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Tea Time 8
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しっかり覚えている。
自分にとって幸也は近くにいるのに到底手の届かない遠い存在だと思っていた。
自分など、幸也にとってちょっとからかう程度の振り向いてくれるはずのない存在だったから、どうせなら徹底的に嫌われてしまえ……と。
学園を去る幸也がどれほどの決意で志央への愛を断ち切ったかと、その心に思い馳せながら、それでも勝浩は幸也が好きだった。
いきなり留学したと聞いた時、心がなくなってしまえばいいのにとさえ考えた。
涙が頬を伝ってシーツに落ちる。
ふいに、幸也がまたどこかへ行ってしまうのではないかという不安にかられ、勝浩はからだを起こして投げつけた携帯を慌てて拾う。
「あやまろう! タケさんに固執してたわけじゃないって」
やっぱり幸也さんに車譲ってもらいたいって。
金銭感覚なんかなくたって、そんなものどうだっていいんだ。
幸也さんならいいんだ。
携帯を拾い上げ、幸也の名前をタップしようとして、一瞬、指が止まる。
「……………………だめだ」
やっぱり…………あの人と俺じゃだめだったんだ。
うまくいくはずなんか、なかったんだ。
「ほんとに、バカだよな、俺」
ため息とともに自嘲しながら、勝浩は溢れ出る涙を拳で拭う。
所在無く動かした指は、見慣れた番号を押していた。
『よう! どうだ? 楽しんでるか?』
コール二回で、夜中というのにハイテンションな声が聞こえてくる。
「夜分にすみません、あの、車いつお返しにあがろうかと思って」
『ああ、いいよ、返さなくて』
「え、そういうわけには…」
『何、まだ迷ってるの? 勝っちゃんになら超お安くしとくよん。ある時払いでOK』
明るい武人は確かに頼りがいがあって安心できる存在だ。
「また、そんな」
『いや、ほんと。邪魔じゃなければ使ってれば? 気にしなくていいからさ。あの大家さんなら、必要な時にはタクシー代わりに使ってくださいとかってちょっとまるめこんで、駐車料ただにしてもらうとかさ』
調子のいいことを言ってカラカラと笑う武人に勝浩も苦笑せざるを得ない。
「わかりました、じゃあ、邪魔になったらまたお返しにあがりますね」
『おいおい、勝っちゃん~~。と、そだ、最近幸也のやつと会った?』
ドキッと勝浩の心臓が跳ね上がる。
「いえ………」
『そっか、だからだな~~、こないだ、あいつ妙に落ち込んでると思ったら、病気らしくて』
「……! 病気って、どうしたんです?! 幸也さん、まさか入院とか…」
思わず頭がパニクって、勝浩は声を上げる。
『病名はどうやら「勝っちゃん欠乏症」ってゆうらしい』
「……ば……バカみたいなこと言わないでください!」
からかわれたとわかって、からだの力が抜ける。
『ハハ……ワリィワリィ。でも、いやほんと、そんな感じ。しょーもねーやつだけどさ、見限らないでやってよ』
「見限るのはきっと幸也さんの方ですよ」
『え? なんだって?』
「いえ。飲みすぎ吸いすぎ要注意ですからね。じゃ、おやすみなさい」
何かまだ言いたそうな武人にきっぱり告げて、勝浩は携帯を切る。
武人相手になら、何も考えずにしゃべることができるのに。
「あ~あ……」
しばらくベッドに寝転がっていたがなかなか寝つけず、勝浩は冷蔵庫の缶ビールを一本取り出した。
カーテンの隙間から見える月を眺めながらビールを飲み終える頃には、ようやくうとうとと不安げな眠りが訪れた。
秋晴れのある朝、といってももう十一時に近くなっているが。
武人が歩いていたのは、世田谷は用賀の閑静なたたずまいである。
その一角にある門には花で飾られた『Nao Candy House』という木彫りのプレートがかかっている。
チャイムを押して門を一歩踏み入れるとまるでミスマープルの家の庭にでも迷い込んだかのような錯覚に襲われる。
秋色の木立に守られるようにコスモス、デルフィニウム、ジニアリネアリス、ナチュラルガーデンを彩るピンク、青、黄色の花が真っ盛りだ。
あちこちに置かれたコンテナには花があふれ、ベンチやテーブルをさりげなく彩っている。
明るい黄色の花をつけたつるバラのアーチをくぐり、カンパニュラに覆われた石段を数段上がると、オフホワイトの壁や高い窓、鉢植えを左右に配した白い玄関ドアが見えてきた。
「あら、いらっしゃい! 久しぶりね~タケちゃん」
ドアが開いて武人を出迎えたのは、ゴールデンレトリバーとトイプードルの二匹と、この可愛いイギリス庭園がある家の主、城島奈央である。
既に五十代にも手に届くはずだが、年齢不詳の美貌は衰えることなく、明るく可愛らしい笑顔は料理研究家としての人気の重要な要因であろう。
「奈央さん、ちょと早かった? まだあいつらきてないんだ?」
「いいのよ、もう準備はできてるわ。あの子たちが来る前にお昼いかが? 今日は冷たいパスタ。ちゃんとケーキも焼いてあるわよ」
「うおっ! ヤタッ! ぐぐっと腹がなるぅ。奈央さんのケーキって最ッ高にうまいっすからね! 楽しみ~。やつらが来る前に食うぞっ!」
「ふふ、でもまた、喧嘩しないでよ~」
奈央に続いて武人がリビングに入っていくと、奈央の助手を務めるスタッフが数人くつろいでいて、武人の顔を見ると会釈した。
自分にとって幸也は近くにいるのに到底手の届かない遠い存在だと思っていた。
自分など、幸也にとってちょっとからかう程度の振り向いてくれるはずのない存在だったから、どうせなら徹底的に嫌われてしまえ……と。
学園を去る幸也がどれほどの決意で志央への愛を断ち切ったかと、その心に思い馳せながら、それでも勝浩は幸也が好きだった。
いきなり留学したと聞いた時、心がなくなってしまえばいいのにとさえ考えた。
涙が頬を伝ってシーツに落ちる。
ふいに、幸也がまたどこかへ行ってしまうのではないかという不安にかられ、勝浩はからだを起こして投げつけた携帯を慌てて拾う。
「あやまろう! タケさんに固執してたわけじゃないって」
やっぱり幸也さんに車譲ってもらいたいって。
金銭感覚なんかなくたって、そんなものどうだっていいんだ。
幸也さんならいいんだ。
携帯を拾い上げ、幸也の名前をタップしようとして、一瞬、指が止まる。
「……………………だめだ」
やっぱり…………あの人と俺じゃだめだったんだ。
うまくいくはずなんか、なかったんだ。
「ほんとに、バカだよな、俺」
ため息とともに自嘲しながら、勝浩は溢れ出る涙を拳で拭う。
所在無く動かした指は、見慣れた番号を押していた。
『よう! どうだ? 楽しんでるか?』
コール二回で、夜中というのにハイテンションな声が聞こえてくる。
「夜分にすみません、あの、車いつお返しにあがろうかと思って」
『ああ、いいよ、返さなくて』
「え、そういうわけには…」
『何、まだ迷ってるの? 勝っちゃんになら超お安くしとくよん。ある時払いでOK』
明るい武人は確かに頼りがいがあって安心できる存在だ。
「また、そんな」
『いや、ほんと。邪魔じゃなければ使ってれば? 気にしなくていいからさ。あの大家さんなら、必要な時にはタクシー代わりに使ってくださいとかってちょっとまるめこんで、駐車料ただにしてもらうとかさ』
調子のいいことを言ってカラカラと笑う武人に勝浩も苦笑せざるを得ない。
「わかりました、じゃあ、邪魔になったらまたお返しにあがりますね」
『おいおい、勝っちゃん~~。と、そだ、最近幸也のやつと会った?』
ドキッと勝浩の心臓が跳ね上がる。
「いえ………」
『そっか、だからだな~~、こないだ、あいつ妙に落ち込んでると思ったら、病気らしくて』
「……! 病気って、どうしたんです?! 幸也さん、まさか入院とか…」
思わず頭がパニクって、勝浩は声を上げる。
『病名はどうやら「勝っちゃん欠乏症」ってゆうらしい』
「……ば……バカみたいなこと言わないでください!」
からかわれたとわかって、からだの力が抜ける。
『ハハ……ワリィワリィ。でも、いやほんと、そんな感じ。しょーもねーやつだけどさ、見限らないでやってよ』
「見限るのはきっと幸也さんの方ですよ」
『え? なんだって?』
「いえ。飲みすぎ吸いすぎ要注意ですからね。じゃ、おやすみなさい」
何かまだ言いたそうな武人にきっぱり告げて、勝浩は携帯を切る。
武人相手になら、何も考えずにしゃべることができるのに。
「あ~あ……」
しばらくベッドに寝転がっていたがなかなか寝つけず、勝浩は冷蔵庫の缶ビールを一本取り出した。
カーテンの隙間から見える月を眺めながらビールを飲み終える頃には、ようやくうとうとと不安げな眠りが訪れた。
秋晴れのある朝、といってももう十一時に近くなっているが。
武人が歩いていたのは、世田谷は用賀の閑静なたたずまいである。
その一角にある門には花で飾られた『Nao Candy House』という木彫りのプレートがかかっている。
チャイムを押して門を一歩踏み入れるとまるでミスマープルの家の庭にでも迷い込んだかのような錯覚に襲われる。
秋色の木立に守られるようにコスモス、デルフィニウム、ジニアリネアリス、ナチュラルガーデンを彩るピンク、青、黄色の花が真っ盛りだ。
あちこちに置かれたコンテナには花があふれ、ベンチやテーブルをさりげなく彩っている。
明るい黄色の花をつけたつるバラのアーチをくぐり、カンパニュラに覆われた石段を数段上がると、オフホワイトの壁や高い窓、鉢植えを左右に配した白い玄関ドアが見えてきた。
「あら、いらっしゃい! 久しぶりね~タケちゃん」
ドアが開いて武人を出迎えたのは、ゴールデンレトリバーとトイプードルの二匹と、この可愛いイギリス庭園がある家の主、城島奈央である。
既に五十代にも手に届くはずだが、年齢不詳の美貌は衰えることなく、明るく可愛らしい笑顔は料理研究家としての人気の重要な要因であろう。
「奈央さん、ちょと早かった? まだあいつらきてないんだ?」
「いいのよ、もう準備はできてるわ。あの子たちが来る前にお昼いかが? 今日は冷たいパスタ。ちゃんとケーキも焼いてあるわよ」
「うおっ! ヤタッ! ぐぐっと腹がなるぅ。奈央さんのケーキって最ッ高にうまいっすからね! 楽しみ~。やつらが来る前に食うぞっ!」
「ふふ、でもまた、喧嘩しないでよ~」
奈央に続いて武人がリビングに入っていくと、奈央の助手を務めるスタッフが数人くつろいでいて、武人の顔を見ると会釈した。
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