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第四話「僕なら絶対にしないこと」

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現状わかっていることをまとめると、一番濃厚なのは恋愛による嫉妬と受験から逃れるためだ。

七つの大罪でいえば嫉妬か色欲、もしくは怠惰だろうか。


『先に言っておくが私は君に謎を解いてほしいのではないよ。

ましてや、君が難解な謎が解けずに苦しむ様子を見たいわけではない。

むしろ、謎が解けなくても謎解きを放棄しても構わない。

ただ、私に君がこの謎をどう解くのか見せて欲しいんだ』

 

「そんなこと言って、ちゃんと難しいじゃないですか」

こんなことなら、もっと犯人と被害者について質問をすれば良かった。

だから彼女は何度も「質問をしないのか」と尋ねていたのだろう。

そして僕がそれでも黙々と仕事をするものだから、最後には自らヒントを与えた。

ただ、そのヒントも直接的な動機にはなっていない。

 

『この場合はノイズになるから詳しくは言わないが、』

『いいねぇ、探偵はまず前提を疑う。良い線を行っているよ』

 

雲隠さんは、ところどころで僕を正解に誘導するような言葉を使っていた。

例えば『断言しよう。君は、絶対に同じ理由で人を殺したりしないだろうな』というのは、僕が犯人に感情移入して謎を解こうとしていたことへの警告だ。

「…何で、あの人は僕にこの謎解きを提案したんだろう」

そして気になるのが、彼女が僕にこの謎を解かせている理由だ。

ミステリーの主人公が探偵の場合は、依頼を受けて金銭の対価に謎を解く。

警察なら犯人逮捕が仕事のためだ。いや職業に限らず、犯人を見つけて次の犯行を防ぐためというのもある。だが犯人は既に逮捕されており、動機だけが宙ぶらりんになって雲隠さんの元にやってきた。

そして、依頼を受けた彼女は僕ならどのように謎を解くのか興味が湧いた。

「僕なら絶対にしないこと、ハウスキーパーが絶対にしないこと…」

もう一度、人物関係をおさらいしてみよう。

犯人と被害者で犯人の恋人に、犯人の生活を支援する両親。

例えば、被害者が犯人の情報を犯人の両親に横流ししていたら、それは殺害理由になるだろうか。被害者は犯人の身の回りの生活をサポートしていたというから、必然的に多くの情報を知り得るはずだ。

家にいるだけでいつ家を出て塾に行き何時に帰り、何時間勉強したのかはもちろん、通帳やカードの明細を見ればお金の使い道までわかる。

犯人は成績優秀だったから隠す必要もないけれど、テストの結果も知ることができたはず。それを歪んだ愛情を持つ両親に密かに伝えていて、対価に金銭を受け取っていた。

あるいは、その金銭のために犯人と付き合っていたとしたら。

交際を反対されていたのはフェイクで、任務を終えたらいつでも彼女が家族からの反対を理由に別れられるよう布石を打っていたとか。

考えれば考えるほど、この動機の実現性は高くなる。

最愛の人の裏切りと両親への反抗心で激情した犯人は、恋人に殺意を抱く。

憤怒に身を任せて縄を持つと被害者に近寄り…と想像をして違和感を覚えた。

犯人は縄で首を絞めて殺害したというけれど、カッとなって縄を持ち出すだろうか。

だったら、それこそ突き落とすとか殴りつける方が理にかなっている。

仮に恋人への猜疑心を抱いていて、真実を確かめるために会話をしている手元に偶々縄があったとしても。被害者は、『背後から首に縄を巻き付け絞められていた』のだから道理が合わない。

もし後ろから縄を巻き付けることが出来るとしたら、逃げ出した被害者の背後から首に縄をかけてということになるが、相手も自分も走っていてそんな器用なことができるとは思えない。

それとも、恋人の裏切りに確信を持った後に時間を置いて冷静になったところで殺害したというのか。

そもそも、何故縄が家にあったのかも気になる。それは偶々近くにあった荷造り紐なのか、それとも事前に首を絞めるために購入した太く丈夫な縄なのか。

「ふふん、凶器の縄はね。

二人がベランダの目隠しをDIYするために購入したものだよ。

フェンスに木板を縛り付けるつもりだったらしく、わざわざ車を出してガーデニングショップまで行っている。

もっとも、製作する前に事件が起きてしまったわけだが」

次の日、挨拶も早々に推理を披露した僕に、雲隠さんは椅子の上に足を上げて横目で答えた。その手には爪切りが握られており、手の爪を切り終えて足の爪を切りそろえていく。

ちゃんと下にゴミ箱と新聞紙を用意しているとはいえ、飛び散った爪の掃除は後々大変そうだ。

今日の夕食はひき肉を使ったハンバーグとコーンスープに、ミックス野菜とゆで卵のサラダだ。サラダのドレッシングとハンバーグのソースはどちらも手作りしており、行きに食材を購入した分昨夜よりは豪華なメニューになっている。

「じゃあ、犯行のために縄を用意したわけではないんですね」

「んー?それはわからないな。

だが、君の推理には決定的な穴がある」

「え?やっぱり、2人は相思相愛ということですか?裏切りなんてなかったとか」

「いいや、そもそも犯人の両親は自分たちの子供に恋人がいることを知らなかったんだ。

まぁ、浪人中に恋愛をするとは考えにくいからね。

援助をする以上成績の推移は気にしていたそうだが、それ以外は放任していたそうだ」

「でも、確か交際を反対されてって…」

「それは彼らが高校で同じクラスメートだったときの話だ。

親に彼女が出来たと告げたところ、犯人は猛反対の末に殴られまでしたそうだ。

だから、その後は秘密交際をしていたことになる」

「殴るだなんて…ひどいですね」

「だからといって、親に黙って同棲していたのもどうかと思うがね。

親も親で、二人分の光熱費や水道代が自分たちの財布から支払われていることに気付くべきだろうに」

「ははは…まぁ、親御さんたちも二人分払っているわけですし気付かなかったんでしょう」

「おやおや、推理が外れたというのに随分明るい顔をしているね。

それとも、腹案があるのかな?」

「あぁ、いえ。

申し訳ないのですが、考えついた答えはこれだけです。

ただ、外れて良かったとも思って」

「外れて良かった?なぜ?」

「言いづらいのですが、今の答えは推理して辿り着いたものじゃないんです」

「どういうことかな?」

「つまり与えられた状況証拠や犯人の心理を辿って思いついたものではなくて、『どうして雲隠さんが僕にこの話をしたか』から考え付いたものなんです。

だから、その、何て言えばいいかわからないんですけど、問題から解いた答えではなく出題者の先生の顔色を窺って当てずっぽうで出した答えなんです」

「ふふん、なるほど賢馬ハンスか。

問題から解き方を探り答えを出したのではなく、答えから逆算して解き方を考えたわけだね」

賢馬ハンスとは、かつて人間のように学問が出来るほど賢いとされた馬の名前だ。

ハンスは出題者の言葉を理解して算数を解くことができ、その答えの回数だけ蹄を鳴らしたという。

本当なら、馬でありながら人間並みの知能を持つことになる。

しかし、すぐに種が明らかになる。

何とハンスは問題や答えがわかっていたのではなく、出題者や周囲の人間の反応を観察していたのだ。
そして答えの回数まで蹄を鳴らしたとき、人間たちが僅かに彼らが反応するのを見て、蹄を鳴らすのを止めていたとわかった。

その証拠に、ハンスは周囲の人間が誰も答えを知らないと、いつまでも蹄を鳴らし続けたそうだ。

つまり賢馬は賢馬でも、ハンスは語学力や計算能力に優れていたわけではなく、観察力に優れていたのだ。

だが、これは謎解きやミステリーにおいては邪道も邪道だ。

「邪道か、私はそれでも一向に構わないがね。観察力は探偵にとって必須能力だろう」

「いやいや、ミステリーは謎を解く工程を楽しむものですから。

これではカンニングをしたようなものです。それじゃあ…え?」

「……」

雲隠さんが、突然全ての動きを止めて硬直した。

爪切りを閉じたまま、切りかけの爪を見つめている。

賢馬ハンスでなくても、その反応を見れば僕が口走ったことにそれだけの価値があったことがわかる。雲隠さんは、硬直したまま見たことないくらい楽し気な笑みを浮かべていた。

昨夜あれだけ頭を捻って答えを一つしか出せなかった僕だが、これでも自分なりにずっと考え続けてはいた。

他にも答えがあるのではないかと、思考は続けていた。

夕食を終えて歯磨きをしながら、あるいは学校の宿題を終えて明日の準備をした後も、何か見落としているのではないかと考えて考えて考え続けて。帰宅して数時間後には頭が痛くなったくらいだ。

「駄目だ、また煮詰まってきた…風呂入ろ」

僕の家はいわゆる3点ユニットバスと言われる構造で、トイレ・浴槽・シャワーが並んでいる。

シャワーカーテンを閉めて浴槽の中でシャワーを浴びると、水が跳ね返って足に当たる。

照明が暗い上にカーテンの陰になってラベルもよく見えないが、手探りでシャンプーを探り当てて念入りに洗う。

客商売をする以上、清潔感には気を使っている。毎日風呂に入らないと髪がギトギトするし、生乾きは匂いの原因になる。

着替えて外に出ると、引っ越し祝いで友人に貰ったドライヤーで根元を乾かす。身体を綺麗にしたお陰か、思考も少しすっきりしてきた。

だが答えがこれ以上浮かばないからか、僕は両親が地元の名士という犯人の生活を想像する。

親元から離れて一人暮らしをしていたというが、半同棲というからにはほとんど恋人と暮らしていたのだろう。

朝起きたら恋人が料理を作ってくれていて、悠々と食事を取ったら塾に行って勉強を行う生活。

昼は近くのコンビニで好きな料理を食べて午後は授業を受け、夕方からは自習室で勉強をして、帰宅すると恋人が夕食を作ってくれている。食事が終わった時にお風呂が沸いていたら、もう最高だ。

後は着替えて布団に入って二人で映画を見たりして、明日も早いからと切り上げて眠りにつく。文句なしの最高の生活だ。

では、彼女はどうだろうか。

犯人の身の回りの世話を全て行っていた被害者の生活は、どんなものだっただろうか。

お金を払ってでも代行してほしい人がいるくらいだから、家事も楽ではない。特に自分だけではなく誰かの分も行うとしたら、適当な料理や完成度では満足できなくなるのが人情というもので、それだけ精神的にも肉体的にも体力がいる。

だから普通はカップルでも夫婦でも争いを生まないように家事を分担し、あるいは家事と仕事で分担し合うものだ。

どちらか一方に負担が集中すれば、争いの種になるからだ。なのに、二人の場合は違った。

僕には、彼女の気持ちが何となくわかる。

きっと、好きな人が夢を目指す背中を応援するのはそれだけやりがいがあったのだ。

しかもその夢が自分と同じ大学に入ることで、最終的には自分の幸福にも繋がるとなれば、誰だって全力で恋人の受験勉強を応援するだろう。それが家事であれ言葉であれ。

いつか、同じキャンパスで勉学に励む姿を想像しながら。

両親からは経済的な援助を、恋人からは家事という生活援助を受けて、犯人は思う存分勉強に打ち込み模試で結果を残した。

あと少しで、その夢も叶うはずだった。

なのに、なぜ恋人を殺害してしまったのか。彼らの期待が重荷となって逃げたくなったならまだわかるが、本人が否定しているというなら疑う余地もない。

けれど、もしも因果関係が逆だったら。

「快適な環境を維持するために、成績を偽っていた?」

「んふふ、ふふふっ…ふははは!!」

「…ひぃっ」

雲隠さんは、腹を抱えて笑い出した。

赤子のような無邪気な笑みは、しかしその知能の高さと普段の冷静さとのギャップが引き立ち、美形な容姿も相まって微笑ましさより恐怖を掻き立てた。

爪切りを放り投げて足をバタバタと動かし、ゴミ箱を蹴飛ばして中身を散乱させても、彼女はひたすらに笑い続けていた。
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