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第8部 ぽんこつMy.HERO
第29話 Stand by you
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大和田ちゃんは、そこそこ名の知れた名家の長女として生まれてきたらしい。
あのバカ親父は高校を出てすぐ、祖父が起こした会社の後を継ぐべく、祖父の秘書になった。
それは特別なことでもなんでもなく、あらかじめ決められていたことだった。
祖父はバカ親父の首が座る前から、あの親父にそれを期待していた。
だから、あのバカ親父は敷かれたレールの上を踏み外さないよう、丁寧に進むことになった。
けれど、そのバカ親父も、1度だけ祖父に反抗したことがあるらしい。
そのときに出来た息子が、俺たちの知る、あの大和田の兄貴だ。
けれど大和田の兄貴の母親は、あのバカ親父から兄貴の親権を奪ったうえで、離婚。
それからだ。
あのバカ親父が、レールの上を踏み外すことに、強い恐怖心を覚えたのは。
だからこそ、我が子には自分と同じ失敗はしないように求めるのは、当然のなりゆきだった。
小学校就学前、当時5歳だった大和田ちゃんに、自由な時間はまったくなかった。
友達をつくることも、両親と遊ぶことも、テレビも見ることさえない。
毎日毎日、家に来る家庭教師と一緒になって、机にかじりつきながら勉強した。
とても窮屈な日々だった。
それでも、やりがいはあったらしい。
窮屈さは彼女に対する期待の裏返しだったし、それが幼心ながら分かっていたからこそ、大和田ちゃんも毎日机に向かって勉強した。
バカ親父の期待に応えること。
それが彼女の全てであり、存在理由だった。
大和田ちゃんは、自分の持てる限りの力を尽くして、勉強に専念した。
そして失敗した。
結論から言えば、お受験――小学校受験に失敗したのだ。
バカ親父の失望は大きかった。
だが、そこには救いがあった。
もう1人、彼女には双子の弟がいたのだ。
弟は彼女から見ても、贔屓なしに優秀だったらしい。
弟は、あのバカ親父が望んだ以上のモノを差し出すことができた。
バカ親父に笑顔が戻った。
家に光が戻った。
みんな笑った。
……彼女だけ笑わなかった。
それから彼女は【ひとりぼっち】になった。
家族の関心は、完全に弟に移った。
大和田ちゃんは、家族から除外されたのだ。
最初から『居ないモノ』として扱われた。
彼女だけゴハンが用意されていないなんて、当たり前だった。
家族旅行にも、連れて行って貰えなかった。
もう家族じゃないから。
大和田ちゃんは、なんとか家族の一員に戻ろうと、必死に頑張った。
血豆が潰れるほど勉強した。
血便が出るほど体を鍛えた。
自分のことを見て欲しい。
自分の価値を認めて欲しい。
自分をもう1度、家族の一員にしてほしい。
そんな【いじらしい願い】のために、頑張った。
「でも……ダメだった」
ニパッ! と、不自然に笑う彼女。
その姿が妙に痛々しくて、俺は何も言えなくなった。
「どんなに頑張ってもさ、返ってくるのは、ため息と失望の眼差しだけだったんだ」
それで、気がついたら、部屋から追い出されてた。
彼女は無機質な瞳で夜空を見上げながら、そう言った。
「その日から、2階のベランダがウチの部屋になったの。夏は何とかなったんだけど、冬は流石に凍死しそうなくらい寒かったなぁ」
「…………」
そのあまりに壮絶すぎる人生に、かける言葉が見つからない。
齢10歳かそこらの少女に、そんな事をさせるかよ……あのクソ親父は?
同じ人間として、その感性が信じられないし、なにより彼女が困っている事を見抜くことが出来なかった学校側にも、反吐が出そうになった。
それでも、彼女が耐えているのだから。
と奥歯を噛みしめ、黙って耳を傾け続ける。
「隙を見てね、冷蔵庫からゴハンをくすねて、ベランダで食べるのが日課だったの。でもね?味はしないんだ。何でかゴハンを食べれば食べるほど、不思議と涙が止まらなくなってね? 食べるのが辛くなるんだ。誕生日なんてモノはなかったし、1階では家族全員で弟をお祝いしていたなぁ。もちろんウチはベランダで勉強していたけどね。その頃にはもう、涙は出なくなったかな」
言いようのない不快感と怒りが、胸の中を木霊し続ける。
気を抜くと、今すぐあのクソ親父を殴りに行ってしまいそうだ。
「そして小学校卒業式の日。家に帰ると、ウチの荷物だけ外にあってさ……ハハッ。とうとう家からも追い出されちゃったんだよね」
「……笑いごとじゃねぇだろ?」
「……うん、笑いごとじゃない。でも、もうここまできたら、笑うしかないんだよ。だって、そこでウチ、悟っちゃったんだから」
悟った? と俺が訊ねると、大和田ちゃんは無理やり作った笑顔を顔に張り付け、小さく「うん……」と頷いた。
「この世の真理を、だよ。犬でも猫でも人間でも、1度ドブに落ちたら、それでおしまい。そこから這い上がることは、出来ないんだって」
だからウチは、ずっとドブの中。
今も明日も明後日も、ずぅぅぅぅぅっと! ドブの中。
そこに救いはない。
だってそうでしょ?
誰だって、ドブの中に踏み込んでまで、ドブ犬を助けようとは思わないでしょ?
だからウチは一生ココ――と、妙に達観した様子で、彼女はそう口にした。
「それで、ドブに落ちたウチは、最後に信愛お兄ちゃんとお義母さんのもとを訪ねて、お情けで一緒に生活させて貰っているワケ」
「…………」
「とまぁ、ここで昔話はおしまい。……どうだった? 感想は?」
「……ヒデェ話だな」
率直に、オブラートに包むことなく、心から湧き上った言葉を彼女にぶつけた。
そんな俺の返答に、大和田ちゃんは困ったようにクシャッ、と笑い、
「いや、むしろそれだけウチが酷かったんだよ。何をやっても全然できなかったから。あれじゃ見捨てられて当然だし」
「当然じゃねぇよ!」
思わず大きな声が出てしまい、慌てて口元を押さえる。
そんな俺を見て、大和田ちゃんはクスッ、と笑みを溢しながら「ありがとう」と、お礼の言葉を口にした。
なんでそこで大和田ちゃんがお礼を言うんだよ!?
違ぇだろ?
そうじゃねぇだろ!?
俺はガシガシッ! と海水でパリパリになった髪を掻きむしりながら、今まで溜りに溜まった鬱憤を晴らすように、口をひらいた。
「あのクソ親父め! 今度見つけたら、俺がギッタンギッタンにしてやるからな! 覚悟しとけよ!?」
「ここに居ない人に喧嘩を売っても、意味ないと思うし」
大和田ちゃんは肺の中にある空気をすべて吐き出すように、大きく息を吐いた。
俺はその隙を縫うように、心の内から溢れだした言葉を紡いでいく。
「でも改めて思った。大和田ちゃんはスゲェよ。俺なら1日でも耐えられねぇのに、それだけヒデェ扱いを受けても、一生懸命努力できるのは一種の才能だわ。尊敬する! ……だからこそ、腹が立つ! そんな大和田ちゃんを、周りの人間がどうこう言うなんて、間違ってる!」
「……ありがとう。でも残念。この世の中はね、その間違った考え方の人間がごまんといるの。ウチはそんな奴らに負けた。……どうしようもない、負け犬だし」
「? ほんとうにそうか?」
えっ? と、大和田ちゃんの顔が跳ね上がる。
その瞳には『哀れみも同情も必要ない!』と、強い拒絶の色が浮かんでいた。
だから俺は、そのどちらでもない、自分の本心を、ただただ唇から垂れ溢した。
「いや、だってさ? どうしようもないなら、もう別の場所に行くしかなくね? ほら、酔っ払いと同じでさ? 言葉が通じないなら、ほっとくのが1番じゃん? でも、それって逃げるってことなのか? よしんばそうだったとしても、身を守るための逃げだったら、俺は有りだと思う。アリアリだと思う」
「で、でもっ! ウチは人生で1番失敗しちゃいけない場面で失敗して……」
「人生で1番って……おいおい後輩よ? 我が愛しのプチデビル後輩よ? おまえは俺よりも年下だろうに。たかだが10数年そこらしか生きていない小娘のくせに、まだまだ人生これからだっていうのに、どうして『あの時が全て!』だなんて思うんだよ?」
俺が呆れたようにそう口にした瞬間、大和田ちゃんの方から息を呑む音が聞こえてきた。
その驚愕に見開かれた大きな瞳が、食いつくように俺を捉えて離さない。
そんな純粋な瞳を前に、少々照れくさくなった俺は、ワザとテンションをあげながら、波の音に負けないくらい声を張り上げて言った。
「ここから先は、俺の持論なんだけどさ? ――大事なのは、今が全てじゃないってこと」
「今が……全てじゃない」
「おうっ! 少なくとも、努力次第で今を変えることは出来ると思う。大和田ちゃん……大和田ちゃんのしたい事ってなに? 他人にあれこれ指図して、心を折りにくるようなクソ野郎の思い通りになる事が、大和田ちゃんの望みかい?」
「ち、違う! そんなこと、望んでなんて……」
「なら、大和田ちゃんの望みは何?」
「ウチの望みは……」
彼女の瞳が、プカプカと海面に浮かぶヘンテコリンな月を捉える。
数秒の沈黙。
けれど、それも長くは続かなかった。
やがて、涙でいっぱいの瞳をした大和田ちゃんが、まっすぐ俺を見つめ、
「……幸せになりたい。ウチは幸せになりたいっ!」
と叫んだ。
それはちっぽけな望みだったかもしれない。
それでも彼女にとっては、とても大きく、意味のある大切な望みだった。
「幸せになりたい! 幸せになりたい! ウチもみんなと同じで、幸せになりたい!」
動きだした唇は、もう止まらない。
溢れ出る感情を制御出来ずに、決壊したダムの如く、言葉が激流となって流れ出てくる。
そんな彼女の激流を俺は逃げることなく、安心して吐きつづけられるように、耳を傾け続けた。
「ウチを見て欲しい! 認めて欲しい! 必要として欲しい!」
「うん」
「悔しい、悔しいっ! たった1回の失敗で、あそこまでしなくてもいいじゃん!? 絶対に許せない! あいつらの思い通りになんか、絶対なりたくない! 絶対に嫌だ!」
「うん」
「ウチはっ! ……ウチは! 幸せになりたい! ずっとドブの中は、もう嫌だ!」
「わかった」
俺は力強く頷きながら、彼女の方に、そっと右手を差し出した。
差し出された右手と俺の顔を、何度も見返す大和田ちゃん。
そんな彼女に、俺はバカみたいに明るい笑顔を顔に張り付け、言ってやった。
「ならまずは、そのドブから這い上がってやろうぜ。大丈夫。大和田ちゃんは1人じゃないんだし、何とかなるさ!」
「……ど、どうして? どうしてパイセンは、そこまでしてくれるの? ウチ、パイセンに酷いコト、いっぱいしたのに……」
「関係ねぇよ。困っている女の子が居たら、金を払ってでも助けるのが、俺の信条だからな」
「……パイセン、よく周りから『バカ』って言われるでしょ?」
「うん、メチャクチャ言われる」
でも、しょうがねぇだろ?
これが俺なんだから。
だから大人しく助けられとけ!
と、自分でも身勝手極まりないことを言っている自覚はあるが、コレが本心なのだから仕方がない。
こんな面倒臭い男に目をつけられた、自分のプリティさを恨むんだな!
なんてことを思っていると、大和田ちゃんはこれみよがしに「ハァ……」と、大きくため息をこぼした。
「なんかパイセンと話してたら、喉が渇いちゃった。ねぇパイセン? お金は後で払うんで、飲み物買って来て貰っていい? ウチ、ミルクティーね」
「了解、ぶっかけミルクティーね! ちょっと待ってな!」
日頃から我が姉にパシリにされ続けているおかげか、もはや何の抵抗もなく、彼女の命令に従う俺。
う~ん?
ほんと奴隷根性が染みついてるなぁ。
少しだけ感傷に浸りつつ、彼女から背を向けた瞬間。
――ドンッ!
と背中に小さな衝撃が走った。
それは人ひとり分のか弱い、ちっぽけな衝撃だったけど、何故か俺の身体に大音量となって響いた。
「大和田ちゃん?」
「うるさい。こっち向くな。振り返るな。いいから黙って、背中を貸すし」
「……あいよ」
俺が天を見上げると同時に、背後から彼女のすすり泣く声が、鼓膜を優しく撫でた。
それは波の音と混じって、不思議な音色を孕ませながら、俺たちの居る砂浜へと転がり落ちていく。
「パイセン……」
「居るよ」
「パイセン……」
「ここに居る」
「パイセン……パイセン……パイセン……」
「ちゃんと聞いてるから」
嗚咽に混じって、俺を何度も繰り返し呼ぶ声。
それを1つも聞き逃すまいと、ひとつ、またひとつと、返事をかえてしていく。
「泣きたいときには、泣けばいいんだよ。泣いて、泣いて、涙も枯れ果てたら、また立ち上がって、頑張ればいい。だから、今は力いっぱい泣いてもいいんだ。俺は、どこにも行かねぇから。大和田ちゃんを置いては、どこにも行かねぇから」
「う、うぁあああ……! アアァァァァ……!」
獣のような慟哭が、彼女の口から発せられる。
それはまるで月に吠えるオオカミのように、ただただ嗚咽を漏らし続けた。
背中から後輩のぬくもりをじんわりと感じながら、俺は彼女が安心して泣き続けられるように、ゆっくりと空を見上げた。
そこには、へんてこりんな形をしたお月様が、優しく俺達を見守ってくれていた。
あのバカ親父は高校を出てすぐ、祖父が起こした会社の後を継ぐべく、祖父の秘書になった。
それは特別なことでもなんでもなく、あらかじめ決められていたことだった。
祖父はバカ親父の首が座る前から、あの親父にそれを期待していた。
だから、あのバカ親父は敷かれたレールの上を踏み外さないよう、丁寧に進むことになった。
けれど、そのバカ親父も、1度だけ祖父に反抗したことがあるらしい。
そのときに出来た息子が、俺たちの知る、あの大和田の兄貴だ。
けれど大和田の兄貴の母親は、あのバカ親父から兄貴の親権を奪ったうえで、離婚。
それからだ。
あのバカ親父が、レールの上を踏み外すことに、強い恐怖心を覚えたのは。
だからこそ、我が子には自分と同じ失敗はしないように求めるのは、当然のなりゆきだった。
小学校就学前、当時5歳だった大和田ちゃんに、自由な時間はまったくなかった。
友達をつくることも、両親と遊ぶことも、テレビも見ることさえない。
毎日毎日、家に来る家庭教師と一緒になって、机にかじりつきながら勉強した。
とても窮屈な日々だった。
それでも、やりがいはあったらしい。
窮屈さは彼女に対する期待の裏返しだったし、それが幼心ながら分かっていたからこそ、大和田ちゃんも毎日机に向かって勉強した。
バカ親父の期待に応えること。
それが彼女の全てであり、存在理由だった。
大和田ちゃんは、自分の持てる限りの力を尽くして、勉強に専念した。
そして失敗した。
結論から言えば、お受験――小学校受験に失敗したのだ。
バカ親父の失望は大きかった。
だが、そこには救いがあった。
もう1人、彼女には双子の弟がいたのだ。
弟は彼女から見ても、贔屓なしに優秀だったらしい。
弟は、あのバカ親父が望んだ以上のモノを差し出すことができた。
バカ親父に笑顔が戻った。
家に光が戻った。
みんな笑った。
……彼女だけ笑わなかった。
それから彼女は【ひとりぼっち】になった。
家族の関心は、完全に弟に移った。
大和田ちゃんは、家族から除外されたのだ。
最初から『居ないモノ』として扱われた。
彼女だけゴハンが用意されていないなんて、当たり前だった。
家族旅行にも、連れて行って貰えなかった。
もう家族じゃないから。
大和田ちゃんは、なんとか家族の一員に戻ろうと、必死に頑張った。
血豆が潰れるほど勉強した。
血便が出るほど体を鍛えた。
自分のことを見て欲しい。
自分の価値を認めて欲しい。
自分をもう1度、家族の一員にしてほしい。
そんな【いじらしい願い】のために、頑張った。
「でも……ダメだった」
ニパッ! と、不自然に笑う彼女。
その姿が妙に痛々しくて、俺は何も言えなくなった。
「どんなに頑張ってもさ、返ってくるのは、ため息と失望の眼差しだけだったんだ」
それで、気がついたら、部屋から追い出されてた。
彼女は無機質な瞳で夜空を見上げながら、そう言った。
「その日から、2階のベランダがウチの部屋になったの。夏は何とかなったんだけど、冬は流石に凍死しそうなくらい寒かったなぁ」
「…………」
そのあまりに壮絶すぎる人生に、かける言葉が見つからない。
齢10歳かそこらの少女に、そんな事をさせるかよ……あのクソ親父は?
同じ人間として、その感性が信じられないし、なにより彼女が困っている事を見抜くことが出来なかった学校側にも、反吐が出そうになった。
それでも、彼女が耐えているのだから。
と奥歯を噛みしめ、黙って耳を傾け続ける。
「隙を見てね、冷蔵庫からゴハンをくすねて、ベランダで食べるのが日課だったの。でもね?味はしないんだ。何でかゴハンを食べれば食べるほど、不思議と涙が止まらなくなってね? 食べるのが辛くなるんだ。誕生日なんてモノはなかったし、1階では家族全員で弟をお祝いしていたなぁ。もちろんウチはベランダで勉強していたけどね。その頃にはもう、涙は出なくなったかな」
言いようのない不快感と怒りが、胸の中を木霊し続ける。
気を抜くと、今すぐあのクソ親父を殴りに行ってしまいそうだ。
「そして小学校卒業式の日。家に帰ると、ウチの荷物だけ外にあってさ……ハハッ。とうとう家からも追い出されちゃったんだよね」
「……笑いごとじゃねぇだろ?」
「……うん、笑いごとじゃない。でも、もうここまできたら、笑うしかないんだよ。だって、そこでウチ、悟っちゃったんだから」
悟った? と俺が訊ねると、大和田ちゃんは無理やり作った笑顔を顔に張り付け、小さく「うん……」と頷いた。
「この世の真理を、だよ。犬でも猫でも人間でも、1度ドブに落ちたら、それでおしまい。そこから這い上がることは、出来ないんだって」
だからウチは、ずっとドブの中。
今も明日も明後日も、ずぅぅぅぅぅっと! ドブの中。
そこに救いはない。
だってそうでしょ?
誰だって、ドブの中に踏み込んでまで、ドブ犬を助けようとは思わないでしょ?
だからウチは一生ココ――と、妙に達観した様子で、彼女はそう口にした。
「それで、ドブに落ちたウチは、最後に信愛お兄ちゃんとお義母さんのもとを訪ねて、お情けで一緒に生活させて貰っているワケ」
「…………」
「とまぁ、ここで昔話はおしまい。……どうだった? 感想は?」
「……ヒデェ話だな」
率直に、オブラートに包むことなく、心から湧き上った言葉を彼女にぶつけた。
そんな俺の返答に、大和田ちゃんは困ったようにクシャッ、と笑い、
「いや、むしろそれだけウチが酷かったんだよ。何をやっても全然できなかったから。あれじゃ見捨てられて当然だし」
「当然じゃねぇよ!」
思わず大きな声が出てしまい、慌てて口元を押さえる。
そんな俺を見て、大和田ちゃんはクスッ、と笑みを溢しながら「ありがとう」と、お礼の言葉を口にした。
なんでそこで大和田ちゃんがお礼を言うんだよ!?
違ぇだろ?
そうじゃねぇだろ!?
俺はガシガシッ! と海水でパリパリになった髪を掻きむしりながら、今まで溜りに溜まった鬱憤を晴らすように、口をひらいた。
「あのクソ親父め! 今度見つけたら、俺がギッタンギッタンにしてやるからな! 覚悟しとけよ!?」
「ここに居ない人に喧嘩を売っても、意味ないと思うし」
大和田ちゃんは肺の中にある空気をすべて吐き出すように、大きく息を吐いた。
俺はその隙を縫うように、心の内から溢れだした言葉を紡いでいく。
「でも改めて思った。大和田ちゃんはスゲェよ。俺なら1日でも耐えられねぇのに、それだけヒデェ扱いを受けても、一生懸命努力できるのは一種の才能だわ。尊敬する! ……だからこそ、腹が立つ! そんな大和田ちゃんを、周りの人間がどうこう言うなんて、間違ってる!」
「……ありがとう。でも残念。この世の中はね、その間違った考え方の人間がごまんといるの。ウチはそんな奴らに負けた。……どうしようもない、負け犬だし」
「? ほんとうにそうか?」
えっ? と、大和田ちゃんの顔が跳ね上がる。
その瞳には『哀れみも同情も必要ない!』と、強い拒絶の色が浮かんでいた。
だから俺は、そのどちらでもない、自分の本心を、ただただ唇から垂れ溢した。
「いや、だってさ? どうしようもないなら、もう別の場所に行くしかなくね? ほら、酔っ払いと同じでさ? 言葉が通じないなら、ほっとくのが1番じゃん? でも、それって逃げるってことなのか? よしんばそうだったとしても、身を守るための逃げだったら、俺は有りだと思う。アリアリだと思う」
「で、でもっ! ウチは人生で1番失敗しちゃいけない場面で失敗して……」
「人生で1番って……おいおい後輩よ? 我が愛しのプチデビル後輩よ? おまえは俺よりも年下だろうに。たかだが10数年そこらしか生きていない小娘のくせに、まだまだ人生これからだっていうのに、どうして『あの時が全て!』だなんて思うんだよ?」
俺が呆れたようにそう口にした瞬間、大和田ちゃんの方から息を呑む音が聞こえてきた。
その驚愕に見開かれた大きな瞳が、食いつくように俺を捉えて離さない。
そんな純粋な瞳を前に、少々照れくさくなった俺は、ワザとテンションをあげながら、波の音に負けないくらい声を張り上げて言った。
「ここから先は、俺の持論なんだけどさ? ――大事なのは、今が全てじゃないってこと」
「今が……全てじゃない」
「おうっ! 少なくとも、努力次第で今を変えることは出来ると思う。大和田ちゃん……大和田ちゃんのしたい事ってなに? 他人にあれこれ指図して、心を折りにくるようなクソ野郎の思い通りになる事が、大和田ちゃんの望みかい?」
「ち、違う! そんなこと、望んでなんて……」
「なら、大和田ちゃんの望みは何?」
「ウチの望みは……」
彼女の瞳が、プカプカと海面に浮かぶヘンテコリンな月を捉える。
数秒の沈黙。
けれど、それも長くは続かなかった。
やがて、涙でいっぱいの瞳をした大和田ちゃんが、まっすぐ俺を見つめ、
「……幸せになりたい。ウチは幸せになりたいっ!」
と叫んだ。
それはちっぽけな望みだったかもしれない。
それでも彼女にとっては、とても大きく、意味のある大切な望みだった。
「幸せになりたい! 幸せになりたい! ウチもみんなと同じで、幸せになりたい!」
動きだした唇は、もう止まらない。
溢れ出る感情を制御出来ずに、決壊したダムの如く、言葉が激流となって流れ出てくる。
そんな彼女の激流を俺は逃げることなく、安心して吐きつづけられるように、耳を傾け続けた。
「ウチを見て欲しい! 認めて欲しい! 必要として欲しい!」
「うん」
「悔しい、悔しいっ! たった1回の失敗で、あそこまでしなくてもいいじゃん!? 絶対に許せない! あいつらの思い通りになんか、絶対なりたくない! 絶対に嫌だ!」
「うん」
「ウチはっ! ……ウチは! 幸せになりたい! ずっとドブの中は、もう嫌だ!」
「わかった」
俺は力強く頷きながら、彼女の方に、そっと右手を差し出した。
差し出された右手と俺の顔を、何度も見返す大和田ちゃん。
そんな彼女に、俺はバカみたいに明るい笑顔を顔に張り付け、言ってやった。
「ならまずは、そのドブから這い上がってやろうぜ。大丈夫。大和田ちゃんは1人じゃないんだし、何とかなるさ!」
「……ど、どうして? どうしてパイセンは、そこまでしてくれるの? ウチ、パイセンに酷いコト、いっぱいしたのに……」
「関係ねぇよ。困っている女の子が居たら、金を払ってでも助けるのが、俺の信条だからな」
「……パイセン、よく周りから『バカ』って言われるでしょ?」
「うん、メチャクチャ言われる」
でも、しょうがねぇだろ?
これが俺なんだから。
だから大人しく助けられとけ!
と、自分でも身勝手極まりないことを言っている自覚はあるが、コレが本心なのだから仕方がない。
こんな面倒臭い男に目をつけられた、自分のプリティさを恨むんだな!
なんてことを思っていると、大和田ちゃんはこれみよがしに「ハァ……」と、大きくため息をこぼした。
「なんかパイセンと話してたら、喉が渇いちゃった。ねぇパイセン? お金は後で払うんで、飲み物買って来て貰っていい? ウチ、ミルクティーね」
「了解、ぶっかけミルクティーね! ちょっと待ってな!」
日頃から我が姉にパシリにされ続けているおかげか、もはや何の抵抗もなく、彼女の命令に従う俺。
う~ん?
ほんと奴隷根性が染みついてるなぁ。
少しだけ感傷に浸りつつ、彼女から背を向けた瞬間。
――ドンッ!
と背中に小さな衝撃が走った。
それは人ひとり分のか弱い、ちっぽけな衝撃だったけど、何故か俺の身体に大音量となって響いた。
「大和田ちゃん?」
「うるさい。こっち向くな。振り返るな。いいから黙って、背中を貸すし」
「……あいよ」
俺が天を見上げると同時に、背後から彼女のすすり泣く声が、鼓膜を優しく撫でた。
それは波の音と混じって、不思議な音色を孕ませながら、俺たちの居る砂浜へと転がり落ちていく。
「パイセン……」
「居るよ」
「パイセン……」
「ここに居る」
「パイセン……パイセン……パイセン……」
「ちゃんと聞いてるから」
嗚咽に混じって、俺を何度も繰り返し呼ぶ声。
それを1つも聞き逃すまいと、ひとつ、またひとつと、返事をかえてしていく。
「泣きたいときには、泣けばいいんだよ。泣いて、泣いて、涙も枯れ果てたら、また立ち上がって、頑張ればいい。だから、今は力いっぱい泣いてもいいんだ。俺は、どこにも行かねぇから。大和田ちゃんを置いては、どこにも行かねぇから」
「う、うぁあああ……! アアァァァァ……!」
獣のような慟哭が、彼女の口から発せられる。
それはまるで月に吠えるオオカミのように、ただただ嗚咽を漏らし続けた。
背中から後輩のぬくもりをじんわりと感じながら、俺は彼女が安心して泣き続けられるように、ゆっくりと空を見上げた。
そこには、へんてこりんな形をしたお月様が、優しく俺達を見守ってくれていた。
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