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【第十四話】数字だけじゃない
しおりを挟む彼の女に手を出したのはほんの気まぐれだ。同じ家庭環境で育ち、同じ大学に通いながらも、その要領の良さから大した努力もせずに人に好かれる男。天真爛漫な性格が気に食わない。小鳥たちが集う大木のように愛される気質も反吐が出た。そんな彼にちょっとした悪戯をけしかけ、惨めったらしい妬みと鬱憤を晴らすつもりだった。
「女じゃないならなんでしょうか?」
「わからないか?」
「さあ?」
「俺の論文のレファレンス、全部海外のエロサイトに書き替えただろ? お陰で評論会は巨大スクリーンでエロビ鑑賞だ」
「反応どうでした?」
「よかったに決まってるだろ、客室乗務員モノは斬新だって」
良い評価に繋がったのであれば万々歳のように思えるが、やはり指導が入ったらしい。こっ酷く叱られた後なのだろう、佑は艶のある黒髪を掻き乱して目元を抑える。
「はあ……公共の場で俺の抜き動画が晒された、せめてログアウトしてれば」
「アカウント持ってたんですね」
「一色にも謝れよ、こいつとの共同発表だったんだからな」
ぐっと背を押されて顔を突き合わせた兄の友人は、学内では名の知れた有名人らしい。その完成された顔立ちだけではなく、身から溢れる富豪の香りからか。顔と金が揃った優良物件は女性とならず、若い助教授たちの目にも止まっていた。どんな縁で佑と友人になったのか。学部も違えば学年も違う理人には見当などつくわけもなく、口だけの謝罪はするりと喉を通る。
「共同課題とは知らず、ご迷惑をお掛けしました」
「いいよ、楽しませてもらったから」
「どれですか?」
「僕は立ちバックのやつがよかったかなあ」
「石井さんもアカウント持ってたんですね」
「一色だよ」
見かけによらず洋物にも手を出す男なのかと、意外性に誘起された嘲笑は強かな訂正によって差し留められる。ぞんざいに扱われたことが気に障ったのだろう。歪められた微笑は美しい顔の中で冷ややかに花開き、真冬さながらの冷風を吹かせていた。
顔のいい男の静かな凄みは一般人のそれと比べて三割り増しの効果がある。しかしいくら不敬にあたろうと、理人にとっては大嫌いな兄の友人。それ以上でも以下でもない存在である彼に、わざわざ気を割く暇などなかった。
ほんの少しの出来心は想定外の代償を呼び、理人と佑には向こう三ヶ月間の資料倉庫整理が言い渡される。週に二回、不仲の相手と顔を合わさなければならない。唾棄したくなるほどの煩わしさを抱くも慣れとは恐ろしいもので、三週目にもなれば嫌悪感が希薄になる。さらに二ヶ月も経てば距離が近まり、椅子に腰掛けて雑談を交わすほどになった。
「お前さ、いつまでいい子ちゃんやってんだよ、疲れないのか?」
「誰かさんみたいに器用じゃないので、俺は努力しないと存在できないんです」
義両親へ定期報告を送る最中、佑は清涼飲料水を煽りながら理人の手元を覗き込んだ。同じように指示が出ているはずが、実子である彼はどこ吹く風。口に喰んだ煙草に火を付け、窓を開けた手で欠伸を浮かべた理人の髪を梳かした。
「理人、好きの反対って知ってるか? 嫌いじゃなくて無関心なんだよ。お前はそもそも他人に興味がないんだ、人を数字としか見てない」
「無関心じゃなくて、俺はあなたのことが嫌いなんです」
「知ってるよ、でもそれも一つの興味なんだ。俺はお前の世界の中に存在するだろ?」
ふーっと外に吹かれた吐息が白く濁り、鈍色の空へ上っていく。彼の言いたいことはなんとなく掴めるが、胸の中に落ちてくるまでにはまだ早い。理人は鼻梁に皺を寄せ、大きな瞳を僅かに歪ませる。
「他人の興味を引くのは数字だけじゃない」
一段と低く説かれた言葉は甘さを含み、頬に当てられた手がそっと首を反らせた。鼻先が触れるほどに近付いた距離。それは狼狽した目の向かいどころを奪うには十分すぎる。
「た、すくさん……?」
「目閉じろよ、理人」
弛緩した手元からスマホが抜け落ち、落下による衝突音と重なるように部屋の扉が開かれた。
「仲良いの珍しいね」
「眼鏡かけた方がいいんじゃないですか、井口さん」
「一色だって」
「理人、そろそろ名前覚えてやれよ」
呆れとも諦めともとれる溜め息は離れた場所で落とされる。佑が席を立つのを皮切りに再開された呼吸。理人は濡れた唇を抑えながら視線を落とし、ヒビ割れたスマホのスクリーンを見つめた。
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