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64.サイファの真意
しおりを挟む馬車がエヴァンス公爵家に到着すると、サイファは泣いていたグレイシアの頬を撫でた。
「ーーーっ!?サ、サイファ!!!意識が…」
「グレイシア、ただいま。」
「お、おか、えり…」
その後は、涙で声が出なくなってしまったグレイシアを何とか宥め、サイファは邸の客間に運ばれた。
「サイファ、ごめんなさい…私が…あの女を煽らなければ…」
ベッドに横向きに寝転がるサイファは、グレイシアの手をすりすりしている。
「グレイシアは悪くないよ。俺が勝手に飛び出したんだから。
刺されずに、あの女を排除出来たら良かったんだけど…
あの女、思ったよりも素早かったよ。あんなドレスですげぇよな。
鬼のような顔してたぞ?あはははっ!」
「笑い事じゃないわ、サイファ!」
グレイシアは怒ったような悲しいような、複雑な表情をした。
「いいんだよ、グレイシア。ヴェリティ様やエミリオン殿に何かあったら、グレイシアが悲しむだろう?
俺はエミリオン殿よりも、鍛えている自信があったから、あんな女に刺されても死なないと思ったんだ。
それに、俺のタキシードの上着には、アラミドという高強度の繊維を混ぜ込んでいるんだ。
斬られても致命傷にならないように。
まあ、刺されたら…刺さるけど、普通の生地よりは刺さりにくい筈なんだ。
デルーミア特有の仕立て方だ。
兎に角、ヴェリティ様とエミリオン殿が無事じゃないと、グレイシアと結婚出来ないからなぁ。
それなりに拘ったタキシードを着て来て良かったよ。」
「ーーーなっ!!何を言っているの、結婚て、サイファ!今、そこなの!?」
「ああ、俺には、俺の人生を賭けた最重要事項だ。
一度、グレイシアに捨てられかけたからな。
あんな想いをする位なら、死んでグレイシアの記憶に残る方がマシだ。」
「あなたって人は…」
サイファの額に自分の額をくっ付けて、グレイシアは泣いた。
「結果的には、グレイシアの大切な人を守れたし、俺も生きてる。
それに、短剣だし、あの女の力で刺されても傷口が大きくなかったことや、大動脈は逸れていたこと、ヴェリティ様が止血してくれたのが良かったみたいだ。
どくどくと血が流れていく気がして、一瞬血の気が引いて焦ったけどな。
押さえた場所が、止血するにはちょうど良かったのかもしれない。
そこまでは、朦朧としながらも意識があったんだが、その後は…ちょっと寝た。ククっ!
心配掛けて、すまなかったな、グレイシア。
傷痕は残るかもしれないが、すぐに治るさ。」
グレイシアは、ほっとして、サイファにそっと抱き付いた。
「一応、グレイシアの為に万全の準備はしてきたたんだよ。俺、凄くない?褒めて!」
「良かった…サイファ、そこまで考えていたなんて、凄いわ。でも、やっぱり、痛かったね…私、治るまで、ずっと傍に居るね。」
「ああ、そうしてくれたら嬉しいよ。グレイシア、大好きだ。愛してる。
でも、治っても傍に居てくれよ?その答えは、はいか、イエスか、オッケーか、愛してるわ、あなたに夢中以外には認められない。」
グレイシアは、くすりと笑い、はいの言葉の代わりにサイファにちゅっと口付けた。
「グレイシア、もっと深く口付けていい?」
「ばかっ、そういうことは聞かなくていいの!」
グレイシアから口付け舌で唇を突くと、サイファも応える。
角度を変えて、何度も何度も口付けを交わす二人には、エミリオンのノックは聞こえていなかったようだ。
「ノックはしたのだが……サイファ、大丈夫そうだな。また来る。」
その言葉にグレイシアが振り返った時は、もうドアは閉まっていた。
「あ、あれは…お兄様なりの…気遣いなの…?」
「た、たぶん、な…」
グレイシアは、更に頬が熱くなるのを感じたが、目の前のサイファも顔が真っ赤だった。
「はぁ…実の兄にこんなところを見られるのって、結構つらいわね…」
「まあいいじゃないか。俺達もしょっちゅう見せつけられているんだし。クククっ!」
「そうね!ふふふっ!!」
グレイシアは、サイファと笑い合えるこの時間に心から感謝した。
サイファはすぐに治ると言ったが、血の海のようなあの場でのサイファは、どんどん顔色が悪くなっていた。
(サイファは私を落ち着かせようとしているのね…わざとふざけて…
私は、立ち尽くすだけで、何も出来なかった…ヴェリティ様が居なかったら、サイファは…)
きっとヴェリティは、自分が原因だとか、止血はたまたまだと言うだろうが、グレイシアはヴェリティに何の落ち度もないと思えるし、サイファの命の恩人のように思えた。
必死にドレスを裂き、血塗れになりながらサイファに止血していたヴェリティは、その場の誰よりも必死で機敏だった。
人生生き地獄だった兄に光を与え、形振り構わずサイファを救ったヴェリティを、グレイシアは心から尊敬した。
(私もヴェリティ様のようになりたい!)
今までは、兄が大切にし愛している人として尊重してきたヴェリティが、この日を境に、グレイシアの中で、母のファビオラと並ぶ位に憧れの義姉になった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
夕方、グラナードが帰宅し、エヴァンス公爵家の家族会議が開かれた。
今度はグレイシアやサイファも参加したいと申し出た為、サイファの居る客間に一同勢揃いした。
「サイファ殿下、この度は申し訳ありませんでした。
殿下に傷を負わせるような事態になり、エヴァンス公爵家を代表しまして、私からお詫び申し上げます。」
グラナードはサイファに深々と頭を下げた。
「いえ、俺がしゃしゃり出て招いた事態ですので、お気になさらず。」
グレイシアにもたれ掛かりながらも、サイファは笑顔で答えた。
「そうは言っても、デルーミア王国の王太子であるサイファ殿下に傷を負わせた責任は取らなければなりません。」
「それは、ブランフォード侯爵家に取ってもらいましょう。それ以外に…」
「それ以外……に……?」
サイファは人懐っこい顔で微笑み、グラナードとファビオラに言った。
「グレイシアをください!」
グラナードの喉がぐびっと鳴った。
「えっ…!?今、それ言う?」
エミリオンは、呆れた顔で言った。
「俺は、妃にするならグレイシアしか考えていませんから。
今回のことも、ヴェリティ様やエミリオン様に何かあったら、グレイシアとの結婚が更に延びると思いまして、勝手に飛び出してしまいました。
だから、国の問題にはなり得ません。
飽く迄も実行犯とその管理者に責任を追及したらいいと思っています。
その処罰の判断も、ジェスティン皇帝陛下とエヴァンス公爵家に一任します。
そして、グレイシアは、二年間の留学期間で、王太子妃教育と同等か、それ以上の経験を積んでいます。
俺としては、今すぐにでもグレイシアを娶りたい位なのです。
あっ、国王や王妃は俺が説得します!
というか、グレイシアを連れて帰って来い位の勢いで来てますので、今回のことは何の障害にもならない筈です。
寧ろ、グレイシアの大切な家族に危害が及ばなくて良かったし、ヴェリティ様の咄嗟の行動に感謝するでしょう。
だから、グレイシアを俺にください!!」
エミリオンは、サイファの長台詞を聞きながら、グレイシアとお似合いだと、笑いを堪えていた。
「えっと…一応ジェスティン陛下とデルーミア国王陛下との話が済んでから、正式に承諾してもいいだろうか…?」
「正式に承諾!!ということは、もう義父上と呼ばせていただきますね?」
「えっ!?あっ…ああ。」
すっかりサイファのペースに巻き込まれ、グラナードがたじたじになっていた。
「では、私もサイファと呼ぶわ。」
「はい、義母上!」
エミリオンは気付いていた。
サイファが、ヴェリティもグレイシアも、誰一人、自分を責めることのない雰囲気を作り出していることに。
そして、怪我をして意識が戻っていたことを隠し、騒ぎを大きくすることで、ブランフォード侯爵家に鉄槌を下そうと企んでいたことに。
「サイファ…敵に回したくないな…」
「えっ!?」
「いや、何でもない。グレイシアとサイファは、似合の夫婦になるだろう。」
「そうですね。今もグレイシア様、お幸せそうですわ。とてもお似合いです!」
グレイシアとサイファをあたたかく見つめるヴェリティを、エミリオンは可愛らしいと思う。
そして、グレイシアも可愛い妹だ。
本当に手を汚さなければならない時、エヴァンス公爵家の男は躊躇うことなく実行するだろう。
それは、新たに家族となるサイファも、同じ志なのだなとエミリオンは思った。
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