【R18】二人は元恋人、現セフレ

遙くるみ

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かすみ

変わりたい、変われない、変わりたくない

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 何にも考えちゃいけない。
 一度、悠馬の言動の意味を考え始めたら、思考の網に囚われて抜け出せなくなる。

 悠馬が来いというから行く。セックスする。食えというから食べる。一緒に来いというから出かける。
 私からは何も望まない。頭空っぽにして悠馬の言うことに従うだけ。それが楽。
 恋愛感情がなければ、私から悠馬に何も要求しなければ、イライラすることも不安になることも苦しむこともない。恋愛感情がないから、傷つくこともない。恋愛感情がないから、ずっと笑っていられる。
 悠馬が、私ではない別の誰かと付き合うことになって。私との関係を解消することになったとして。
 
 大丈夫。全然、平気。笑ってられる。

 元々、そういう約束だったし。そもそも、悠馬が誰かと付き合わなくても、私と会いたいセックスしたいと思わなくなったら終わる。そんな薄っぺらで曖昧な関係。いつまで、とかって具体的な約束もない。今日会ったら、この次はないかもしれない。次はあっても、その次は。一か月後、二か月後。私と悠馬が今と同じカタチでいられる保証は何もない。ちゃんと、そういう関係だって分かってる。悠馬にとっての私がどんなものかも、ちゃんと弁えてる。

 大丈夫、全然それで構わない。
 悠馬に『要らない』と言われるその日まで。悠馬が誰かと次のストーリーを始めるまで。

 少しでも、悠馬と一緒にいられたら。それだけで、いい。それ以上なんて、私は何も望んでない。それ以上は、私が・・要らない。

 ※ ※

「俺、明日約束あるから十時には家出るわ」

「わかった。じゃあ、それまでには帰るね」

「誰とか、気になるんじゃねーの?」

 悠馬がくいっと顎を上げ、挑戦的な視線を送ってくる。それを跳ね除けるように、ニコリと笑ってみせる。

「全然。どうぞ、楽しんできてね」

「……あっそ」

 日曜日に予定が入っていようといまいと、私には関係ない。それが誰とかなんて、更にどうでもいい。

 ーーまあ、大体想像はつくのだけど。

 ある日を境に、毎週毎週日曜には約束が入っているなんて言われれば、その相手は容易に推測できる。
 悠馬に好意を寄せているという会社の後輩。十中八九、彼女だろう。
 今の二人の進捗状況なんて知らないけど、多分順調に交流を深めているのだと思う。私には関係ないし興味もないから、いちいち聞いたりしないし、悠馬も『約束がある』こと以外何も言ってこないけど、その子とデートしてるのはバレバレだ。

 多分、悠馬もその子を悪く思っていない。これからのことを前向きに考えている。何となく、見てればわかる。本人は上手く隠してはぐらかしてるつもりだろうけど、私だから、わかっちゃう。

 このまま二人はごく自然に距離を縮めて、ごく自然に付き合うのだろう。私と悠馬がそうだったように。

 私はいつ、悠馬にそれを言われるのだろう。もう少ししたらクリスマスだ。それが終われば年末年始、バレンタイン。恋人の為のイベントが盛りだくさんだ。普通に考えて、あともう少し。クリスマス直前だとして、長くても二ヶ月、か。
 
 その日が一日でも遅いといいなと思う。でも同じくらい、今すぐに言って欲しい気もする。
 悠馬だけじゃなく、自分のこともよくわかんない。わかんないことは考えるだけ時間の無駄。生産的じゃないことはしない。悠馬ならそう言うだろうな。

 そもそも、私なんかに貴重な時間を費やすんじゃなくて、未来の彼女の為に使ってあげるのが悠馬の言う『生産的』ってやつじゃないのか。次の目星がついているのなら、もうツナギの存在なんて必要ないはずで、つまり、私の存在理由はほぼないに等しい。

 ※ ※

 だというのにそれからも、私達の関係は変わることなく続いていた。

 毎週金曜。仕事終わりに悠馬の部屋で。相も変わらず身体を重ね合わせている。

 でも、その中身は少しずつ変わっていて、前とは全然違うカタチになっていた。

 乱暴な愛撫、威圧的で辱めるような言葉、アブノーマル寄りなプレイ、身体に刻まれる悠馬の痕。
 行為の終わりに交わされる、酷く甘いキス。
 悠馬の腕枕、新しい毛布、悠馬の作ったご飯、ペアの食器、貸すという名目で購入されたレディースものの服、化粧品。
 悠馬と過ごす土曜。セックスのない夜。セックスとは関係のない軽いキス。深いキス。途切れることのない約束。具体的な口約束。並ぶ二本の鍵ーー
 
 それでも、私と悠馬の関係は何も変わってない。お互いが新しい誰かと付き合うまでの身体の関係。
 そして、この関係はもうすぐ終わる。終わるはずだーー

『じゃあ、かすみが付き合ってくれよ』
『お前のことが、好きだかー』
 
 思い出したくもない悠馬の言葉が、何回も何回も頭を過る。その度に私の心は不穏に騒ついて落ち着かなくなる。

 何も考えちゃいけない。考えたくない。
 何が真実で何が嘘かなんて、どうでもいい。私には関係ない。

 私がやるべきことは、悠馬の言動の真意が何なのかと頭を悩ませることじゃない。私と悠馬がいつまで一緒にいられるのかと不安に思うことじゃない。
 
 私がやるべきことは、私のことだ。
 悠馬が、じゃない。自分中心になろうって決めたじゃないか。三年前悠馬と別れた時、そう決めた。
 恋愛脳だった自分から変わりたい。絶対に変わってやるんだ、って。

 まずは仕事。
 職場での信頼と実績をコツコツ積み重ねてきて、マイナスからゼロ、ようやくプラスになってきた。今はまだ先輩についているけど、このまま行けばそのうち独り立ちできるかもしれない。ううん、するんだ。自分がどこまでやれるのか挑戦してみたい。頑張って、自分でもできるんだと証明したい。

 仕事に打ち込んで、余った時間は自分に使う。自分の食べたいものを食べて、好きな所に行って、好きな服を着て、好きな音楽を聴いて。
 そうやって充実した自分のための時間を過ごして、それでもまだ余った部分を悠馬に使う。
 
 優先順位を間違えちゃいけない。
 悠馬で頭の中いっぱいで、悠馬が何より優先で、悠馬以外どうでもいいと思ってた過去の愚行は、間違っても犯してはいけない。

 そう、自分にきつくきつく言い聞かせて、いつも以上に気を引き締めていたはずなのにーー

 
 ※ ※


「ーーねえ、聞いてるの?」

 先輩の咎めるような声色にハッと意識が引き戻される。

「っへ!?あ、すみません!えっと……何でしたっけ」

 慌てて取り繕おうとして、すぐにそれを断念する。先輩にその場限りの誤魔化しは通用しない。私も先輩に誤魔化したくない。向かいに座る先輩は、鋭い視線で私を睨みつけていた。

「だから、この段取りで来週から進めてもいいかって話。あんたのスケジュールが良さそうならこれで提出するから」

「あ、と。先月の続きのやつ、ですよね」

「それはもう終わって、次の話をしてたんだけど」

 イライラを含ませたキツイ口調。昔の先輩が、そこにいた。

 顔がかーっと熱くなって、背筋がすーっと冷えていく。何も言えずに俯く私に、先輩が呆れたように大きなため息を吐いた。
 
「つまり、何も聞いてなかったってことね」

「……すみません」

 気をつけてた。気を張ってた。目の前の仕事にちゃんと集中してた、はずなのに。なんで。
 恥ずかしい、申し訳ない、何やってんだ私、しっかりしろ!

「はぁ。体調でも悪いんじゃない?心ここにあらずって顔してる」

「すみません」

「今日だけじゃなくて、ここ最近ずっと。自覚あり?」

 先輩の問いに肯定も否定もできなくて、テーブルを見つめたまま「すみません」とまた頭を下げる。

「体調悪いならちゃんと休みなさい。有休まだあるんでしょ?病院行くなり休養取るなり、仕事に支障をきたさない範囲でコンディションを整えること。体調管理も仕事の内、って言うでしょ?休むのが気が引けるっていうなら、全然そんなこと気にしなくていいから。むしろ、体調悪いのに仕事される方が迷惑だから」

 最も過ぎる先輩の言葉が、グサグサと胸に突き刺さる。そうですねもそうじゃないんですも言えない私は、何度目かわからない「すみません」をまた口にした。

「じゃ、なくて。原因は他にあるとか?」

 先輩もまた、何度目かわからないため息を吐く。

「あんたさあ。また、恋愛脳ぶり返してんじゃないの?入社当時とおんなじ顔してる」

 ぎゅうっと胸が締め付けられ、息が止まった。
 沈黙は、大抵の場合、肯定と受け取られる。そう知っていて、何も言葉が出てこない。

「あんたもさ、懲りないよね。まあ、そういう造りになってるんだから、仕方ないっちゃ仕方ないんだけど」

 一段一段、地道に登ってきた階段が、ガラガラと崩れていくようだ。せっかく積み上げてきた信頼が、先輩が私に対して抱いていただろう仕事への評価が、一瞬のうちに無に帰した。ひゅるるるーと下へ投げ出され、地面に叩きつけられる。
 そこには、悠馬のことが大好きで、仕事なんかよりも悠馬のことが大優先で、悠馬の事しか考えてなかった、過去の私がいた。

 恥ずかしくって、惨めすぎて、情けなくって。そんな自分が、心底嫌い。
 先輩が今どんな顔をして私を見ているのかを想像したら、とてもじゃないけど顔なんて上げられない。

「もう今日は帰っていいよ」

 突き放されるような温度のない声。何か言わないと、と思うのに何も言葉が出てこない。「すみません」と頭を下げ、何かに急き立てられるように席を立つ。

「人間って変わろうと思っても、なかなか変われないんだよね」

 背後から心臓めがけて、トドメの一刺し。

 変わりたい、変わってやる!って、そう思って頑張ってきた。少しは変われたと自負していた。私はもう昔の自分じゃないんだって、そう思ってた。
 そう思ってたのは、私だけだったとか。何それ、可笑しすぎて、全然笑えない。

 ドアの前で固まって動けない私に、先輩が「でもさ」と続ける。

「あんたが仕事を頑張ってるのは、ちゃんと知ってるから。今は恋愛脳のせいで、ちょっと仕事が疎かになってるとしても?また、ちゃんとやってくれるって信じてるから」

 その声はさっきまでとは違い、柔らかく温かかった。それに気付ける余裕なんて、この時の私にはなかったけど。

 ぐぅっと下唇を噛み締め、先輩に背を向けたまま小さく頷き、逃げるように部屋を出た。



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