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第三章 激闘の魔闘士大会編 中等部1年生

第32話 戦士の休息

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 サバイバル戦は終わった。
 アネモネは大きな怪我ではなかった。
 予選通過者も骨折だけだった。
 予選通過者と闘ったランカー2人も治癒魔術で治った。
 赤頭とマッチョも大治癒魔術で治った。
 ラスボスこと、オリバー・コーンは死んだ。

 俺が殺した。

 アネモネは自分のせいだと、責任を感じた。

 アネモネは俺の前から消えた。

 アネモネが失踪してから1週間、俺は何も手がつかなかった。
 大きな失敗からくる絶望感。
 知ってる。

 うつだ。

 大切な人との別れからくる喪失感。
 知ってる。

 これは乗り越えられない壁だと知ってる。
 前世の自分が全てを体験し、何年にも及んで苦しんだ。
 知ってる。
 解決するのは、早い方がいいということを。
 絶望の時間が長いだけ復活までの道は長くなることを。
 深く沈めば浮かぶまでが地獄であるということを。
 なんとしても、今度の人生では避けたかった道であることを。

 しかし、堕ちてしまった。
 決してはまってはいけない沼に。
 どっぶりと。
 何も手がつかない。
 死にたいしか考えられない。
 逃げたい。
 消えたい。
 なかったことにしたい。
 自力ではなんともならない。

 前世でもそうだった。
 俺は足掻いた。
 治療も薬もいろいろ試した。
 カウンセリングも、食事も、生活習慣も。
 でも、変わらない。
 変えられない。
 自力では限界があった。
 役所に相談もした。
 ケースワーカーにも相談した。
 職場の校長にも相談した。
 でも、だめなんだ。

 さらに1週間が経った。
 パパンはアネモネを探しに、ママンは俺の様子を見守っている。
 何度か自殺を図ったからである。
 魔闘士大会も棄権している。
 手続きは教授にしてもらっている。
 彼も情報を全て渡さなかったことに責任を感じているらしい。
 情報を渡さなかったのは、ピンチを作って、自力で成長させたかったそうだ。
 ちなみに、子どもが勝つとは思ってなかったらしい。
 おそらく、コイツが原因だ。
 殺してやりたいが、そんな気力もない。
 もう、どうでもいい。

 前世の後悔も同時に思い出される。
 なぜあの時、あの仕事を断らなかったのか。
 自分には荷が重いと判断できなかったのか。
 その仕事のせいで、23時間労働の日が何度も起こり、睡眠時間が極端に減っていたこと。
 その後、授業の指導に行き、指導内容に首を傾げられ、胃痛の余り車の運転もできなかった日々。
 全てがうつにつながる。
 俺の性格、環境、周囲の評価。
 悪条件が悪条件を招く。
 俺は知っている。
 のんびり構えていると、ズルズル人生を浪費することを。

 すると、ノックがなった。
 俺は無言。
 部屋の扉が開いた。
 アネモネがいた。

「杖を貸して」

 指輪を取られる。

「ライが弱いところもあるのは知ってた。今回は支えたい時にアタシはいなかった。でも、力不足で足手まといもイヤなの。だから、魔術を用意してきたわ。その名も『魂浄化』よ。アンデッドにも効くらしいけど、今のライには間違いなくこれだそうよ。教授と必死で探したの。かなりマニアックな魔術だから、時間かかっちゃったけど、ごめんね」

 浄化は光のマナだが、魂に干渉するのは無色のマナだそうだ。
 やはり、無色マナは優秀なようだな。
 そうか、アネモネの魔力量だと無色マナを合成できる量に限りがあるから足りないのか?
 いや、そんなこともないだろう。

「これって、俺がやらなきゃダメかな?」
 助けてくれ。
 暗にこう言った。
 2週間ぶりの言葉だった。
 喉が渇きすぎて、うまく言葉がでなかった。
 自分の声じゃないみたいだ。

「ええ、ライがやらなきゃダメ。アタシがやったんじゃ、ライが自分の力で助かったことにならない。アタシは常に一緒にいるわけじゃない。自分の身を守る手段も必要よ。それは、今回負けたアタシも実感してる。助けてくれて、ありがとう。それと、無力でごめんなさい。よかったら、これからも一緒に最強を目指せて下さい」

 あぁ、同じ夢を追いかけてくれる存在がこれほど大きいとは思わなかった。
 思えば、前世の俺は人と違うことをして、自分の価値を周囲に知らしめていた。
 ひょっとすれば、世界一という目標もその延長線上にあったのかもしれない。
 でも、今は仲間がいる。
 同志がいる。
 アネモネがいる。

 辛い、しんどい、死にたい。
 ても、まぁ、いいか!

 とりあえず、アネモネの魔術を試してみよう。
 術式はすでに杖に付与されている。
 あとは、マナを錬成するだけだ。
 久しぶりに魔術を使う。

「魂浄化」

 聖なる力なのか?
 体が光る。
 頭のモヤがとれる。
 清々しい気持ちになる。

 でも、頭が重い。
 体が重い。
 気持ちが重い。

 アネモネが手を握ってくれる。
 ママンが抱きしめてくれる。
 パパンが見つめてくれる。
 アースが心配そうに覗き込んでくれている。
 
 やってみるか。

 心臓の鼓動が聞こえる。
 体が軽くなる。
 心が軽くなる。

「魂浄化」

 再度詠唱して使う。
 周囲のみんなの魂も浄化される。
 俺のせいで心配かけたようだ。
 前の俺にも大切な人はいたはずなのに、これだけ人の温もりを感じたのは何十年ぶりだろうか。
 涙が頬を伝う。
 
 結局全部話しちゃった。
 転生者であること、前世ではうつ病だったこと、乗り越えられず、自殺しようとしていたこと、するつもりはなかったけど、電車に轢かれたこと、実は42歳でおっさんで、こんなかわいい見た目をしていないこと。
 家族に言っちゃった。
 ラクになりたかった。
 隠すのが辛かった。
 みんな黙って聞いてた。

 アネモネは口を開いた。

「ねぇ、アタシにとってのライは変わらないよ。嘘だろうが、アタシが見てきたライは結局は、1人ではなんにもできない子だし、アタシが大好きな家族だよ?」

 うん。
 救われた。
 完全寛解かどうかはわからないけど、今は大丈夫だ。
 きっと今は大丈夫の積み重ねが寛解への道なんだと理解した。
 とりあえず、今は大丈夫を積み重ねよう。
 前世でも、周りには頼ってばかりだったけど、この世界のには、魔術と魔力がある。
 抗うつ薬はなくとも、この2つは病理に直接作用する。
 それに、魂浄化はかなり強力だった。
 いや、まぁ、いいか。
 なんとかなるだろう。
 やっていこう。

「ありがとう。みんな、ありがとう」

 さて、切り替えよう。
 メシを食おう。
 着替えよう。
 外へ出よう。
 あと、魂浄化の研究をしよう。
 それに、教授を問い詰めよう。
 そして、ラスボスさんこと、オリバー・コーンさんの墓前で謝ろう。
 遺族に謝ろう。
 
 さて、どれからするか。
 まずは…。

「アネモネ、魂浄化ってどんな魔術なの?」

「アンタったら…。仕方ないわね。術式を見せるわ。リビングへいらっしゃい」

「わかった。着替えたら行くよ」

「えぇ、わかったけど、手を離してくれないと、行けないじゃない?」

「いや、でも、離したらいなくなりそうで…」

「ライ、アンタ、キモイわよ?」

「うっ…。ごめん」

「心配しなくてもどこにも行かないわ」

 その言葉の本当の意味が分かるのはまだまだ先となる。
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