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二章 0で割れ

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 家に一秒も居たくなかった私は、あの後すぐに駅前の書店へと向かった。


 近代化をこれでもかと推し進めた外観をしている駅とは裏腹に、時代とは逆行するようにレトロな雰囲気を醸し出すその書店は、どうやら個人で経営しているようで、店員も一人しかいない。
 それほど広くない店には、あと一人学生と思わしき人物がいるだけだった。
 壁を囲うように置いてある本棚には、時代を刻んできたかのような古書があり、店の真ん中に位置する場所に、私の目当てのものがあった。

 多い。
 そう思わずにはいられないほど、多種多様な講義の過去問がずらずらと並べられ、その紙媒体が肩身を狭くし、自分の居場所を確保していた。それに目をやり、私の受けている講義がないかと物色していると、自分の講義のほぼ全ての過去問があり、思わず全部手にとってしまう。


 一講義の過去問が500円。
 これを高いと感じるか、安いと感じるかは恐らく人それぞれだろうが、平凡な私にとっては、これは敵を倒すための聖剣にも等しい。間違いなく安い。安い。
 安いのだが、塵も積もればなんとやら。全部購入すると結構な金額になってしまう。手にした過去問を見て、思わず唸る。偶々手に持って見つめているのが、明後日の試験の過去問だからか、更に私を苦しめる。


「その講義、受けてるのかい?」

 そんな私に声を掛けてきた人物がいた。
 先ほどから店内に居た、学生と思われる男性だった。身なりがキチンとしていて、背は高く、短めに切り揃えられた黒髪が上を向いている。初めて見る人物だったが、何故彼が話かけてきたのか、それは彼の聞き方から推測できた。


「えぇ、貴方も受けているのですか?」
「正解。大教室で行われている授業だから、僕のことなんて知らないだろうけど」
「それは私も同じですよ、200名ほど受けていますからね、あの講義」

 彼も同じく明後日、同じ試験を受ける人物だった。恐らく、私と同様、過去問を購入しに来たのだろう。


「で、買うのかいそれ? 大分悩んでたみたいだけど」
「正直、ちょっと所持金の関係で悩んでいました。って、初対面の人に言う話ではないですね、忘れてください」

 私はそういうと、すこし下がる。
 見ると彼は手ぶらで、まだ過去問を取ってはおらず、とりやすいようにという意図を込めてだ。
 彼は棚をみて、そして、私を見る。
 するとどうしたことか、私が見つめていた、つまりは、私が手に取っていた過去問をするっと、奪い、手元におさめた。
 ぽかんと見つめる私に対して、彼は言った。


「ちょうど僕も買おうと思ってたんだ。今から時間はある?」
「? 時間ならありますが?」
「じゃあ、一緒に勉強しようよ」

 私が金銭的に不味い状況であることを加味しての提案だった。
 笑顔でいう彼に、なるほどと私は頷く。恐らく、モテる男性とは彼のような人のことを言うのだろうと。不覚にもキュンと来た。

 家に帰りたくなかった私は、もう首が吹っ飛ぶくらいの勢いで激しく頷いた。

 こんないい人物との出会いがあるとは、私の運勢も捨てたものではない。
 大学に入ってからは数奇な出会いばかり重ねていたが、世界はついに私に優しくなったようだった。
 初対面の人ととの会話を苦手する私が、初対面の彼の提案に乗ってしまうほど、不思議な魅力がある人物だった。

 そんな人物と出会えたことが、私にはうれしくて仕方がなかった。

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