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真夜中の恋人 8
しおりを挟むAct 3
ほろ酔い加減も、初夏の夜風に飛ばされたようだ。
街路樹も青々とした葉をつけて、ゆっくりとざわめいている。
千雪は一旦自分の部屋に戻り、タンクトップとジーンズに着替え、ダンガリーシャツを羽織って出直してきた。
乃木坂駅の階段を上がって数分、青山プロダクションのエントランスに立って見上げると、夜の九時にもかかわらず二階のオフィスにはまだ煌々と灯りがついていた。
「こんばんは」
オフィスのドアを開けると、工藤は奥のデスクに腰を掛け、相も変わらず電話で怒鳴り散らしていて、いつもにこやかで優しそうな鈴木さんが出迎えてくれた。
「あら、小林先生、いらっしゃいませ」
「あの、先生はちょっと、ただの小林でええです」
千雪が訂正を促すと、鈴木さんは、ほほほと笑い、「紅茶にしましょうね、美味しいクッキーをいただいたので」とキッチンに向かう。
「お構いなく」
何だかこのだだっ広い空間に、千雪はほっとする。
ある意味自分で演じている別の自分がいる環境に息が詰まったような気がして、だから本当の自分でいられるこの場所を見つけたことが楽なのかもしれない。
いや、それだけではないことはわかっている。
面倒な感情の渦に巻き込まれるのが嫌で、工藤から呼び出しを受け、ここぞとばかりに逃げ出してきたのだ。
あの速水という京助のお友達にしろ、元カノだがどうやら未だに京助を好きらしい文子という美女にしろ、はっきり言って関わりあうのは真っ平ごめん、だ。
千雪は窓際のソファに座って、テーブルの上にあった雑誌を何気なくぱらぱらとめくる。
最新の女性誌の表紙を飾る女優は、名前は知らないが駅のポスター広告か何かで見た記憶があった。
千雪の前に芳しい香りの紅茶とクッキーが並ぶ小皿が置かれた。
「おおきに。今夜も残業ですか? 大変ですね」
「いいえ、私はオフィスにいるだけですから。工藤さん、今、お忙しい時ですしね」
鈴木さんがトレーを持ってキッチンに引っ込んだその時、勢いよくオフィスのドアが開いた。
入ってきたのは背が高い栗色の髪をひっつめにした年配のスーツの女性である。
この人やないよな? ヒロイン候補て。
漠然と見上げた千雪だが、その人は無遠慮にジロジロと千雪を見下ろした。
「平、何の用だ?」
どうやら工藤もこの女性の出現には驚いたようで、電話を切って立ち上がる。
てことは、またしても修羅場?
千雪は心の中でそんなことを呟いた。
実は春にも似たようなシチュエーションで飛び込んできた美女がいたのだ。
「工藤さん、村田ゆかり、もう一度考えてみてくれない?!」
だが用件はまた別の話のようだった。
「もう話はついているはずだ。あの役はあいつには荷が重すぎる。村田に才能がないとは言わない。だが、今ここでは早すぎる」
工藤はかなり苦々しい表情で言い放つ。
「大丈夫。私が何とかしてみせるわ。お願い、もう一度チャンスをちょうだい」
平と呼ばれた女性は揺ぎ無い口調で言い切った。
「仕方ないな。やってみろ」
渋い表情のまま、工藤は言った。
「ありがとう。あなたを後悔させるようなことはしないわ」
女性は踵を返し、オフィスを出る前に千雪を見ながら言った。
「その子、新しいモデル?」
工藤は一瞬迷い、「……いや」とだけ言った。
「ああ、わかった、この子ね? 山之辺芽久から乗り換えたって子」
「ああ、まあ、そうだ」
工藤の台詞にぎょっとして千雪は振り返る。
ちょお待て! 何やねん、それはまた!!!
口に出したいところをぐっと堪えて、工藤を睨みつける。
女性はフフンと笑って出て行った。
「あ、おい、平!」
工藤は電話に向かいかけて、何かを思いついたようで、女性を呼んだが、既に階下に降りてしまったらしい。
「こんばんは」
そこへまたひとり、美人が現れた。
あれっと思って、千雪が手元の女性誌を見ると、表紙を飾っているその人だった。
「万里子、ちょっと、平に用があるから待ってろ」
慌てて工藤はオフィスを出て行った。
「なあに? 平さん、またタレントさんのごり押し?」
入れ替わるように入ってきた万里子と呼ばれた美人は鈴木さんに確かめるように言った。
「ほほほ、さあ……。今、お紅茶入れますね、万里子さん」
「ありがとう」
千雪が少し感心したのは、鈴木さんだ。
何があっても動じない、常に穏やかそうに見える。
と、今度は万里子と目が合った。
「こんばんは、小野万里子です。あなた、新しいモデルさん? 女優さん?」
千雪はフウと一つ溜息をつく。
「小林です。モデルでも女優でもありませんよ、俺は」
一瞬間があった。
「ウソ! びっくり! ごめんなさい、男の方だったの? だって、すんごいきれいだし。さっき工藤さんも、新しい彼女ってそうだって言ってたでしょ? え、あ、そういうこと? 男の子でもありだもんね」
「勝手に誤解せんといてください。あれは工藤さんのでまかせやから。君こそ、工藤みたいなオッサン、やめといた方がええん違います? いつかの人の二の舞にならんうちに」
きっぱりと否定してから、ここにきてまで面倒な人間模様に付き合わされた千雪はつい余計なことを口にしてしまう。
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