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77.最期の選択
しおりを挟むエヴァンス公爵家の皆が夕方には戻る筈と、使用人達が邸の掃除に気合いを入れていた頃、突然招かれざる客が訪問した。
「ベンジャミン様、ファーガソン様、門の外にどなたかいらしておりますが…」
執務室に飛び込んで来た侍女は、少し怯えていた。
「どなたかな?ベンジャミン様、私がちょっと見てきます。」
「頼みましたよ。念の為、護衛騎士にお声掛けください。」
「承知いたしました。」
ファーガソンが門を見に行くと、そこにはレオリックが立っていた。
ブランフォード侯爵家に居た時は、身綺麗にしていたレオリックは、頬は痩け無精髭を生やし、服も綻びが多数見受けられた。
「貴方は…!」
「ファーガソン、そたなもここに居たのか。」
「はい…あの日、ブランフォード侯爵家を辞して歩いていたところを、エヴァンス公爵様とエミリオン公子様に拾っていただきました。」
レオリックは門にしがみ付き叫んだ。
「この嘘吐きがっ!最初からこうするつもりだったのだろう?計画的だったんだろう?
そんなことより、ヴェリティを出せっ!!」
「奥様は、皆様とご旅行中でございます。」
「はっ!俺にこんな想いをさせて、暢気に旅行中だと!?
あの女、俺が拾ってやらなかったら、今頃行き遅れの伯爵令嬢だったくせに!!それに、エミリオンとデキてたくせに!!」
「お黙りなさい!!!」
ファーガソンは、初めてレオリックに口答えをした。
「貴方は!ヴェリティ様がどれだけブランフォード侯爵家に尽くしてきたか、まだ分からないのですか!?
先代の侯爵夫人に素直に従い、執務を熟し、双子のお嬢様を育てて、ブランフォード侯爵家を護ってきたのはヴェリティ様ではないですか!
確かに、貴方が外に出て事業を拡大した実績は認めますが、取り引き先にいい顔をして飲み歩き、娼館で気晴らしをしている間も、ヴェリティ様は家ブランフォード侯爵家を護ってくださっていたのです。
そして、命の危機に陥った時、エヴァンス公子様はヴェリティ様をお救いくださいました。
それはそれはあたたかい愛情で、ヴェリティ様やお嬢様方を受け入れ、皆様はやっと幸せを掴まれたのです。
それ以前は、絵画の指導以外の関わりは、一切ありませんでした。
決してヴェリティ様は不貞を働いた訳ではありません!
貴方は、今更ヴェリティ様にお会いしたいと?
一体どの面下げて、ここまで来たのですか!?
好き勝手してきた貴方が、ヴェリティ様を貶めたり、会いたいなどと仰ることは、断じて許されない!」
レオリックは、たまの女遊びまでファーガソンが知っているとは想像もしていなかった。
自分を侯爵として敬い、家も事業も、全て順風満帆だと思っていたのだ。
冷静になって考えれば、金銭の収支までヴェリティやファーガソンに丸投げしていたのだ。
ファーガソンがヴェリティに秘密にし、こっそり処理していたのだろうと想像はつく筈だ。
しかし、今のレオリックは、そんなところにまで気が回らない。
「愛人まで連れ込み、ヴェリティ様を顧みることなく粗雑に扱った貴方を、リオラお嬢様やリディアお嬢様を気に掛ける素振りすらしない貴方を、私は主人とは思えなくなりました。
先代の侯爵様には、貴方が幼い頃からお世話になりましたが、あの日あの瞬間、私の抱いていた尊敬の念や忠誠心や情さえも消え失せました。
私のご主人様は、エヴァンス公爵家の皆様です。
ヴェリティ様もお嬢様方も、エヴァンス公爵の一員です。
没落したブランフォード侯爵家の貴方ではない!」
それが、ファーガソンがレオリックに掛けた最後の言葉だった。
どんなに胸が痛もうと、涙が滲もうと、レオリックに優しい言葉を掛けるには手遅れだったのだ。
ファーガソンが目で合図すると、門がさっと開き、呆然とするレオリックを騎士が捕らえた。
「この者を地下牢へ。」
「ファーガソン…」
レオリックの呟きに、ファーガソンが応えることはなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
その夜、たくさんの土産を手に帰宅したグラナードに、ファーガソンはレオリックのことを伝えた。
「ファーガソン、よくやった。後処理は私がする。ヴェリティや双子達には秘密だ。」
そのままグラナードは、地下牢へと足を向けた。
ファーガソンの言う通り、侯爵だった面影もなく、ただの薄汚れた男がそこに居た。
「貴様が選んだ答えは、これか?」
二つの選択肢ではなく、ヴェリティを求めて、のこのこエヴァンス公爵家までやって来たレオリック。
「ヴェリティに会いに来た。」
「何故?」
「………………」
黙り込むレオリックに、グラナードは疑問を打つける。
「ハーレント公爵家の地下牢に居た筈だが?与えた選択肢も選ばず、何故ここに来た?」
「ヴェリティに会いに来た。あいつだって、俺がどうしているか、気になっている筈だ!」
「離れに愛人を連れ込んで、ヴェリティ達を気に掛けなかった貴様が、今更ヴェリティに気に掛けてもらえるとでも?」
「それでも!夫婦だったのだから!!」
グラナードは、これ以上は何を言っても無駄と判断した。
「この期に及んで詫びる言葉の一つもないなら、ここまでだ。貴様に最後のプレゼントだ。飲めば、あっという間に死ねる薬だ。
ここで餓死するか、すぐ死ぬかの違いだ。」
グラナードは、レオリックをひと睨みし、そのまま背を向けた。
「ヴェリティに会わせろ!!!」
レオリックの声は、もう誰にも届かない。
グラナードの足音が聞こえなくなるまで、レオリックはじっとその方向を見つめていた。
「何で、何で、こんなことに…ヴェリティ…ヴェリティ…」
レオリックは、ヴェリティに会いたかった。
本気で愛した妻に、ひと目だけでも。
儚げな女だった。
俺が守ってやらなければならないと思っていた。
でも、侯爵夫人となり母となり、いつしかヴェリティは、レオリックが守らなくても平気な存在になっていた。
オーレリアを離れに連れて来る話をした日、ヴェリティはあっさりと寝室を分けた。
ヴェリティの気持ちなど想像することもせず、その日から、レオリックにはヴェリティが遠くなったような気がした。
寂しさを認められないまま、意地になっているうちに、オーレリアが嫡男を出産し、ヴェリティを更に無視するようになってしまった。
あんなに愛していたのに。
窓もない地下牢で、どの位時間が過ぎたのか。
考えることに疲れたレオリックは、エヴァンス公爵が置いていった薬を手にした。
選択肢は、最初からこれしかなかったのかもしれないとも思えた。
「もう…何もないのだな…俺が全部壊したのか…」
レオリックは、静かに無色透明な液体を飲み干した。
意識が途切れる瞬間、頭に浮かんだのは、他の誰でもなく、ヴェリティの笑顔だった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
執務室に戻ったグラナードは、ハーレント公爵に手紙を書いた。
『あの男を地下牢から逃した者が居る。処分は貴殿に任せる。』
後日、リリアンがひっそりと修道院へ送られた。
建前は病による療養だが、グラナードは敢えて問い詰めることはしなかった。
エミリオンを諦め切れず、レオリックがヴェリティを攫えばいいとでも思ったのだろう。
公爵令嬢としての資質の欠片もない娘だった。
ハーレント公爵も苦渋の決断を強いられたが、やはり公爵家の主だったということだろう。
この先、顔を合わせても、お互いにこの件に触れることはない。
それがレオグラント帝国を支える柱としての公爵家の在り方だから。
そして、冷たくなったレオリックの遺体は、隠密に無縁仏を葬る墓地に埋められた。
このことだけは、関わった者達に誓約書にサインをさせ、厳重な箝口令を敷き、グラナード一人の心に閉じ込められた。
ブランフォード侯爵家は、この国から完全に消えた。
ヴェリティの夫、双子達の父は、エミリオン・エヴァンス唯一人でいい。
エミリオンが、ヴェリティをブランフォード侯爵家から連れ出してから、たくさんのことが起こったが、これで漸くカタが付いた。
あとは、ヴェリティや双子達が過去を振り返る暇もない程、幸せにしてやればいい。
グラナードは、一人、ワイングラスを傾けながら、やっと肩の荷が下りた気がした。
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