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第十五話

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 ふと視界が明るくなる。
 それで、今まで目を閉じていたのだと気が付いた。
 目に入ったのは石造りの天井。花束の中に埋もれているような、蜂蜜に溺れているような、妙に甘ったるい空気。

「コスティ……!」

 聞きなれた声がする。ずっと求めていた声。
 声のしたほうを見ると、すぐそばでクルキが泣きそうな顔をしながらこちらを見ていた。
 クルキの顔を見た安堵からか、気が抜けると体のあちこちが痛いことに気付いた。特に腹と右腕が痛い。それでも体を起こす。

「む、無理をするな。今アカートさんを呼んでくるから……」

 クルキは震えた声でそう言うも、こらえきれないように涙が溢れた。
 そして自分に抱きつく。

「コスティ、無事でよかった……」

 自分の胸に顔をうずめて泣くクルキの頭を撫でる。
 こうして触れ合うのも久しぶりだ。前はなんてことなくこうしていたのに。いつからできなくなってしまったのだろう。

「……俺も、お前が無事でよかったよ」
「馬鹿! コスティの馬鹿! 私のことより、まず自分の心配をしろというんだ!」

 言われておぼろげな記憶を辿る。
 そうだ、自分は氷塊に巻き込まれて転がり落ちて、全身に怪我をして。
 そのときに妙な箱を見つけて。

 ――何を望む。

 声なき声に問われた。
 それで自分はこう思った。
 どうあったってこの怪我では生きる目がないのだから、だったら最後に一つだけ夢を見たい。
 クルキを守る力が欲しい。
 そう願ったのだ。



 ひとしきり涙を流して落ち着いたクルキはアカートを呼んできて、色々怪我の程度を調べられた。
 思えば腹に木の枝が刺さっていたような気がするが、いつの間にか塞がっている。

「足も治ってるし、腹の傷も塞がってんな。右腕は?」
「ちょっと痛いけど、それより何なんですか。この部屋、妙に甘ったるくて……」

 そう、先程から呼吸するたびに甘ったるい空気が肺に入って気持ちが悪い。

「ああ、だったらもう大丈夫だな。さっさと服着てこの部屋を出たほうがいい」

 言ってアカートは部屋を出て行ってしまった。
 何の変哲もない石造りの部屋だが、そういえばここには窓がない。
 クルキに服を渡されたので、もたもたと服を着る。あちこち破れていた服は綺麗に繕われていた。

「大丈夫か? 行こう、コスティ」

 言ってクルキは部屋の扉に向かって歩き始めた。
 足をつくと少し痛かったが、歩く分には支障はない。
 クルキに続いて部屋を出て廊下に移る。同じく石造りで真っ暗だった。クルキの持つランタンの明かりがなかったら何も見えないだろう。

「ここは大聖堂の地下なんだ。地面の中を走る魔力の道の中にこの部屋がある。この部屋で体を休めていたから怪我が早く治ったんだ」

 言いながらクルキは大きな錠で部屋に鍵をかけた。そしてコスティに手を差し出す。

「手を繋いで。ここは人を迷わせる術がかかっているから」

 言われるがままにクルキの手を取った。今は籠手をつけておらず、温かな肌に触れる。

「大聖堂の地下には地下墓地があるんだが、そこに教会の持つ財宝を隠すためにさらに地下室と迷路を作って、宝に辿り着けないよう人を迷わせる術をかけたという。全貌を知るものは誰もいない」

 まさか大聖堂の地下にそんなものがあるとは初耳だった。

「俺、どのくらい寝てたんだ?」
「一週間ほどだ」
「一週間……?」

 そんなに長い間眠りこけていたのか。助からない怪我がこんなに早く治るだけで儲けものではあるのだが。

「あの部屋は魔力が濃いから、普通の人間が長居するのはよくない。この空気が変に感じるなら、君はもう大丈夫というわけだ」

 そんな部屋で、ずっと付きっきりで様子を見てくれていたのか。
 長い廊下を何回も曲がり、何度も階段を登る。
 蟻の巣のように入り組んだ道を進むと、段々と甘ったるい空気は薄れていった。
 その間、クルキは起こったことを説明してくれた。
 俺に悪魔が取り憑いた末に一悶着あって、何とか悪魔を切り離して殺したらしい。言われてみるとそんなこともあったような気がする。
 思い出すきっかけがあると、するすると記憶の糸が手繰れた。何があったか詳細に思い出せる。しかし、本で作り話を読んだように現実味がなかった。
 階段を登りに登ってようやく地上に辿り着く。
 そこは見覚えのある回廊と中庭。祓魔院の建物だ。大聖堂の地下からここまで繋がっているとは、地下迷路は相当な大きさらしい。
 階段のそばにある広間に入る。

「コスティ君……!」

 院長の机で書き物をしていたイングヴァルは、コスティを見るなり駆け寄ってきた。

「もう平気なのか。すまない、君には何と謝ったらいいか……」
「い、いや、院長さんだけが悪いってわけじゃねえし……。俺も院長さんを撃っちまったから……」

 そうだ。もっと互いのことをわかっていたらイングヴァル一人が突っ走ることもなかっただろう。
 それに自分はイングヴァルを撃ってしまったのだし。それで互いに水に流したほうがいいだろう。
 話を聞きたいからと長椅子に座るように促され、クルキと二人で椅子に座り、対面に座ったイングヴァルに事の経緯を話した。

「はぁ……。本当にクルキ君を守りたいって願ったんだ、君は……」

 驚きと呆れの混じったような声でイングヴァルは言った。
 改めてそう言われると恥ずかしいのでやめてほしかったが。

「クルキ君もよく信じたね。愛の力ってやつかな」
「惚気だ、惚気。そりゃ言えるわけねえよなぁ。コスティは自分だけを撃たないってよ」

 いつの間にか近くにいたアカートも茶々を入れてくる。

「か、からかわないでください……!」

 クルキは恥ずかしさに顔を真っ赤に染めている。

「からかってなんかいないよ。悪魔が発生したにも関わらず、コスティ君が大怪我をした以外は誰も傷付かなかった。すごいことだ」

 そう口にしてから、イングヴァルは言いにくいように声を潜める。

「それでなんだけど、今回の件で報告書を書いて提出しないといけなくて……」
「はぁ……」

 その手伝いをしろとでも言うのだろうか。

「ごめんね、今回のことを包み隠さず書かないといけないんだ……」

 イングヴァルは視線を逸らしながらそう言った。

「えっ、あ、ちょっとそれは……! 何か誤魔化してくださいよ!」

 そんなことをされたら、されたら自分とクルキが、その、あれだ。
 そんな事の経緯が赤裸々に書かれて他人の目に触れるのか。

「駄目だ。これは悪魔憑きに関する貴重な事例だ。僕らがこうやって悪魔祓いをしたという記録を残しておかないと……」
「いやでも……!」
「だからごめんって! これだけは譲れない! 後々似たような事例が出るかもしれない! 君たちの犠牲が未来の人を救うんだ! せめてもの情けだ、名前は変えておくから……」
「犠牲って自分で言ってる」

 イングヴァルは頭を下げて手を合わせた。そんなに拝まれても困るというものだ。

「まあ、しょうがねえか……」

 そう言って溜息をついて視線を逸らすと、悪魔に与えられた銃が立てかけられているのに気が付いた。

「あれ、これって悪魔が消えても残ってるんですか?」
「そうだ、これも君が寝てる間に調べたんだよ。ほら、出ておいで」

 言ってイングヴァルは長椅子に挟まれた机の下に声をかける。
 何があるのかと思えば、黒いレンズの眼鏡をかけた男が机の下に潜んでいた。

「ヒッ……!」

 コスティと目が合った男は即座に机の下を飛び出し、イングヴァルの座る長椅子の後ろに姿を隠した。鼠のような素早さであった。

「この変なのがうちの顧問錬金術師。ものすごい人見知りであがり症なんだ。ほら、さっきまであんなにこの銃について語っていたじゃないか。彼らにも同じことを話せばいい」

 変なのって言った。
 イングヴァルは体を捻って顧問錬金術師に声をかける。

 すると、恐る恐るといったように背もたれから顔の半分を覗かせた。黒いレンズの入った丸眼鏡に、焦げ茶の髪を全て細かい三つ編みにして後ろで束ねている変わった髪形をしていた。
「あっ、そ、その……、ぼ、僕は、あ、あああ、アンブロジオ・バルトロメオ・カプリオーリョ……です……。な、長い名前ですよね、ジョットでいい、です……」

 長さで言うならコスティ・コイヴ・マルヤクーシネンも負けていないが。

「この銃、なんか普通のとは違うんですか?」

 言って立てかけてあった銃を手に取って尋ねる。見た目は普通のマスケット銃のようだが。鉄の銃身に機関部、木の銃床。
 ジョットは背もたれから身を乗り出した。黄色いシャツに紺色のベスト姿の上半身が見える。彼は持っていた羊皮紙をイングヴァルに渡す。イングヴァルはその羊皮紙を見えるように机の上に置いた。どうやら、この銃の図解らしい。

「そっ、その銃自体は全然問題はないんだ! この銃を分解したんだけどこれの驚くべきところはまったく魔法に頼っていない点でただのばねと鉄と木で構成されていてそれでいて現在流通しているマスケット銃とは一線を画した存在であって何より特徴的なのが機関部と弾の構造で今のマスケット銃はただの鉄球を火薬の爆発によって飛ばしているんだけどこの銃は弾丸と火薬を真鍮の容器で包んだ弾を用いていて僕はこれを薬莢と名付けたんだけどこの薬莢を装填して引き金を引くと撃鉄が弾の後部を叩き薬莢内にある雷汞これはとても衝撃に弱くてすぐ爆発する危険な薬品でこれが爆発して弾が発射される構造になっていて弾を撃つのに火種を必要としないところが画期的で撃ったあとに銃身の操作棒を引くと機関部内のばねによって銃身内に残った薬莢の排出と次弾の装填が行われる仕組みになっていてこれによって連射を可能としていて……」

 よくわからないことがよくわかった。

「ジョット、結論だけ話してくれ」

 イングヴァルがジョットの説明を遮ると、ひゃい、と小動物の鳴き声のような悲鳴が聞こえた。

「こ、この銃自体は何も特別なところはない、です……。じゅ、純粋な技術の結晶、です。同じ部品と薬品があれば再現でき、ます……。今のマスケット銃は銃口から弾を詰めている有様だけど、改良を重ねていけば、い、いずれこの銃に辿り着く、でしょう……。でも、それは何十年もかかる、と思います。百年かもしれない……。すでに完成されたものを、悪魔がどこかから持ってきたとしか思えない……。悪魔の銃と呼ぶに、相応しいでしょう……。ただ……」
「ただ?」

 イングヴァルが続きを促す。

「銃の砲身に螺旋状の溝が刻まれていて……、これ自体は今のマスケット銃にも採用されているんですけど、そこに強力な呪詛が刻まれています……。弾を自在に曲げられるというのも、この呪詛によるもの、です。ここだけは超常的な力が宿っています。でも魔法ではないので、魔法を使えない人でも、誰でも使えます……。呪いも人体には影響がなくて、こう言っては何だけど、安全に使える、でしょう……」
「じゃあ、その特殊な弾……、薬莢だっけか、それさえ用意できれば今の俺でも使えるんだ」

 言うとジョットはうんうんと頷いた。

「薬莢は設備が整えば、僕にも作れます……。火薬の配合はわかったから火薬と雷汞の調達、薬莢の製造が課題で、い、今は製造に使う道具の設計を進めているところで……」

 ジョットの言葉にイングヴァルを見た。

「この銃を使う準備をしてるってことですか?」
「まあね。こんな便利なものを使わないわけにはいかない。自在に曲げられる弾にナエマの聖別やクルキ君の属性付与を合わせたら、魔物や悪魔に対して非常に強力な武器になる。僕ら祓魔院は圧倒的に少数なんだ。使えるものなら何でも使いたい。ばれないようにね」

 言ってイングヴァルは微笑んだ。

「で、でも、こんな銃が世に出回ったら大変です。僕が試射したけど、鎧の厚さの鉄板を三枚重ねても貫通しました……。今のマスケット銃とは威力が段違いで、矢より遠くまで飛びます。こんなものがどこでも作れて、兵一人が一つ持つほど安価になって、弾も供給できたら、戦争の形が変わります……。剣で切り合う時代が終わります。人前では使わないほうがいいでしょう……。持ち歩くときは袋に入れたりして、機関部が見えないようにしてください……」
「わかった」
「で、でも、その、僕ではどうしても弾を曲げられなくて……」
「誰でも使えるってさっき言ってましたよね?」
「り、理論上は、です。だって、弾が速すぎて、曲げようと思ってる頃には的に当たってるから……」
「そこだ。僕も撃たせてもらったけど、軌道を変えるなんてできなかったよ。的にも当たらなかった」

 言われて記憶を辿ってみる。

「だって、銃を構えれば弾がどこに飛んでくかわかるだろ? 狙う目印だってついてるし。そこでどこに曲げるかって意識したら曲がったけどな」
「……この銃の真価はコスティ君にしか発揮できそうにないね。君専用だ」

 イングヴァルに言われて銃をまじまじと見る。
 この銃があれば、自分だってクルキと肩を並べて戦えるかもしれない。最悪があったとしても弾を曲げればいい。
 何の特別な力も持たない自分が、魔物や悪魔とだって一人で戦えるかもしれない。
 そう思うと自然と口元が緩んだ。
 しかし、それと同時に浮かぶ否定の気持ち。
 自分の願いが形になって初めてわかった。
 自分の求めていたものはこれではない。もっと別のものだった。
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