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78.喜びと不安と、自称悪女
しおりを挟む家族旅行から戻り、レオリックの死は知らされないまま、それぞれの日常に戻っていた。
ヴェリティとエミリオンは訓練所で見習いの侍女や騎士や庭師を育て、グレイシアはサイファと正式に婚約した。
双子達も学園で学び、グラナードやファビオラも執務に勤しむ。
そんな穏やかな日々を過ごしつつ、ヴェリティは覚えのある体調不良を感じていた。
(もしかして…これは…)
食事の時間に感じるむかつきは、恐らく妊娠だろう。
でも、勘違いだったらどうしようかと数日悩んでいるうちに、ある日の夕食時にふらりと椅子から崩れ落ちるように倒れてしまった。
「ヴェリティ!!!医者を頼む!」
既のところでエミリオンが抱き止め、急いで寝室に運ぶ。
青白い顔をしベッドに横たわるヴェリティに、エミリオンはブランフォード侯爵家の離れから連れ出した記憶が蘇る。
(ヴェリティ…無理をしていたのか…?いや、気付かぬうちに、俺が無理をさせていたのだろうか…すまない、ヴェリティ…)
エミリオンが不安に思っていると、グラナードが叫んだ。
「エミリオン、医者が来たぞ!」
「早く!ヴェリティを!!」
「あっ…エミリオン様…」
「ヴェリティ、気が付いたか。医者が来た!すぐに診てもらうから!!」
ヴェリティは、医者のイリスを手招きし耳打ちすると、こくりと頷いた。
「エヴァンス公爵様、公子様、しばらくお部屋の外にお願いいたします。」
「はっ!?何で?」
明らかに不機嫌になったエミリオンに、ヴェリティは優しく話す。
「エミリオン様、少しだけ。私は大丈夫ですから、ほんの少しだけイリス先生の言うことを聞いてください。」
「ーーっ!?わ、分かった。ヴェリティがそう言うなら…」
エミリオンとグラナードが退室すると、イリスは丁寧にヴェリティを診察した。
「奥様の仰る通り、ご懐妊でした。おめでとうございます。」
「やはりそうでしたか。ありがとうございます、イリス先生。
これから、よろしくお願いいたします。」
「はい、元気なお子様にお会いしましょうね。
しかし、私が女医で良かったです。
男性の医者だったら、公子様に疎まれそうですからね!」
「ふふっ、そうだったかもしれませんね。」
「体調が良くなかったら、朝夕深夜、いつでもお呼びください。すぐに駆け付けます。
そろそろ公子様をお呼びしますね?きっとお喜びになるでしょう。」
「私から伝えたいので。」
「承知しております。」
イリスは微笑んで部屋を出て、入れ替わりにエミリオンが入って来た。
「ヴェリティ…また過労か?それとも、何か別の病気か…?今の体調は??」
矢継ぎ早に話すエミリオンを、ベッドに誘う。
「エミリオン様、こちらに座って?」
エミリオンは、真っ白な顔で、ヴェリティの横たわるベッドに腰掛ける。
「エミリオン様とのお子を身籠りましたの。」
ヴェリティは頬を染め、しっかりとエミリオンの顔を見た。
ぽかんとした顔のエミリオンは、しばし言葉を失うが、その琥珀色の瞳にじわりじわりと涙が浮かぶ。
「ヴェリティ…ありがとう…俺達の子か…」
エミリオンは拭うことなく、大粒の涙は頬を濡らしていく。
そんなエミリオンをヴェリティは見つめていた。
その時ドアが開き、ファビオラが顔を覗かせた。
「ヴェリティ、具合は!?」
「お義母様、お子を身籠りました。」
「やっぱり、そうだと思ったわ!おめでとう!!
そして、ありがとう!ちょっと皆に知らせてくるわ。
リオラやリディアに手紙も書かなきゃ!!
グラナードォォォ、グレイシアァァァ、おめでたよっ、ヴェリティがやったわぁぁぁ!!」
ファビオラは、珍しく淑女を放棄し、叫びながら走って行った。
「お義母様ったら!あはははっ!!」
ヴェリティが笑い声を上げても、エミリオンはまだ放心状態だった。
「エミリオン様、大丈夫?」
「あっ…ああ、大丈夫だ。嬉しくて、胸がいっぱいなんだ…」
ヴェリティは、エミリオンの涙を指で掬い、愛おしげに頬を撫でた。
「エミリオン様は優しくて良いお父様になりますね。
今もリオラやリディアの良き父親ですもの。」
「俺、頑張るよ。リオラやリディアと区別することなく、皆の頼れる父になりたい。」
「大丈夫ですよ、エミリオン様なら。」
ヴェリティはエミリオンの濡れた頬に口付けた。
その瞬間、ドアががばっと開き、グレイシアが飛び込んできた。
「ヴェリティさまっっっ!おめでとうございます!!
って、タイミング悪かったかしら!?」
「大丈夫ですよ。グレイシア様、ありがとうございます。」
グレイシアもベッドに座り、ヴェリティの顔色を観察した。
「真っ青だったから心配しましたのよ?
でも、今は顔色も良くなって、安心しました。
あれ!?お兄様、泣いていらしたの?
これからは、三児の父親になるっていうのに!
もう、この人ったら、普段は冷血漢なくせに、ヴェリティ様のこととなると、ほんとに感情が動きまくりでっ!!
今からそんなんでどうするの?しっかりなさって!
出産は女の命懸けの仕事なんですからね?」
「分かってるよ。嬉しいけど…だから怖いんだ…代わってあげられないから…ヴェリティに何かあったら、俺は…」
エミリオンは、出産のリスクも想定して、感情が揺れ動いていたのだ。
それに気付いたグレイシアは、エミリオンの頬を叩いた。
ぺしっ!ぺしぺし、ぺしっっっ!!
「お兄様が不安がってどうするの!?
お兄様が今から出来ることは、ヴェリティ様に寄り添って、体調を気遣って、優秀な医者を手配して、産まれて来るお子の為に部屋でも改装することでしょう?
赤子に必要な物も揃えて、楽しみに待っていること!!
今この瞬間から、不安なんて一切持たないこと!
ヴェリティ様はお兄様が思うより弱くないわ。
きっと可愛らしい赤子に会わせてくださるから!!
ぐだぐだ悩んでいないで、しっかりしなさい!」
エミリオンは、はっとしてグレイシアを見た。
「そうだな、ヴェリティは強い人だった。すまない、ヴェリティ、グレイシア。」
「そう来なくちゃね!お兄様、私がデルーミアに行ったら、こうはいかないんだから、しっかりしなさいよ?」
「分かったよ。口うるさいお前に、叱咤激励までされるとはなぁ…はぁ…すまない。」
ヴェリティは、グレイシアにしか出来ない兄妹の絆を見せられた気がした。
自分にも血の繋がった兄や異母弟達が居るが、こんな関係は築けなかった。
「何だか羨ましいです、エミリオン様やグレイシアが…
兄妹って、遠慮もなくて素敵なお二人ですね。
産まれて来る赤子も、リオラやリディアと、そんなふうになったらいいなぁ。」
「大丈夫ですわ!リオラやリディアもエヴァンス公爵家の子ですもの!!
絶対に赤子を可愛がりますわ。私が保証します!」
「グレイシア様にきっぱり仰っていただくと、本当にそう思えます。ありがとうございます。」
「ほんとだな!グレイシア、ありがとう。」
「いえいえ、当然のことをしただけですわ!
叩いて、ごめんなさいね、お兄様。」
「気にすんな。俺にそんなこと出来るのは、お前だけだ。おかげで目が覚めたよ。」
「気合いを入れて欲しかったら、いつでも仰って?
今度は、このグレイシア様が容赦なく、グーで殴って差し上げてよ?ふふふ!」
「そ、それは、遠慮する!」
エヴァンス公爵家の自称悪女は、誰よりも家族思いだった。
この優しい義妹に、ヴェリティはずっと支えられてきた。
グレイシアが居たから、ヴェリティは心にしまっていた言葉を口に出来るようになったのかもしれない。
ヴェリティは、グレイシアがいつか母になる時、必ず支えになろうと心に誓ったのだった。
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