虚弱で大人しい姉のことが、婚約者のあの方はお好きなようで……

39.

「おやおや、お困りのようで」

アンドレアル様がいた。
いつの間にかそこにいた。
私の振りかぶる拳を止めながら、言う。

「凄い音がしたんでね。たまたま近くにいたから、通りががったーーのだが、全く嫉妬というのは怖いね。綿密に立てていた計画が台無しだ」

言いつつ、私をイデア様から引き剥がす。
乱雑に、引き剥がす。

「これでは、君の首が胴体と切り離されてお終い。誰も幸せにならないじゃないか。困ったものだ。ちゃんと契約書は読んでくれていたのかい？不安になるよ」

彼は周りを見渡しながら、ため息をつく。
だが、可笑しそうに、面白そうに笑う。
全く、残念という感じはない。

「だが、この状況は実にいい。面白い。下手に考えるより行動した方がいいと言うのはこういうことかもしれないな。突然のことだから、不意なことだから対応し難い。衝動的だから、相手も読めない。成る程、いい教訓になるよ」

額に手を当てながら、笑う。
私はその様子をぼんやり眺めていた。
先の動きの反動か、体に力が入らない。
引き剥がされたまま、ぺしゃんと床に座っているのが精一杯。

「傑作、だよ。本当に」

アンドレアル様は、言いながら倒れている誰かの首を掴んだ。
その体をくるりと回し、私に良く見えるようにする。
美しい人、目を閉じて、まるで眠っているかによう。
顔には何かが擦ったのか、当たったのか痣がみえる。
それでも尚、その人の外見的美しさを損なうには値しない。
消えたはずの、分からなくなった感情が、昂っていくのを感じる。

「それでいて、実に好都合。周りから潰していくという手法はやはりまどろっこしい。俺には合わない」

その人を私の方へと転がす。
蹴り転がす。
怨みがましいように、私が先程イデア様にそうしたように。
意識のないその人は、無防備な体を私に晒していた。
今なら唇を奪うことさえ簡単だ。

アンドレアル様は短刀を取り出す。
胸元に忍ばせても分からないくらいの、小さく短い刃。
しかし、その先端は煌めき、人の肉を簡単に捌けそう。
しゅんしゅんと振り回しながら、

「君と同じだ。その場の衝動に身を任せようじゃないか」

言う。
言いつつ、顔から笑みを消す。
代わりに、怒りや憎しみを顔に乗せた。
さっきの、そしていつもの軽薄さは消え。
そこには負の感情だけが乗っている。

「弟の命を奪う、その衝動に」

その言葉とともに、短刀が光を反射する。
輝き、移動する。
あの人の首へ、
その命を断ち切ろうと、純度100%の殺意とともに。