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3:NPCは爽やかに嘘をつく
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「あーあー。アタシもプリン・アラモード食べたかったなぁ。何でアタシだけ、食べられなかったのかなぁ?」
「あなたのマスターのせいじゃない!私じゃないわよ!」
そう抗弁するも受け入れられず、結局なし崩し的にプリン・アラモードを奢るハメになった帰り道で、私はまた、彼に出会った。
「…あ、また、あの人だ」
「ん?…ああ、赤毛のノッポさんか」
私達が向かう大通りの先に、鮮やかな赤い髪のヒューマンの男が佇んでいた。彼は大通りから大きく外れ、目の前に立ち塞がる土手にぶつかったまま、土手に生えた苔を眺めている。彼は先ほどの夕立の間もずっと立ち続けていたみたいで、頭部を飾る赤い髪は濡れそぼち、その先端から雫が次々と生み出される。隣に並ぶガーネットが眉を顰め、呟いた。
「ホント、大丈夫なのかね、ノッポさんのマスター…。ん?イリス、どうしたの?」
「ゴメン、ガーネット!私、あの人に話し掛けてくる!」
「え?イリス、本気!?…お節介はほどほどにしておきなさいよ!」
「うん!ありがとう!」
思わず足早になってしまった私の背中に、ガーネットの呆れ声が飛ぶ。私は振り返って、溜息をつくガーネットに手を振ると、彼の許に駆け出して行った。
私は少し手前で足を留め、息を整えると、静かに彼に近づく。「えぬぴーしー」に相応しい、ゆっくりとした足取りで、彼の許へと歩み寄る。
彼は、私が隣に佇んでも、こちらを見ようとしない。でも、それは当然の事だ。彼にとって、私は偶々隣に佇む「えぬぴーしー」だから。私は「えぬぴーしー」を演じながら、雨に濡れた彼の横顔を見つめる。
この人のマスターは、寂しくないのだろうか。独りで雨の中に佇んでいて、悲しくならないのだろうか。
――― 「えぬぴーしー」は、原則として「ぷれいやー」に声を掛けてはならない。
それは「うんえい」によって定められた、大原則だ。でも、それは決して禁止されているわけじゃない。「えぬぴーしー」が「ぷれいやー」に声を掛ける事自体は、許されている。
――― ただ、それが、会話として成立しないだけで。
私は小さく息を吸い、彼に話し掛ける。
『…あの、少しよろしいですか?』
その途端、私の頭の中に、鐘の音が鳴り響いた。
///// 【プレイヤー:赤兎】に、【クエスト:エルフの頼み】が発生しました /////
鐘の音と共に、それまで無表情だった彼が目を見開いた。彼は、目の前の土手に生えた苔を暫く凝視していたが、やがて直立した棒を捻るように体ごと「えぬぴーしー」の私へと向き直り、私の事を凝視する。彼は長い時間を掛けて口を開き、ゆっくりと吹き出しの中を文字で埋めていく。
『 な
に
? 』
彼の異様に間延びする言葉を聞いても、私は動じない。私は胸に手を当てて悲愴な表情を浮かべ、立て板に水を流すように、爽やかに嘘を並び立てる。
『実は、私の年の離れた弟が重い病に臥せっていまして、明日を迎えられるかもわかりません。病を治すには、街の向こう側に広がる草原の薬草が必要です。ですが、私は体が弱く、一人で薬草を取って来る事ができません。お願いです、どうか私と一緒に薬草を採りに行って貰えませんでしょうか?』
全部、嘘だ。私には、弟なんていない。街向こうに生える薬草だって、必要ない。レベルだって76まで伸びたから、街周辺のモンスターなんて、デコピンで倒せる。本当のコトなんて、何一つ言っていない。
でも私はそんな事をおくびにも出さず、慎ましい胸の前で両手を組み、嘘で塗り固めた言葉で、彼に懇願する。
『お願いします。私の弟を、助けて下さい!』
――― 何故なら、彼の「くえすと」を成立させるために、必要だから。
「えぬぴーしー」が「ぷれいやー」に提示できる「くえすと」は、「うんえい」が用意した「くえすと」と違い、完全な慈善活動だ。「くえすと」が達成されたからと言って、私達「えぬぴーしー」には一切報酬はなく、それどころか「くえすと」遂行に必要な経費は、全て「えぬぴーしー」の自腹となってしまう。でも、私は、それでも彼に「くえすと」を受けて欲しかった。
だって、彼のマスターにも、この「わーるど」で幸せになって欲しかったから。
それが、私達「えぬぴーしー」みんなの願いだから。
『 わ
か
っ た 』
私が懇願する姿を彼は長い時間眺めていたが、やがてゆっくりと口を開き、異様な間延びで了承する。彼の吹き出しの文字を見た私は目を輝かせ、心の底から感謝の意を表し、深々と頭を下げた。
『本当ですか!?ありがとうございます!』
そして私は彼の脇を通り過ぎ、立ち止まって振り返ると、彼に向かって満面の笑みを浮かべる。
『では早速、草原へ向かいましょう』
その私の足取りはきびきびしたもので、先ほど口にした「体の弱さ」なんて、微塵も感じられない。
嘘とでまかせで塗り固められた、全く意味のないお願い。
それが、「くえすと」の正体だ。
***
私達は1時間かけて街を横断し、草原へと辿り着いた。普通の「ぷれいやー」であれば、此処まで5分もかからない。だけど、彼は相変わらず不器用な直進と衝突、方向転換を繰り返し、先行する私はその都度立ち止まって彼が追い付くのを辛抱強く待ち続けた。彼のマスターは、何かの事情で移動と方向転換を同時にできないのだろう。そう、私は思い始めていた。
草原には多種多様な草花が生い茂っていたが、その中に幾つか、濃い緑色の草が点在している。これが薬草だ。私は草原の真ん中まで進み出ると、振り返って彼に微笑んだ。
『草原に着きました。赤兎さん、此処で薬草を5つ、採取して下さい』
さっき「一緒に採りに行こう」と誘っておきながら、いざとなれば自分の手で採ろうともせず、平気で「ぷれいやー」を顎で使う。これが、どの「くえすと」でもよく目にする、お馴染みのクオリティ。ついでに言えば、相手が名乗りもしていないのにいつの間にか名前で呼んでいるのも、お約束の光景だ。
彼は、私の理不尽かつ上から目線のお願いに疑問を持つことなく、地面に片膝をついて薬草を採取し始めた。草原には様々な草花が生えていたが、「ぷれいやー」は何故か薬草しか掴む事ができない。私は草原の真ん中に佇み、緩慢な動作で薬草を採取する彼を手伝おうともせず、眺める。
すると突然、私の頭の中で警告音が鳴り、メッセージが流れた。
///// 【ネームドモンスター:はぐれ狼】に、ターゲットされました /////
やば。
私は背後を振り返ろうともせず、薬草採取を続ける彼の姿をにこやかに眺めながら、耳をそば立てる。
はぐれ狼。駆け出しの「ぷれいやー」の最初の狩場でもある、この草原に生息する、唯一のアクティブモンスター。レベルは確か、6だったかな?ネームドと言っても、この草原の奥に広がる森に生息するゴブリンと、どっこいの強さ。「しょしんしゃ」でも難なく倒す事ができる。
だけど、目の前で採取を続ける彼には、無理だ。きっと彼は、為す術もなく殺されてしまうだろう。
私は彼に笑顔を向けたまま、頭の中で素早くシミュレートする。幸い、アクティブモンスターのターゲットは、私達「えぬぴーしー」にも飛ぶ。位置関係も良く、私ははぐれ狼に背中を向けたまま、彼とはぐれ狼の間に立ちはだかっている。彼が「くえすと」を終わらせるまで、私が食い止めれば、良い。そう皮算用を済ませた私に向かって、はぐれ狼が襲い掛かって来た。
『グルァァァァ!』
はぐれ狼が鋭い牙を剝き出しにして、無防備に曝け出した私の柔らかなお尻を喰い千切ろうと、迫って来る。私は相も変わらず、はぐれ狼に背を向けたまま、彼に笑顔を向けている。そんな私にはぐれ狼は背後から容赦なく襲い掛かり、―――
――― その凶悪な牙は、薄い布地を羽織っただけの乙女の柔肌を前にして、傷一つ付ける事さえできず阻まれた。
『ガゥ!?グアアアア!』
そりゃ、当然よね。
私は、性懲りもなくお尻にかぶりつこうと虚しい努力を繰り返すはぐれ狼を放置し、黙々と採取を続ける彼に笑顔を向けながら、内心で溜息をつく。
私のレベルは、76。しかも今は、「えぬぴーしー」の加護も付いている。街への「しんこういべんと」でもない限り、この加護はドラゴンにだって打ち破れないのだ。だから、はぐれ狼の牙如きでは何の痛痒も感じ…あ?…ああぁぁぁっ!?
こ、この馬鹿狼、歯が立たないからって、舌這わせてきやがった!
私は相も変わらず彼に笑顔を向けたまま、背後から襲い掛かる予想外の攻撃に狼狽する。
コ、コイツ、前世はマスターと同類だったんじゃないの!?え、ちょっと、其処、「うんえい」の壁に阻まれマスターでさえ指を咥えてガン見するしかない処なのに、ちょ、ちょっと待っ…!?
「えぬぴーしー」の手前、「ぷれいやー」の前で不用意な動きをするわけにもいかず、私が内心大いに焦っていると、ようやく採取を終えた彼が顔を上げた。彼は暫くの間、笑顔で恥辱プレイを受ける私を眺めていたが、やがて緩慢な動作で弓を取り出し、矢をつがえる。
…あ、この人、アーチャーなんだ。
初めて知った彼の職業に一瞬感銘を受けていると、彼は私に狙いを定め、弓を引き絞った。それを見た私は、「えぬぴーしー」として決して上げる事の赦されない悲鳴を、心の中で上げる。
あっ!赤兎、攻撃しちゃ駄目!あなたにターゲットが飛んじゃう!
私の心の叫びは届かず、彼の弓から矢が放たれる。彼の矢は寸分違わず私の無防備な腹部へと吸い込まれ ―――
――― 私の体を素通りして、お尻に食らいついくはぐれ狼の眉間に突き立った。
『ギャゥン!?』
背後ではぐれ狼が身を捩り、HPが三分の一削れる。けど、あと2発足らない。その2発を放つ前に、彼はきっと殺される。私はすかさず右手を後ろに回し、中指に渾身の力を籠め、はぐれ狼にデコピンを見舞わす。
『ギャッ!』
物理法則を無視したかのように、はぐれ狼が矢の向きとは90度違う方向へと吹き飛ばされる。はぐれ狼は脳漿を撒き散らしながら宙を舞い、草原の上で二度バウンドした後、口から泡を吹いて動かなくなった。
『…』
『…』
私ははぐれ狼には目もくれず、相変わらず彼に笑顔を向け、佇んでいる。そんな私の前で彼は暫くの間はぐれ狼の死体を眺めていたが、やがて視線を下ろし、手元の鞄の中から5束の薬草を取り出した。
よし、バレてなーい。
「うんえい」からのお咎めも、なし。今やった私の行為は「えぬぴーしー」としては正直グレーなところだけど、「ぷれいやー」のためを想っての行動だと「うんえい」が認めてくれれば、大体見逃してくれる事を、私は知っていた。内心でサムズアップする私の手元に、5束の薬草が差し出される。
『 は
い 』
『あ、ありがとうございます、赤兎さん!これで、弟は救われます!』
私は感動の面持ちで薬草を受け取り、薬草を胸に抱えたまま、繰り返し頭を下げる。すると、私の頭の中で再び鐘の音が鳴り響いた。
///// 【プレイヤー:赤兎】が、【クエスト:エルフの頼み】を達成しました。【クエスト報酬:10,000ゴールド】 /////
この「くえすとほうしゅう」が、「えぬぴーしー」の自腹。「イリス」ではなく、「えぬぴーしー」としての私の口座から自動で引き落とされる。ちなみに、受け取った薬草は普通に街の露店で販売されており、売値が100ゴールド、買取は10ゴールドだったりする。露店主からすれば、実に利益率90%。「てんばいやー」顔負けのボッタクリ価格だ。
私が頭を上げると、彼はいつも通り不器用に体を回転させ、暫くして真っすぐに歩き始めた。私は胸に薬草を抱え、「くえすと」を通じて彼と一緒の時間を過ごせた充実感に浸りながら、森へと向かう彼の後姿を見送る。
…ん?…森?
私が背後へと振り返ると、其処には「駆け出しの街」の美しい街並みが広がっていた。前を向けば、ゴブリンの森に向かって刻一刻と小さくなる、彼の後姿。
私は慌てて彼の許へ駆け出し、背後からゆっくりと近づくと、恐る恐る声を掛ける。
『…あの、すみません』
///// 【プレイヤー:赤兎】に、【クエスト:迷子のエルフ】が発生しました /////
頭の中で鐘が鳴り、彼が立ち止まった。やがて、彼が時間を懸けて不器用に振り返ると、私は不安気な表情を露わにして、彼に言い募る。
『私はあの街に暮らす、エルフの貴族です。実は隣町へと赴いた帰り、護衛の者達とはぐれ、独り取り残されてしまいました。こんな恐ろしい所、独りで歩いて帰る事なんてできません。お願いです、赤兎様!どうかこの私を、街まで連れ帰っていただけませんでしょうか!?』
…はぁ…今月のアルバイト、増やさなきゃ…。
私は内心で溜息をつき、先ほど受け取ったばかりの薬草の束を胸に抱えたまま、彼に向かって次々に嘘を積み重ねていった。
「あなたのマスターのせいじゃない!私じゃないわよ!」
そう抗弁するも受け入れられず、結局なし崩し的にプリン・アラモードを奢るハメになった帰り道で、私はまた、彼に出会った。
「…あ、また、あの人だ」
「ん?…ああ、赤毛のノッポさんか」
私達が向かう大通りの先に、鮮やかな赤い髪のヒューマンの男が佇んでいた。彼は大通りから大きく外れ、目の前に立ち塞がる土手にぶつかったまま、土手に生えた苔を眺めている。彼は先ほどの夕立の間もずっと立ち続けていたみたいで、頭部を飾る赤い髪は濡れそぼち、その先端から雫が次々と生み出される。隣に並ぶガーネットが眉を顰め、呟いた。
「ホント、大丈夫なのかね、ノッポさんのマスター…。ん?イリス、どうしたの?」
「ゴメン、ガーネット!私、あの人に話し掛けてくる!」
「え?イリス、本気!?…お節介はほどほどにしておきなさいよ!」
「うん!ありがとう!」
思わず足早になってしまった私の背中に、ガーネットの呆れ声が飛ぶ。私は振り返って、溜息をつくガーネットに手を振ると、彼の許に駆け出して行った。
私は少し手前で足を留め、息を整えると、静かに彼に近づく。「えぬぴーしー」に相応しい、ゆっくりとした足取りで、彼の許へと歩み寄る。
彼は、私が隣に佇んでも、こちらを見ようとしない。でも、それは当然の事だ。彼にとって、私は偶々隣に佇む「えぬぴーしー」だから。私は「えぬぴーしー」を演じながら、雨に濡れた彼の横顔を見つめる。
この人のマスターは、寂しくないのだろうか。独りで雨の中に佇んでいて、悲しくならないのだろうか。
――― 「えぬぴーしー」は、原則として「ぷれいやー」に声を掛けてはならない。
それは「うんえい」によって定められた、大原則だ。でも、それは決して禁止されているわけじゃない。「えぬぴーしー」が「ぷれいやー」に声を掛ける事自体は、許されている。
――― ただ、それが、会話として成立しないだけで。
私は小さく息を吸い、彼に話し掛ける。
『…あの、少しよろしいですか?』
その途端、私の頭の中に、鐘の音が鳴り響いた。
///// 【プレイヤー:赤兎】に、【クエスト:エルフの頼み】が発生しました /////
鐘の音と共に、それまで無表情だった彼が目を見開いた。彼は、目の前の土手に生えた苔を暫く凝視していたが、やがて直立した棒を捻るように体ごと「えぬぴーしー」の私へと向き直り、私の事を凝視する。彼は長い時間を掛けて口を開き、ゆっくりと吹き出しの中を文字で埋めていく。
『 な
に
? 』
彼の異様に間延びする言葉を聞いても、私は動じない。私は胸に手を当てて悲愴な表情を浮かべ、立て板に水を流すように、爽やかに嘘を並び立てる。
『実は、私の年の離れた弟が重い病に臥せっていまして、明日を迎えられるかもわかりません。病を治すには、街の向こう側に広がる草原の薬草が必要です。ですが、私は体が弱く、一人で薬草を取って来る事ができません。お願いです、どうか私と一緒に薬草を採りに行って貰えませんでしょうか?』
全部、嘘だ。私には、弟なんていない。街向こうに生える薬草だって、必要ない。レベルだって76まで伸びたから、街周辺のモンスターなんて、デコピンで倒せる。本当のコトなんて、何一つ言っていない。
でも私はそんな事をおくびにも出さず、慎ましい胸の前で両手を組み、嘘で塗り固めた言葉で、彼に懇願する。
『お願いします。私の弟を、助けて下さい!』
――― 何故なら、彼の「くえすと」を成立させるために、必要だから。
「えぬぴーしー」が「ぷれいやー」に提示できる「くえすと」は、「うんえい」が用意した「くえすと」と違い、完全な慈善活動だ。「くえすと」が達成されたからと言って、私達「えぬぴーしー」には一切報酬はなく、それどころか「くえすと」遂行に必要な経費は、全て「えぬぴーしー」の自腹となってしまう。でも、私は、それでも彼に「くえすと」を受けて欲しかった。
だって、彼のマスターにも、この「わーるど」で幸せになって欲しかったから。
それが、私達「えぬぴーしー」みんなの願いだから。
『 わ
か
っ た 』
私が懇願する姿を彼は長い時間眺めていたが、やがてゆっくりと口を開き、異様な間延びで了承する。彼の吹き出しの文字を見た私は目を輝かせ、心の底から感謝の意を表し、深々と頭を下げた。
『本当ですか!?ありがとうございます!』
そして私は彼の脇を通り過ぎ、立ち止まって振り返ると、彼に向かって満面の笑みを浮かべる。
『では早速、草原へ向かいましょう』
その私の足取りはきびきびしたもので、先ほど口にした「体の弱さ」なんて、微塵も感じられない。
嘘とでまかせで塗り固められた、全く意味のないお願い。
それが、「くえすと」の正体だ。
***
私達は1時間かけて街を横断し、草原へと辿り着いた。普通の「ぷれいやー」であれば、此処まで5分もかからない。だけど、彼は相変わらず不器用な直進と衝突、方向転換を繰り返し、先行する私はその都度立ち止まって彼が追い付くのを辛抱強く待ち続けた。彼のマスターは、何かの事情で移動と方向転換を同時にできないのだろう。そう、私は思い始めていた。
草原には多種多様な草花が生い茂っていたが、その中に幾つか、濃い緑色の草が点在している。これが薬草だ。私は草原の真ん中まで進み出ると、振り返って彼に微笑んだ。
『草原に着きました。赤兎さん、此処で薬草を5つ、採取して下さい』
さっき「一緒に採りに行こう」と誘っておきながら、いざとなれば自分の手で採ろうともせず、平気で「ぷれいやー」を顎で使う。これが、どの「くえすと」でもよく目にする、お馴染みのクオリティ。ついでに言えば、相手が名乗りもしていないのにいつの間にか名前で呼んでいるのも、お約束の光景だ。
彼は、私の理不尽かつ上から目線のお願いに疑問を持つことなく、地面に片膝をついて薬草を採取し始めた。草原には様々な草花が生えていたが、「ぷれいやー」は何故か薬草しか掴む事ができない。私は草原の真ん中に佇み、緩慢な動作で薬草を採取する彼を手伝おうともせず、眺める。
すると突然、私の頭の中で警告音が鳴り、メッセージが流れた。
///// 【ネームドモンスター:はぐれ狼】に、ターゲットされました /////
やば。
私は背後を振り返ろうともせず、薬草採取を続ける彼の姿をにこやかに眺めながら、耳をそば立てる。
はぐれ狼。駆け出しの「ぷれいやー」の最初の狩場でもある、この草原に生息する、唯一のアクティブモンスター。レベルは確か、6だったかな?ネームドと言っても、この草原の奥に広がる森に生息するゴブリンと、どっこいの強さ。「しょしんしゃ」でも難なく倒す事ができる。
だけど、目の前で採取を続ける彼には、無理だ。きっと彼は、為す術もなく殺されてしまうだろう。
私は彼に笑顔を向けたまま、頭の中で素早くシミュレートする。幸い、アクティブモンスターのターゲットは、私達「えぬぴーしー」にも飛ぶ。位置関係も良く、私ははぐれ狼に背中を向けたまま、彼とはぐれ狼の間に立ちはだかっている。彼が「くえすと」を終わらせるまで、私が食い止めれば、良い。そう皮算用を済ませた私に向かって、はぐれ狼が襲い掛かって来た。
『グルァァァァ!』
はぐれ狼が鋭い牙を剝き出しにして、無防備に曝け出した私の柔らかなお尻を喰い千切ろうと、迫って来る。私は相も変わらず、はぐれ狼に背を向けたまま、彼に笑顔を向けている。そんな私にはぐれ狼は背後から容赦なく襲い掛かり、―――
――― その凶悪な牙は、薄い布地を羽織っただけの乙女の柔肌を前にして、傷一つ付ける事さえできず阻まれた。
『ガゥ!?グアアアア!』
そりゃ、当然よね。
私は、性懲りもなくお尻にかぶりつこうと虚しい努力を繰り返すはぐれ狼を放置し、黙々と採取を続ける彼に笑顔を向けながら、内心で溜息をつく。
私のレベルは、76。しかも今は、「えぬぴーしー」の加護も付いている。街への「しんこういべんと」でもない限り、この加護はドラゴンにだって打ち破れないのだ。だから、はぐれ狼の牙如きでは何の痛痒も感じ…あ?…ああぁぁぁっ!?
こ、この馬鹿狼、歯が立たないからって、舌這わせてきやがった!
私は相も変わらず彼に笑顔を向けたまま、背後から襲い掛かる予想外の攻撃に狼狽する。
コ、コイツ、前世はマスターと同類だったんじゃないの!?え、ちょっと、其処、「うんえい」の壁に阻まれマスターでさえ指を咥えてガン見するしかない処なのに、ちょ、ちょっと待っ…!?
「えぬぴーしー」の手前、「ぷれいやー」の前で不用意な動きをするわけにもいかず、私が内心大いに焦っていると、ようやく採取を終えた彼が顔を上げた。彼は暫くの間、笑顔で恥辱プレイを受ける私を眺めていたが、やがて緩慢な動作で弓を取り出し、矢をつがえる。
…あ、この人、アーチャーなんだ。
初めて知った彼の職業に一瞬感銘を受けていると、彼は私に狙いを定め、弓を引き絞った。それを見た私は、「えぬぴーしー」として決して上げる事の赦されない悲鳴を、心の中で上げる。
あっ!赤兎、攻撃しちゃ駄目!あなたにターゲットが飛んじゃう!
私の心の叫びは届かず、彼の弓から矢が放たれる。彼の矢は寸分違わず私の無防備な腹部へと吸い込まれ ―――
――― 私の体を素通りして、お尻に食らいついくはぐれ狼の眉間に突き立った。
『ギャゥン!?』
背後ではぐれ狼が身を捩り、HPが三分の一削れる。けど、あと2発足らない。その2発を放つ前に、彼はきっと殺される。私はすかさず右手を後ろに回し、中指に渾身の力を籠め、はぐれ狼にデコピンを見舞わす。
『ギャッ!』
物理法則を無視したかのように、はぐれ狼が矢の向きとは90度違う方向へと吹き飛ばされる。はぐれ狼は脳漿を撒き散らしながら宙を舞い、草原の上で二度バウンドした後、口から泡を吹いて動かなくなった。
『…』
『…』
私ははぐれ狼には目もくれず、相変わらず彼に笑顔を向け、佇んでいる。そんな私の前で彼は暫くの間はぐれ狼の死体を眺めていたが、やがて視線を下ろし、手元の鞄の中から5束の薬草を取り出した。
よし、バレてなーい。
「うんえい」からのお咎めも、なし。今やった私の行為は「えぬぴーしー」としては正直グレーなところだけど、「ぷれいやー」のためを想っての行動だと「うんえい」が認めてくれれば、大体見逃してくれる事を、私は知っていた。内心でサムズアップする私の手元に、5束の薬草が差し出される。
『 は
い 』
『あ、ありがとうございます、赤兎さん!これで、弟は救われます!』
私は感動の面持ちで薬草を受け取り、薬草を胸に抱えたまま、繰り返し頭を下げる。すると、私の頭の中で再び鐘の音が鳴り響いた。
///// 【プレイヤー:赤兎】が、【クエスト:エルフの頼み】を達成しました。【クエスト報酬:10,000ゴールド】 /////
この「くえすとほうしゅう」が、「えぬぴーしー」の自腹。「イリス」ではなく、「えぬぴーしー」としての私の口座から自動で引き落とされる。ちなみに、受け取った薬草は普通に街の露店で販売されており、売値が100ゴールド、買取は10ゴールドだったりする。露店主からすれば、実に利益率90%。「てんばいやー」顔負けのボッタクリ価格だ。
私が頭を上げると、彼はいつも通り不器用に体を回転させ、暫くして真っすぐに歩き始めた。私は胸に薬草を抱え、「くえすと」を通じて彼と一緒の時間を過ごせた充実感に浸りながら、森へと向かう彼の後姿を見送る。
…ん?…森?
私が背後へと振り返ると、其処には「駆け出しの街」の美しい街並みが広がっていた。前を向けば、ゴブリンの森に向かって刻一刻と小さくなる、彼の後姿。
私は慌てて彼の許へ駆け出し、背後からゆっくりと近づくと、恐る恐る声を掛ける。
『…あの、すみません』
///// 【プレイヤー:赤兎】に、【クエスト:迷子のエルフ】が発生しました /////
頭の中で鐘が鳴り、彼が立ち止まった。やがて、彼が時間を懸けて不器用に振り返ると、私は不安気な表情を露わにして、彼に言い募る。
『私はあの街に暮らす、エルフの貴族です。実は隣町へと赴いた帰り、護衛の者達とはぐれ、独り取り残されてしまいました。こんな恐ろしい所、独りで歩いて帰る事なんてできません。お願いです、赤兎様!どうかこの私を、街まで連れ帰っていただけませんでしょうか!?』
…はぁ…今月のアルバイト、増やさなきゃ…。
私は内心で溜息をつき、先ほど受け取ったばかりの薬草の束を胸に抱えたまま、彼に向かって次々に嘘を積み重ねていった。
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