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第4章 悠久を渡る「黒虚」の暇つぶし
73.彼女の未来、彼の覚悟
しおりを挟む【藤川 京】
……どうしてだろう。今度は、心の準備を済ませる為の猶予が残されていたせいかな?
これで、お仕舞いになるかも知れないって。
思い出した。
最後に、古都ちゃんと会ったときのことを。
高校を卒業後、僕も僕の幼馴染も進学の道を選んだ。お互い、無事に第一志望校に合格して、別々の国公立大学に通いはじめた。
僕が無難に地元の大学を選んで、親元から通学する一方で。偏差値が遥かに上の、都会の大学を選んだ古都ちゃんは、学生向けアパートの一室を借りて一人暮らしをしていた。
相変わらず古都ちゃんは、モラトリアムという言葉とは無縁というか……卒業後の経済生活に対するストイックな姿勢を貫いていた。
それでも、夏季休暇には地元に帰省した。そして僕を、地元でも割と賑やかな通りに面した、お洒落な喫茶店に誘ったのだ。
暮らす街が遠く離れていても、僕等は文明の利器であるスマートフォンのアプリによって、文字による交流を続けていた。
毎週金曜日の19時半丁度に、僕のスマートフォンはにゃーと鳴いた。古都ちゃんから「お元気ですか」という短い定型文が送られてきた合図。それから30分程度、互いの1週間の出来事について軽く話をする。
講義より短い時間ではあるけれど……その定例報告会のおかげで、古都ちゃんと会えないことに寂しさを感じたことは、あまりなかった。
連続する短いメッセージを読む限り、古都ちゃんは僕のよく知る古都ちゃんのままだった。
だから。隣に住んでいるにも関わらず、わざわざ「件の喫茶店に現地集合でお願いします」と言われたことをちょっぴり不思議に思いながらも、普段通りの格好で待ち合わせ場所に向かったのだ。
ドアベルをカララランと鳴らして入店すると、流麗で柔らかなピアノの旋律が出迎えてくれた。木材の温もりとモダンな雰囲気を共存させた店内、窓際のテーブル席から立ち上がった古都ちゃんの姿を見て……僕は唐突に、幼馴染の変化に気づいた。
古都ちゃんは、薄くお化粧していた。
ゆったりとした白のサマーニット、花柄のプリーツスカート、焦茶色のパンプス。高校時代まで三つ編みに結っていた黒髪は、色はそのままだけれど爽やかなボブカットになっていた。
「お久しぶりです、京くん」
惚れ惚れするほど姿勢が良い僕の幼馴染は、惚れ惚れするほど綺麗な一礼をした。
僕は少しの間茫然と、古都ちゃんのまっすぐな眼差しを受け止めて……
「……お久しぶりです、古都ちゃん」
「周りのお客様」の注目を集めていることに気づいた僕は、顎を引く程度の小さな礼をして、古都ちゃんが座っていた席の、向かいの椅子を引いた。
僕は「本日のブレンド」を、古都ちゃんはロイヤルミルクティーを注文した。正直なところ、飲み物を待っている間も、届いて以降も、話が弾む気配はなかった。
僕等は充分すぎるほどに、お互いの学生生活について情報交換をしてきた。
その一方で、幼馴染は大きな変貌を遂げていた。目の前に座った古都ちゃんは、少女よりも女性と呼ぶ方が相応しくて。高校生活の延長のようなキャンパスライフを送っていた僕は、自分一人だけが成長できていないような、気恥ずかしさを喉奥に閊えさせていた。
それと同時に。どうやら古都ちゃんの方も、かなり緊張しているみたいだった。
「……あ、あの。誕生日に贈ってくれたボールペン、家でも大学でも使ってる。ありがとう」
「……どういたしまして。お気に召していただけたようですね。実用的なものをと考えていたので、日常的に使用していただけて、嬉しいです」
僕等は沈黙し、ピアノ曲がさらにスローテンポなものへと切り替わる。カウンター席に座る若い女性がマスターと会話する声さえも、BGMみたいだ。
「……京くん。前期を通して、叶えたい『夢』は見つかりましたか?」
「……ごめん。まだ、なんだよね」
「……そうですか」
古都ちゃんはよく、僕の夢を尋ねた。
そして僕はそのことを……古都ちゃんには悪いけど、正直なところ、窮屈だと思っていた。
古都ちゃんは現実主義者だ。いつだって前を向いて、未来が少しでも明るいものになるよう、着々と準備を進めていける強靭な人だった。
でも僕は違った。手の中にある「今」でさえ、靄がかかったように曖昧なのに、未来を生きる自分の姿なんて思い描けるわけがなくて。
だから僕は、話題を逸らした。
「古都ちゃん、雰囲気、変わったね」
白地に金色の縁取りが施されたカップ。口元へ傾け終えたばかりの古都ちゃんの指が、微かだけど震えたのがわかった。
その動揺を物語るように、カップの底がソーサーに触れたとき、ほんの少しだけ大きな音を立てた。
「……変わったように、見えますか?」
薄桃色のリップを塗った唇を引き結んで、古都ちゃんは僕に尋ねた。
「う、うん。花柄のスカートなんて穿いてるの、初めて見たし……髪も短く切ってるし、お化粧もしてるし。あっいや、マイナスの意味じゃなくてさ、その……全部似合ってて、可愛いなって」
「か、かわ、」
古都ちゃんは少しだけ顔を逸らして、更なる動揺を誤魔化すように、左手で繰り返し横髪を撫でた。短く切り揃えた桃色の爪が、光量を絞った橙色の灯りの下で、つやと輝いていた。
その頬が赤くなっているのに気づいた途端、僕の頬にもその熱が伝染した。
コーヒーはとても美味しかったけれど、冷たいものを頼まなかったことを少しだけ後悔した。
やがて古都ちゃんは頬を赤く染めたまま、それでもまっすぐ僕を見据えた。
真顔が綺麗なのは、美人の証明。
「私は、変わっていません」
「……そ、そうかな?」
「幼い頃からずっと、変わっていません。
この先も、変わることはありません」
……確かにそうだな、と思った。
相変わらず頑固だし。容姿は美しく華やかに変わっても、古都ちゃんの瞳……その奥には、変わらない輝きがずっと在る。
僕って、鈍感だったんだな。
情けない話だけれど……僕はその輝きの正体に、そのときようやく気がついた。
日除けの麦藁帽子を被った古都ちゃんと、帰路を辿った。僕が喫茶店に来るまでに通った道ではなく、色彩に満ちた花壇を眺めながら、並んで歩くことができる広い道を。
古都ちゃんは歩くのがとても早い。
恐らくは、僕がマイペースだったせいで。
だけど、その日はゆっくり歩きたかった。僕のマイペースに付き合って、古都ちゃんの歩く速度もゆっくりになった。
古都ちゃんの家に辿り着く頃には、晴れ渡った空に黄金の輝きが兆していた。
「今日は、お時間を作ってくださって、ありがとうございました」
「こちらこそ、誘ってくれてありがとう。
……じゃあ。古都ちゃん、またね」
僕はいつものように頬から力を抜くように笑って、古都ちゃんに背を向けた。
隣家である我が家に向かって歩き出した。
その、5歩目。
「京くん!」
古都ちゃんの声に、振り返る。
去り行く陽が深める、表情の陰影。幼馴染は、胸の前で祈るように指を組んで、僕のことを見ていた。
潤んだ瞳で、僕のことだけを見ていた。
「私は、変わりませんから!
絶対に、変わったりしない……京くんのこと、ずっと待っている……! 京くんから言ってくれるのを、ずっとずっと、待っていますから……っ!」
僕の準備が整っていないことを、古都ちゃんは知っていた。だから僕の言葉を待つことなく、自宅へと駆け込んだ。零れ落ちた涙の粒、ひとつだけを残して。
僕は、僕の影と2人きりで、閑静な住宅街に立ち尽くす。
……そうか。
君の過去には、いつも僕がいた。
君が、幼少の頃から描き続けてきた未来にも……変わらず僕の居場所を、用意してくれていたんだね。ぼんやりしているところの多い僕を、現実主義で補おうとしてくれていたんだね。
ずっと、待っていてくれた。
それなのに、僕は……
こんなに大切なことを、今になって思い出すなんて。いいや、今だからこそなのかも知れない。
『ねえ、レインくん。
……ううん。ベルスファリカくん』
もう戻ることのできない僕は、覚悟を決めた。
後悔したから、じゃない。
もう二度と、後悔しない為にだ。
【ベルスファリカ・リグ・ラーヴェル】
ゲームは、公正でなければならない。
光陣営の勝ち筋は、必ず用意されている。
向こうは既に最後のカードを切った。オレが切らせた形だが……それに乗ってきたということは、相応しい状況が整った、あるいは整いつつあるってことだろう。
クロニアが保たない可能性がある。
長考は、できない。
……どうする。
影が化けている相手。そいつは、オウゼでの作戦前夜にオレが見た「3人目」だ。
いや……正確に言えば「1柱目」か。
「殺害」がどういう理屈で成立するのかはわからないが……神は人に信じられてこそだ、もしかすると言霊の力によって確固たる存在となり、転生元の精神を食い尽くしちまうのかも知れない。
オレは「アレ」が何なのかを、はっきりと認識した。しかしフジカワケイは消滅していない。即ち、他者に心の内で認識されるまではセーフだ。
フジカワケイが何も言えないのは、「アレ」について自ら打ち明けるのがアウトだからだろう。最早確認の必要はねえが、「神」という単語を軽率に口にすることさえ躊躇われる状況だ。
「固有名詞」の中に、みーつけた。
「の中に」で誘導しているが、この「固有名詞」の部分にフジカワケイと入れてしまえば、確実に光陣営が負ける。
何故なら、このラピットの身体の中にはフジカワケイと「アレ」の両方がいるからだ。フジカワケイを指差しながら、「アレ」だけを適切に言い当てなければならない。
「フジカワケイ以外」とするのも一つの手だが、「以外」という単語が固有名詞に含まれないと判断されれば、そもそも「指名」と見做されないだろう。やり直しは可能だが、無意味だと分かりきっていることに割く時間はない。
糖分を一口分補給。眠気は皆無。
どうする、と喉の奥で再度呟く。
ここまで来れば余計な感情は要らない。
己の脳一つあればいい。
勝つ為。ひたすらに、精密な思考を……
『ねえ、レインくん。
……ううん。ベルスファリカくん』
思考を途切れさせるように、フジカワケイが声を掛けてきた。
僕はもう覚悟が決まった。
そんな、穏やかな声だった。
「……長いでしょ、ベルで良いですよ。名前をつけた人でさえ、そう呼ぶんですから。
何ですか、ケイさん」
表情の変化に乏しいラピットの姿で、それでもケイさんが微笑んでいるとわかった。
『ベルくん。僕は、君達に託すよ。
勝敗も、僕の命も。どんな形になっても……僕は大丈夫』
勘弁してくれ、と吐き捨てたくなる。
最早フジカワケイに打てる手はない。言葉通り、味方に託して見届けることしかできない状況だ。
……だが。
大丈夫とか、平気とか。覚悟は決まってるとか、自分はどうなっても良いとか……大切な誰かの為、故郷の為なら何も怖くはない、とか。
世界で一番、信用できねえ。どうせ最後の最後に晒すのは、自我の消滅に対する恐怖に歪んだ面なんだ。本能のまま生き残ることを渇望する、生物のありのままの姿なんだ。
そうでなければ。
そうで、なければ……
託すなんて綺麗事を宣ったきり、穏やかに笑ったまま、綺麗に消えられたら……死ぬまで今日の日のことを、引き摺っていかなきゃならねえだろう?
『ずっと、くろの目を通して、君達のことを見ていたんだ。くろの耳を通して、君達の言葉を聞いていたんだ。
……わかってる。君達は、僕のことをよく知らないよね。
でも、僕は君達を信じている。こんなことを言うのは恥ずかしいけれど……僕も、くろと同じでさ。君達と過ごす日常の中で、君達「仲間」のことが、大好きになったから』
信じるなんて、馬鹿げている。
庭先で魔法のお披露目会をしたのは、「オレ」自身が女性達の信用を勝ち取る為に他ならない。
『黒虚』ならどんな魔法でも真似る。実際に使うことはできなくても、そういう夢幻を見せることはできる。
オレは彼女達を信用しなくても良い。相手から信用されれば、この唇で紡ぐ意見には重みが出る。多少の抵抗を感じようが、説得すれば従って貰える。フィーユちゃんはオレに助けを求めに来ているわけだし、ティアちゃんは『紅炎』に似て致命的なまでに人が良い。
その結果、彼女達をドレスリート邸まで遠ざけることに成功した。
そんな、軽んじた扱いをしておきながら。
いつものように、駒として扱っておきながら。
信じる? 頼る?
……本当に、馬鹿げている。
「君達、『仲間』」
フィーユちゃんの声が、耳奥で再生される。
『約束して。答えがわかったとしても、絶対に独断で「指名」を行わないで。
……ちゃんと、頼って』
「…………約束、だもんな」
もう使わないつもりだった、通信機のボタンを押した。赤が灯り、待つまでもなく青が灯る。
『こちらフィーユ、状況に変化はないわ。
ただ、ティアちゃんには仮眠をとってもらっているの、体力の限界だったみたいだから。
必要ならすぐに起こすわ。用件は何?』
最後の、作戦会議の時間だ。
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