【完結】【竜×人間の恋物語】竜を愛した軍人は異世界で甘やかされる【すれ違い溺愛・ギャグ多め】

【第十六話】

　ニルギルがこの巣穴に移り住んだのは、彼が親元を離れてすぐのことだった。歳の近い兄弟が東へ移る中、一人だけこの地を選んだ理由はここでしか見られない美しい花があったからだ。春の日に咲く紫の花は太い幹のある木に宿り、柔らかな若葉と重なって幻想的な風景を映し出す。長い一年のうち、花開く期間はたったの二週間だとしても、芳しい香りに包まれて眠る日々は何事にも変えがたいほどの価値があった。

　俗世とは離れた静かな世界。そんな彼の箱庭に、紫の花と同じ色の瞳を持った女は突如湧いて出た。小汚い軍服に身を包み、人様の縄張りで銃を構える。サイズの合っていない服も、太々しい態度も、全てがヘンテコな女は竜の言葉を話した。

　長く滑らかなアッシュカラーの髪が緩やかな風に囚われて艶やかに棚引く。不揃いな前髪の合間から覗く瞳は美しく、魅惑的な妖艶さを漂わせていた。愛らしい見た目に反して強気な姿勢。好みの色の目で見上げられれば、興味が湧かないわけがない。

　人間と同等の脳を持つ竜だが、恋に落ちるきっかけは原始的だった。ほぼ十割が一目惚れであり、すぐ求愛行動へと直結する。それは基本的には相手も同じであり、脈があるかないかの判断は一瞬で判断できた。人間のように、面倒な駆け引きはしない。まっすぐな愛情の伝達。動物的でありながらもいじらしい竜の性質だった。

　恋とは恐ろしいもので、目先の懸念が追い付くよりも早く成長を遂げる。相手が別種族であることなどすっかり忘れて、お互いを求め合ってしまっていた。

　愛に溺れるような日々は季節の巡りを早め、再び訪れた夏時雨。ニルギルは長らく続いている雨雲を見上げて、力なく溜め息を吐いた。だらだらと降り続いては湿ったい空気を漂わせる空。どちらにしても、洞穴の外に出ないのであれば同じことなのだが、視界を流れる水の量が増えれば煩わしさ増す。

　愛しい者の訪問を待ち続けて半月が経ち、人並みに物悲しさを抱くようになった。雲の合間から日が差せば期待に胸を躍らせ、月のない空を見上げながら一人で夜を過ごす。もう何十年と同じ生活を続けてきたというのに、一分一秒がほど遠い。孤独な日々の中へふわりと舞い降りた紫の小花に、一体どれほど惚れ込んでしまったのだろうか。

　ふうっと寂しげな溜め息を零し、ニルギルは止む兆しを見せない雨音に耳を澄ませる。規則的な降雨に入り混じる不規則な物音。薄く目を開いて身を起こせば、嗅ぎ慣れない香りの来訪者が安っぽい笑顔でこちらを一瞥した。

「あははっ、そんなに睨むなよ。別にお前を討ちにきたわけじゃないって」

　深緑のロンゴコートに身を包んだ男は陽気に笑い、雨に濡れたフードを取り払う。現れた黒髪はここらでは珍しく、話し方にも少し癖があるように思えた。