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苦ッ
しおりを挟む俺の親父はガンだった。大腸に出来た腫瘍が悪性で、分かったときにはかなり進行していた。俺が中学のときだ。
親父は音楽が好きだった。ギターを何本も持っていて、自分はなれなかったけれど俺にはプロになって欲しいと事あるごとに言う。俺は物心つく前からギターを触っていた。
でも自分で弾くより何より、親父の奏でる音が好きだった。
高校では軽音部に入るつもりだったが、親父の病気が発覚するとペンを取った。幸い頭の出来は悪くない。親父は勉強なんかするな、ギターを弾けと言うとんでもない親だったけれど、俺は止めなかった。
医者になって親父のガンを治療する。そう心に誓っていた。実際に現役で医学部に入学できて、奨学金も得ることも出来た。けれど、間に合わなかった。親父のガンは、他の器官に転移していたのだ。
そして今年の十月。親父は帰らぬ人になった。
元々、間に合うはずがなかったんだ。自分の愚かさを呪った。こんなことなら親父の好きな音楽の道を行けばよかった。後悔は俺をギターに向かわせる。毎夜、ギターを片手に駅前に立つようになった。
空に届くようにと、後悔を織り交ぜた自己満足の鎮魂歌《レクイエム》。
電車に揺られながら、街の明かりを眺める。
どうして風子に伝わったのだろう。あれが鎮魂歌だと。俺は目の前の観客に向けて歌ってはいなかった。いつだって、空にいるだろう親父に向けて歌っていた。それで、人が足を止めるわけない。それでも、風子は真っ直ぐ俺の元に来た。親父の話をしたことは一度もない。
ふと、同じ電車の車両に風子と同じ紺色の制服を着た二人の女子高生が眼に入る。
「ちょっといい?」
俺はなるべく怪しくないように距離を置いて話しかけた。
「何ですか?」
少し警戒されたようだが、話をしてくれそうだ。
「同じ学校にいる風子って子知っている?」
かなりおかしな質問だ。怪しい人物だと思われそうだ。しかし、すぐに反応があった。
「伊藤さん?」
風子の苗字は伊藤と言うのか。たまたま風子のことを知っている子たちのようだ。
「うちの学校では有名ですよ。同じ一年だけど、年上だって。なんでも大きな病気をしていたって」
「え……」
「違うクラスだし、知っているのはそれぐらいですけど」
降りる駅が来たので、お礼を言って外に出た。コンクリートの地面は寒々しく、吐く息は白い。同じ駅で降りた人々は早々と家路についたが、その場で立ち止まっていた。
風子は病気だった。接点は親父が入院していた病院しかない。だけど数年間の記憶を思い返してみても、どこにも風子の姿はなかった。
「あ。雪」
空から細雪が舞い落ちて来た。道理で寒いはずだ。暖を取ろうと自動販売機に近づく。風子に最初に貰った缶コーヒーも売られていた。小銭を入れてボタンを押すとガコンと音が鳴って缶が吐き出される。
もしも風子は俺のことを知っていたなら、どういう気持ちで話しかけてきたのだろう。いや、それより今後会いに来るのだろうか。俺は一口コーヒーをあおる。
「苦ッ」
ブラックコーヒーはやはり俺には苦い。コーヒーで少しだけ温まると、俺はスマホを取り出して電話を掛けた。
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