【本編完結・新章スタート】 大切な人と愛する人 〜結婚十年にして初めての恋を知る〜

紬あおい

文字の大きさ
78 / 97

77.最期の選択

しおりを挟む

エヴァンス公爵家の皆が夕方には戻る筈と、使用人達が邸の掃除に気合いを入れていた頃、突然招かれざる客が訪問した。

「ベンジャミン様、ファーガソン様、門の外にどなたかいらしておりますが…」

執務室に飛び込んで来た侍女は、少し怯えていた。

「どなたかな?ベンジャミン様、私がちょっと見てきます。」

「頼みましたよ。念の為、護衛騎士にお声掛けください。」

「承知いたしました。」

ファーガソンが門を見に行くと、そこにはレオリックが立っていた。
ブランフォード侯爵家に居た時は、身綺麗にしていたレオリックは、頬はけ無精髭を生やし、服もほころびが多数見受けられた。

「貴方は…!」

「ファーガソン、そたなもここに居たのか。」

「はい…あの日、ブランフォード侯爵家を辞して歩いていたところを、エヴァンス公爵様とエミリオン公子様に拾っていただきました。」

レオリックは門にしがみ付き叫んだ。

「この嘘吐きがっ!最初からこうするつもりだったのだろう?計画的だったんだろう?
そんなことより、ヴェリティを出せっ!!」

「奥様は、皆様とご旅行中でございます。」

「はっ!俺にこんな想いをさせて、暢気に旅行中だと!?
あの女、俺が拾ってやらなかったら、今頃行き遅れの伯爵令嬢だったくせに!!それに、エミリオンとデキてたくせに!!」

「お黙りなさい!!!」

ファーガソンは、初めてレオリックに口答えをした。

「貴方は!ヴェリティ様がどれだけブランフォード侯爵家に尽くしてきたか、まだ分からないのですか!?
先代の侯爵夫人に素直に従い、執務を熟し、双子のお嬢様を育てて、ブランフォード侯爵家を護ってきたのはヴェリティ様ではないですか!
確かに、貴方が外に出て事業を拡大した実績は認めますが、取り引き先にいい顔をして飲み歩き、娼館で気晴らしをしている間も、ヴェリティ様は家ブランフォード侯爵家を護ってくださっていたのです。
そして、命の危機に陥った時、エヴァンス公子様はヴェリティ様をお救いくださいました。
それはそれはあたたかい愛情で、ヴェリティ様やお嬢様方を受け入れ、皆様はやっと幸せを掴まれたのです。
それ以前は、絵画の指導以外の関わりは、一切ありませんでした。
決してヴェリティ様は不貞を働いた訳ではありません!
貴方は、今更ヴェリティ様にお会いしたいと?
一体どの面下げて、ここまで来たのですか!?
好き勝手してきた貴方が、ヴェリティ様を貶めたり、会いたいなどと仰ることは、断じて許されない!」

レオリックは、たまの女遊びまでファーガソンが知っているとは想像もしていなかった。
自分を侯爵として敬い、家も事業も、全て順風満帆だと思っていたのだ。

冷静になって考えれば、金銭の収支までヴェリティやファーガソンに丸投げしていたのだ。
ファーガソンがヴェリティに秘密にし、こっそり処理していたのだろうと想像はつく筈だ。
しかし、今のレオリックは、そんなところにまで気が回らない。

「愛人まで連れ込み、ヴェリティ様を顧みることなく粗雑に扱った貴方を、リオラお嬢様やリディアお嬢様を気に掛ける素振りすらしない貴方を、私は主人とは思えなくなりました。
先代の侯爵様には、貴方が幼い頃からお世話になりましたが、あの日あの瞬間、私の抱いていた尊敬の念や忠誠心や情さえも消え失せました。
私のご主人様は、エヴァンス公爵家の皆様です。
ヴェリティ様もお嬢様方も、エヴァンス公爵の一員です。
没落したブランフォード侯爵家の貴方ではない!」

それが、ファーガソンがレオリックに掛けた最後の言葉だった。
どんなに胸が痛もうと、涙が滲もうと、レオリックに優しい言葉を掛けるには手遅れだったのだ。

ファーガソンが目で合図すると、門がさっと開き、呆然とするレオリックを騎士が捕らえた。

「この者を地下牢へ。」

「ファーガソン…」

レオリックの呟きに、ファーガソンが応えることはなかった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



その夜、たくさんの土産を手に帰宅したグラナードに、ファーガソンはレオリックのことを伝えた。

「ファーガソン、よくやった。後処理は私がする。ヴェリティや双子達には秘密だ。」

そのままグラナードは、地下牢へと足を向けた。

ファーガソンの言う通り、侯爵だった面影もなく、ただの薄汚れた男がそこに居た。

「貴様が選んだ答えは、これか?」

二つの選択肢ではなく、ヴェリティを求めて、のこのこエヴァンス公爵家までやって来たレオリック。

「ヴェリティに会いに来た。」

「何故?」

「………………」

黙り込むレオリックに、グラナードは疑問をつける。

「ハーレント公爵家の地下牢に居た筈だが?与えた選択肢も選ばず、何故ここに来た?」

「ヴェリティに会いに来た。あいつだって、俺がどうしているか、気になっている筈だ!」

「離れに愛人を連れ込んで、ヴェリティ達を気に掛けなかった貴様が、今更ヴェリティに気に掛けてもらえるとでも?」

「それでも!夫婦だったのだから!!」

グラナードは、これ以上は何を言っても無駄と判断した。

「この期に及んで詫びる言葉の一つもないなら、ここまでだ。貴様に最後のプレゼントだ。飲めば、あっという間に死ねる薬だ。
ここで餓死するか、すぐ死ぬかの違いだ。」

グラナードは、レオリックをひと睨みし、そのまま背を向けた。

「ヴェリティに会わせろ!!!」

レオリックの声は、もう誰にも届かない。
グラナードの足音が聞こえなくなるまで、レオリックはじっとその方向を見つめていた。

「何で、何で、こんなことに…ヴェリティ…ヴェリティ…」

レオリックは、ヴェリティに会いたかった。
本気で愛した妻に、ひと目だけでも。

儚げな女だった。
俺が守ってやらなければならないと思っていた。
でも、侯爵夫人となり母となり、いつしかヴェリティは、レオリックが守らなくても平気な存在になっていた。

オーレリアを離れに連れて来る話をした日、ヴェリティはあっさりと寝室を分けた。
ヴェリティの気持ちなど想像することもせず、その日から、レオリックにはヴェリティが遠くなったような気がした。

寂しさを認められないまま、意地になっているうちに、オーレリアが嫡男を出産し、ヴェリティを更に無視するようになってしまった。
あんなに愛していたのに。

窓もない地下牢で、どの位時間が過ぎたのか。
考えることに疲れたレオリックは、エヴァンス公爵が置いていった薬を手にした。
選択肢は、最初からこれしかなかったのかもしれないとも思えた。

「もう…何もないのだな…俺が全部壊したのか…」

レオリックは、静かに無色透明な液体を飲み干した。
意識が途切れる瞬間、頭に浮かんだのは、他の誰でもなく、ヴェリティの笑顔だった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



執務室に戻ったグラナードは、ハーレント公爵に手紙を書いた。

『あの男を地下牢から逃した者が居る。処分は貴殿に任せる。』

後日、リリアンがひっそりと修道院へ送られた。
建前は病による療養だが、グラナードは敢えて問い詰めることはしなかった。
エミリオンを諦め切れず、レオリックがヴェリティを攫えばいいとでも思ったのだろう。
公爵令嬢としての資質の欠片もない娘だった。

ハーレント公爵も苦渋の決断を強いられたが、やはり公爵家のあるじだったということだろう。
この先、顔を合わせても、お互いにこの件に触れることはない。
それがレオグラント帝国を支える柱としての公爵家の在り方だから。

そして、冷たくなったレオリックの遺体は、隠密に無縁仏を葬る墓地に埋められた。
このことだけは、関わった者達に誓約書にサインをさせ、厳重な箝口令を敷き、グラナード一人の心に閉じ込められた。

ブランフォード侯爵家は、この国から完全に消えた。
ヴェリティの夫、双子達の父は、エミリオン・エヴァンス唯一人でいい。

エミリオンが、ヴェリティをブランフォード侯爵家から連れ出してから、たくさんのことが起こったが、これでようやくカタが付いた。
あとは、ヴェリティや双子達が過去を振り返る暇もない程、幸せにしてやればいい。
グラナードは、一人、ワイングラスを傾けながら、やっと肩の荷が下りた気がした。
しおりを挟む
感想 246

あなたにおすすめの小説

許すかどうかは、あなたたちが決めることじゃない。ましてや、わざとやったことをそう簡単に許すわけがないでしょう?

珠宮さくら
恋愛
婚約者を我がものにしようとした義妹と義母の策略によって、薬品で顔の半分が酷く爛れてしまったスクレピア。 それを知って見舞いに来るどころか、婚約を白紙にして義妹と婚約をかわした元婚約者と何もしてくれなかった父親、全員に復讐しようと心に誓う。 ※全3話。

君を自由にしたくて婚約破棄したのに

佐崎咲
恋愛
「婚約を解消しよう」  幼い頃に決められた婚約者であるルーシー=ファロウにそう告げると、何故か彼女はショックを受けたように身体をこわばらせ、顔面が蒼白になった。  でもそれは一瞬のことだった。 「わかりました。では両親には私の方から伝えておきます」  なんでもないようにすぐにそう言って彼女はくるりと背を向けた。  その顔はいつもの淡々としたものだった。  だけどその一瞬見せたその顔が頭から離れなかった。  彼女は自由になりたがっている。そう思ったから苦汁の決断をしたのに。 ============ 注意)ほぼコメディです。 軽い気持ちで読んでいただければと思います。 ※無断転載・複写はお断りいたします。

妹の方が良かった?ええどうぞ、熨斗付けて差し上げます。お幸せに!!

古森真朝
恋愛
結婚式が終わって早々、新郎ゲオルクから『お前なんぞいるだけで迷惑だ』と言い放たれたアイリ。 相手に言い放たれるまでもなく、こんなところに一秒たりとも居たくない。男に二言はありませんね? さあ、責任取ってもらいましょうか。

【完結】元サヤに戻りましたが、それが何か?

ノエル
恋愛
王太子の婚約者エレーヌは、完璧な令嬢として誰もが認める存在。 だが、王太子は子爵令嬢マリアンヌと親交を深め、エレーヌを蔑ろにし始める。 自分は不要になったのかもしれないと悩みつつも、エレーヌは誇りを捨てずに、婚約者としての矜持を守り続けた。 やがて起きた事件をきっかけに、王太子は失脚。二人の婚約は解消された。

公爵令嬢ローズは悪役か?

瑞多美音
恋愛
「婚約を解消してくれ。貴方もわかっているだろう?」 公爵令嬢のローズは皇太子であるテオドール殿下に婚約解消を申し込まれた。 隣に令嬢をくっつけていなければそれなりの対応をしただろう。しかし、馬鹿にされて黙っているローズではない。目には目を歯には歯を。  「うちの影、優秀でしてよ?」 転ばぬ先の杖……ならぬ影。 婚約解消と貴族と平民と……どこでどう繋がっているかなんて誰にもわからないという話。 独自設定を含みます。

次代の希望 愛されなかった王太子妃の愛

Rj
恋愛
王子様と出会い結婚したグレイス侯爵令嬢はおとぎ話のように「幸せにくらしましたとさ」という結末を迎えられなかった。愛し合っていると思っていたアーサー王太子から結婚式の二日前に愛していないといわれ、表向きは仲睦まじい王太子夫妻だったがアーサーにはグレイス以外に愛する人がいた。次代の希望とよばれた王太子妃の物語。 全十二話。(全十一話で投稿したものに一話加えました。2/6変更)

良いものは全部ヒトのもの

猫枕
恋愛
会うたびにミリアム容姿のことを貶しまくる婚約者のクロード。 ある日我慢の限界に達したミリアムはクロードを顔面グーパンして婚約破棄となる。 翌日からは学園でブスゴリラと渾名されるようになる。 一人っ子のミリアムは婿養子を探さなければならない。 『またすぐ別の婚約者候補が現れて、私の顔を見た瞬間にがっかりされるんだろうな』 憂鬱な気分のミリアムに両親は無理に結婚しなくても好きに生きていい、と言う。 自分の望む人生のあり方を模索しはじめるミリアムであったが。

新妻よりも幼馴染の居候を優先するって、嘗めてます?

章槻雅希
恋愛
よくある幼馴染の居候令嬢とそれに甘い夫、それに悩む新妻のオムニバス。 何事にも幼馴染を優先する夫にブチ切れた妻は反撃する。 パターンA:そもそも婚約が成り立たなくなる パターンB:幼馴染居候ざまぁ、旦那は改心して一応ハッピーエンド パターンC:旦那ざまぁ、幼馴染居候改心で女性陣ハッピーエンド なお、反撃前の幼馴染エピソードはこれまでに読んだ複数の他作者様方の作品に影響を受けたテンプレ的展開となっています。※パターンBは他作者様の作品にあまりに似ているため修正しました。 数々の幼馴染居候の話を読んで、イラついて書いてしまった。2時間クオリティ。 面白いんですけどね! 面白いから幼馴染や夫にイライラしてしまうわけだし! ざまぁが待ちきれないので書いてしまいました(;^_^A 『小説家になろう』『アルファポリス』『pixiv』に重複投稿。

処理中です...