ミステリーの神様と家政夫の僕

栗金団(くりきんとん)

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why do it?

第一話「お嬢様」

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「もはや誰が何のためにどうやって行ったのかは問いません。

ただ、どこに絵を隠したのかを知りたいのです」

「安心したまえ、必ず私が絵を取り戻し問題を解決してあげよう」

 国内有数の高級住宅街にある屋敷で、雲隠さんはメイドの依頼をあっさりと受けた。

あまりにも簡単に言いのけるから、直前の話を全く聞いていないのかと疑ってしまうほどだった。

ただ他人の家のソファで足を組んで自室のようにくつろぐ彼女の不敵な笑みは、不思議とこの人なら全てを解決できると言えるような安心感があった。

 

 事の始まりは、いつものように僕が彼女の家を訪れた時の事だった。

「お邪魔します、比良直流で…ぇ!

く、雲隠さん!?どうしてここに!?」

「どうして?何を言うのかね、ここは私の家だよ」

「そ、それはそうですが…いえ、失礼しました。お出かけですか?」

会社から借りている合鍵で家の中に入ってハウスキーパーの仕事にかかろうとした僕は、同じようにこの時間平素なら仕事部屋に籠って原稿を執筆している雲隠さんに、何故か玄関で出会った。

しかもパジャマではなく、セットアップのスラックスとジャケットを見にまとったスーツ姿で。

鞄も財布も持たず、けれど革靴を履いて座り込む彼女は、まるでどこかに出かけようとしているようだった。

依頼主が家事代行中に家を空けるのは、よくあることだ。

自分の家とはいえ誰かが家を掃除していると気が散って仕方がないという人や、家に帰ることが少ないのでその間に家事をして欲しいという人もいて、全体でいえばそちらの方が多数派になる。

しかし、彼女の場合はまるで僕が来るのを待ち構えているようだった。

「うん、しばらく出かけてくる。留守は頼んだよ」

「はい、いってらっしゃいませ」

「ところで、明後日は空いているかね?」

「明後日ですか。

えっと、特に予定はないですが…でもその日は」

「あぁ、朝から私の家でハウスキーパーの仕事があるのはわかっている。

だが、少しばかり変更することになった。

君の会社には先ほど電話をしておいたよ」

「わかりました、振替はいつにされましたか?」

「いや、キャンセルをしたいわけでも別日に移動したいわけでもない。

寧ろ、明日はいつもより働いてもらいたいのだ」

「もしかして、延長ですか?」

「その通り、そして出張だ」

「出張?」

「そう、と言っても私の家ではないがね。

喜べ少年、面白いものが見られるぞ」

そして、今に至る。

『少しばかりの変更』と言われていた僕は彼女の指示通り正装の高校制服で彼女の家を訪れ、そのまま彼女と共に東京駅で新幹線に乗り込んだ。いくつか乗り換えをして駅からタクシーで数十分、やってきたのがこの屋敷だ。

200平坪という商業施設と同じ広さの敷地内に、2階建ての一軒家と高木や芝が生えそろう緑地が揃った土地。

まさに大豪邸。それが今回の出張先だった。

「申し遅れました、私の名は伊呂波 香。

この邸宅でメイド長をさせていただいています」

「紹介するよ、比良直流少年。

彼女が今回の依頼人にして、君の前任者だ」

普段はミステリー作家である彼女に、このような謎が舞い込むことは珍しくない。

以前は警察のご友人から、加害者の動機がわからないから推理して欲しいと相談を受けていた。

けれど、今回は相談ではなく依頼だという。てっきり、彼女の別荘にでも連れていかれると思っていた僕は困惑していた。

「あの依頼というのは?」

「別に探偵業を始めたわけではないが、彼女には恩があるのだ。

彼女の謎を解き問題を解決することで、それを少しでも返せたらと思ってね。

君の仕事については、ちゃんとこの後説明するから安心したまえ。

他に質問は?」

「僕の前任者…つまり、雲隠さんのハウスキーパーだったということですか?」

「そう、ここの当主である神崎裕美と私は知り合いでね。

彼女を私より好条件のこの屋敷に推薦したのも私だ」

「その節は本当にありがとうございました、日景お嬢様」

「お嬢様…!?」

伊呂波さんは雲隠さんの親世代に近い年齢と出で立ちの女性だったけれど、まっすぐ伸びた背筋とハキハキとした喋り方から、紛れもなく経験豊富なメイドだとわかった。

フィクションで扱われることの多いメイドと家政婦だが、実は仕事内容には違いはない。

違いはただ一つ。依頼人の元に住み込みで働いているかの一点だ。

メイドは主人と同じ敷地内で寝泊まりをしている。

それだけ、ハウスキーパーや家政婦より待遇も良くなると聞く。

雲隠さんは珍しく飄々とした表情を崩して苦笑いを浮かべると、誤魔化すように事件の話を催促した。

「やめてくれ…お嬢様は成人して卒業したんだ。

それで、事件の詳しい全貌を聞こうか」

「ふふふ、失礼しました。

事件が発覚したのは、二日前です。

私達の当主である神崎様が、仕事で短期の出張に行かれた翌日のことでした」

主人の不在は珍しいことではない。

伊呂波さんは2人のメイドを部下に持っており、主人を見送ると広大な敷地で家事を行い始めた。主人がいようといなかろうと、同じように仕事をしていた。

ところが、その夜正面玄関で戸締りをしていた伊呂波さんは気付いてしまった。その場所にあるはずの、とある絵がその場所から無くなっていたことに。

「私どもの主人は芸術方面にも明るく、美術収集をされています。

所有数は百を超えるため私共も全ての絵画の詳細を知っているわけではありませんが、その中でもお気に入りの絵画は邸内の廊下や部屋に飾られていました」

「ふふん、その一枚が無くなっていたということか。

額ごと、まるで最初からそこに無かったかのように」

「えぇ、その通りです。

盗まれたのは主人が人から貰い受けたもので、著名な絵師が描いた絵だと聞いています。

価値にして、およそ200万円だとか」

「に、200万、円!?」

僕の月給何十か月分だろうか。

まともに貯金もできない今の生活では、一生かかっても手に入れられることはないだろう。とてもインテリアに出せる金額ではない金額だが、人から貰ったものだというならきっと誕生日や記念の特別な日にでも貰ったのだろう。

しかし、雲隠さんは僕とは異なる驚き方をした。

「著名な絵師が描いたにしては安いね。

大きさは?」

「A4サイズほどでしょうか」

「だろうね、あいつは質より量を重視するタイプだ。

成金みたいに沢山の宝石で家を飾りたいのさ。

おや、少年。何だねその顔は」

「あの、200万円ですよ…?

一体、どんな作品なんですか?」

「サルバード・ダリ、『記憶の固執』の1点もののリトグラフでございます」

雲隠さんは携帯を弄って作品を確認すると、僕にも軽く画面を見せて閉じた。

第一印象は、荒野に置かれた時計や木の絵画だった。

西洋の油絵だろうか、写実的な絵というより抽象的で独創的な印象を受ける。

特徴的なのは、描かれている4つの時計はそれぞれ木にぶら下がったり地面に横たわっていたりと、まるで布や液体のように描かれている点だった。

絵の良し悪しはわからないけど、一度見たら忘れない印象的な絵画だ。

それに美術の教科書か何か、どこかで見たことがあるような気もする。

そう考えると、正面玄関から入った時に左右の壁に飾られていた絵画や廊下に置かれた像、あれらも高尚な作品だったのではないかと思えてくる。

一方雲隠さんは絵画を見ても特に驚いた様子もなく、僕が驚く様子を楽しげに眺めていた。

「んふふ、この家を建てられる人間にとってそれっぽっちの価格は大したことないさ。

それに貰い物だという。

犯人も考えたものだね、貰い物なら主人が激怒するものでもないというわけではないが、自分で買ったものよりは…多少マシだろう」

「本来ならすぐに主人に報告し警察に通報をするべきですが、私は部下のメイドにもそれを禁じています」

「えっ」

伊呂波さんの言葉に、思わず声が出てしまった。

僕はメイドではなく家政婦に近い、正確にはハウスキーパーを名乗っている。

けれど、僕らの仕事の本質は変わらず家事を通してお客様に快適を提供すること。

お客様の最もプライベートな場所で仕事している自覚を持ち、行動により責任を果たすことである。

依頼人の家で空き巣や盗難、不法侵入が起きたら、即刻通報して然るべき機関に知らせるべきだ。絵が無くなっていたのを無視して盗難を見てみぬふりするなんて、もっての外じゃないか。

それに、犯罪が発覚しなければ盗難をした犯罪者はいつまで経っても捕まらない。

それじゃあ、犯罪の片棒を担ぐようなものだ。そこで、唐突に思いついてしまった。

まさかこの盗難事件に、彼女が関与しているのではないかと。

「おっと、少年。早とちりをするんじゃない。

もしも彼女が盗難犯だというなら、何故私を呼んで事件の解決を図るんだい?」

「いえ、共犯を疑われても仕方ありません。

屋敷のセキュリティは非常に高く、外部から侵入して誰にも見られずに犯行を行うのはほぼ不可能です。

ですが、内部の人間の犯行であればその限りではありません」

「少年、伊呂波はね。身内の中に犯人がいると思って、かつ自分では手に余ると考えて私に依頼をしたんだ」


「もちろん、犯人には社会的な制裁が必要だと思います。

ですが、仮にこの邸宅に暮らしているメイドが罪を犯している場合…盗難品が見つかる可能性は薄いでしょう。

せめて通報するのは、私達の手で見つけてからにしたいのです」

「自分たちで解決をしたいということですか?でも、」

「はい、すぐに邸内をくまなく散策したのですが、絵画を見つけることはできませんでした。

他のメイドには外出禁止を言い渡しております。

主人をお見送りしたときには確かにあったので、時間をかければ見つけられると思ったのですが…」

「つまり、主人が出て行ってから伊呂波が戸締りをするまでの12時間で絵画がなくなったと」

「えぇ、その通りでございます」

「タイミング的にも九分九厘内部の人間の犯行だろうね」

「なら、ますます警察に通報した方がいいんじゃ…」

「そうかい?

犯人が仮にメイドだとしたら、そしてまだ外に出ていない以上は、絵画をこの敷地のどこかに隠したということだ。

絵画の大きさはA4用紙ほど、対する敷地の広さは200平米。

それも敷地に詳しい人間が隠したとしたら、見つかる望みは薄いだろうね。同じように、犯人の証拠を見つけるのは非常に困難だろう。

何故なら彼らは自由に邸内を動き回ることができ、複数人で口裏を合わせることが可能だ。

そうなれば、成金野郎は自分が雇った人間に盗難をされたという事実だけが残り、犯人は逃げ遂せることになる。

伊呂波たちは連帯責任で全員解雇、成金野郎は責任を取らせた後も風評被害を受ける可能性が無きにしも非ず、というわけだ。

どうだい、少年。これでもまだ、警察に任せた方が良いと?」

「それは…確かに、一理あるかもしれませんが」

一理どころか、二理も三理もある。

身近に警察の友人がいる彼女が言うなら、恐らく警察の捜査能力も僕らと大して変わらないのだろう。彼らは国家権力の名のもとに専門的な捜査ができるはずだが、雲隠さんならそれも織り込み済みだ。

当然だ、家の内向きに防犯カメラはついていないし、指紋を探してもメイドの彼らはあちこちに触れているからどれが犯人のものかもわからない。

そして、肝心の証拠品である絵画は行方不明だ。

完全犯罪とは真逆で、この事件は全員に犯行が可能なのだ。

「絵画を取り戻せるかどうかに限らず、全ての責任は私一人が負います。

主人のため、同僚のためとできすぎたことは申しません。

ただ、私は最も希望のある可能性に賭けただけでございます。

ミステリーの神様に、絵の場所を探し出して貰い、主人に知られずに解決を図りたいのです」

「んふふ、賢明だね。

安心したまえ、必ず私が絵を取り戻し問題を解決してあげよう。

ちなみに、期日までどのくらいあるのかね?婆や」

「ふふふ、まだその呼び方をしてくださるとは。

期日は神崎様が帰って来るまででございます。

すなわち、明日の朝でございますよ。お嬢様」

「あ、明日の朝!?」

既に正午は過ぎており、タイムリミットまで24時間もない。それまでに、この200平米の敷地の中からたった一枚の絵を探し出す。

そんなの、不可能だ。

僕はただ一人、彼女たちを交互に見ては不安げな表情を浮かべるしかなかった。

伊呂波さんと雲隠さんは、お互いに穏やかな笑みを浮かべて見つめ合っていた。
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