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第3章 大貴族の乗っ取り作戦
【第28話】 お節介
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「いやあぁあ!お許しくださいっ!お許しくださいっ!」
「…っ!?」
一斉にエンブリオとヤブガラシが扉の外を、カーラが隣の部屋を向く。
悲鳴の前まで、足音も揉める音もしなかった。
手練れによる敵襲かと三人が剣に手をかけたのを見て、近くの男が噴き出した。
釣られて他の男たちも猿のようにゲラゲラと笑い出す。
「ぶっ、お前ら慌てすぎだろ!」
「何だよその動き!ぎゃははは!」
「…これは、何だ?」
だがエンブリオが冷静に訊ねると、興をそがれたように笑いが収まっていく。
Bランク冒険者として何度も視線を潜り抜けてきたリーダーの気迫は、生半可なものではない。
男たちの品性と笑いに逆鱗を撫でられたエンブリオは、剣に触れたまま順番に男たちを見る。
肉を食っていた男が目を逸らし、スキンヘッドの男の番になった。
「侵入者を入れた受付の召使に、罰を与えているんだと。
全く、どこの世界にも仕事が出来ねぇ奴はいるんだな」
「…侵入者?」
「それ以上は知らねぇ」
男はそれ以上答えなかった。
その間も、悲鳴は聞こえてくる。
カーラの耳はさらにその悲鳴の前後に、空気を切り裂くような音を捉えていた。
これ以上状況を説明できる人間はおらず、室内は重苦しく張りつめた空気が満ちていく。
エンブリオは剣から手を放すと、空いた椅子を引き寄せて座った。
そしてカーラとヤブガラシにも、座るように促す。また悲鳴が上がった。
「お慈悲を!お慈悲を!」
「くくくっ…オジヒヲ!だってよ…」
「ははは!」
(耐えるのよカーラ、あなたはただの雇われ冒険者。
貴族の事情に首を突っ込む必要はないわ)
カーラは足を閉じて座ると、考え込んでいた。
本当は彼女もエンブリオのように人の不幸を笑う男たちを睨みつけて黙らせたかったし、可能ならヤブガラシのような太い腕で一発殴りつけたかった。
だが、三人は今回護衛として雇われている。
雇われた先で召使が罰を受けようが、任務に関係のない行動は許されていない。
それに、この部屋以外は移動することを許されていない。
ただ平民のカーラでも、相手が貴族の人間でも、助けを求める声を無視することはできなかった。
「ひぎいいぃ!助けて…!!助けて…!!」
「…ちょっとお手洗い行ってくる」
「…ちょっとトイレ行ってくる」
ほぼ同時にカーラとヤブガラシが立ち上がった。
二人で顔を合わせて考えていることが同じだとわかると、カーラもヤブガラシも一人だけ座ったエンブリオを見た。
言わずとも、エンブリオにも企みはバレているだろう。
仲間が任務を外れて、雇い主に不利益な行動を起こそうとしている。
その時は、監督責任でエンブリオが叱責されるだろう。
長年築いてきた信頼も失うかもしれない、だから二人は最後の確認をするためにリーダーを見た。
エンブリオは、剣を握っていた。
そして、ゆっくりとそれを引き抜く。
オリハルコンで出来た刀身が鞘から姿を現す。
「エンブリオ…」
「どうした?さっさと行ってこい」
エンブリオは足を組んで、それを膝の上に乗せた。
どこからか白布を取り出すと、それで刀身の埃を拭う。
鏡のように反射した刀を見せびらかすように手入れするエンブリオの声に急かされて、カーラとヤブガラシは部屋を出た。
残された部屋で、リーダー格の男は殺気を隠そうともしないエンブリオを見て仲間に目配りした。
彼の顔の半分に渡る火傷跡は、かつてとある強敵に魔法で焼かれたものだった。
(こいつ、俺らを脅してやがる。
チクったらただじゃ置かねぇって顔だ)
男は机の上に置いたパンに手を伸ばすと、身体で隠してもう片方の手を曲げて何度か動かす。
仲間だけが読み取れる指文字で伝えたのは、時間まで・部屋で・待機をするという命令だった。
指示を読み終えるとスキンヘッドの男が軽い雑談を始め、それに何人かが乗ってまた元の騒がしさが戻る。
男はパンを頬張ると、葡萄酒で喉の奥に流し込んだ。
一方で廊下を出たカーラは迷わず長い廊下を進み、トイレの誘導看板を無視して奥の部屋のドアノブを掴んだ。
ヤブガラシを置いて無謀にも一人でずんずん進んでいけたのは、中にいる人間の人数も属性も音で知っていたからだ。
特にそのうちの一人は、聞いたことのある足運びだ。
カーラが勢いよく扉を開くと、予想通り部屋を案内した執事と二人のメイドがいた。
執事は手に持った短い鞭を持ったまま扉を向くと、思わぬ訪問者に驚き、それが冒険者だとわかると顔を引き締めた。
「…何か?
トイレなら、そこの角を左です」
「失礼、悲鳴が聞こえましたのでつい」
罰を受けている少女は全裸で両手をお皿のように合わせて掲げたまま、膝をついていた。
腰まで垂れた赤茶の髪が持ち上がり、疲弊したブラウンの瞳と目が合う。
その手には鞭に打たれてできた傷口から出た鮮血が溜まっており、後ろには青白い顔をして横たわる裸の黒髪の少女がいる。
カーラは説明をしながら執事を無視して部屋の奥に入ると、まず倒れている少女に駆け寄った。
傷を確認すると、やはり手から出血をしている。
少女を起こして腰元のポーチから回復ポーションを取り出すと、口で瓶の蓋を開けて少女にポーションを飲ませた。
「勝手なことをするな…!」
「おっと、」
「何を…!」
執事が鞭を振り上げると、ヤブガラシが片手でそれを止めた。
振りほどこうにも、実践で鍛え上げられたヤブガラシの腕はそう簡単に離れない。
執事の主人の前では決して見せない顔は今にも噛みついてきそうだが、それでヤブガラシが怯むことはない。
木製の鞭は先が蛇のように二股に分かれ、金属製の針がついていた。
仕置き用の鞭と違い、明らかに故意に殺傷性を上げている。
「少しばかり、やりすぎなんじゃねぇの?
これじゃあ、おちおち休憩もしていられないぜ」
「触るな下民が!」
「そいつは失礼、だがこれは貰うぜ」
鞭を取り上げられた執事は、曲がりなりにも貴族らしい。
罰を受けていた少女はこれ以上鞭が振り下ろされないとわかると、手を下ろした。
手の間に溜まっていた血が床に垂れて、執事は汚いものを避けるように数歩下がる。
カーラはポーションを飲ませた彼女にジャケットをかけると、腕をだらりと下げてへたり込むもう一人の少女に近寄る。そして同じようにポーションを取り出した。
(これで後は予備のポーションしか残らないけれど…仕方ない)
「…ありがとうございます」
「いいの、気にしないで……あ、」
ポーションを飲ませると、出血が止まった。
カーラが持っているポーションは決して安くはないが、少なくともこれ以上血を失う恐れは無くなった。
それでも全快をする治癒能力はないので、安静にする必要はある。
そこまでして執事を見れば、その顔は下民にプライドを傷つけられて噴火寸前といったところだった。
彼からすれば、鞭打ちは主人から命じられた正当な罰である。
それを下層階級の人間に邪魔されて不当に非難される謂れは、全くない。
それでもなお、カーラは堂々と立ち上がった。
「ハーバー家の方は慈悲深いと聞いています。
これ以上は、不要な罰かと思います」
「こんなことをして…どうなるのかわかっているのか…」
「承知の上です」
「……覚えていろよ」
これ以上の議論は無駄とばかりに捨て台詞を吐いて、執事は部屋を出ていく。
残されたカーラとヤブガラシは彼の足音が聞こえなくなるまで口を真一文字に結んでいたが、やがてそれが聞こえなくなると肩の力を抜いて緩めた。
カーラは、鞭を持つヤブガラシと顔を見合わせた。
こうなることはわかっていたとはいえ、お互い予想以上に執事を怒らせてしまったという顔だ。
それだけ、階級の差は大きい。
「ははは…クビかな?」
「ははは…だろうな」
「……」
「……」
「とりあえず、移動する…?」
「そう…だな」
暖炉も人気もなく冷えた部屋から、待機室に移動しようと話がまとまる。
少女たちも拷問に疲れて、自力で動けそうにない。
ヤブガラシが二人を抱えると、カーラが部屋の扉を開けた。
ここから先は、ノープランだ。
廊下を歩いて部屋のドアノブを回したとき、ふとカーラはこれがエンブリオなら結果は変わったのだろうかと思った。
「…思い出したぜ、あんた狼少女のカーラか」
「狼少女?」
「あぁ、十歳まで狼に育てられたっていう野生児だ。
新聞に載って一時期話題になってたろ。
道理でどっかで見た顔だと思ってんだ、なぁ?そうだろ!?」
突然、スキンヘッドの男が大きな声を上げた。
それも余計なことを、あと数分で部屋を出ていく最悪のタイミングで思い出してだ。
カーラは背中で聞き流しながら、出血で意識が朦朧としている少女を毛布でくるみソファに寝かせた。
もう一人の少女はヤブガラシにやや乱暴に毛布で身体をくるまれると、友人の傍らについて祈るように手を合わせた。
男は無視されてもなお、机を何度も叩いて気を引こうとする。
「言葉も喋れねぇ、モンスターの肉を食って生きてたってのは本当なのか?
そんで結局冒険者になったのか?
まぁ、この仕事は馬鹿でもできるもんな!?」
「……だったら何?」
「カーラ…!」
「ほら見ろ!いっただろ!」
「まじかよ!」
やがて少女が怯えてチラチラと見始めたのを見て、ついにカーラが声を上げた。
エンブリオが声を上げたのは、それが男たちを面白がらせるだけだとわかっていたからだ。
だが、いつまでもやられっ放しなのはカーラの性に合わなかった。
啖呵を切るように真正面で睨みつけると、エンブリオが危惧していた通り場がさらに盛り上がる。
「ははは!
何怒ってんだよ、事実じゃねぇか!」
「…あんたは猿にでも育てられたわけ?
何でそんな煩いの?」
「どうやら狼のお母さんは、ジョークまでは教えてくれなかったようだな。
そんなので挑発しているつもりか?」
「うっさいわね、ハゲ」
「…あぁ?
誰がハゲだよ、俺はスキンヘッドだ」
椅子から男が立ち上がり、腰を上げた。蹴り上げた椅子は壁に当たると、背もたれから粉みじんに大破する。
飛び散った木片が、祈る少女の顔に向かう。
カーラはそれを素手で掴むと、少女たちを庇うように前に出た。
男たちのうちの一人が口笛を吹く。
エンブリオはそれで、口笛の男が冒険者組合で報酬を受け取る際に隣にいた男と同じ人相であると気づいた。
「訂正しろよ」
「あんたこそ訂正しなさいよ、私を馬鹿にしたことを」
カーラは男の指先や肩の動きから視線の動きまで観察をするが、男はそれを笑い飛ばして見る見る距離を詰めていく。
カーラの動きは落ち着きがなく、喧嘩を売るのに慣れていないのが手に取るようにわかった。
男が腰元の大剣を抜けば、一振りでカーラの身体を引き裂くことができるだろう。
ただ、その必要もない。スキンヘッドの男が、リーダーの火傷の男を見る。
彼が好きにしろと手をひらひら振ったのを確認してから、手が届けば身体が触れる距離でカーラと向かい合う。
「……どうした?ビビってんのか」
「……別に」
ハゲと言われた男は、カーラよりもリーチが長く筋肉量も多い。
ヤブガラシが立ち上がりかけたのを、エンブリオは手で制止して首を振った。
これ以上厄介ごとを起こすわけにはいかないという冷静かつ優等生的な顔に、ヤブガラシは拳を握りしめて渋々腰を下ろした。
カーラは体内から聞こえてくる心臓の音を抑えつけるように、ゆっくりと深呼吸をした。
(利き手は右手ね、典型的なパワー系の前衛だわ)
「…おい、どこ見てんだ」
「…っ!?」
「へぇ、意外とやるじゃねぇか」
カーラが男の呼びかけに右手から顔を上げた瞬間、男は左手で殴りつけた。
重く鈍い音がして骨と骨がぶつかり合い、カーラは吹っ飛んだ…と男は思っていた。
咄嗟に右手を上げて左手を添えたカーラは、男の拳を完全に受け止めていた。
体重を乗せた全力のパンチではなかったとはいえ、不意打ちの攻撃を完全に読まれていたことに男も後ろの男たちも驚く。
だが、それはカーラも同じだった。
「それとも、狼に育てられたお陰か?」
「……」
(危なかった…!
防御していても腕が痛い、まともに食らっていたら折れてた…!)
不意打ちのように見えた動きだが、カーラの動体視力では男が予備動作で肩を引く動きが見えた。
そこでカーラは男が顔を殴ると予知して右手を上げて頭を庇ったのである。
相手が普段から全力で殴っていた名残だろうが、男がパンチではなく平手をして、腹を狙っていたら結果はわからなかった。
カーラは右手の痺れを隠して平然を装いながら、不敵に笑った。
(これで諦めてくれたら…)
「よっしゃ、乗ってきたぜ。次はどうかな?」
「なっ…」
だが、男が一歩足を引く。
西洋武術の構えを取って腕を上げて、ファイティングポーズを取る。
ただのゴロツキや一朝一夕では出来ない洗練された動きに、カーラの顔に焦りが滲む。
先ほどは幸運にも攻撃を防げたが、それがスキンヘッドの男のスイッチを入れたようだ。
庇った右手の痺れはまだ取れない。だがもう後には引けず、カーラは一歩引いて防御姿勢を取った。
男がジリジリと靴先を移動する。カーラの目に映る男の動きが緩慢なスローモーションとなり、右肩を引くのが見えた。
同じように防いでも今度は無傷では済まない。
カーラは迷った末に防御を捨てて、自ら相手に突っ込んだ。
そして真正面にある相手のみぞおちに、拳を入れ込んだ。
「ぐはっ…!?てめぇ…!」
「おぉ…!」
同じ前衛でも、野伏のカーラに男を倒す力はない。
しかし男は攻撃を仕掛けようとしていたことで、自らのスピードが加算された状態で急所に一撃を食らう。
スキンヘッドの男が痛みに声を上げて一歩二歩よろめくと思わずヤブガラシは歓声を上げ、エンブリオはこめかみに手を当てて唸った。
だが、痛みで男はカッとなった。
たまたま目についた机の上の葡萄酒を掴むと、それを振り上げてカーラの頭を殴りつけた。
ヤブガラシが立ち上がった。
「カーラ…ッ!」
「…っ!?」
一斉にエンブリオとヤブガラシが扉の外を、カーラが隣の部屋を向く。
悲鳴の前まで、足音も揉める音もしなかった。
手練れによる敵襲かと三人が剣に手をかけたのを見て、近くの男が噴き出した。
釣られて他の男たちも猿のようにゲラゲラと笑い出す。
「ぶっ、お前ら慌てすぎだろ!」
「何だよその動き!ぎゃははは!」
「…これは、何だ?」
だがエンブリオが冷静に訊ねると、興をそがれたように笑いが収まっていく。
Bランク冒険者として何度も視線を潜り抜けてきたリーダーの気迫は、生半可なものではない。
男たちの品性と笑いに逆鱗を撫でられたエンブリオは、剣に触れたまま順番に男たちを見る。
肉を食っていた男が目を逸らし、スキンヘッドの男の番になった。
「侵入者を入れた受付の召使に、罰を与えているんだと。
全く、どこの世界にも仕事が出来ねぇ奴はいるんだな」
「…侵入者?」
「それ以上は知らねぇ」
男はそれ以上答えなかった。
その間も、悲鳴は聞こえてくる。
カーラの耳はさらにその悲鳴の前後に、空気を切り裂くような音を捉えていた。
これ以上状況を説明できる人間はおらず、室内は重苦しく張りつめた空気が満ちていく。
エンブリオは剣から手を放すと、空いた椅子を引き寄せて座った。
そしてカーラとヤブガラシにも、座るように促す。また悲鳴が上がった。
「お慈悲を!お慈悲を!」
「くくくっ…オジヒヲ!だってよ…」
「ははは!」
(耐えるのよカーラ、あなたはただの雇われ冒険者。
貴族の事情に首を突っ込む必要はないわ)
カーラは足を閉じて座ると、考え込んでいた。
本当は彼女もエンブリオのように人の不幸を笑う男たちを睨みつけて黙らせたかったし、可能ならヤブガラシのような太い腕で一発殴りつけたかった。
だが、三人は今回護衛として雇われている。
雇われた先で召使が罰を受けようが、任務に関係のない行動は許されていない。
それに、この部屋以外は移動することを許されていない。
ただ平民のカーラでも、相手が貴族の人間でも、助けを求める声を無視することはできなかった。
「ひぎいいぃ!助けて…!!助けて…!!」
「…ちょっとお手洗い行ってくる」
「…ちょっとトイレ行ってくる」
ほぼ同時にカーラとヤブガラシが立ち上がった。
二人で顔を合わせて考えていることが同じだとわかると、カーラもヤブガラシも一人だけ座ったエンブリオを見た。
言わずとも、エンブリオにも企みはバレているだろう。
仲間が任務を外れて、雇い主に不利益な行動を起こそうとしている。
その時は、監督責任でエンブリオが叱責されるだろう。
長年築いてきた信頼も失うかもしれない、だから二人は最後の確認をするためにリーダーを見た。
エンブリオは、剣を握っていた。
そして、ゆっくりとそれを引き抜く。
オリハルコンで出来た刀身が鞘から姿を現す。
「エンブリオ…」
「どうした?さっさと行ってこい」
エンブリオは足を組んで、それを膝の上に乗せた。
どこからか白布を取り出すと、それで刀身の埃を拭う。
鏡のように反射した刀を見せびらかすように手入れするエンブリオの声に急かされて、カーラとヤブガラシは部屋を出た。
残された部屋で、リーダー格の男は殺気を隠そうともしないエンブリオを見て仲間に目配りした。
彼の顔の半分に渡る火傷跡は、かつてとある強敵に魔法で焼かれたものだった。
(こいつ、俺らを脅してやがる。
チクったらただじゃ置かねぇって顔だ)
男は机の上に置いたパンに手を伸ばすと、身体で隠してもう片方の手を曲げて何度か動かす。
仲間だけが読み取れる指文字で伝えたのは、時間まで・部屋で・待機をするという命令だった。
指示を読み終えるとスキンヘッドの男が軽い雑談を始め、それに何人かが乗ってまた元の騒がしさが戻る。
男はパンを頬張ると、葡萄酒で喉の奥に流し込んだ。
一方で廊下を出たカーラは迷わず長い廊下を進み、トイレの誘導看板を無視して奥の部屋のドアノブを掴んだ。
ヤブガラシを置いて無謀にも一人でずんずん進んでいけたのは、中にいる人間の人数も属性も音で知っていたからだ。
特にそのうちの一人は、聞いたことのある足運びだ。
カーラが勢いよく扉を開くと、予想通り部屋を案内した執事と二人のメイドがいた。
執事は手に持った短い鞭を持ったまま扉を向くと、思わぬ訪問者に驚き、それが冒険者だとわかると顔を引き締めた。
「…何か?
トイレなら、そこの角を左です」
「失礼、悲鳴が聞こえましたのでつい」
罰を受けている少女は全裸で両手をお皿のように合わせて掲げたまま、膝をついていた。
腰まで垂れた赤茶の髪が持ち上がり、疲弊したブラウンの瞳と目が合う。
その手には鞭に打たれてできた傷口から出た鮮血が溜まっており、後ろには青白い顔をして横たわる裸の黒髪の少女がいる。
カーラは説明をしながら執事を無視して部屋の奥に入ると、まず倒れている少女に駆け寄った。
傷を確認すると、やはり手から出血をしている。
少女を起こして腰元のポーチから回復ポーションを取り出すと、口で瓶の蓋を開けて少女にポーションを飲ませた。
「勝手なことをするな…!」
「おっと、」
「何を…!」
執事が鞭を振り上げると、ヤブガラシが片手でそれを止めた。
振りほどこうにも、実践で鍛え上げられたヤブガラシの腕はそう簡単に離れない。
執事の主人の前では決して見せない顔は今にも噛みついてきそうだが、それでヤブガラシが怯むことはない。
木製の鞭は先が蛇のように二股に分かれ、金属製の針がついていた。
仕置き用の鞭と違い、明らかに故意に殺傷性を上げている。
「少しばかり、やりすぎなんじゃねぇの?
これじゃあ、おちおち休憩もしていられないぜ」
「触るな下民が!」
「そいつは失礼、だがこれは貰うぜ」
鞭を取り上げられた執事は、曲がりなりにも貴族らしい。
罰を受けていた少女はこれ以上鞭が振り下ろされないとわかると、手を下ろした。
手の間に溜まっていた血が床に垂れて、執事は汚いものを避けるように数歩下がる。
カーラはポーションを飲ませた彼女にジャケットをかけると、腕をだらりと下げてへたり込むもう一人の少女に近寄る。そして同じようにポーションを取り出した。
(これで後は予備のポーションしか残らないけれど…仕方ない)
「…ありがとうございます」
「いいの、気にしないで……あ、」
ポーションを飲ませると、出血が止まった。
カーラが持っているポーションは決して安くはないが、少なくともこれ以上血を失う恐れは無くなった。
それでも全快をする治癒能力はないので、安静にする必要はある。
そこまでして執事を見れば、その顔は下民にプライドを傷つけられて噴火寸前といったところだった。
彼からすれば、鞭打ちは主人から命じられた正当な罰である。
それを下層階級の人間に邪魔されて不当に非難される謂れは、全くない。
それでもなお、カーラは堂々と立ち上がった。
「ハーバー家の方は慈悲深いと聞いています。
これ以上は、不要な罰かと思います」
「こんなことをして…どうなるのかわかっているのか…」
「承知の上です」
「……覚えていろよ」
これ以上の議論は無駄とばかりに捨て台詞を吐いて、執事は部屋を出ていく。
残されたカーラとヤブガラシは彼の足音が聞こえなくなるまで口を真一文字に結んでいたが、やがてそれが聞こえなくなると肩の力を抜いて緩めた。
カーラは、鞭を持つヤブガラシと顔を見合わせた。
こうなることはわかっていたとはいえ、お互い予想以上に執事を怒らせてしまったという顔だ。
それだけ、階級の差は大きい。
「ははは…クビかな?」
「ははは…だろうな」
「……」
「……」
「とりあえず、移動する…?」
「そう…だな」
暖炉も人気もなく冷えた部屋から、待機室に移動しようと話がまとまる。
少女たちも拷問に疲れて、自力で動けそうにない。
ヤブガラシが二人を抱えると、カーラが部屋の扉を開けた。
ここから先は、ノープランだ。
廊下を歩いて部屋のドアノブを回したとき、ふとカーラはこれがエンブリオなら結果は変わったのだろうかと思った。
「…思い出したぜ、あんた狼少女のカーラか」
「狼少女?」
「あぁ、十歳まで狼に育てられたっていう野生児だ。
新聞に載って一時期話題になってたろ。
道理でどっかで見た顔だと思ってんだ、なぁ?そうだろ!?」
突然、スキンヘッドの男が大きな声を上げた。
それも余計なことを、あと数分で部屋を出ていく最悪のタイミングで思い出してだ。
カーラは背中で聞き流しながら、出血で意識が朦朧としている少女を毛布でくるみソファに寝かせた。
もう一人の少女はヤブガラシにやや乱暴に毛布で身体をくるまれると、友人の傍らについて祈るように手を合わせた。
男は無視されてもなお、机を何度も叩いて気を引こうとする。
「言葉も喋れねぇ、モンスターの肉を食って生きてたってのは本当なのか?
そんで結局冒険者になったのか?
まぁ、この仕事は馬鹿でもできるもんな!?」
「……だったら何?」
「カーラ…!」
「ほら見ろ!いっただろ!」
「まじかよ!」
やがて少女が怯えてチラチラと見始めたのを見て、ついにカーラが声を上げた。
エンブリオが声を上げたのは、それが男たちを面白がらせるだけだとわかっていたからだ。
だが、いつまでもやられっ放しなのはカーラの性に合わなかった。
啖呵を切るように真正面で睨みつけると、エンブリオが危惧していた通り場がさらに盛り上がる。
「ははは!
何怒ってんだよ、事実じゃねぇか!」
「…あんたは猿にでも育てられたわけ?
何でそんな煩いの?」
「どうやら狼のお母さんは、ジョークまでは教えてくれなかったようだな。
そんなので挑発しているつもりか?」
「うっさいわね、ハゲ」
「…あぁ?
誰がハゲだよ、俺はスキンヘッドだ」
椅子から男が立ち上がり、腰を上げた。蹴り上げた椅子は壁に当たると、背もたれから粉みじんに大破する。
飛び散った木片が、祈る少女の顔に向かう。
カーラはそれを素手で掴むと、少女たちを庇うように前に出た。
男たちのうちの一人が口笛を吹く。
エンブリオはそれで、口笛の男が冒険者組合で報酬を受け取る際に隣にいた男と同じ人相であると気づいた。
「訂正しろよ」
「あんたこそ訂正しなさいよ、私を馬鹿にしたことを」
カーラは男の指先や肩の動きから視線の動きまで観察をするが、男はそれを笑い飛ばして見る見る距離を詰めていく。
カーラの動きは落ち着きがなく、喧嘩を売るのに慣れていないのが手に取るようにわかった。
男が腰元の大剣を抜けば、一振りでカーラの身体を引き裂くことができるだろう。
ただ、その必要もない。スキンヘッドの男が、リーダーの火傷の男を見る。
彼が好きにしろと手をひらひら振ったのを確認してから、手が届けば身体が触れる距離でカーラと向かい合う。
「……どうした?ビビってんのか」
「……別に」
ハゲと言われた男は、カーラよりもリーチが長く筋肉量も多い。
ヤブガラシが立ち上がりかけたのを、エンブリオは手で制止して首を振った。
これ以上厄介ごとを起こすわけにはいかないという冷静かつ優等生的な顔に、ヤブガラシは拳を握りしめて渋々腰を下ろした。
カーラは体内から聞こえてくる心臓の音を抑えつけるように、ゆっくりと深呼吸をした。
(利き手は右手ね、典型的なパワー系の前衛だわ)
「…おい、どこ見てんだ」
「…っ!?」
「へぇ、意外とやるじゃねぇか」
カーラが男の呼びかけに右手から顔を上げた瞬間、男は左手で殴りつけた。
重く鈍い音がして骨と骨がぶつかり合い、カーラは吹っ飛んだ…と男は思っていた。
咄嗟に右手を上げて左手を添えたカーラは、男の拳を完全に受け止めていた。
体重を乗せた全力のパンチではなかったとはいえ、不意打ちの攻撃を完全に読まれていたことに男も後ろの男たちも驚く。
だが、それはカーラも同じだった。
「それとも、狼に育てられたお陰か?」
「……」
(危なかった…!
防御していても腕が痛い、まともに食らっていたら折れてた…!)
不意打ちのように見えた動きだが、カーラの動体視力では男が予備動作で肩を引く動きが見えた。
そこでカーラは男が顔を殴ると予知して右手を上げて頭を庇ったのである。
相手が普段から全力で殴っていた名残だろうが、男がパンチではなく平手をして、腹を狙っていたら結果はわからなかった。
カーラは右手の痺れを隠して平然を装いながら、不敵に笑った。
(これで諦めてくれたら…)
「よっしゃ、乗ってきたぜ。次はどうかな?」
「なっ…」
だが、男が一歩足を引く。
西洋武術の構えを取って腕を上げて、ファイティングポーズを取る。
ただのゴロツキや一朝一夕では出来ない洗練された動きに、カーラの顔に焦りが滲む。
先ほどは幸運にも攻撃を防げたが、それがスキンヘッドの男のスイッチを入れたようだ。
庇った右手の痺れはまだ取れない。だがもう後には引けず、カーラは一歩引いて防御姿勢を取った。
男がジリジリと靴先を移動する。カーラの目に映る男の動きが緩慢なスローモーションとなり、右肩を引くのが見えた。
同じように防いでも今度は無傷では済まない。
カーラは迷った末に防御を捨てて、自ら相手に突っ込んだ。
そして真正面にある相手のみぞおちに、拳を入れ込んだ。
「ぐはっ…!?てめぇ…!」
「おぉ…!」
同じ前衛でも、野伏のカーラに男を倒す力はない。
しかし男は攻撃を仕掛けようとしていたことで、自らのスピードが加算された状態で急所に一撃を食らう。
スキンヘッドの男が痛みに声を上げて一歩二歩よろめくと思わずヤブガラシは歓声を上げ、エンブリオはこめかみに手を当てて唸った。
だが、痛みで男はカッとなった。
たまたま目についた机の上の葡萄酒を掴むと、それを振り上げてカーラの頭を殴りつけた。
ヤブガラシが立ち上がった。
「カーラ…ッ!」
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戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。
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