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本編
34 海旅の末に② 完
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景色を楽しみ、時に昔を懐かしみながら、その日はようやく旅館にたどり着いだ。前回はろくに楽しめなかった旅館料理に温泉を楽しんだ。
海の側にある旅館なだけあって、海鮮料理が美味しかった。カニとかめったに食べないから、はしゃいでしまった。クラゲさんにもおすそ分けしてあげた。
「いいよなドーナツ。スイーツ系は男は言い出しにくいからさ、今回裕也が言い出してくれてよかったよ」
「まさかお前らも甘党だったなんてなぁ」
「明日は一生分のドーナツ食うぞ」
食事が終わって、就寝する前の会話だ。話題の中心は明日の朝の食事のことである。甘党男子って多いんだね。男が甘いものが好きなのは女々しくて、お互いそのことを言ってなかったらしい。出会ってからかなり長い付き合いだというのに、識らないこともまだまだあるんだな。
明日は絶対早く起きなければならないと意気込んだ友人たちの意向でできる早めに消灯することになった。暗い部屋で、静かに目を瞑る。友人たちが全員寝息を立てていることをしっかり確認すると、クラゲさんを連れて部屋のベランダの外に出た。
しっかりベランダの扉を締めて、クラゲさんを呼ぶ。何処となく拗ねた様子の彼は、じいっとこちらに目を向けていた。
「一人にしてごめんね」
ペットボトルから出してやると、ぺったり右腕にくっついてきた。右腕がクラゲさんの体に包まれている。友人の目があるからクラゲさんに話しかける暇がなかった。お陰で今日はずっと放ったらかしにしてしまったのだ。いくらでも機嫌取りしてあげたい。
クラゲさんを撫でていると、細い触手が俺の目元をなぞった。今すぐ涙を出せと言いたいらしい。クラゲさんは俺の涙を舐めるのが好きなのだ。詫びに泣けってか。無茶を言うな。
「ねえ、海すごくきれいだよ。クラゲさんの故郷でしょう?懐かしいって思わない?」
ベランダの手すりに手を置いて、下の景色を眺める。
夜だから海の色も真っ黒だ。だけど、闇の中から聞こえてくる波音、月明かりを反射する水面と闇色のコントラストはきれいという言葉に当てはめるのがおこがましいほどに、美しくて幻想を感じさせた。
「……クラゲさんは、海に帰りたいって思う?」
こんなに美しい場所なら、帰りたいと思いそうだ。だけど、クラゲさんは首を振った。予想通りの答えではあったけど、ホッとした。これで帰りたいって言われたら、どうしようかと思った。
……でも、あの狭い風呂に閉じ込めておくのって可愛そうだよな。やっぱり、あるべき場所に返したほうがいいのかな。
旅行先をここに決めたときから、ずっと考えていたのだ。クラゲさんとずっとこのまま暮らすのか、ここでお別れするか。正直、俺はクラゲさんとお別れしたくない。
種族的にはかなり違う相手だけど、それは彼にとっての俺もそうだ。全く違う生き物相手に、彼はずっと寄り添ってくれた。俺の胸に空いた穴を塞いで、傷つくものから守ってくれた。
案外感情がわかりやすいところも、嫉妬深いところも、俺が叱ると健気に反省してくれるところも。偶にわがまま出すところも、全てかわいい。
海を眺めていると、腕に引っ付いているクラゲさんがにゅっと顔を伸ばしてこちらを覗き込んでいた。衝動的に、顔を彼に近づける。
「好きだよ」
額同士をぶつけながら、その口元に口づける。どこが口なのかわかんないから困るな。思わず苦笑いしてしまった。
急に接吻されてきょとんとしてるクラゲさんに、「これは愛しい人にするキスなんだよ」と教えてやる。勇気の告白をしたわけだが、返事を期待してるわけじゃない。クラゲさんは俺に執着してるけど、俺と同じ気持ちと限らないし。何より彼は言葉を操れない。
だから、独り言のようなものだ。
「ねえ、クラゲさんの本当の姿見てみたいな。海ぼうずって大きいんでしょ?」
彼の前で「海ぼうず」という単語を使ったのは初めてだ。
ねえ、とお願いすると、クラゲさんは腕からぴょんと飛んだ。そのまま海に落ちていくものだから、ギョッとしてベランダの下を見る。下は暗くてよく見えない。隅々まで目を凝らしていると、鼻先に冷たい水が落ちてきた。雨だ。雨はたちまち酷くなっていき、1分もしないうちに俺はびしょびしょになってしまった。
クラゲさんの姿も見えないし、一旦部屋に戻ろうと踵を返そうとしたとき。波が割れる音がして、立ち止まる。
海を割って出てきたのは、今まで見たことがないくらい大きいクラゲさんだ。彼を見上げて、呆然とする。海坊主は海を渡る船を沈めることができるらしいが、実物を見てこう思う。これだけ大きければ、船を沈めることなんて容易いだろう。
雨が冷たくて、からだがふるりと震えた。クラゲさんが俺を上から除いているおかげで今はここまで雨が届いてこないけど、寒いものは寒い。
自分より遥かに大きい異形を相手にしてるのに、恐れる感情は一ミリも出てこなかった。
「……クラゲさん?」
ふと、クラゲさんの顔が近づいてくる。俺に身長を合わせてかがんだクラゲさんが、次に何をしようとしてるかを察して、俺は目を閉じた。
何をどう間違えたのか、大きくて神秘的な生き物は俺の側から離れない。もっと広くて自由に動ける場所があるのに、そんなものはと見向きもせずに、こちらに手を伸ばしてくる。頬に触れてくるそれは優しくて、慈しみさえ感じた。
ああ、こんなにも。海ぼうずは俺を愛でたいらしい。
......うん。両思いなら、離れる必要もないか。
次の日の朝、昨日の海ぼうずさんの姿を目撃した宿泊客がいたらしく、ちょっとした騒ぎが起きていた。
「本当だって!でっかいでっかい海水が生き物みたいにうねうね動いてたんだ!」
そう喚いて連行されていくその客に、俺は同情の目しか向けられなかった。巻き込んですいません……。
俺以外の人間はクラゲさんのことが見えないみたいだから、完全に油断していた。あの人以外の客人は目撃していないみたいだし。霊感の強さとかが関係してくるのだろうか。俺は自分のことは、霊感無い方だと思ってたんだけど。
「ストレス社会だな……」
ドーナツを頬張りながら遠い目をしてる隣の友人の独り言に、とりあえず頷いておいた。ストレスが見せた幻覚……ならどれだけ良かったか。
ファンシーな色合いのドーナツを6人位の集団で囲んでいる光景は、かなり奇妙なものだ。しかも全員男。甘党な奴らは幸せそうにポンデリングを口に入れている。本当に、この旅館にしてよかったなと思えるくらい楽しんでくれていた。
鞄の中のクラゲさんは、いつも通り人畜無害そうな顔をしていることだろう。人目を盗んでドーナツのかけらをクラゲさんに差し出してみたが、首を振られた。やっぱりこういうのは好きじゃないみたいだ。昨晩の海鮮料理には食いつきが良かったんだけどね。
……今度クラゲさんに本来の姿を見せてもらうときは、もっと周りの目に注意しよっと。
完
海の側にある旅館なだけあって、海鮮料理が美味しかった。カニとかめったに食べないから、はしゃいでしまった。クラゲさんにもおすそ分けしてあげた。
「いいよなドーナツ。スイーツ系は男は言い出しにくいからさ、今回裕也が言い出してくれてよかったよ」
「まさかお前らも甘党だったなんてなぁ」
「明日は一生分のドーナツ食うぞ」
食事が終わって、就寝する前の会話だ。話題の中心は明日の朝の食事のことである。甘党男子って多いんだね。男が甘いものが好きなのは女々しくて、お互いそのことを言ってなかったらしい。出会ってからかなり長い付き合いだというのに、識らないこともまだまだあるんだな。
明日は絶対早く起きなければならないと意気込んだ友人たちの意向でできる早めに消灯することになった。暗い部屋で、静かに目を瞑る。友人たちが全員寝息を立てていることをしっかり確認すると、クラゲさんを連れて部屋のベランダの外に出た。
しっかりベランダの扉を締めて、クラゲさんを呼ぶ。何処となく拗ねた様子の彼は、じいっとこちらに目を向けていた。
「一人にしてごめんね」
ペットボトルから出してやると、ぺったり右腕にくっついてきた。右腕がクラゲさんの体に包まれている。友人の目があるからクラゲさんに話しかける暇がなかった。お陰で今日はずっと放ったらかしにしてしまったのだ。いくらでも機嫌取りしてあげたい。
クラゲさんを撫でていると、細い触手が俺の目元をなぞった。今すぐ涙を出せと言いたいらしい。クラゲさんは俺の涙を舐めるのが好きなのだ。詫びに泣けってか。無茶を言うな。
「ねえ、海すごくきれいだよ。クラゲさんの故郷でしょう?懐かしいって思わない?」
ベランダの手すりに手を置いて、下の景色を眺める。
夜だから海の色も真っ黒だ。だけど、闇の中から聞こえてくる波音、月明かりを反射する水面と闇色のコントラストはきれいという言葉に当てはめるのがおこがましいほどに、美しくて幻想を感じさせた。
「……クラゲさんは、海に帰りたいって思う?」
こんなに美しい場所なら、帰りたいと思いそうだ。だけど、クラゲさんは首を振った。予想通りの答えではあったけど、ホッとした。これで帰りたいって言われたら、どうしようかと思った。
……でも、あの狭い風呂に閉じ込めておくのって可愛そうだよな。やっぱり、あるべき場所に返したほうがいいのかな。
旅行先をここに決めたときから、ずっと考えていたのだ。クラゲさんとずっとこのまま暮らすのか、ここでお別れするか。正直、俺はクラゲさんとお別れしたくない。
種族的にはかなり違う相手だけど、それは彼にとっての俺もそうだ。全く違う生き物相手に、彼はずっと寄り添ってくれた。俺の胸に空いた穴を塞いで、傷つくものから守ってくれた。
案外感情がわかりやすいところも、嫉妬深いところも、俺が叱ると健気に反省してくれるところも。偶にわがまま出すところも、全てかわいい。
海を眺めていると、腕に引っ付いているクラゲさんがにゅっと顔を伸ばしてこちらを覗き込んでいた。衝動的に、顔を彼に近づける。
「好きだよ」
額同士をぶつけながら、その口元に口づける。どこが口なのかわかんないから困るな。思わず苦笑いしてしまった。
急に接吻されてきょとんとしてるクラゲさんに、「これは愛しい人にするキスなんだよ」と教えてやる。勇気の告白をしたわけだが、返事を期待してるわけじゃない。クラゲさんは俺に執着してるけど、俺と同じ気持ちと限らないし。何より彼は言葉を操れない。
だから、独り言のようなものだ。
「ねえ、クラゲさんの本当の姿見てみたいな。海ぼうずって大きいんでしょ?」
彼の前で「海ぼうず」という単語を使ったのは初めてだ。
ねえ、とお願いすると、クラゲさんは腕からぴょんと飛んだ。そのまま海に落ちていくものだから、ギョッとしてベランダの下を見る。下は暗くてよく見えない。隅々まで目を凝らしていると、鼻先に冷たい水が落ちてきた。雨だ。雨はたちまち酷くなっていき、1分もしないうちに俺はびしょびしょになってしまった。
クラゲさんの姿も見えないし、一旦部屋に戻ろうと踵を返そうとしたとき。波が割れる音がして、立ち止まる。
海を割って出てきたのは、今まで見たことがないくらい大きいクラゲさんだ。彼を見上げて、呆然とする。海坊主は海を渡る船を沈めることができるらしいが、実物を見てこう思う。これだけ大きければ、船を沈めることなんて容易いだろう。
雨が冷たくて、からだがふるりと震えた。クラゲさんが俺を上から除いているおかげで今はここまで雨が届いてこないけど、寒いものは寒い。
自分より遥かに大きい異形を相手にしてるのに、恐れる感情は一ミリも出てこなかった。
「……クラゲさん?」
ふと、クラゲさんの顔が近づいてくる。俺に身長を合わせてかがんだクラゲさんが、次に何をしようとしてるかを察して、俺は目を閉じた。
何をどう間違えたのか、大きくて神秘的な生き物は俺の側から離れない。もっと広くて自由に動ける場所があるのに、そんなものはと見向きもせずに、こちらに手を伸ばしてくる。頬に触れてくるそれは優しくて、慈しみさえ感じた。
ああ、こんなにも。海ぼうずは俺を愛でたいらしい。
......うん。両思いなら、離れる必要もないか。
次の日の朝、昨日の海ぼうずさんの姿を目撃した宿泊客がいたらしく、ちょっとした騒ぎが起きていた。
「本当だって!でっかいでっかい海水が生き物みたいにうねうね動いてたんだ!」
そう喚いて連行されていくその客に、俺は同情の目しか向けられなかった。巻き込んですいません……。
俺以外の人間はクラゲさんのことが見えないみたいだから、完全に油断していた。あの人以外の客人は目撃していないみたいだし。霊感の強さとかが関係してくるのだろうか。俺は自分のことは、霊感無い方だと思ってたんだけど。
「ストレス社会だな……」
ドーナツを頬張りながら遠い目をしてる隣の友人の独り言に、とりあえず頷いておいた。ストレスが見せた幻覚……ならどれだけ良かったか。
ファンシーな色合いのドーナツを6人位の集団で囲んでいる光景は、かなり奇妙なものだ。しかも全員男。甘党な奴らは幸せそうにポンデリングを口に入れている。本当に、この旅館にしてよかったなと思えるくらい楽しんでくれていた。
鞄の中のクラゲさんは、いつも通り人畜無害そうな顔をしていることだろう。人目を盗んでドーナツのかけらをクラゲさんに差し出してみたが、首を振られた。やっぱりこういうのは好きじゃないみたいだ。昨晩の海鮮料理には食いつきが良かったんだけどね。
……今度クラゲさんに本来の姿を見せてもらうときは、もっと周りの目に注意しよっと。
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