上 下
63 / 65
若旦那の求婚

3話

しおりを挟む
「おいら……、三河屋の仕事なら手伝ってみたい。惣一郎も、何番かわからないけど好きだし。でもそんな仔細で祝言を挙げてもいいのかなあ?」

「いいさ! それに一緒に暮らしていりゃあ、俺を一番好きになる。絶待に、好きにさせてみせるから」

「ええ~、どうしてそんなに自信があるの。おいらの気持ちだよ?」

 再び目を輝かせて詰め寄って来る惣一郎の懸命さに、悠耶の口元は綻んだ。

 今日は本願寺でも同じように、深如に祝言を迫られた。

 深如の申し出は断ったのに、急に心変わりをしても良い物か。

 でも、深如との暮らしは想像もできなかったのに、惣一郎との未来は楽しそうに思える。

 円来と祝言ができないなら、一生ずっと気ままな独身でいればいいと、悠耶は決め込んでいた。

 けれど今は愉快な惣一郎やその家族と賑やかに暮らすのも、楽しそうだとわくわくしている。
 
「うん。……うん。いいよね。わかったよ惣一郎。おいら、惣一郎の嫁さんになる!」

 悠耶は短い思案の末、祝言を承諾した。

「なってくれるか!  嘘じゃねえな!?」

 惣一郎は、突然、飛び上がって、屋根に頭を強打した。

 弾みでよろけて、両手で頭を押さえた。
 
 船の端に座り込む――つもりだったのだろう。

 だが、位置を間違えて縁に尻をついたものだから、平衡を崩して船の外へ落っこちた。

「あーっ、惣一郎!  何やってるの!」

 悠耶が船から身を乗り出すと、墨みたいに真っ黒な川の水面が、ぶくぶく泡立っている。

 提灯の薄赤い明かりに照らされながら、すぐに惣一郎が浮き上がってきた。

「大丈夫?  惣一郎でも、こんなにそそっかしいことをするんだね」

「俺が嫁を娶るなんて、一生に一度だ。これが、 はしゃがずにいられるかよ!」

 顔の水滴を掌で拭いながら、惣一郎は手で水を掻いて船へ戻って来る。

 途中、水の重さで頭に巻いた手拭がポロリと落ちた。

「手拭が落ちた!  おいらが取るよ」

「えっ、待てよ。俺が拾うから、お前は飛び込むな」

 惣一郎の制止を聞かず、悠耶は川に飛び込んだ。

 手拭は水を吸っているから、簡単に沈むだろう。

 ただでさえ周囲は薄暗いから、見失ってしまう。

「お客さあん、何やってんですかあ」

 乗客が二人とも川に落っこちたから、流石に船頭も驚いた。

 間の抜けた声を出しながらも櫂の代わりに提灯を取り、客二人の行方を探した。

「駄目だって、お悠耶、待て!」
  
 悠耶は惣一郎の声に耳を貸さず、水に揺らめく手拭を追った。

 記念すべき悠耶の初給金で買った品物だ。

 なのに、その日のうちに川の底に沈んでは諦めきれない。

 揺らめきながら闇に呑まれて行く手拭に手を伸ばし、水に潜った。


しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

【SS】にゃんだふる?!ライフ

BL / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:24

ウサギとワカメ

児童書・童話 / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:1

私は悪役令嬢なんだそうです

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:7pt お気に入り:215

気がつけばピンクでした

恋愛 / 完結 24h.ポイント:7pt お気に入り:6

scenes~日常~

エッセイ・ノンフィクション / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:0

ペットサロン「王様の耳」へようこそ

ファンタジー / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:6

処理中です...