上 下
3 / 35
一章 ロリコン、金髪、時々ヤンデレ

しおりを挟む

「俺はロリコンだ」

 昨日に引き続き、まだ半袖で過ごすには厳しく、かといって昼間になると長袖が鬱陶しいと思える気温の中、私は昼食を取る為、学生食堂に訪れていた。

 大学というのは、一般的にカリキュラムが事前に組み込まれているものではない。これは名だたる鷹閃大学でも変わりはなく、自ら受ける講義を選択することになる。必然選択する講義によっては時間帯も変わり、学生も個別に休憩を取る為、昼休みを除いたどの時間帯にも学生食堂に人は散見されることになる。そんな学生食堂では、席に座れるかどうかというのは割と深刻な問題ではあるのだが、奥の二人掛けのテーブルが空いているのを運よく見つけることができ、そこに腰を下ろすことにした。


 私は好きなチキンカツ定食を頬ばり、お腹も膨れ、食器を下げようと席を立とうとしたのだが、私が座っていたテーブルに一人の男性が音もなく着席した。

 綺麗な人物だった。
 男性にこのような表現を使うのは聊か間違っているのかもしれないが、すらっと伸びた背は高く、体躯は引き締まっており、黒いジャケットから伸びる白い手指は細長い。髪は透き通るような銀髪で、瞳は黒を通り越して漆黒だった。その漆黒の瞳が私に向けられる。そして、薄い口が言葉を紡ぐ。冒頭の言葉を。


「俺はロリコンだ」


 やはり、言葉の意味を反芻しても全然理解が及ばない。この大学に通うのは紛れもなく、何かしらの才能に突出している天才達だ。そんな天才が見ず知らずの私にいきなり、自分の性癖を暴露する可能性を私には見出すことは出来なかった。

 聞き間違いかと思われたが、再度男性は口を開く。


「俺はロリコンだ」

 絶対に聞き間違いなどではなかった。川のせせらぎのように澄み切った声で紡がれた音声と、私が聞き取った内容との齟齬を見受けることが出来ない。もしや、この男性が紡いだ“ロリコン”という言葉は、稚拙な私が想像している少女への性的嗜好、ないし、恋愛感情を指す言葉とは別のものではないのだろうか。


「どうしようもなく、少女を崇拝している」

 どうしよう、もう言葉が見つからない。

 大体、この男性が私に声をかけてきた意味も、いうなら、この男性のことすら知らない。コミュニケーション能力に難がある私だが、コミュニケーション能力が高い人物ならばこのような事態でも難なく対処出来てしまうのか、取り留めもない思考が瀬戸内海の荒海のように唸る。


 すくなくとも私には無難に、そして愚直に疑問を口にすることしか思い浮かばず、絞り出すように言葉を紡いだ。


「すみません、どちら様でしょうか?」
「ロリコンだ」

 降参です、勘弁して下さい。
 一体何故コミュニケーション能力が低い私にこうも難解を課すのだろう。RPGで言うならチュートリアル終わって、ラスボス戦くらい理不尽だ。思えば、この大学に入学して2か月経つが、ずっとこのような難解な出会いばかりが続いている。もう少し、世界は私に優しくしてくれてもいいと思うのだが。たださえ、凡人である私にとっては講義内容で手一杯だ。私生活まで一杯一杯にしたくはない。出来れば、眼鏡をかけた大人しい女性とゆっくりお話し出来る、そんな出会いが欲しい。高望みなのは知っている。それでも私も男だ。心のどこかでそう願ってしまうのは仕方のないことである。


「んな驚くなよ。あー、っとなんだ。突然すまねぇな。アンタにはどうしても直接礼を言いたくてよ。俺の名前は、御剣。どう呼んでもらっても構わねぇ」

 恐らく私の顔を見て、困惑を受け取ったのだろう。男性は名前を名乗った。そしてこの私に声をかけた理由も端的に伝えてくれた。この御剣さんは、どうやら私に礼を述べにきたらしい。

 それを受けて、脳内で必死に与えられたヒントを元に記憶を辿る。そして、割とあっさり答えに行きついた。


「あぁ、すみません、ようやく分かりました。御剣さんのお兄さんですか?」
「いや、直接的な血の繋がりはねぇが、親戚だ。おんなじ大学の奴に助けられたって聞いたから直接礼を言おうとは思っていたんだが、如何せん、そいつの風貌しか当てがなかったからな。大学内をちょいちょい探して回ってたんだが、お前を見た時、ピンと来たよ、こいつだって」

 なるほど、得心がいった。いきなり、性癖を暴露するような変な人に絡まれたかと誤解をしてしまった。ましてや、変な人ではなく義理堅い人だった。


「いえ、礼には及びません。本当に偶然ですし、やったのもほんの些細なことです」
「いや、それを決めるのは助けられた本人だ。そしてその本人はそのことを本当に悩んで悩んで悩み抜いてた。だから本人にとって救世主だったんだよ、アンタは」

 そこまで言われると途轍もなくむず痒さがこみ上げる。
 そして次の言葉で一気にそのむず痒さが吹っ飛び、冷や汗へと変わった。

「感謝する、ここに二百万ある、受け取ってくれ」
「ニヒャクマン!?」

 心臓が飛び出るような経験をした人は、世界で一体何人いるだろう。抜き身でだされた札束を前に、私は今日をもってその仲間入りを果たした。むしろ、心臓が一回止まってしまった。絶対に止まっていた。


「いえいえいえいえいえ! 絶対受け取れません! そんな大金!」
「いや、受け取れよ。収まりがつかない」
「収まってくださいよ! 学生が学生に渡す金額じゃないですって!」

 男性は私が必死に拒絶するのを見て、眉をひそめた。そして、一旦、その札束を自分のほうへと寄せた。


 そこからはいくらかばかりの無言。学生食堂にいる学生の雑談が鮮明に聞こえ始めた時、男性は再度口を開いた。

「いっておくが、この金は俺にとってはいくらも価値はない。適当に今日持ち歩いてたってだけだ。そんくらいの価値しかねぇ。むしろ、この大学にいるのに、こんくらいの金で驚いてどうすんだ? 少なからず、お前の親もこれくらい鼻で笑えるだろうに」
「私の親はとてもじゃありませんが二百万を笑えるほどの金持ちでは・・・」
「あ? んだよそりゃ? お前スポ選か? ガタイもよさそうじゃねぇからそうは見えねぇんだが」
「スポーツ選抜の特待生でもありません。ただの凡人です。この大学にいる経済や芸能や政治に明るい人達と一緒にしないでください」
「・・・ふーん。そんな奴がこんな大学にいるとはねぇ」


 男性はその綺麗な指先を眼前で組んでこちらを見ていた。その瞳は、この席に着席したばかりの瞳より、ずっと漆黒で深淵を覗いたかのようであった。


「俺はな、ロリコンだ。だから、ぶっちゃけ野郎になんか興味はねぇ。だが、あいつを助けて貰った手前、ここでお前に二百万叩きつけて適当に帰るっていうのも違う」
「いえ、本当にお気になさらず」
「いや気にするね。だから質問に答えろ。お前はロリコンについてどう思う?」


 彼の顔は真剣そのものだった。怖い話である。


 何の因果が廻れば、また、前世でどのような悪行を行えば、ロリコンに二百万を押し付けられ、ロリコン自身にロリコンへの存意を問われるのか。素直に泣きたかった。

 そもそもとしてこれは会話なのだろうか。
 いや、もはや言葉を交わしているのではなく、一方的に押し付けられているだけだ。愚直に付き合う必要性はない。いくら相手が礼をしたいと言ってきても、押し付けが過ぎれば押し売りだ。

 話も早々に、席を立とうと足に力を籠める、すると彼は、私の足の甲を踏んで強制的に私を席に留めた。


「答えろ」

 短く言った。

 少しカチンと来た。
 私も一人の人間だ。初めて会った人間に何故ここまで詰問されなければいけない。ましてや、問われている内容が本当にどうでもいい内容ときたら、もう千言万語を費やしても表現し得ない、表現に値しない。

「ロリコンですか? 少女に劣情を催すなんて、生きてる価値ないですよ」
「0点の解答だ。ロリコンにとって少女は偶像であり、崇拝だ。崇め奉るべき、唯一神だ。ましてや触れていいもんじゃねぇ。劣情なんてもってのほかだ。ロリコンは命がけで少女を救うし守る。それを鑑みれば、少女の為に命すら捧げる、今後の人類の繁栄にとっても生きていかなくてはならない存在だ。理解しようともしねぇ偏見がそんな破滅的解釈を生むんだっつーの。それを劣情? 笑える、お前はキリスト教徒に向かって“イエスキリストでマスかいてる“って言ったようなもんだぜ」
「私も笑えますね、今貴方がキリスト教徒に喧嘩を売ったってことに」


 彼は私の言葉を聞くと、一つ大きく息を吸ってはいた。その姿すら流麗であり、私の神経をこそこそと逆撫でする。


、お前」

 トンとテーブルに音が鳴る。見ると、札束が置いてあった。


「いりません、持って帰ってください」
「なんでお前の言うこと聞かなきゃなんねぇんだよ」

 見ると、もう席を立っていた。音すらなく、背を向き歩き出す。


「礼は言っとくぜ、パンピー。親戚助けて貰ったのは事実だ。だが、個人的にお前はノーサンキューだ、出来ればあいつとも二度とかかわねぇで欲しいもんだ」

 言いたいことだけ言って、もう一瞥もせず、彼は去っていった。

 残ったのは、テーブルの上にある札束と私のどうしようもない感情。

 あれだけ憤り、騒いでしまったことを恥じ、確認するように周りを見渡す。だが、札束が置いてあるこのテーブルに目を向ける者なんて一人もいない。本当にこの大学の学生にとっては何でもないことらしい。

 それが私にとっては異常に思え、彼らからは私が異常に見えるのだろう。


 そう思うと、彼らが非常に思えたのだった。

しおりを挟む

処理中です...