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12:醜いアヒル

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「…あのマスターが、もう3日も『ろぐいん』して来ないんだよね。私、マスターが病気や怪我で寝込んでいないか、心配になってきた…」
「え?貴方のマスター、毎日『ろぐいん』しているわよ?エレナで」
「え!?」



 ***

 …と言う聞き捨てならない情報をガーネットから仕入れ、何気にショックを受けていた私だったので、その光景を目の当たりにして思わず隠れてしまったわけです、はい。

 私が路地の陰から顔を覗かせた道の先には、二人の男女がこちらに背を向け、佇んでいた。一人は赤い髪に彩られた、長身のヒューマンの男。もう一人は、ヒューマンの長身と比べても見劣りしないほど背の高い、ダークエルフの女性。女性はプラチナブランドの髪をポニーテールに結い上げ、その長い房が褐色の背中に流れ落ちる滝の様に揺れ動いている。二人は、二度と相手を離すまいと思わせるほどにしっかりと手を繋ぎ、取り留めもない話題に花を咲かせていた。

『悪ぃな、赤兎。わざわざレベル上げに付き合ってくれて。後衛職はどうにも慣れなくってさ、いまいち効率が上がんねぇんだよ』
『 う う ん 、 気 に し な い で 、 イ リ ス 。 私 の レ ベ ル 上 げ も 手 伝 っ て く れ た し 。 恩 返 し さ せ て ? 』

 赤兎がエレナに向かって「イリス」と呼び、それを聞いた私の胸が締め付けられる。私は立っていられないほどのめまいを覚え、近くの壁に背中を預け、胸に手を当てて必死に深呼吸を繰り返した。

 ち、違うよ、赤兎っ!そのは私じゃないよ!?エレナだよ!? 

 喘ぐように深く息を吸い込み、呼吸を整えながら二人の方へと目を向けると、交差点を横切る馬車の列が途絶え、二人が手を繋いだまま道路を横断しようとしていた。私は慌てて後を追って二人の後ろに張り付くと、同じ方向へと向かう「えぬぴーしー」を装いつつ、様子を窺う。二人は背後に張り付いた「えぬぴーしー」の存在には気にも留めず、互いに相手の事ばかり気遣っている。

『でも、赤兎、無理すんなよ?俺は二度目だから、クエストの進め方がわかっているし。それに右手一本で王都まで操作するの、大変だろ?何だったら、此処で待っていても構わないからな?』
『 う う ん 、 お 散 歩 す る の 楽 し い か ら 、 平 気 。 そ れ と も 私 が 一 緒 だ と 、 嫌 ? 』
『…嫌とか、んな事言うわけねぇだろうが…』

 赤兎が、男性とは異なる柔らかな表現の言葉を並べ、吹き出しの中をゆっくりと文字で埋めていく。それを見たエレナが吹き出しから目を逸らし、口を尖らせて、ぞんざいな言葉で反論する。

 そんな二人の後姿が、温かくて、もどかしくて、微笑ましくて。



 ――― 羨ましくて、苦しくて、耳を塞ぎたくなる。



 気付けば、私達は街の出入口に当たる関所の前に佇んでいた。周りには何台もの荷馬車が停車し、多くの「えぬぴーしー」達が荷検にあらためをしたり、荷物の上げ下ろしをしている。その風景を物珍し気に眺めている赤兎の隣で、エレナが魔法の杖を手にしたまま大きく背伸びをし、起伏に富んだ艶めかしい姿態を左右に揺り動かした。

『さぁて…ちょっくら遠いけど、クエストのために王都まで行ってくるか…』
『 う ん 』

 此処から先は、「えぬぴーしー」が自由に踏み出せない「ふぃーるど」。もう私は、「ぷれいやー」の二人の後を追う事ができない。



 ――― 私だけが独り、置いてきぼり。



『――― あのっ!』

 私は思わず二人の許へと駆け寄り、赤兎の手を取って縋りついた。振り返った二人の顔と共に、頭の中にあの鐘が鳴る。



 ///// 【プレイヤー:赤兎】に、【クエスト:遠く離れた愛しき人】が発生しました /////



『…私にはかつて、将来を誓い合った愛しい恋人がいました。ですが、ある日大きな争いが起き、私と彼は離れ離れになってしまいました。その彼が、王都で無事で居る事がわかったのです。お願いします!どうか私を、王都まで連れて行ってくれませんでしょうか!?…私は、私は…あの人に会いたいんです!』

 私は赤兎の手を両手で掴み、決して離すまいとしながら、彼の目を見て必死に訴えかける。私は有らぬ事を並べ、偽りを口にし、躊躇いもなく相手を欺き、二人に縋りつこうとする。



「くえすと」という大義の下、白昼堂々、白々しく、親しい相手を嘘と出任せで引き留め、気を引こうとする、――― 最低の女。



『どうした、赤兎?何してんの、このNPC』

 必死に訴えかける私の姿を見たエレナマスターが腰を折り、ひょいと私の顔を覗き込んだ。視界の端にエレナの顔が映り込むが、私は怖くてエレナに目を向ける事が出来ない。赤兎が私に手を掴まれたままエレナに顔を向け、困惑気味に答えた。

『 何 か 、 ク エ ス ト が 発 生 し た 。 遠 く 離 れ た 愛 し き 人 っ て ク エ ス ト 、 知 っ て る ? 』
『いや、知らね。聞いた事ねぇぞ、そんなの』

 エレナマスターは顎に指を添え、一瞬険しい顔を浮かべたが、直後に得心した表情で両の手を打ち鳴らす。

『…あっ!これがネットで噂になっている、ランダム発生のクエストか!何かAIが勝手に生成して、NPCが持ち掛けて来るって言う…』
『 え ? そ ん な ク エ ス ト が あ る の ? 』
『あくまで噂だけどな。俺、一度も遭遇した事ねぇよ』
『 私 、 十 回 く ら い あ る ん だ け ど 』
『マジで?引き強ぇ…』

 私の視界の外にある別世界で、二人が顔を見合わせている。やがて二人は一斉にこちらを向き、水槽の中に生きるを鑑賞している様な雰囲気で答えた。

『 で 、 ど う し よ う 、 こ の 人 。 連 れ て っ て も 好 い ? 』
『好いんじゃね?どうせお前、このまま王都に行っても散歩にしかならなかったんだし。せっかくだから、小遣い稼ぎすれば。それに俺、この手のクエストでどんな報酬が貰えるか、見てみてぇ』
『 1 万 ゴ ー ル ド し か 貰 え な い よ ? 』
『マジ?糞マズイじゃん!』

 並んで歩く二人の後を追って、私は街を出る。

 先を歩く二人が手を繋ぎ後ろを気にせず和気あいあいとお喋りを続ける、その背中を眺めながら、私は一人、黙って後を追う。



 …こんな私…すごく、すごく…惨めだ。



 ***

『…この道を右に進んで行くと、オーガの集落がある。レベル30以降の狩場は此処だな。此処のクエストで貰えるネックレスは二次職の間は使えるから、取っておけ』
『 オ ー ガ っ て 、 強 い ? 』
『硬ぇけど鈍重だから、リンクさえ起こさなければソロでもいける。…あ、でも、岩投げてくるのが居るから、注意な。スタン喰らうから。――― レベルが上がったら、
『 う ん 』

 三叉路で立ち止まったエレナは手を繋いだまま右の道を指差して説明を始め、赤兎が尋ねると彼女は振り返り、背の高い彼の眼差しを受け止めるように顔を上げた。プラチナブロンドの滝が波打ち、陽の光を浴びて瞬く。背後で独り佇んでいた私は、「ぷれいやー」同士の会話に口を挟む事もできず、私を置いてきぼりにして交わされる二人だけの約束を耳にして、俯き、唇を噛んだ。

『 あ れ ? こ の 人 、 何 か お か し く な い ? 大 丈 夫 か な ? 』

 顔を上げると、赤兎が膝に手をついて長身を屈め、私の顔色を窺っていた。髪の色と同じ、ルビーにも似た瞳が私の目を捉える。私は彼の視線を遮るように目を細め、笑顔を浮かべる。霞がかった視界に水が溜まり、映像が滲んでいく。振り返ったエレナが私に目を向け、疑わし気に答えた。

『ん?別におかしいトコ、ねぇけど』
『 そ う か な 。 何 か 、 悲 し そ う な 顔 を し て な い ? 』
『んなわけねぇだろ、NPCなんだから。気のせいじゃねぇか?』

 そうだよ、赤兎。あなたの気のせいよ。私は心の中でエレナの意見に同意し、彼に必死に笑顔を見せる。

 だって私、やっと恋人に会えるんだよ?この道を歩いて王都にさえ着けば、長い間離れ離れになっていた愛しい人に会えるんだよ?そんな私が悲しんでいるわけ、ないじゃない。私は「くえすと」のストーリーに忠実に従い、彼に向かって嬉しそうに微笑む。

 …目に涙を浮かべ、服の端を両手で掴み、爪が掌に食い込むほどに強く握り締めながら。



 ***

 …その後、どのくらい歩いたか、覚えていない。気が付くと、私達は王都の入口に当たる、大きな街門の前に佇んでいた。大勢の「えぬぴーしー」が行き交う街門の前でエレナが振り返り、背後で俯いている私を一瞥する。

『…さて、王都に着いたけど、コイツ何処に連れて行けば好いんだ?』
『 門 を 抜 け た ら 、 ク リ ア す る か な ? 』
『とりあえず、行ってみるか』
『…あの』

 再び前を向き、門をくぐろうとした二人を、私は呼び止めた。訝し気に振り返った二人を前に、私は姿勢を正し、深々と頭を下げる。

『…王都まで私を送り届けていただき、ありがとうございました。ですが、私は一つ、此処であなたにお詫びをしなければなりません』

 顔を上げた私は、立ち止まっている二人に向けて、告白する。



『――― 王都に私の恋人は、いません』



『 え ? 』
『何て言ってるんだ?コイツ』

 赤兎がゆっくりと吹き出しに文字を打ち、「くえすと」の会話が聞こえないエレナが赤兎に尋ねた。私は立ち尽くしている彼に向かい、。「くえすと」を破綻させず、でもできるだけ彼にこの気持ちを伝えたくて。私は嘘の上塗りを重ねながら、胸の内を明かす。

『…私の愛しい人は遠くへと旅立ち、もう私の許へは戻って来ません。だから、私はせめて、あの人の足跡そくせきを辿りたかった…あの人が王都へと向かった道を歩き、あの人が眺めたであろう景色をこの目に焼き付け、もう見る事の叶わないあの人の背中を思い浮かべながら…一緒に王都へ行きたかった…』
『 そ う な ん で す か ? 』

 私の目の前で、私が思い描いた、私に問い質してくる。

 だけど私は、彼の問いに答えない。…だって、私はただの「えぬぴーしー」だから。「くえすと」のストーリーに沿って演じるだけの、只の「えぬぴーしー」だから。



 だから、私はこの想いを「くえすとほうしゅう」にしたため、「ぷれいやー」へと託す。

 ――― 姉として、たった一人の妹の幸せを願って。



『…今日、あなたに連れられて王都へと来た事で、私は心の整理がつきました。ありがとうございました。…此処まで連れて来て下さった御礼に、これを差し上げます…私にはもう…必要のない物だから…』

 そう答えた私は小さな箱を取り出し、立ち尽くしている彼の手を取り、掌に乗せる。

 …いつかエレナと一緒に付けようと思っていた、一対のお揃いの指輪を。



 ///// 【プレイヤー:赤兎】が、【クエスト:遠く離れた愛しき人】を達成しました。【クエスト報酬:「親愛の指輪」、10,000ゴールド】 /////



 …この鐘が鳴り終わったら「くえすと」は終わり、私は通りすがりの「えぬぴーしー」へと戻る。私は彼の顔を目に焼き付け、最後の言葉を贈る。

『…あなたは決して…好きな人を手離さないで下さい…お幸せに』
『 あ の 』

 言葉を終えた私は彼の脇を通り過ぎ、呼び止めようとする彼の手を振り切って、通りすがりの「えぬぴーしー」として一人で街門を潜る。

『…何て言ってたんだ、あのNPC?』
『 何 か 、 凄 く 深 い ス ト ー リ ー だ っ た 。 あ の ね … 』
『…へぇ、最近のAI、侮れねぇなぁ』

 背後で交わされる会話を聞き流し、頬に一筋の涙を伝わせながら。



 ***

「…まったくもう!勝手に入って一人で飲んだくれないでよ、姉さん。開店の準備ができないじゃないの」
「たった一人の姉が傷心に打ちひしがれているんだから、少しは慰めてよ…」

 勝手に鍵を開けて中に入り、ワインを空けてカウンターにうつ伏していた私の背中に、エレナの声が掛かった。彼女は私の脇を通り過ぎ、カウンター内へ入ると棚に並んでいたボトルを取り、中身をグラスへと注ぐ。

「…それで、今日はどうしたの、姉さん?らしくないじゃない。わざわざ『くえすと』まで作って、私達の後をついて来るだなんて」
「…」

 エレナがグラスを傾けながら私に問い掛ける。

「私達」。エレナが口にしたその自然な言葉に、私の胸が締め付けられる。

 私は目を閉じカウンターにうつ伏したままエレナの問いに答えず、カウンターには沈黙と、グラスを漂う氷の音だけが漂う。

「…エレナ…」
「…なぁに、姉さん?」



「…赤兎とマスターの事、よろしくね」



「…何で?」
「何でって…だって、そうじゃない!」

 心当たりがなく、小首を傾げているエレナの姿を見た私は、顔を上げ、目に涙を浮かべながら反論する。

「だってもう、マスター、4日連続でエレナに『ろぐいん』しているじゃない!その間、私のトコには一度も『ろぐいん』して来ないのに!きっと私、マスターに捨てられたんだ!これからはエレナが『めいん』になって、赤兎やガーネット達と一緒に遊ぶんだ!…だから、これからは…私があなたに代わって、ずっと倉庫草葉の陰からマスターとあなたの事を見守っているから…」

 僅か4日であんなに親しくなった、二人。傍目から見てもお似合いとしか言いようのない、二人。



 ――― そんな二人を目の当たりにしたら、私は応援するしか、他にない。



 カランカラン。

「…あ、ごめんなさい、お客様。この時間、まだ準備中…」

 背後で入口に取り付けられた鐘の音が鳴り、エレナが顔を上げて入って来た客に謝ろうとする。そのエレナの発言を遮るように、客が言葉を被せた。



「…こんな時間にすみません。彼女なら多分此処だろうって、ガーネットさんに伺ったものですから…」



 聞き覚えのある透き通った男の声に、私はカウンターの椅子に座ったまま弾かれるように背を伸ばし、恐る恐る入口へと振り返る。

 其処で目にしたのは、――― 外から光が射し込み、矩形くけいかたどられた輝きの中に黒く浮かび上がる、長身の男の影だった。
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