにあったのは、精気を失い茶色く枯れ果てた木々だったのです。
シュナは言葉を詰まらせ一瞬俯きましたが、すぐに顔をあげて刹那の手を握りました。

「ねえ刹那、僕の姿が変わっても、連れて行ってくれると言ったよね、」

「・・・ああ。色々な所へ行こうな。お前は森に住んでたみたいだから沢山の物を見せてやりたいよ!でも旅を続けるのもいいが、静かな場所を見つけたら家を持つのもいいな。知っているか、帰りを待っていてくれる奴がいるってのはとてもいいものなんだ。」

シュナは刹那の胸に頭を乗せて、嬉しそうに合槌を打ちました。
落ちてくる瞼を必死に開けて、ずっと刹那の顔を見つめ続けます。

「沢山お話もしたい。」

「そうだな。俺もだこのは。そんなに綺麗な声なら歌でもうたってもらいたいな。」

刹那はシュナのてを握り返し、微笑みかけました。
空はいつの間にか明るくなって来ています。もうすぐ夜があけるようです。
太陽の光に溶け込んでしまいそうなくらい、シュナは綺麗な顔で微笑み返しました。
 
「うん・・・・・・聞かせてあげる。」

「何か知っているのか?」

「ううん。でも・・・歌える・・・・・、」

シュナは決して離さぬ様に、刹那の手を強く握りました。
夜明けの新しい風に乗って、シュナは歌い始めました。


「・・・旅立ちの震えを覚えている

求めていた物は驚くほどちっぽけで

踏み分けてきた物は哀しいほど大きくて

避けていた物は痛いほど優しかった

僕が形を喪っても

僕は消えても無くならない

刹那、刹那、僕の大切な人

<皆>と違う道を

どうか

・・・・・・」 

歌声がそこでやみました。刹那は優しい歌声を聴いているうちに眠ってしまったようです。
シュナも目を閉じ、刹那の胸に歌いかけました。

「・・・・・・いつまでも一緒に・・・・・・」








春風に乗って、一羽の小鳥は巣材を探し回っていました。
新しい家族のためにどうしても立派な巣を作りたかった小鳥は、森一番の大木に話しかけました。

「こんにちは。僕は今家の材料を探している小鳥です。どうかその見事な枝を少しわけてもらえませんか?」

大木は礼儀正しい小鳥に向かってゆっくり話しかけました。

「いいともいいとも。わけてあげよう。そのかわり私も頼みたいことがある。生まれてこの方<外>を見たことが無いのだ。よければ一つ話をしてくれないか?」

小鳥は嬉しそうに囀ると、快く頷きました。

「いいですとも。最近聞いた、木に纏わる面白いお話しがあります。
あるところに、苗を抱えて歩く変わった旅人がいたそうです。
その旅人は何処へ行ってもその苗を手放しませんでした。
暫く経つと苗は大分大きく育ってきたので、その旅人は山奥の小さな村に家を持ちました。
家の庭に植えた苗はぐんぐん育ち、とても美味しい実をつける美しい木に成長したそうです。
その実は人々の怪我や病気を治し、旅人は村の人気者になりました。小さい村なので実を奪い合うような争いは無く、穏やかに生涯を送ったそうです。ただ不思議なのは、その旅人は毎日のように木に話しかけていたというのです。変わり者だったけれど気がいい男だったので村人からは好かれていたそうですがね。」

大木は何も言わずに小鳥の話を聞いていました。
小鳥は続けます。

「旅人は実のおかげで病気をすることも無く、寿命でこの世を去りました。
主人の逝去を知ったのか、木はその年から実をつけなくなり、間も無く枯れてしまいました。
・・・・・・どうです?おもしろいでしょう。まあ風の噂で聞いた話しなので本当なのかどうかはわかりませんが。」

小鳥は何度も礼を言いながら飛び去っていきました。
澄んだ青空に、うろこ雲がぷかぷかとうかんでいます。
大木は、届かぬ空を見上げて深く息を吐きました。

「幸せになれたのだな・・・・・・」









「おやすみ、僕らの兄弟」




<END>








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