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season2

95話:魔界の桜

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 俺は急いで弁当を作りに台所へ向かった。

 弁当の上に保冷剤を置いて、その上に冷蔵庫で冷やしていた小さいサイズの日本酒を乗せ、箸や紙コップも一緒に大きな保冷バッグに放り込む。
 酒が飲めないジェルには水筒に入れた紅茶があるし。よし、これで大丈夫だ。

 準備をして裏庭に出てみると、ジェルが地面に魔法陣を描いていた。

「お、移動は転送の魔術を使うのか!」

「えぇ。正攻法では、まず行けませんからねぇ」

「えへへ、お花見楽しみだなぁ。弁当はおにぎりと卵焼きにウインナーにしたぞ!」

「ふふ、それはいいですね。じゃあ、出発しましょうか」

 俺達は地面に描かれた魔法陣の上に立った。ジェルは足元の魔法陣を見ながら意識を集中している。

「それじゃ行きますよ……」

 ジェルが転送の呪文を唱えると、魔法陣が輝き始めて光の渦が体を包み込んだ。ふわりと浮くような感覚がして、エレベーターが下がるときの感じに似ているなぁなんて思う。

 次の瞬間、俺の足に乾いた土の感触がして体にひんやりした空気がまとわりついた。真っ暗な空の遠くでギャーギャーとカラスの鳴き声が聞こえる。

 まさか、間違った場所に転送されたんだろうか。
 しかしジェルは特に焦る様子もなく、涼しい顔をしている。

「お、無事に着いたようですね。よかった」

「おい、ジェル。なんだ、この陰気な場所は……?」

「お花見会場ですよ?」

 彼はいたって当たり前のように答えた。いやいや、この荒地のどこがお花見会場なんだよ。

「どう考えてもそんな感じじゃねぇだろ。どこに桜があるんだよ?」

「桜なら、あっちの方にたくさんいますよ?」

「それを言うならありますじゃねぇのか? “います”ってなんだよ……うえぇぇっ⁉」

 ジェルが指差した先には、たくさんの桜が咲いていた。
 ただし桜の木は皆、まるで人間みたいに根っこを足にして自分で歩いている。

「なんだよあれ! なんで桜が歩いてるんだ⁉」

「魔界の桜は歩き回るんですよ」

「えぇっ⁉ ここ魔界かよ!!!!」

「えぇ。アレクが“どこでもいいからお花見に行きたい”って言ったじゃないですか」

「確かにお兄ちゃんどこでもいいって言ったよ⁉ だからって魔界に連れて来るか普通⁉」

 普段から魔術を研究しているジェルは、魔界からゴーレムやスケルトンといった魔物を召喚したりもする。
 だから彼にとっては、魔界に行くくらいたいしたことではないんだろうが……。

「さぁ、もっと近くで桜を見ましょうか」

 そう言って、うろうろ徘徊している桜の木にジェルは無防備に近づいていく。

「おい、大丈夫なのかよ?」

「おとなしい種族ですから、大丈夫ですよ」

 俺とジェルが近づくと、桜の木は人間に興味があるらしく、ゆっくりと集まってきた。
 ほとんどが俺の倍くらいの高さの立派な木で、囲まれると俺の視界が薄紅色でいっぱいになる。

 握手を求めるように目の前に伸ばしてきた枝をジェルが優しく撫でると、桜はくすぐったそうに枝を揺らした。

 人懐っこくてなんだか可愛いし、近くで見ても動く以外は普通の桜の木だ。
 よかった、これなら安心してお花見できそうだな。

 俺はすっかり安心して、集団のど真ん中にビニールシートを敷き、保冷バッグから日本酒を取り出した。

「あ、アレク! お酒はいけません!」

「へっ? ……うぁぁぁぁぁぁ‼」

 次の瞬間、俺の体は酒の瓶と一緒に枝に絡め取られていた。枝が触手みたいにぐにゃぐにゃ動いて、俺めがけて次々と襲ってくる。

「おい、なんだよこれ! おとなしい種族じゃねぇのかよ!」

 桜の枝で空中に羽交い絞めにされた俺の姿を見上げながら、ジェルは少し離れたところから叫んだ。

「それがですね~! 魔界の桜はお酒が大好物で、お酒を持っていると襲ってくるんです~!」

「先に言えよバカぁ~! おい、お兄ちゃんスケベブックみたいなことになってるんだけど! うわっ、まってやだぁぁぁ! そこはダメぇぇぇぇぇ~!!!!」



 桜たちは俺から酒を奪っただけでなく服まで奪っていく。おいおい、俺のセクシーボディが大公開じゃねぇか。
 枝がカチャカチャと器用に俺のベルトを外してズボンを剥ぎ取り、そして――

 次の瞬間、俺の体は急にぽいっと空中に放り投げられた。

「うわぁぁぁっ!」

 投げ捨てられた俺の体は、ゴロゴロと地面に転がる。
 そんなに高いところから放り投げられたわけではなかったのと、とっさに受身を取ったので、幸い大きなケガは無さそうだ。

「大丈夫ですか、アレク!」

「あぁ。ちょっとすり傷はできちまったが大丈夫だ。でもなんで急に俺は放り投げられたんだ?」

「そのギラギラパンツのせいですよ。魔界の桜は光り物が苦手なんです。クソ悪趣味な下着をはいていたおかげで助かりましたね」

 ジェルの透き通った青い瞳は、俺のギラギラとスパンコールで輝くセクシービキニパンツを冷ややかに見下ろしていた。
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