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悠馬

イライラとナニカ

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 気がつけば、むせ返るような暑さを感じる日は少なくなっていた。汗が噴き出すことも、シャツに張り付いて染みをつくることもない。
 季節は着々と、夏から秋へと移ろうとしていた。

 かすみとの良好な関係は未だ続いている。最初は気が向いた時に、なんて言っていたが、今ではそう決められているかのように、毎週金曜の夜俺の部屋で会っていた。もちろん、用事があったらそっちを優先する。当初と同じく、お互いが暇な時、というのが大前提としてある。でも、元々社交的じゃない俺に金曜の夜予定なんてほとんどないし、かすみもまた同じのようだった。俺と付き合っていた時は、それなりに友達も多く、女子会だなんだのと飲みに行ってた気がするが。社会人になって交友関係が疎遠になるのは、よくある話だ。

 という訳で、俺たちはほぼ毎週会って、適当に飯を食って、適当に会話して、セックスして、寝て、次の日の昼に帰る、ということを繰り返していた。
 
 ※ ※

 昼飯を買いに入ったコンビニで、集めている漫画の新刊が発売されているのが目に入った。迷わず手に取り、レジへ持っていく。再会した日にかすみが読んでみたいと言い、読み終わってすぐ続きが気になると瞳を輝かせていた例の漫画だ。

 ーあっ新刊出たんだ!読みたい!読んでいい!?ー

 かすみのリアクションを想像して、思わず笑みが溢れる。全く同じとはいかなくとも、遠からず当たってるはずだ。そう思ったら早く答え合わせをしたくなった。
 自分の席につき、スマホ片手に弁当を食う。

『今夜、暇?うち来ない?』

 まだ火曜だがメッセージを送る。あんなに続きを待ちわびていたのだ。金曜まで待たずに今日のうちに読みたいと思うはずだ。 ありがとう!と満面の笑みを浮かべるかすみを想像し、またしても頬が緩む。
 程なくして、スマホが震えメッセージが表示された。

『ごめん。今日は無理』

 一瞬、見間違いかと思った。
 しかし、何度見てもアイコンはかすみのものだし、ごめんと読んでとれる。

 てっきり、いーよと言うものだと。いや、断られるなんて微塵も考えていなかった。
 断られてムカッとするのは筋違いだ。そりゃあ、かすみだって予定くらいあるさ。しかも平日の半ば、今日の今日だ。普通に考えて断られる可能性の方が高い。

『じゃあ、明日は?』

 すかさず、またメッセージを送る。すぐに既読がつき、返信が下に表示された。

『ごめん、明日もちょっと』

 筋違いなのは百も承知だが、かなりムカついた。今日もダメで明日もダメとか。一体どんな用事があるというのか。

 ふっと、再会した日のワンシーンが頭に過る。
 俺のゴムがかなり昔のものだと知り、自然な流れでバッグから自分のものを取り出したかすみを。
 
 考えない様にと蓋をして封印していたものが、顔を覗かせる。そして、勝手にどんどん大きくなる。

 女だってしたい時があると言って誘ってきたのはかすみだ。そして、バッグの中に当然の様に携帯していた避妊具それ。その理由は……
 そこで考えることを止め、スマホを持って席を立つ。人気のない廊下の隅へ行き、迷わず通話ボタンをタップした。
 
 プププ…と呼び出し音が流れる。
 俺を断ったのは先約があるからなのか。俺以外にもそういう相手がいるというのか。俺の相手はかすみだけなのに。俺は金曜の男で、他の曜日は別の相手が決まっているとでもいうのか?
 予想というより勝手な妄想が暴走し、はらわたが煮えくりかえる。

 耳に入るのは相変わらず無機質で何の面白みもない電子音。これ以上はもうないだろうという更に上までイライラが募り、無意識のうちに左足がダンダンと速いリズムを刻む。ムカつきすぎて、おかしくなりそうだ。
 と、そこでようやく電子音が切れた。

『……もしもし?ごめん、出るの遅くなっちゃー』
「誰だよ、相手は」
『え?』
「だから、今日と明日の予定って何?」

 かすみの言葉を遮って、単刀直入に聞く。俺が急かしすぎてるのか、かすみが遅すぎるのか。噛み合わないテンポに、舌打ちをする。

『……それは』

 かすみはそれだけ言って、押し黙った。
 それは、の次を早く言えよ。何で何も言わないんだよ。やっぱり俺には言えないことなのか?
 
「何?俺には言えないような予定があんの?俺に隠れてやましいことしてんのか?」
『ち、違う!』
「じゃあ、何?俺がちゃんと納得できるように、その予定が何なのか、詳しく教えてくれよ」
『それは…』

 そこまで言って、またしても口を閉ざす。イライラが止まらない。腹の中から胸の奥まで、どす黒い感情で充満し吐き気がする。

「……あっそ。じゃ、もういーわ」

 ムカつき過ぎてこれ以上会話していたら余計なことを口走りそうだった。一方的に会話を打ち切り、通話を終了しようとスマホを耳から離すと、『ま、まって!』とかすみの焦った声が聞こえ、もう一度耳を傾けた。

『……実は、生理になっちゃって』

 たっぷり一拍置いた後、かすみが消え入りそうなほど小さな声で、そう白状した。

「……は?」
『そういうことだから、無理……っていうこと』

 予想外の言葉に、頭がフリーズする。

『金曜は多分大丈夫だと思うから、ごめー』
「じゃあ生理だから来れないってこと?」

 またしても食い気味に言葉を被せる。

『……う、うん』
「予定は、ない?先約は?」
『ない、ないよ。仕事終わったら家に帰るだけー』
「辛い?」 
『え?』
「お腹。まだ痛い?」

 女性の身体に詳しい訳ではないが、かすみが生理中辛そうにしていたのは知っている。お腹や腰が痛いと言うことも、気持ちが悪いと言うこともあったし、出血量が多く、外出中スカートに染みてしまったこともあった。

『もうピークは越えたから、大丈夫。でもまだ血は出てるから』
「じゃあ、うち来れない?いや。やっぱ、そっちに俺が行く」

 かすみの今住んでるところは知らないが、多分そんなに遠くないんじゃないかと踏んでいる。そうだ。別に俺の家に来なくてもいい、俺が行けばいいだけじゃないか。

『……でも、できないよ?』
「別にいーよ。そもそも今日誘ったのはそれが目的じゃないし。かすみはそれ以外で会うのは嫌か?」

 新刊を見せたかっただけ。いや、かすみの喜ぶ顔が見たかっただけだ。セックスをしたくてメッセージを送った訳じゃない。むしろ、言われて漸くそのことを思い出したくらいだ。
 でも、かすみは俺と会うイコールそれ目的だとしたら……
 俺達の関係を完全に棚に上げて、またしてもモヤモヤし始めた時ーー

『嫌じゃ、ないよ。でも……
いーの?』

 電話口から聞こえたかすみの言葉に、強張っていた肩の力が、全身の力が、フッと抜けた。

 そして、積もりに積もりまくっていた自分史上最大のイライラもまた、綺麗さっぱりなくなっていた。

 代わりに胸の中を占めるのは……温かいナニカだ。これを感じるのは、初めてではない。

「いいんだって。じゃあ、会いたい。少しだけでいいから。駄目か?」
『ううん、大丈夫』

 スマホを当てた耳が温かい。バッテリーの熱だと言われればその通りなんだけど、それだけじゃないような気がする。くすぐったくて、ソワソワする。そんな温かさだ。
 会話は終わった。そろそろ戻らないとマズい時間でもある。でも、まだこうしてかすみの声を聞いていたい。いや、違うな。
 
 かすみに会いたい。早く会って、顔が見たいーー

 ※ ※

 俺がかすみの家に行くと提案がしたが、結局いつも通り俺の部屋で会うことになった。初めて知ったが、かすみは今友人とルームシェアしているらしい。毎週のように身体を繋げておきながら、今日初めて知ったとか。なぜ今まで聞かなかったのかと、自分で自分に呆れてしまう。

 漫画の新刊を見せると、かすみは俺が想像していたように、いや想像以上に瞳をキラキラと輝かせて喜んだ。
 俺の中が満たされていくのがわかる。だというのに満足することはできそうにない。
 少し会うだけ、顔を見るだけ、なんて言いながら、会った瞬間から帰したくなくなっていた。今はもう、どうしたらかすみを引き留められるかばかり考えている。こうしてかすみと会っているのに、一人部屋に残され一人で寝るなんて、耐えられそうになかった。

 夜道を一人で帰すのは危険だからと言うと、そんなの大丈夫だと返され、だったら俺がかすみの家まで送り届けると言って漸く、かすみが渋々了承した。

 明日ももちろんお互い仕事だ。帰るつもりでいたから、お泊りグッズだって持ってきてないと言う。かすみが渋るのは当然で、無理を言ってる自覚もある。
 だけど、どうしても帰したくなかった。

 その日は、横向きで寝そべるかすみを後ろから抱きしめながら寝た。
 左腕にのしかかるかすみの体重が懐かしい。かすみと触れた場所が温かく、背中側がやたら寒く感じる 。昔はよく、こうしていたっけ。
 回した手をかすみのお腹に当てる。手当て、という言葉を思い浮かべ、かすみの痛みが少しでも和らぐよう心の中で念じ、そのまま俺は夢を見ることもなく。深い深い眠りについた。


 
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