魔法が使えない女の子

咲間 咲良

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まよいの森で大ピンチ

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「おじゃまします!」

 お店の扉を勢いよく開けるとホコリが舞い上がった。カウンター席にいたルシウスさんがビクッと体を震わせる。

「きみは、エマちゃんだったね。いらっしゃい」

 口の端によだれがついている。寝ていたのかしら。お客さんあまりいないのね。

「こんにちは。アレンいますか?」

 つま先立ちして身を乗り出すと、ルシウスさんは青い目をぱちぱちと瞬かせた。

「アレン、あぁ、うん、いるよ。えーと、エマちゃんとはどういうご関係?」
「友だちです!」
「ともだち……あぁそうなんだ」

 なにをそんなにびっくりしているのかしら。友だちが遊びに来たっていいじゃない。

「アレンなら奥の書庫にいるよ。でもかくれんぼしているんだ、見つけられるかな」
「ありがとうございます、だいじょうぶです!」

 昨日みたいな隙間からじゃなく、ちゃんと奥への扉を開けてもらって中に入った。うーん、たくさんの本の匂い。よく見ると二階にもスペースがある。

 一階をだーっと走ってアレンがいないことを確認したわたしは、二階へとつづくハシゴをよじのぼった。
 斜めの窓から差し込む光の下に隠れるようにしてアレンが本を読んでいる。相変わらずお腹が痛いみたいに体を丸めて。


「ア・レ・ン」


 声をかけて横に座った。
 すぐにはこっちを向かないと思ったので、近くにあった本を引っ張り出す。昨日みたいにいきなり飲み込まれたら大変なので、ためしに一、二ページめくって異変がないことを確認してみた。だめね、文字が消えてしまうわ。


「……なんだよ」

 やっとアレンが顔を向けてきた。待ってました。

「アレン、今日はありがとう」

「なにが」

 ぱら、とページをめくりながらも意識がわたしに向いているのがわかる。

「さっき助けてくれたでしょう」
「さぁ、知らないな……。噴水の故障じゃないのか」
 ふふ、素直じゃないんだから。

 エドガーたちびしょ濡れになって大変な騒ぎだったのよ。
 ただし、わたしだけは一滴も濡れなかった。だからアレンの魔法だと確信したの。どういう理由かわからないけれどアレンの魔法はわたしには効かないみたいだから。

「でもどうしてエドガーにいじめられていたことがわかったの?」

「おしえない」

「あ、わかった。『のぞき見する魔法』を使ったんでしょう?」

「はぁ!? だれがエマなんかのぞき見するんだよ」
 ぱたん、と乱暴に本を閉じたアレンだったけれど、怒っているわけではないみたい。

「エマの教室には金魚の水槽があるだろう。ちょっと集中すれば水ごしに見たいものが見えるんだよ。これがギフトなんだろうな」

「へぇー。じゃあ水があればなんでも見聞きできるのね、すごーい」

 空を飛んだり動植物の声を聴いたりするギフトはよく聞くけれど、水は初めて。アレンには驚かされることばっかり。

「べつに……、いいことばかりじゃねぇよ。下手したらトイレとか、洗面所とか、まちがえて人の体の中で血になっていることもあるんだから」

「それは大変ね」

「ちなみにろうそくに火つけたのもおれだから」

「えっ」

「これで昨日の借りは返したからな」

 立ち上がったアレンはどことなくすっきりした顔で一階へと降りていく。わたしが追いついたところで一冊の本を取り出し、机の上に置いた。真っ黒な装丁の分厚い本で、表には糸くずみたいな文字と白と黒の竜が描かれている。

「これが昨日の本? タイトル……読めないわ。ミミズみたいな文字」

「古い言葉で『二匹の竜の物語』って書いてあるんだよ」

「読めるのね。すごーい」

 すごい、って褒めるたびにアレンの頬がちょっと赤くなる。照れてるのね。

「レイクウッド王国には二匹の竜の話が伝わっているんだ。昔、大きな戦争があって、たくさんの人々が逃げてきた。深い森の中にある湖のほとりまで来たところで敵に追いつかれそうになったけど、白と黒の竜があらわれて助けてくれたらしい。人々は竜に感謝して国をおこし、レイクウッド王国と名づけて二匹の竜を王家の紋章にした。この竜の眼がエメラルド色だったから、いまでもこの眼をもつ人間は魔力が強いとされているんだよ」

「へぇー。全然知らなかったわ」

 カナリア島とレイクウッド王国はかなり離れているから、あまり関わりがないのよね。


「勉強はこのくらいにして、いくんだろ」

 アレンが本の上に右腕をかかげた。そこにピンク色のリングがはまっている。

「うん、もちろんよ」

 わたしも同じようにして腕をかかげる。

 ところで気づいた? アレン、わたしのことを『エマ』って呼んでいるのよ。昨日までは『おまえ』としか呼ばなかったアレンが。これは大いなる進展だわ。テストで百点もらっていいくらいの。


 ふたつのリングが光るのと同時に本自体も光りかがやき、辺り一面がまっしろに染まっていく――。


 ※


 ふわ、と地面に降り立った。今回はちゃんと土のあるところだわ。

『ばふ、おかえりわわんっ』

 頭上からスピンが降ってくる。受け止めなくちゃ、と手を広げて走り回っていたらコツン、となにかにつまずいた。あっ、と思ったときには体が投げ出されている。

「『クッションの魔法』」

 ぼふん、とやわらかいクッションに受け止められたお陰でケガはしなかった。そのかわり、ごん、と音がしてスピンが地面に直撃する。
 あわてて抱き起すと涙目になっていたので頭をさすってあげる。

「スピン、だいじょうぶ!?」

『ばふ、スピンもクッションで受け止めてほしかったわわん……』

「悪いな。おれの魔力も無尽蔵じゃないんだよ、イヌ」

 くるりと背中を向けてしまったアレンだけど、ちょっぴり楽しそう。わたしはスピンを抱きかかえて後ろをついていった。


 ここはどこかしら。
 深い森の中を、わたしたちは歩いている。
 緑が濃い葉っぱがたくさん折り重なって空を隠し、時々隙間から太陽がのぞく。風が吹き抜けると、さわさわと木々たちが合唱しているみたい。

「ねぇスピン、ここはどこ?」

『第二章、『まよいの森』だわわんっ』

「まよいの森? こんなに穏やかなのに」

 踏み固められた茶色い地面をぐんぐん進んでいくとアレンが突然立ち止まった。

「どうしたの? ヘビでもいた?」

「ちがう。変なものがあるんだ」

 けわしい声を上げるので後ろからのぞき込むと、森の開けたところにびっしりと四角いタイルが並んでいた。近くまでいって様子を探ってみる。

「なにかしら、これ。まるでお風呂場のタイルみたいね」

『文字みたいなものが描いてあるわわんっ。これがきっと『試練』だわわんっ』

 百……二百はあるかしら。びっしりと連なったタイルの向こうに道がつづいている。

「あ、ねぇアレン。足元になにか書いてあるわ」

 わたしたちの足元には小さなタイルが五つ並んでいて、『キヲツケロ』と読める。

「どういう意味かしら?」
「さぁな」

 アレンは左右の森の中にちらっと視線を向けた。

「この道をよけていく選択肢はなさそうだな。ずいぶんと深そうだ。獣の気配もする」

「だいじょうぶよ。ここを通ればいいだけでしょう。ズンズン行きましょう。スピンはここにいてね。まずは一歩目」

 ひとつめのタイルを踏んだ途端にぽわんと青く光ったので何事かと思ったけれど、特にそれ以上の変化はない。


「おい、あんまり調子に乗るなよ」

 アレンが不安そうに見ていたので「平気平気!」と手を振ってもう一歩踏み出した。なんともない。さらにもう一歩。

「なぁんだ、なにも起きないじゃない。ただ舗装してあるだけみたいね。歩きやすくてラクチンラクチン」

 五個目のタイルにぴょん、と飛び乗ったときだった。
 ぶー!って甲高い音がしてタイルが赤く点滅しはじめた。


「うそ、タイルが!」

 点滅していたタイルがふっと消えたの。まるで煙みたいに。その下は濁った水が泥みたいになっていて、わたしの足先からするすると吸い込まれていく。まるで底なし沼だわ。

『ばふ、エマ!』

 みるみるうちに胸のあたりまで浸かってしまったわたしの袖をスピンがくわえて引っ張ってくれる。

「エマ、反対側の手をだせ!」

 アレンもすごく真剣な顔つきで腕を伸ばしている。

「なにしてんだよ、早くしろ」
「う、うん」

 アレンに向かって伸ばした手が、痛いくらいに握りしめられる。
 あ……震えているの、アレン。なんでかしら、ちょっと泣きたくなった。


「せーので引っ張るぞ、イヌ」
『ばふっ』
「せーの!」

 少しずつ体が引き上げられていく。ようやく体全部が上がったときにはわたしもアレンもスピンもへとへとで、ふつうの地面があるところまで戻ると座りこんでしまった。畑から引っこ抜かれた大根ってこんな気持ちなのかしら。


「――バカ!」

 アレンが怒鳴った。
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