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第二十九話
しおりを挟む「……はじめるときは春リボを終わらせないといけなくて、すごく反対された。でも、それでも新しい物語が描きたかった。別に春リボが嫌いになったわけじゃない。それでも、もうわたしの頭の中では夏の物語が始まっていた」
確かに春リボはまだ続けられそうな所で終わった。
終わるとお知らせがあったときは爽次郎も少し気分が落ち込んだし、他のファンから終わらせないでと抗議の電話まであったそうだ。だけど、すぐに新連載のお知らせがあって、そういう不満は自然と消えていったと聞いている。
「最初は良かった。新しい物語に、読者も引き付けられている。そう思っていた。だけど……。やっぱり春リボの魅力に勝てなかった」
真咲はテーブルの上の拳をギュッと握り込む。
「頑張って絵で魅せよう。そう思っていたけれど、空回り。結局、ストーリーを置いてきぼりにして、絵で誤魔化す感じになっちゃった」
どこかで聞いたフレーズだ。どこでだろうかと、爽次郎は思考を巡らせる。
確か夏ハダが終わったときに――
「真咲さん。もしかして、SNSを見ていますか」
「見てる、けど」
真咲の答えは歯切れが悪い。爽次郎は確信した。
真咲はアンチのコメントを読んでいるのだ。公式のアカウントでは特にアンチに反論するようなこともしないから、目を通さず特に気にしていないものだと思い込んでいた。
ならばアドバイスできることも見えてくる。
「真咲さん。SNSの悪いコメントはすごくダイレクトに心に響いて、みんなの意見のように思えるかもしれません。でも、それはほんの一部の人が言っていることです。ほとんどの人が夏ハダだって、とても素晴らしい漫画だって思っていますよ」
「そりゃ、表向きはね」
「表向き?」
真咲の言葉は爽次郎の意表をつくものだ。
「SNSだって表と裏がある。誰もが見えるところじゃない場所では本音が見え隠れするものだもの」
やけに確信めいた言葉だ。
「裏の意見。どうして真咲さんが知っているんですか」
真咲は話し過ぎたと渋い顔をしたけれど、観念したように告白する。
「……漫画家じゃなくてただの漫画ファンとしてのアカウントを持っているから」
「ただの漫画ファンとしてのアカウント……」
確かに誰が現実ではどんな人間なのか分からないのがSNSだ。
それならば真咲が夢咲真子とはバレずに夏ハダへの感想を聞き出すことも可能だろう。まさか、読者も何気なく話している相手が夢咲真子だとは思わない。
だから、本音を言う。頷ける話だ。
「それで大概の人が夏ハダより春リボが好きだったって言う。だから、夏ハダは失敗作なの」
真咲は項垂れるように手で顔を覆った。
夏ハダより春リボが好き。それを聞くたびにじわじわと心を浸食して来たのだろう。連載が終わる頃にはすっかりダメな作品だと自ら烙印を押してしまった。
確かに爽次郎は春リボが好きだ。自分を救ってくれた大事な作品でもある。それはどんな作品とは比べようがない。
それでも――
「僕は夏ハダが好きです。例え、真咲さんが失敗作だって言っても」
爽次郎は真咲に優しく微笑む。
「次の作品も、その次の作品も絶対好きになるって自信があります」
「まだ出来上がっていないのに?」
顔を覆っていた手を外して真咲は不思議そうに聞いてくる。
「はい。だって、自信が無くたって真咲さんは全然手を抜いたりしていないじゃないですか。毎回、読者を楽しませようと全力を出している。編集者になったから分かったんです。漫画に対する情熱があるって、この人のことを言うんだろうなって。それに、担当作家が真摯に向き合っている漫画を嫌いになる編集者なんていません」
「……あなたが好きだからって」
真咲は口を尖らせて反論する。
「いけませんか? 編集者だって読者です。たった一人、好きだと言われるだけでは満足できませんか」
真咲は少しだけ顔を赤らめて、少しだけ俯く。
「それに失敗したっていいじゃないですか。もしかしたら春リボを超えるのは次かもしれないし、その次かもしれない。一度ぐらいの失敗で諦めるなんて夢咲真子っぽくないですよ」
爽次郎は夏ハダを失敗作などとは全く考えていないが、春リボの主人公も夏ハダの主人公も、決して何かを諦めたりしなかった。
主人公は作者の分身とまで行かなくても、目に見えない繋がりがある。
そう、爽次郎は思っている。
「……あ……」
「え?」
真咲が俯いたまま何か言うが、あまりに小さな声で何を言っているか爽次郎には聞き取れない。
「ありがと!」
大きな声にファミレスの人々の注目が集まる。真咲の顔は真っ赤だ。面食らった爽次郎も「どういたしまして」と答えていた。
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