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銀座の焼肉

第三話「特別な理由」

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「…では、仮にハウスキーパーの少年を彼として~。彼は先生の親戚ですか?」

「ノーだ」

「なら~、彼に恋愛感情を抱いているのではありませんか?」

「ノーだ」

「彼の属性や見た目が好きとか?」

「ノーだ」

「もし彼と同世代で同じ性別、同じ能力の人がいたらハウスキーパーとして雇いますか?」

「わからない」

文鎮の顔がやや明るくなる。

最も懸念していた恋愛関係が否定された。となれば、青少年保護育成条例に反するようなスキャンダルの心配もなさそうである。少なくとも、恋愛にかまけて執筆がおざなりになる心配もいらなさそうだ。

しかし、次の質問の回答を受けて文鎮の顔が険しくなる。

「恋愛感情はなくても~、特別な感情を抱いている?」

「イエスだ」

「…その感情は、友情ですか?」

「ノーだ」

「……恋愛感情でも友情でもないと?

では彼を雇っているのは~、そうしなければならないという必要があってのことですか?」

「部分的にそうだ、三角といったところか」

「ハウスキーパーを雇う必要があって~、彼がいたから彼を選んだというわけですか」

「イエスだな」

「わかりました。では、この50個の質問でその理由を聞かせて頂きましょう~」

「んふふ、やれるものならやってみるといい」

「では遠慮なく~。

ごほん、先生は彼や彼に関係する人物に恩があってそれで雇っている?」

「ノーだ」

「では、誰かに彼を雇ったり彼を手助けをする約束をしている?」

「ノーだ」

「雇わざるを得ない弱みを握られていたりして、半強制的に雇わざるをえないとか?」

「ノーだ」

「一応確認しますけど、反社会的勢力と関わっていたり犯罪に巻きまれたりしますか?」

「ノーだ」

「なら~、彼をハウスキーパーとして雇ったのは偶然ですか?」

「ノーだ」

このゲームは、一瞬で考えたにしては良く出来ている。

まず勝利条件が明確だ。情報を渡し過ぎたら文鎮の勝利、上手く文鎮を出し抜いたら雲隠の勝利。

文鎮にも雲隠にもメリットがあり、寧ろ情報を渡される分チャレンジャーの文鎮の方がメリットがある。

にも関わらず雲隠が自信に満ちているのは、文鎮が真実に辿り着くことはないとわかっているからだ。自分の頭脳に自信があるのか、文鎮の頭脳を下に見ているのか。だが文鎮が抱いた感情は怒りではない。

雲隠が、本来は気にも留めない編集者にゲームをしかけてまで、気にかけて守ろうとしている少年がいる。

そこまで特別扱いを受けている、顔も姿も知らないハウスキーパーへの嫉妬だ。


水平思考ゲームの攻略方法として、あえて回答から遠い質問をするものがある。

一見関係がないような前提知識や客観的な情報について言及することで、回答に辿り着く手がかりを得たり、回答に辿り着く障害や思い込みに気付くことができるのだ。

文鎮は自分が雲隠のことをよく知っているが故に、彼女について誤解している可能性を考えていた。例えば、彼女の考える雲隠は誰かに恋愛感情を抱いたりしない。雲隠は知的で合理的な最高のミステリー作家で完璧な存在であるし、そうでなければならない。

少年に特別な感情を抱くような、不埒な人間なはずがないのだ。

「次は論理的な判断による方向で行きますか~。

彼には、何かしらの適正がある?」

「イエスだ」

ほら、というように文鎮の頬が緩む。

肉をひっくり返して焦げ目を確認し、両面を焼きにかかる。

「その適正は~、テストで測れるものですか?」

「イエスだ」

「そのテストは特殊なものですか?」

「イエス」

「公式なテストですか」

「イエス」

「つまり、そのテストに受かったから彼を雇っているわけですね」

「それは何とも言えない」

「え?」

「三角だな」

だが、動きはそこで止まった。

「…彼はテストに受からなかったんですか?」

「そうだ」

「……?」

引っかかる言い方だ。例えば受かってはいるが、それが雇用理由ではない。あるいは受かってはいないが、それが雇用理由であるということか。

否、三角であるということが両方の意味があるということならば。一度受からなかったが、その後受かったという意味にも取れる。

「テストの結果だけではなくて、その過程に雇った理由があると」

「イエスだ」

「ふ~ん、残りの質問でテストの内容を詰める余裕があるかどうかは怪しいですね~。

合理的な判断で採用したと考えたとしても、先生の動機がまだ見えてこないとなると」

焼き終えた肉を雲隠の皿に乗せて、網の上が空になる。文鎮はご飯の上に肉を乗せて一口頬張ると、ロースの脂身が舌の上で溶ける触感を堪能する。

思考をあえて口にしているのは、雲隠の動揺や反応から答えを探るためだ。本人はそれを知ってか知らでか、ポーカーフェイスで呑気に肉の両面にタレをつけている。

「いや、寧ろ難しく考える必要はないのでは~?

先生は、私じゃハウスキーパーになれないと仰っていました。裏を返せば、私にないものを彼が持っていてそれがハウスキーパーに必要だと思ったわけですよね」

「……」

「先生は、彼のことを信用している。テストの結果はともかく、彼の善性と性格を信頼して雇ったのでは?」

「イエスだ」

「気になるのはここからです、他にも雇った理由はありますか?」

「イエスだ」

「前提を明らかにしたところで、私が目指すべきゴールがわかりました。

その理由がわかれば、私の勝ちです」

「…肉が足りないな」

店員を呼んでタンとロースを追加して、網が取り換えられる。質問は残り半分を切っている。

プログラムの世界では、未知の存在をブラックボックスと呼ぶ。このブラックボックスの中身を探る方法は、単純明快。とにかく様々なキーワードや手法を試して反応を探るしかない。

そして反応のあったキーワードを抜き取って予測を立てて、推理をするのだ。

文鎮は今までに雲隠の反応があったキーワードを並べる。

特別な感情、テストの経過と結果、そして雇われている本人はそれを知らないということ。

「雇用理由を知られたくない…何故?」

「……」

「ひょっとして、理由を知られたら特別な感情を抱いていることも知られてしまうから…ですか?」

「イエスだ」

「知られたくない感情、しかし友情や恋愛感情ではない。

知られたくないのは、その感情がネガティブなものだから?

客観的な情報に立ち返ると、幼くして事故に巻きこまれ高校生にして働いている少年…同情で雇っているとか?」

「ノーだ」

「信仰や尊敬とか?」

「ノーだな」

「随分力強く否定されますね~、高校生で働いているという彼の境遇に同情しているのかと思ったのにな~

じゃあ、相手に知られたくない理由や感情は仕事に関わることですか?」

「ノーだ」

「あぁ、もう~。

その感情に名前はあるんでしょうね?」

「もちろんイエスだ」

「…ねぇ、先生?

私だって担当作家のプライベートには口を出したくはないんですよ~。

でも、それが作品の質に関わるようならきちんと把握して必要なら管理したいと思うのが担当編集というものじゃないですか。締め切りの管理だって差し入れだって、私はこれまでマメにしてきたつもりですよ~?

それでも、教えて頂けないんですか?」

「イエスだ」

「じゃあ、その気持ちを彼以外に抱いたことはありますか?」

「ノーだ」

「そう仰られてしまうと、私としても探らざるを得ないのですよ~。

恋愛スキャンダルではない、お金を貸したり弱みを握られているわけではない。

なのに雇って特別な感情を抱いている。それも執筆業に関係することではない」

「……」

30個の質問を終えて、残りの質問は20となる。文鎮は空になった皿と半分になった茶碗を見つめる。

文鎮は決して知能が低いわけではなく、頭の回転は速い方だ。話題に上っているハウスキーパーの少年や凡人では決して辿り着けない雲隠の核心に、あっという間に迫る。

それでも、文鎮には未だ雲隠の意図が見えてこない。そして、わからないからこそさらに興味を惹かれる。

「そもそも、先生は彼を雇ってどうしたいんですか?

近くに置いておきたいんですか?」

「…三角だな」

「言葉足らずでしたかね。ハウスキーパーでなくても、傍に置いていたいんですか?」

「ノーだ」

「ふむふむ、仕事抜きにして近くに置いておきたいほどではない。

そこまで強い感情があるわけではないんですかね~。

ただし、私に彼を探られると困るのはどうしてでしょうかね~。

私に探られたくない事情と、特別な感情は関係していますか?」

「イエスだ」

「では、彼を雇う理由とは関係していますか?」

「イエスだ」

「やっぱり、先生が彼を特別視する理由と雇っている理由は別なんですね。

近くに置いておくことで何かメリットがあるんですか?」

「…三角だな」

「何だか曖昧ですねぇ。

しかし、先生はハウスキーパーを雇うことで対価を払っているわけですから…それは等価交換であってメリットとは言えないとも言えますね~

じゃあ、メリットがあるのは先生ではない?もしかして、その少年にメリットがあるのでは?」

「イエスだ」

「少年は自分が特別な感情を抱かれていることを、自覚しているんですか?」

「ノーだ」

「先生が彼を雇った理由は、彼に仕事と対価の報酬を与えるためですか?」

「イエスだな」

「一方的な感情で一方的に少年に利益を与えていると?」

「イエスだ」

「なるほどっ、これまでは先生の方にばかり注目していましたけどそれは間違いだったのですね。本当にメリットがあるのはハウスキーパーの少年の方、それも本人はそうと知らずに恩恵を受けていると。

確かに、客からすれば未経験で未成年の男子高校生をハウスキーパーとして雇うのは不安が多いでしょう。それを無条件に好条件で雇っている、メリットがあるのはどう考えても少年ですね~。

先生が特別な感情を彼に知られたくないというのは、彼に余計な責任やプレッシャーを背負わせないためですか?」

「イエスだ」

「しかしその理由は同情でも恋愛感情でもない、もしかしてただのボランティア精神でそんなことを?」

「それは違うな、ノーだ」

「そうですよね~、彼以外には特別な感情を抱いていないと仰っていましたもの。

じゃあ、先生と彼は師弟関係にあるとか?」

「ノーだよ」

「じゃあ、ただのビジネス関係とか?」

「ノーだ」

「んー?

特別な感情があると言ったり、彼にも私にも知られたくないと言ったり…何なんですかぁ?本当にもう」

「んふふ、君がイラついている姿は初めて見たよ。

どうするんだい?質問は残り10個もない」

「…先生の考えていることがわからないのはよくあることです。

でも、あなたはこれまで仕事一筋だったじゃないですか。

よくわからないハウスキーパーの少年に現を抜かされて、作品の質が落ちるようでは困るんですよ」

「へぇ、誰がだい?」

「私と出版社、先生の読者がです」

「随分とはっきり言い切るねぇ、君は私に対して妄想が過ぎるよ」

「…って、私に質問してどうするんですか。

あなたに答えてもらわないといけないのに」

「ふふん」

「ねぇ先生、ここまで必死になっても教えてくれないんですか?」

「それは質問かい?」

「いいえ…大体このやり方は回りくどいんです。

他人の動機を知るなんて、答えに検討がついていないと最初からわからないじゃないですか~。

そもそも動機なんて、本当にあるんです?

先生のことですから、私に意地悪をして楽しんでいるんじゃないですか~?」

「ははは、まさかまさかそんなこと」

「どうだか。妄想と言いますがね~。

私の知っている先生は、もっと理知的で小説のために全てを犠牲にする利己的な人なんです。

先生は時間を無駄にするようなことをしませんし、友人なんかのために仕事を犠牲にすることはありません。

だから…」

だから、と言いかけて文鎮は気付く。彼女の知っている雲隠日景は無駄話を好まず、自分のプライベートをゲーム感覚で明かしたりしない。

そもそも、こんなクイズをするはずがないのだ。

彼女が口を開くとしたらそれは次回作の構想か、読者と世間を知るために最近の社会流行について議論するくらいだ。

「…先生、私はこのゲームで担当作家の情報を得るメリットがあります。

しかし、先生は一体どんなメリットを得るんですか?」

「少なくとも、君の質問から解放されるね」

「ハウスキーパーを雇った話も、雇ったのが少年という話も、私にその話をしたのは先生です。

つまり、その気になれば私に一切ハウスキーパーを雇った情報を与えないことも可能なわけですよね~。

なのにあえて話して、私を嫉妬させて困っている?

そんな馬鹿な、雲隠日景がこの状況を読めないはずがない。わざわざ私に話したのなら、こうなることもわかっていたはずです。では、一体何故か。

あなたは、私に何かをさせたかった…?」

「イエスだ、私は君にお願いがあったのさ」
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