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いないの意味が違う日々

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 ふみちゃんが死んだことで、僕の生活は壊れた。

 アルバイトにはなんとか行っていた。行かないと生活が出来なかったからだ。

 毎日、朝起きて、シャワーを浴びて、仕事に行く。
 ふみちゃんが死んだことはバイト仲間にも店長にも伝えていたけれど、みんなその話題には触れないようにしてくれたので、僕はいつも通り、淡々と品出しをして、清掃をして、レジを打ち続けた。

バイトが終わったら買い物をして帰って、ごはんを食べて、いつものインターネットサイトを見て、眠った。

 これだけ書くと生活をしているように見える。
 ふみちゃんが生きていたときと変わらないように見える。

 でも、まず初めに、自炊をしなくなった。
 どんなに美味しいものを作っても、ふみちゃんに食べてもらえる日は来ない。

 勤め先のコンビニでは、社員割引が使えるので、僕は廃棄になりそうなお弁当を買ってきては食べた。コンビニのお弁当はいつ食べても同じ味で特別まずくもなく美味しくもなく、味自体がビニールのパッケージに詰められたようだったけれど、頭の中までのっぺりしてくれればいいなと思いながら僕はひたすら添加物にまみれてお弁当を食べ続けた。

 次に、ゴミを捨てなくなった。
 部屋が綺麗だったとしても、ふみちゃんはこの家には帰ってこないからだ。

 部屋がゴミだめになるまでに、さほど時間はかからなかった。
 要するに、部屋全体がゴミ箱だと思えば良いのだ。

 例えばアイスクリームを食べる。僕は自分のベッドに座り、木のスプーンの包み紙を破って、自分の目の前に放り投げる。目の前には中身の少し残ったペットボトルや、パセリとソースのこびりついた黒いお弁当のパッケージ、黴で緑色に変色したプリンのカップなどが積み上っている。包み紙は、わずかな堆積になる。アイスの蓋も同じように投げる。何かの陰に入って、こんこんと音がして、姿が見えなくなる。アイスを食べ終わったら、もちろんカップも投げる。

 夏が近付いて来て、時々ゴキブリの姿も見るようになった。
 スモークタイプの殺虫剤を焚いてみたけれど、累積しているものの量が多いから、効いたのかどうかはよくわからなかった。少なくとも僕の皮膚には効いたようで、正体のよくわからない湿疹が、たえることがなくなった。

 正直なところ、部屋は片付けようと思うのだけれど、なぜか、どうしても、いつでも、途中で諦めてしまう。

 そして、性欲は変わらない。

 特筆することもないけれど、映像の助けを借りて、一人で処理をした。

 時々ふみちゃんのことを思いながらいたそうとすることもあるのだけれど、不思議なことに、今になっても、僕はふみちゃんでは勃たなかった。

 一つだけ考えられるとしたら、ふみちゃんは、女神様だったということだ。

 生きているときからずっと女神だったから、僕は、ふみちゃんをそういう対象には出来なかったのだと思う。

 ふみちゃんのことを考えるときは、僕は自分の心臓が綺麗なブルーになるような気がした。

 ふみちゃんのことを考えたくなった時は、僕は、公園に行ってサンドイッチを食べた。サンドイッチと言っても食パンとハムとチューブのバターを買って来て、公園で適当にサンドして食べるだけのものだった。
 でも、ふみちゃんのことを考える時だけは、そういう素朴なものをたべていたかった。

 思い出すのは、楽しかったこと。
 それ以外だと、辛いことだけれど、ふみちゃんが亡くなった後に得ることが出来た、ふみちゃんとの、唯一の時間について。

 ふみちゃんの身体を連れて帰ってあげるために、軍の施設があった土地の警察署を訪れたときのこと。

 僕に、ふみちゃんの死を知らせてくれた岡山さんは、とても親切な人だった。葬儀社の人との待ち合わせの時間の前に、岡山さんは僕をふみちゃんが過ごした軍の訓練所に連れて行ってくれた。もちろん軍の施設だから、中に入ることは出来なかったけれど、受付でふみちゃんの私物を受け取った後、休日だったふみちゃんの同僚の人たちが外に出て来てくれて、30分ほど、喫茶店で話をしてくれた。

 ふみちゃんがいつもメールで知らせてくれていた通り、ふみちゃんの同僚達は本当に気の良い人たちで、それに、ふみちゃんのメールから想像していたよりもずっと、本当に普通の女の子達だった。

「ふぅさんには本当にお世話になったんんです」
 ゆずかさんという小柄な女の子が目を赤くして言った。

「私体力なくて……訓練で荷物持って訓練所の周りをひたすら歩くのがあるんですけど、いつもへばっているときに、ふぅさんがこっそり荷物を持ってくれたりしてたんです。ふぅさんだってしんどいはずなのに……」

 ふみちゃんは中学生のときからずっと運動部だったから、確かに普通の女の子に比べれば体力があったんだと思う。でもいくら女の子向けと言っても、軍の訓練が楽なものであるはずもないから、きっとふみちゃんだって結構しんどかったんだと思う。

 ふみちゃんは人を助けたことをわざわざ僕に教えるような性格じゃなかったから、こうやって、人の目を通したふうちゃんを知ることは、なんだか新鮮だった。

「あの、これ」
 ゆずかさんの隣にいた眼鏡の女の子が、一枚の雑誌の切り抜きを僕に手渡してくれた。

「こんなものを差し上げていいのかわからないんですけど……」
「これ、なんですか?」
 それは、黄色っぽい四角い建物を、遠くから写した写真だった。

「この……2階の右から2番目の部屋が史子さんの部屋です。それで、」
 眼鏡の女の子は言葉を切って、建物の左下のあたりを指差した。

「この芝生のあたりで、史子さんは亡くなりました」

「ちょっと、彩ちゃん」

 一番年長に見える、確か沢木と名乗った女の人が、眼鏡の女の子を嗜めた。
「これは随分昔に撮影された、軍の広報雑誌に掲載された、訓練所の写真です。今は戦時中で、平時中よりも情報規制が厳しくなっていますから、こういったものは一般に出回りません。ですから、公介さんが史子さんの死亡地を直接見る機会を得ることは、おそらくないと思います」

 彩ちゃんと呼ばれた女の子は、沢木さんの言葉に動じることなく、淡々と話し続けた。

「私なら、一番愛する人が死んだ場所くらい知りたいと思います。だからこれを、お渡ししたいと思いました」

 彼女は僕の目を覗き込んだ。白目の部分が赤かった。
「ご迷惑でしたか?」
 えぐるように真剣な視線に、僕の心はなぜか、救われるような気がした。

「いえ、ありがとうございます」
 でも、彼女が僕に与えてくれた救いをきちんと説明することは難しいから、シンプルにお礼だけを言って僕は頭を下げた。

 改めて、切り抜きを手に取って眺めている。
 本当にどこにでもあるような芝生だった。建物の裏手にあたるせいか手入れが行き届いている様子はなく、ところどころに背の高い草が生えていた。

 そこに座り込んで、銃をこめかみにあてるふみちゃんの姿を想像した。

 ふみちゃんが死んだ日はよく晴れていた。
 きっと綺麗な青空をみて、風を感じて、きちんと生きていることを感じてから、ふみちゃんは死にたかったのだと思う。

 目を閉じて引き金を引いた時、ふみちゃんは、僕のことを少しでも考えてくれただろうか。

 考えてくれたと思う。

 背中はざらざらした塗装の壁にくっつけていて、背中を少し起こそうとするとお気に入りのカーディガンの生地の表面に、ぷつぷつと繊維がひっかかって抵抗しただろう。やわらかいお尻には砂利があたって、ところどころでこぼこと痛かっただろう。地面についたふくらはぎを軽く横にスライドさせる度、小さな石がころころと脚の下で転がったことだろう。つぶれた草の匂い。風で揺れて起きる、木々の微かなざわめき。
 日差しが強かったから、真っ黒な髪の毛はよく熱を吸い込んだだろう。よく日に焼けた肌にも、太陽によく照らされただろう。瞼を閉じればきっと明る過ぎて、視界が赤かっただろう。

 銃も熱を吸うものだろうか。

 僕には分からない。でも、その鉄の塊は間違いなく、ずっしりと重かっただろう。ゆっくりと持ち上げて、額に押当てた時、その銃口は温かかっただろうか。最後まで外していなかった中指の指輪の存在を、ふみちゃんは思い出してくれただろうか。

 最後に見上げた空は、どれくらい青かっただろう。

 どんな雲が、ふみちゃんの瞳に映っていただろう。

 そして。

 気がつけば、僕は喫茶店にいた。
 そう、喫茶店にいたはずだった。でも、僕は確かにその瞬間、ふみちゃんの死の現場にいた。

 気がつけば顔がぐしゃぐしゃに濡れていた。
 泣いていたのだと、遅れて気がついた。
 気がつけばふみちゃんの同僚達もみんな泣いていた。

「ごめんなさい」
 彩さんが謝ってくれたけれど。
「ありがとうございます」
 涙声で、僕は何度も何度も、頭を下げた。

 と。

 そこで僕は思い出から帰ってくる。

 ふみちゃんのことを考えると、いつも一日があっという間に終わった。

 気がつけば足下に落ちていたサンドイッチを拾って公園のゴミ箱に入れて、お尻についた泥を簡単に払って、ゴミ箱のような部屋に帰って行く。

 それが僕の一日だった。
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