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56.職場見学と初めてのカフェ
しおりを挟む温室でエミリオンに好き勝手されたヴェリティは、その夜ぐったりしてしまった為に、初仕事は翌日の午後からとなった。
「急ぐ必要はないから。俺と一緒にゆっくり取り組もう。」
「はい。」
遅めの朝食の席でエミリオンは微笑んだが、ヴェリティはまだぼんやりしており、ファビオラ夫人は息子の暴挙に呆れた。
「エミリオン、あなたって人は…愛が重過ぎるわ…」
「母上、俺達は新婚ですから、そんなこと言わずに大目に見てください。」
そんな二人のやり取りを、ヴェリティは困った顔で見ていたが、エミリオンの愛が重いとまでは思えず、寧ろ、愛される喜びに安心感すら感じていた。
その後、エミリオンはヴェリティを初仕事の場に連れて行った。
そこは、エヴァンス公爵家から馬車ですぐの、貴族の邸のような建物だった。
「エミリオン様、ここは?」
「没落した貴族の邸を丸ごと買い取り、改修して、実践的な職業訓練が出来る施設にしているんだ。
ついでに、隣の土地も買い取り、今ではその辺の貴族の邸よりも広い面積だろう。
その没落した貴族は、商売をしていたのだが、詐欺に遭って破産し、称号は剥奪されたんだ。
でも、なかなか気立ての良い人達でね。管理人を兼ねて、ここに常駐してもらっている。」
エミリオンから説明を受けていると、前から夫婦と思われる男女がやって来た。
「ヴェリティ、今話していたアルカスとネミリアだ。」
「奥様、初めまして。アルカスです。隣は妻のネミリアです。よろしくお願いいたします。」
「ネミリアです。よろしくお願いいたします。」
「ヴェリティです。こちらこそ、よろしくお願いいたします。」
お互いの挨拶が済むと、エミリオンは邸内を案内した。
料理人を育てる厨房や、侍女にひと通りの業務を教えるカリキュラム、庭師や騎士まで、その施設には訓練出来るシステムが揃っていた。
「凄いですね!このような施設の存在は初めて知りました。」
驚くヴェリティに、エミリオンは声を潜めて話す。
「秘密の施設だからね、ここは。表向きは、エヴァンス公爵家のゲストハウスのようになっていて、来客の宿泊や食事に利用しているんだ。」
「まあ!」
「ヴェリティには、ここで講師をしてもらいたいんだ。」
「っ!?私、に?」
「そう、ヴェリティに。コリンヌを見て、母上が判断したんだ。
コリンヌは、男爵令嬢で読み書きは出来たが、マナーはヴェリティが教えただろう?
コリンヌ本人の努力もあるだろうが、今はまだ十三歳なのに、エヴァンス公爵家でも優秀な侍女の5本の指には入る程に成長した。
立ち居振る舞いから、目上の者への気配りは、母上も珍しく褒めていた。
だから、その経験をここで活かして欲しいんだ。
あと、ジオルグのように騎士であっても、教養を身に付ける意欲のある者を、普段の会話から読み取って欲しい。
ヴェリティには、何となく話したくなる雰囲気があるから、きっと皆は打ち解けて、心のうちを話すだろう。」
「お仕事というよりは…今までしてきたことをすればいいということ、でしょうか?」
「その通り!」
エミリオンは、ヴェリティの腰を抱いて頬擦りした。
「ちょっ、外ではおやめください。」
「すまない、察しの良い妻が愛おしくて。」
「もう…エミリオン様ったら。ふふ。」
「仕事は、基本的に週四日。朝食を済ませたら、こちらに向かい、陽が落ちる前に帰宅すること。
俺と同行、若しくはコリンヌとジェレミーが帯同すること。
この邸は万全な体制で警備しているとは言え、全く危険がないとは言えないので、ヴェリティの単独行動は認められない。これでいい?」
「はい、私も単独行動には不安がありますから、エミリオン様が一緒だと安心です。
でも、コリンヌは分かりますが、ジェレミーは承諾してくれたのかしら?」
「それは大丈夫だ。ジェレミーは、ブランフォード侯爵家を辞してから、いち早くこの施設に来て、騎士としても学んでいたんだ。
平民だが、親が亡くなり孤児となっていたジェレミーを街で保護し、騎士見習いから雇ってくれたヴェリティを尊敬している。
だから、ヴェリティの為に命を賭けられると、護衛を喜んでいたぞ?
我が妻は、人たらしだなぁ。クククっ!」
「やだっ、ジェレミーったら、命懸けの事態になったら大変じゃない。そんなのだめよ。
でも、有り難いわね、当たり前のことをしただけだし、ジェレミーには、そもそも素質があっただけなのに。」
エミリオンは、心底おかしそうに笑った。
「あはははっ、そこ!そういうところ!!」
「ん?何故、笑ったのですか!?」
「ヴェリティの当たり前が、当たり前じゃないところ。
無意識に人を見い出し、救い、向かう道を照らす。
そんなところを俺は尊敬し、愛しているよ。」
エミリオンは、この無意識で無垢なヴェリティを護りたいと心に誓う。
想いを伝えることすら出来なかった、生き地獄のような日々を決して忘れない。
そして、細く切れそうだった運命の糸を、この手に掴んだ喜びも。
「ヴェリティ、今日の見学はここまでにして、明日から俺とここに来よう。
帰りはカフェにでも寄って、デートしましょうか、奥様。」
「はい!カフェに行ったことがないので嬉しいです。」
「……えっ…」
「エミリオン様はどなたと…?」
探るようなヴェリティの瞳に、エミリオンは嫌な汗をかく。
「えっと…母上が勧めてきた令嬢とか…あっ、違うっ、グレイシアと!グレイシアだよ!!」
「冗談ですよ。エミリオン様はおモテになっただろうし、過去は気にしません。過去を探られて痛いのは私の方ですから。」
「ヴェリティの過去に、疾しいものなど一つもない!公爵家の影から報告を受けている!!」
「はっ!?今、何と?」
「あっ…いや、何でもない…聞かなかったことにして?ヴェリティが好き過ぎて、ちょっと、いや、ずっと調べさせていたのだ…」
真っ青な顔になるエミリオンが可愛らしくて、ヴェリティは過去のことなど、今更怒る気にもならない。
「そんなに…ずっと私を好きでいてくださったのですね。
恥ずかしいような気もしますが、私はエミリオン様に、そんなに想われていたことが嬉しいです。」
エミリオンに、ちゅっと口付けて、ヴェリティは頬を染める。
「ヴェリティ!」
再び口付けようとするエミリオンをそっと交わし、ヴェリティは腕を組んだ。
「さあ、初めてのカフェに連れて行ってください。今の続きは、また夜に。」
「分かった!行こう!!」
ヴェリティは、エミリオンの扱いを一つ習得したようだ。
二人は流行りのカフェで楽しく過ごし、たくさんのスイーツをお土産に、エヴァンス公爵家に帰宅した。
カフェで恋人のように、エミリオンと食べるスイーツも、エヴァンス公爵家で、グラナード公爵やファビオラ夫人と笑い合って食べるスイーツも、ヴェリティには全てが楽しく美味しかった。
「エミリオン様、私、今日カフェのデートも初めてだし、お義父様やお義父様達と家族でスイーツを食べるのも初めてでした。
実の親は、私には興味がなかったし、恋人とデートもしたことがありません。
私、今、物凄く幸せです。エミリオン様と結婚出来て、幸せなことばかりです。」
ヴェリティが眠りに付く前に、やわらかな笑顔を浮かべて話すと、エミリオンはしばし絶句した。
「………ヴェリティ…これからは、たくさんデートして、カフェにも行こうな。ヴェリティの望みは、全て俺が叶えてやる。」
エミリオンはヴェリティの過去に思いを馳せ、目に涙を浮かべ、寝息を立てるヴェリティを優しく抱き締めた。
たかがカフェ、たかが家族との団欒。
そんなことすら初めてだと笑うヴェリティが、可哀想で愛おしかった。
穏やかに眠るヴェリティに、恐らくエミリオンの呟きは聞こえていた筈だ。
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