失われた右腕と希望の先に

瑪瑙 鼎

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第5章 西誅

86:一夜の安息

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 中央に焚かれた篝火が、風にたなびいて激しく揺れ動いていた。

 篝火の周囲では何人もの男女が車座になって座り、酒を酌み交わし、料理に舌鼓を打っている。車座は篝火の数だけ複数存在し、広場には100人以上の人々が集まっていた。男達は高らかに笑い、酒杯を掲げ、肩を組んで歌っている。女達は、時折男達の酒杯を注いで回りながら、女同士で集まって艶やかな話題に花を咲かせていた。

 人々の前には様々な料理が並び、人々は思い思いに手を伸ばして、口へと運ぶ。羊肉の串焼き、牛肉の腸詰。羊肉のシチュー。木の実を挽いて薄く焼いたパン。羊乳のチーズと、果物をまぶしたヨーグルト。緑豊かなサラダと、干果と木の実のツマミ。そして、羊乳酒と馬乳酒。それらは決して特別な食べ物ではなく、彼らにとってありふれた、素朴で質素なものであったが、場を包む喜びが料理の旨味を増し、人々はいつもより美味しそうな顔で平らげていく。セレーネの生還を祝った宴は、夜が更けた後も続き、ますます賑わいを増していた。

 愛娘の無事を知ってグラシアノとナディアは大いに喜んだが、祝いの席については、当初グラシアノの身内だけで静かに行うつもりであった。今回の北伐においてティグリのエルフは甚大な被害を受け、出征した1,000人のうち、わずか400人しか生還していない。その様な不幸の中で、自分だけが娘の無事を祝う事を憚ったのだが、一人のエルフの言葉がグラシアノを後押しした。

「我々は、族長の娘が生還したから祝うのではないのです。たった一人とは言え、絶望視されていた仲間が無事に生還してくれた。その喜びを、皆で分かち合いたいのです」

 自分の息子が未だ戻っていない、そのエルフの一言にグラシアノは感謝し、その夜ティグリの森の中央の広場で、セレーネの生還の宴が盛大に行われたのである。



 柊也は顔を赤らめ、半分ほど中身の減った酒杯を前に、大きく息をついた。久しぶりに飲んだアルコールは体に良く響き、自分でも酩酊しているのが良くわかる。振り返れば、この世界に来てからは数えるほどしか酒を飲んでおらず、酒宴となると召喚直後にヴェルツブルグで行われた王家の晩餐以来だった。しかもその時は王族やら貴族やらが蔓延り酒を楽しむという雰囲気ではなかったので、純粋に酒を楽しむのは、この世界に来て初めての事であった。

 一息ついた柊也に、セレーネに纏わりつく若いエルフの娘が、声をかける。

「それじゃ、トウヤさん、ガリエルの地からティグリに戻って来るまでの間、セレーネとはずっと一つ屋根の下だったんですか?」
「え?ああ、まあ、ぶっちゃけて言うと、そう言う事になるなぁ」
「きゃぁぁぁぁぁ!セレーネ!あなた、私達の中で一番奥手だと思ったのに、いつの間に大人になって…、お姉さん悔しいなぁ、この!この!」
「ちょっと、アンナ!違うから!そんなんじゃないから!」
「だって、あなた、ティグリにいた時、男と手を繋いだ事もなかったじゃない?それが、ねぇ…?」
「いや、ララ、だから、それには止むに止まれぬ事情があって…」
「どんな事情?」

 セレーネが幼馴染の娘達に絡まれ、しどろもどろになる。

「いや、それが、訳あってトウヤさんから離れられなくなっちゃって…」
「「「トウヤさんから離れられない!?」」」
「ブゥーーーーーーーーーーーーーー!」
「ちょっと、あなた!汚いわよ」
「げほ、げほ、す、すまん、ナディア。セ、セレーネ、それは一体どういう意味だ?」
「いや、だからお父さん、それはサーリア様に誓ってるから、言えなくて」
「サーリア様に誓ってしまったのなら仕方ないけど、お父さんとお母さんに断りなくトウヤさんと永遠の誓いをしちゃうのは、お母さん、如何なものかと思うわよ?」
「だからお母さん、それも違うから!あああ、トウヤさん!これ、どうにかしてよぉぉぉ!」
「いや、無理じゃね?」

 袋小路に入って出られなくなったセレーネは柊也に助けを求めるも、柊也は無情にも突き放す。サーリアの誓いはエルフにとって最も神聖な誓いだけあって、グラシアノもナディアもその内容について踏み込んで来ないが、セレーネも自縄自縛に陥って身動きが取れず、言えば言うほど底なし沼に嵌っていた。

 身内の追及に溺れるセレーネを酒のツマミにしていた柊也の背中に何かがぶつかり、柊也は背後へと振り返った。下を見ると、左隣に座るシモンの毛並みの良い尻尾が、柊也を繰り返しはたいていた。本人は反対側に座るエルフとの話に華を咲かせており、なかなか器用な事をしている。

 柊也は、背中を向けたままのシモンを見てニヤリと笑い、おもむろに尻尾を鷲掴みし、揉みしだいた。

「んくぅ!?」
「シモン殿?如何した?」

 飛び上がったシモンを見て、隣のエルフが気を遣う。

「え、あ、いや、失礼。ちょっと小骨が喉に引っ掛かって…」
「はぁ…」

 ちなみに、この日の酒宴に魚料理はない。

 シモンは手元に置いた酒杯を取るために横を向き、涙目で柊也を睨み付ける。柊也はそんなシモンに今度は柔らかく微笑むと、ギターの弦を押さえる様に、掌の中の尻尾を優しく指で擦った。

「ちょ、ちょっと、トウ…ぁ…ん…」
「失礼。トウヤ殿、シモン殿、一杯いかがかな?」
「ああ、これはどうも。有難くいただきます」
「ひぃぁぁ!?」

 二人の間に酒壺が差し出され、柊也は酒杯を空にすると、酒を注いでもらう。

「シモン殿も、いかがかな?」
「あああああああああああ、えええと、えと、い、いただきます…」
「シモン、無理をするなよ?顔が真っ赤だぞ?」
「君がそれを言うか!」

 顔を真っ赤にしながら慌てて酒杯を差し出したシモンを見て、柊也は気を遣うが、シモンはかえって機嫌を損ねる。女心は難しい。

 横を向いて酒杯を呷り始めたシモンを見て、柊也は苦笑し、視線を酒壺の持ち主へと向けた。一人のエルフの男が、シモンの飲みっぷりに感心している。

「ええと、ヘルマン殿、でしたか」
「おお、すでに名前を憶えていただけているとは、光栄だ」
「グラシアノ殿が、散々持ち上げていましたからね」
「族長の買い被りにも困ったものだ…」

 ヘルマンは溜息をついてその場で胡坐をかき、柊也とシモンが体の向きを変え、ヘルマンと向かい合う。シモンがヘルマンの持つ酒壺と自分の酒杯を入れ替え、酒壺を傾けた。

「ヘルマン殿、あなたも一杯」
「おお、シモン殿、すまんな」

 そう答えたヘルマンはシモンに酒を注いでもらうと、一気に飲み干し、大きな溜息をつく。

「はぁぁぁ…、久しぶりだ、旨い酒が飲めるのは。トウヤ殿、シモン殿、あなた達のおかげだ。改めてお礼を言わせてもらおう」

 ヘルマンは胡坐をかいたまま頭を下げ、言葉を続ける。

「セレーネがいない間の族長は、酷い有様だったよ。覇気の塊の様な男だったのが、全て蒸発して塞ぎ込み、全く表に出て来なくなった。頭がいなくなったから私が止むを得ず皆を取り仕切ったが、正直、そろそろ限界だった。あの状態では、族長も何を言い出すかわからなかったからな。しかし、ぎりぎりで間に合った。全て、セレーネを連れてきてくれた、二人のお陰だ」

 そう言うとヘルマンは、柊也の肩越しにグラシアノを見やる。つられて柊也とシモンも顔を向けると、グラシアノは、セレーネと姦しい娘達の会話を一言も漏らさぬよう、聞き耳を立てていた。その姿は、娘の彼氏が気になって仕方がない父親そのものである。

 柊也は苦笑しながらヘルマンに顔を戻し、質問する。

「北伐は結局、どうなったのですか?」

 柊也達が北伐の地で孤立したのはロザリアの第4月であり、すでにそれから半年も経過している。その間、全く人族との関わりを持たずにティグリまで来たため、中原の動向が全くわかっていなかった。
 柊也の質問に、ヘルマンは沈痛な面持ちで口を開く。

「私も又聞きでな。北伐に参加していたラトンのミゲル殿と、ティグリの生き残りからの情報しか知らないが、惨いものだったらしい。空中からのブレス掃射を浴びた北伐軍は、甚大な被害を受け、撤退した。何とかカラディナの一都市に辿り着いたそうだが、そこで食料が尽き、食料を巡ってその都市と諍いを起こしたそうだ」

 ヘルマンは、嘆くように頭を振る。

「そこでラトンのミゲル殿が、エルフと人族との間で諍いを起こすわけにはいかないと北伐軍からの離脱を決断し、別行動を取った。ミゲル殿率いるエルフ達は、草原での経験を活用して山野に分け入り、極力人族と関りを持たずにカラディナを通過した。ミゲル殿の見事な采配で、我々エルフは人族に傷一つつける事なく、大草原に戻ってこれたのだ」
「その後、セント=ヌーヴェルの北伐軍は、カラディナで壊滅したと聞いた。そして、エーデルシュタイン、カラディナとの間で戦になったらしい。我々の下に、セント=ヌーヴェルから援軍の要請が来ていたが、我々は断った。エルフと人族で争うわけには、いかないからな」
「そうですか…」

 ヘルマンの説明を聞いた柊也は控えめに相槌を打ったが、内心では必ずしも同意していなかった。ティグリに来てまだ一日も経っていないが、その中でグラシアノやナディアをはじめとする多くのエルフ達と話をした結果わかった事は、彼らが非常に一本気な性格という事だった。素朴で裏表なく、相手を疑わず、自分の思う事を真っすぐに述べ、実践する。その気持ちの良い種族気質に対し柊也は非常に好感を抱いたが、反面、彼らの考えが非常に危ういものだと感じていた。彼らがカラディナで取った行動が、そのままカラディナ側に汲み取られたとは考えにくい。互いに一言も言葉を交わしていないのにもかかわらず、自分達の真意が相手に伝わっていると信じて疑わない彼らが、柊也にとっては羨ましくもあり、歯痒くもあった。



 ***

 翌朝。

 グラシアノ家の一室で、柊也は目を覚ます。窓辺から朝日が射し込み、枝がそよぐ音と小鳥の囀りが部屋の中を通り抜けていく、心地よい空間が広がっていた。

 柊也は木製のベッドの上に起き上がると、左腕を伸ばし、背伸びをする。昨日は結構な量の酒を飲んだが、意外にも体に酒精は残っておらず、頭がすっきりしていた。何だかんだ言って、1年近くにも渡る野営が体に負担を与えていたのだろう。それが、昨晩の酒宴で緊張がほぐれ、安全な家屋の中で深い眠りを取れた事で、かなり疲れが取れたようだ。

 柊也は、隣のベッドで眠るシモンに目を向ける。彼女は、下着の上に毛布を羽織っただけの無防備な姿で、静かに寝息を立てていた。柊也の方を向き、体を丸めた姿は胎児を連想させるが、毛布からはみ出た長い脚が、胎児には不釣り合いな艶めかしさを醸し出している。

 柊也はシモンを起こさないよう静かにベッドから下りると、グラシアノから借りたエルフの衣装を身に着け、部屋を出て食堂へと向かった。

「お早うございます」
「お早う、トウヤさん」
「ああ、お早う、トウヤ殿」
「お早うございます、トウヤ様」

 食堂に入ると、すでにセレーネの一家が顔を揃えていた。グラシアノとセレーネは食堂の椅子に座り、ナディアは奥の竈で煮炊きをしている。

「シモン殿は?」
「彼女は、まだ寝ています。朝が弱いんで」
「そうなの、お父さん。シモンさん、いつも丸くなって寝てるの。赤ちゃんみたいで可愛いんだよ」
「そ、そうか…」

 嬉々としてシモンの寝相を話すセレーネに対し、柊也とナディアがいる手前、反応を示せないグラシアノに内心で苦笑しつつ、柊也は席に座る。

「グラシアノ殿、昨日はご馳走様でした。あれだけリラックスできたのは実に久しぶりで、お陰で疲れがだいぶ取れました」
「そうか。それは良かった。私も久しぶりに楽しい時間が過ごせた。改めて礼を言わせてもらおう」

 そう言うと、グラシアノは軽く頭を下げる。

「今日は、良ければティグリの森を一通り案内しよう。セレーネ、お前の無事を皆に報告しなければならないしな」
「ありがとうございます。それではお言葉に甘えて」

 グラシアノの提案に、柊也は賛同する。北伐へと出立する前、レセナ以来の、実に1年ぶりの穏やかな朝。この先の身の振り方等、色々考える事は山積みだが、今日くらいはゆっくりしようと柊也は考える。しかし、その願いが叶う事はなかった。

「族長!大変です!」

 突然、けたたましい音とともに扉が開き、昨日と同じ若い男が駆け込んで来る。それを見たグラシアノは、眦を上げ、怒鳴りつけた。

「貴様!族長の家に断りもなく上がり込むとは、何事だ!」

 昨日とは180度違うグラシアノの態度に、若い男は戸惑いとグラシアノの復調に喜びの表情を浮かべるが、その二つを押しのけ、驚くべき報告を行った。



「モノが、人族の攻撃を受け、壊滅しました!」
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