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why do it?

第七話「死刑宣告」

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「んふふ、権利?私はお前の権利なんぞに興味はない。

ここに残ってお前と茶を飲んでいるのも、ただ伊呂波の顔を立てているだけだ」

「そうかそうか、では遠慮なく聞かせてもらおう。

まず、いつから犯人に気付いていた?」

「はぁ…話を聞いたときから予想はしていたさ。

堂満がここに来ている時点で気付かないものかね」

「あいつが?」

「昨日、伊呂波から連絡があったときに事件の概要を聞いたのだよ。

それでどうやら奴の執事も共犯者らしいとピンと来たが、少年と違って奴の連絡先も知らない私が、どうやって奴に連絡をしたと思うかね」

「直接家に行ったのか」

「それだと、奴の邸宅で働く執事にバレるだろう。

私は執事がどんな顔と名前かまでは知らないのだから、伝言などできない。

私が向かったのは、奴の会社のオフィスだよ」

「あ…だから昨日はスーツだったんですね」

「そういうことだ。

だから、昨日の朝には犯人と犯行方法がわかっていた。

しかも、奴はこの家から帰る際に玄関の絵が一枚無くなっていることに気付いていた」

「ならそれを俺には伝えなかったのは、どういう了見だ。

まさかとは思うが、犯人と通じていたなんてことはないだろうな」

神崎さんの声には怒気が混じっていた。

雲隠さんの言い方にも同じものが含まれていたけど、彼の方には困惑や恐怖も混じっている。

彼らの間に何があったのかはわからないが、多分、彼は雲隠さんの高い知能や優れた頭脳が怖いのだ。

知らないうちに彼女に大事なことまで知られているかもしれない、知られたくないことまで知られて弱みを握られているのではないかと、疑っているのだ。

その感覚が、彼と同じ凡人の僕にはよくわかる。

「私が誘っても、どうせお前は来ないだろうと思ってね。

本家の堂満から誘われたら、分家のお前は犬みたいに尻尾を振ってついてくるだろう」

「…いちいち癇に障る言い方をしやがる」

「それに、この家で実地調査をするためにギリギリまで邪魔はされたくなかった。

私が家にいるとわかれば、お前はすぐにでも飛んでくる可能性があるからな」

「……」

「他に質問は?少年も」

「あの、堀川さんは何故僕に包丁で襲い掛かったのでしょうか?」

彼女がサルバード・ダリの絵画を盗んだことは、もはや疑いようがない。

そして、共犯者が堂満さんの家で執事をしていたことも。

しかし、だからと言ってあそこまで激怒する理由がわからない。

執事の方は体裁を重んじて警察に出さず解雇されたというから、あのまま行けば彼女だって解雇だけで済む可能性があった。

その是非はともかくとして、僕が出すぎた真似をしてまで堂満さんに質問をしたのは、そのことを確認するためだった。

「それは君の推理通りさ、彼女と共犯者の執事は恋人同士だったそうだよ」

「でも、それなら…」

「ただし、問題はその後の言葉だ。

『といっても、うちのグループ企業と取引先ではもう働けないでしょうが』と奴は言った」

「それがきっかけで殺人未遂を?そんなの…」

「それが大問題だ。

奴の家はね、旧財閥の家系なんだ」

「旧財閥って、戦前に合ったお金持ちの家のことですよね。

…それが何か?財閥って今はもうないんじゃ」

「いいや?

財閥解体後も現代ではその影響は色濃く残っている。

同じ旧財閥の会社同士での取引はもちろん、グループ会社という形で関わっている。

それも、旧財閥の家系は親戚同士というのは珍しくなくてね。

あいつは生意気にもその当主なものだから、数十を超える系列会社にはそれぞれ奴の親戚がいて社内を牛耳るなり運営している。さらに取引先を数え出したら、恐らく日本の6割の企業は含まれるんじゃないかな。

堂満家でクビになったら、執事としてはもちろん、ここから最も遠い場所にあるコンビニでも働けない。

つまりだよ、実質日本で働けなくなるのだ」

「それじゃあ、」

それじゃあ、あの言葉は彼女にとって死刑宣告だったのだ。

思考を放棄して襲い掛かりたくなるほどの、自分と最愛の人の行く末を絶望して包丁を握りしめるほどの。

そのきっかけとなったのは、間違いなく僕の質問だろう。

なら、僕は彼女を止めるつもりでその背中を押してしまった。

「悪いのは盗みを働いた奴らだよ、こうなることはわかっていたはずだ。

恐らく過去にも似たようなことをしていて、欲をかき過ぎたのだ。どうやら、2人にはかなりの借金があったのもわかっている。

しかし、堂満も意地が悪い」

「……堀川さんは、どうなるんでしょうか」

「あぁ、彼女なら警察署に自首させたよ。

主人の絵画を盗んだ罪は軽くない、彼女は本日付けで解雇だ。

もうこの敷地内に足を踏み入れることはないから、安心してくれ」

「自首、ですか」

「そうだ、悪いが主人や君を傷つけようとした罪はなかったことにした。

彼女は単独で盗みを働き、2日前にメイド長の伊呂波香は屋敷の絵画が無くなっていることに気付かれたことで、罪の意識に耐えられず自首をした。

そういうことにした」

「な、何でそんなことを?」

「すべてを公表すると、もう一つの堂満家の盗みまで表沙汰になる。

それは堂満も犯人も望むところではないし、私もさっさと家に帰って原稿に取り掛かりたい。利害の一致だよ」

「それじゃあ、皆で口裏合わせをしたということですか?」

「そう、そして私たちはこの時間この場所にいなかった」

それは、犯罪一歩手前の行動ではないだろうか。

そう言おうとして飲み込んだ。そもそも主人のいない間に神崎邸を歩き回った僕らは、密かにここを出立する予定だったじゃないか。

けれど、実際のところ彼女は屋敷に足を踏み入れた時点で堂満さんと神崎さんを呼んでいたの。

 

『面倒がやってくるまでに、つまり今日中に謎を解いて帰ればいい。

シュレーディンガーの猫と同じだよ』

 

あの言葉の意味が変わる。ひょっとして面倒とは、警察のことだったのではないだろうか。

一体、どこまで先を読んでいたのだろう。

もしかして、犯人だと追及された堀川さんがナイフを持ち出すことも?

わかっていて依頼をしたメイドやハウスキーパーを巻き込んでそこまでしたのだとしたら、異常だとしか言いようがない。

ミステリーの神様は、人間では理解できない領域にいる。

僕は、雇用主である雲隠日景のことがわからなくなっていた。

「さて、少年も揃ったことだしそろそろお暇させていただこう。ではな、神崎」

「あぁ、二度と来るな」

神崎さんは足を組んで紅茶を飲みながら、さっさと出ていけと言わんばかりに雲隠さんを睨みつけた。

主人がこの様子なので僕らの帰宅を止める人はもちろん見送りをする人もおらず、静まり返った邸内を出ると外は既に日没から数時間経って暗くなっていた。

空を見上げると、足を止めて見入ってしまうほど壮大な天の川がかかっていた。

都会では1等星も見えない夜空が、空気が綺麗な高地ではこれほど綺麗に星が見えることを、僕はこの瞬間まで知らなかった。

「んふふ、少年。天の川銀河を見るのは初めてかね?」

「…はい、」

「英語で言うところのミルキーウェイ、古代ギリシャ人は女神ヘラが空にミルクを零したのだといったそうだ。

ちなみにあそこで一際光り輝いているのが、北斗七星だ。

あれとカシオペア座は、一年中見ることが出来る」

「…すごい、綺麗です」

「んふふ」

ありきたりな言葉しか出てこないのが、悔しかった。

語彙力豊かな雲隠さんなら、きっとこの感動をもっと正確に伝えられるのに。

いや彼女は既にこの景色を何度も見ているのだろうから、星すら知らない僕のことを見て笑っているのだろう。

鈴を転がすような笑い声を聞きながら、空を見上げて正門へ向かう。

そのとき、ふいに彼女が出立する前に告げた言葉を思い出した。

『喜べ少年、面白いものが見られるぞ』 

もしかして、この景色の事を指していたのだろうか。事件の解決が遅くなり、帰るころには日が沈んで星が輝くことがわかっていて。

ありえない、とは言い切れない。

正門の前の道路には黒のセンチュリーが1台止まっており、その前に見覚えのある人影が1人立っていた。

皴一つないメイド服にまっすぐ伸びた背筋と温和な笑顔を携えた女性が、僕らに会釈をした。雲隠さんが子供のようにはしゃいだ声を上げる。

「伊呂波っ!」

「お見送りに参りました、お嬢様。

この度は本当に何とお礼をしたらよいか…」

「んふふ、いいのさ。

言っただろう?私が必ず謎を解き問題を解決するとね」

「…あ、」

そうか、確かに雲隠さんは『謎を解き問題を解決する』と言っていた。

僕はこの解決というのを主人が戻る前に絵を見つけることだと思っていたけれど、それではまたいつか盗難があったときに伊呂波さんが連帯責任で解雇になる可能性がある。

ところが今夜犯人が見つかったことで、伊呂波さんは完全に容疑者から外れ仕事を続けることができるようになった。

さらに絵が戻ってきたことで、絵画の盗難にすぐに気づけなったことを責められることもなくなった。

雲隠さんに依頼して部外者を邸内に招き入れたことに関しても、雲隠さんがこうして全てを解決して自ら外に出ていったことで一応の解決をしている。

神崎さんは伊呂波さんを恨むかもしれないけれど、怒りの矛先はあくまで雲隠さんか犯人に行くはずだ。

ただでさえ、彼は雲隠さんの頭脳に対して怖れを抱いているのだから、全て彼女が仕組んだものだと思うはずだ。

雲隠さんが悪役となることで、伊呂波さんは救われる。

まさしく絵画盗難の謎を解いて、解雇寸前だった伊呂波さんの問題を解決したのだ。

「比良様、少しお話があります。よろしいでしょうか?」

車に乗り込む寸前で、伊呂波さんが僕を呼び止めた。

既に乗り込んだ雲隠さんを振り返ると、彼女は僕に向けて手をヒラヒラと振った。

扉を閉めて彼女の元へ行くと、伊呂波さんは突然深く頭を下げた。直角90度のお辞儀は惚れ惚れするものだったけど、僕が彼女にそこまでされる理由が見当たらない。

それに、放っておいたらそのまま土下座をしてしまいそうだった。

「申し訳ありませんでした、今回の責任はすべて私にあります」

「あ、頭を上げてください!

堀川さんと揉み合いはしましたけど、僕はどこも怪我もしていませんし、」

「いいえ、とても怖い思いをさせてしまいました。

本来なら、あのとき彼女を止めるべきだったのは私のはずなのに…」

「いや、それは偶々僕があそこにいたからで!

それに皆さん無事だったんですから、いいじゃないですか!

何より、伊呂波さんのせいじゃ…」

顔を上げた伊呂波さんの表情は、メイドとして働いているときには決して主人に見せてはいけない類のものだった。

苦虫を噛み潰したような悔し気な表情は、包丁を持った堀川さんよりも鬼気迫っている。

しかし、堀川さんのときと違うのは僕もその感情に共感できることにあった。

彼女は部下が僕に襲い掛かったこと、自分のせいでかつての主人が追い出されるように出ていくことにやり場のない感情を抱えているのだ。

「本当に、堀川さんのことはいいですから」

「…比良様、出過ぎた真似だとは思いますが。もう一つだけお話が」

「は、はい。何でしょうか」

「雲隠お嬢様のことです。

彼女は、若くして才能に恵まれた方でございます。

ですが、幼いころからいささか好奇心に身を任せすぎるところがあります。」

「はい、存じております」

「それは、今まで何度言い聞かせても変わりませんでした。

あの方にとっては、未知を解き明かすことが何よりの最優先事項なのです。

そのせいで今回あなたに被害が出てしまいました」

「いや、そんなことは…」

否定の言葉を口にしようとして、伊呂波さんの表情が晴れないのを見て辞めた。

本当はそのまま誤解を解こうと思っていたけれど、彼女は僕なんかよりもずっと雲隠日景という人について知っている。

今日みたいに雲隠さんが周りを巻き込むのだって、初めて見るわけではないはずだ。

だから、ただ謝罪をして僕の怒りを収めるために呼び止めたのではないだろう。誤解を解こうとしているのは、寧ろ彼女の方だ。

「お嬢様はその性格から、誤解されがちではありますが…。

でも本当は、とても心の優しい方なのです。お願いいたします。

どうか、あの方を…」

「大丈夫です、伊呂波さん。

それもわかっています」

新幹線の発車時間が迫っているのだろう。

後部座席に乗り込むと、すぐに車が走り出した。

ふと、ミラー越しに伊呂波さんがお辞儀をしているのが見えた。

その顔は、何事も無かったかのように元の穏やかなメイドの表情に戻っていた。

やっぱり、僕は彼女以上のプロフェッショナルに出会ったことがない。

「伊呂波と何を話していたのかね?」

「雲隠さんをお願いしますと、そう頼まれました」

「相変わらず、過保護な…」

口では悪態をついているが、雲隠さんは苦笑するだけで伊呂波さんの好意を無下にできないようだった。

神崎さんや堂満さん、僕の前では見せない表情は、そのまま伊呂波さんへの信頼を意味している。

彼女は、僕らの前では見下していると捉えられてもおかしくないくらいに自信に満ち溢れた表情をしているからだ。

確か、雲隠さんは彼女に恩があると言っていた。

彼女の頭脳を頼る誰かに恩を売ることはあっても、彼女自身が恩義を感じているという相手は初めてだ。

決して短くない期間、彼女のハウスキーパーをしているが、彼女の身内や親戚の話は聞いたことがない。

恐らく、雲隠日景という人は僕と同じで天涯孤独だ。

「…何か聞きたいことでも?」

「あの、失礼でなければ…。

以前雲隠さんが仰っていた『返しきれない恩がある』について伺っても良いでしょうか?」

全ての謎が明かされた後で、僕はこの屋敷に来る前から疑問に思っていたことをようやく尋ねられた。

彼女は今日一日、どころか堂満さんの会社に行ったとしたら2日間も盗難された絵のために費やしているが、本来は一時間だって余裕のない人気作家だ。

彼女の多忙さは身の回りの家事をしていて良くわかるし、だからこそ僕が雇われているのである。この場に来てからは好奇心に突き動かされて行動していたが、そのために事前に仕事を片付けたり、締め切りをずらして貰ったりして予定を空けているはずだ。

それは雲隠さんの冷静な部分が動いての行動だろうし、僕は彼女にそこまでさせる恩というのが気になって仕方がなかった。

雲隠さんが、窓の外に視線を移した。

「あぁ…あれか」

話すつもりなら、話をした時に話すはずだ。

つまり雲隠さんが話したくないことをあえて聞いたのは、今夜の彼女は僕を巻き込んだ負い目があるだろうとわかっていたからだ。

つい数十分前に犯人に殺害されかけるという怖い思いをしたのは事実だけど、心残りがあっては今回の出張を終えられない。

僕の好奇心が、この謎が解き明かすなら今しかないと囁いた。

「以前、彼女は君の前任者で私のハウスキーパーだったと言っただろう」

「はい、ここに来た時に」

「彼女は私の最初のハウスキーパーでね」

「はい」

「いわば、育て親だ」

「……」

「それ以上は言わないよ」

「…なるほど、ありがとうございます」

それ以上の質問は、ハウスキーパーとしての域を超えている。

伊呂波さんの姿が見えなくなると、雲隠さんは隣に座る僕に向き直った。

神崎さんに割り込まれて有耶無耶になってしまったけれど、彼女は僕に重大な話があるようだった。運転席でハンドルを握る匂宮さんは、ここで何を聞いても聞かなかったことにするだろう。

「少年、堂満本人から君への言伝を預かっているのだがね」

「はい」

「堂満家で働く気はないか?」

「え?」

色々と想像はしていたけれど、それでもなお予想外の話だった。

「今答えを出す必要はないが、どうやら奴は君のことを気に行ったらしい。

私にあれこれ聞いた後、君をスカウトしたいと言い出した。

もし奴の家で働くなら、普通に会社勤めする気が起きないくらいの高収入と福利厚生は保証されている。

器量が良ければ、会社の従業員として秘書に就く可能性だってある。

ちなみに、正規ルートで入社しようとしたら倍率は150倍を超えるからね。

悪くない話だ」

「なぜ僕に…?

ほとんど会話もしていないですし、絵画を投げてしまったというのに」

「さぁね。

ただ丁度執事が一人いなくなったのと、君が身を張って人を助けたのを見たからじゃないかね。

奴に私との関係を聞かれなかったかい?」

「尋ねられ…ました。

でも、てっきり執事かどうか聞かれたのかと」

そういえば、『君は雲隠日景とどういう関係なのですか?』と。

てっきり、あれは僕の名前や職業を尋ねたのかと思ったけれど。

言われてみれば、もしも雇用主と雇用者で特別な関係にあったらその質問には別の答え方ができるだろう。そして、答え方に一瞬迷うはずだ。

「私に対して雇用関係以上の好意があるのかを確かめたのだ。

色恋関係にない相手でも、今日会ったばかりの人間でも、君は身を挺して助ける。

訓練を受けた奴の執事ですら、指示があるまで動けなかったというのに」

「いえ、あれは偶々で」

「おまけに、暖衣飽食の生活をする我々にはない危機察知能力まである。

そのことに目ざとくも気付かれてしまったらしい。

さすが、生まれた時から私利私欲に塗れた人間に囲まれてきた男だ。

人を見る目がある」

「お気持ちは嬉しいですが、」

「君が望むなら、私からも推薦しておくよ」

「辞退させていただきます」

「まぁ、卒業までしばらく考えたま…え?」

雲隠さんは、口を開いて魚のようにパクパクと動かしていた。

僕は、ミステリーの神様と言われる彼女が言葉を失う瞬間を始めて見た。

運転席で匂宮さんが噴き出す。

「本当に良いのか…?

言っては何だが、今とは比べられないほどの金も地位も手に入るのだぞ?

住み込みとはいえ、寮の一人部屋もつくんだぞ?」

「僕が今こうして働けているのは、今の上司の粟原さんと雷堂会長のお力あってのことなんです。

だから、彼らに恩を返すまでは何があっても辞めません。

それに、今の仕事を気に入っているんです」

「…君は、今日かなり危険な目に合ったのだぞ。

おまけに、その罪をもみ消された」

「でも、僕を信頼して連れてきてくださったんですよね。

それに、ミステリー好きとして雲隠さんの推理が聞けて楽しかったです」

雲隠さんの思考は相変わらず読めない。

謎を解き明かすためなら育て親すら騙す性格も、僕にメイド服を着させる奇行もまだ慣れない。けれど、今日僕が出会った人や訪れた土地は彼女のお陰で繋がった縁だ。

何より、ミステリーが小説の中だけのものではないと彼女は僕に示してくれた。

伊呂波さんが彼女を信頼するように、僕は彼女の引き寄せる謎と彼女の頭脳を信頼している。

「だから雲隠さんさえ良ければ、ハウスキーパーを続けさせてください」

「…馬鹿を言うな、君は私の知る中で最高のハウスキーパーの一人だ。

辞める気がないというなら一生涯、雇ってやる」

「ははは、それは最高ですね」

ハウスキーパーは日の当たらない職業だ。

職業に貴賤はないけれど、社会ではどれだけの人に貢献できたかや対価の報酬を得ているかで比べられるものだ。その点、僕らの仕事は具体的な個人のために行われる。

だから誤魔化しは一切効かない。

人間、住み慣れた土地でいつの間にか建物が建て替わっていたのには気づかなくても、自宅のインテリアの配置が変わっている、窓に手垢がついているといった異変は気付いてしまうものだ。

掃除が行き届いているのも料理がおいしいのも当たり前で、僕の代わりはいないけれど僕の仕事を代わりにできる人は大勢いる。

生きるために絶対的に必要な仕事ではないけれど、感謝される仕事ではないけれど、僕らは日々依頼主や主人のために働いている。

だからこそ、その人に認められること以上の喜びはない。

ましてやそれが、ミステリーの神様だというならば。

僕はこの日、この時ならば死んでもいいと思えた。

「じゃあ、堂満には私から話をしておこう」

「はい、ありがとうございます」

けれど、僕の物語はまだ終わらない。

僕の人生はこの先も続いていき休みを挟んで明後日からはまた高校生活が始まり、僕は雲隠さんの家を訪れて何事も無かったかのように作業を始めるだろう。

そして彼女は原稿の締め切りに追われ、今書いているシリーズものが終わってからは新刊の制作に取り掛かるだろう。

一つ謎を解いて、僕らは平穏な日常に戻る。

そして、また新しい謎と非日常がやってくる。
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