愛がない異世界でも生きるしかない

夕露

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【シェントと過ごす時間】

47.自戒

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さてもう寝ようかなと思った頃だった。コンコンと強めのノック音が響いてドアが開いた。
──今日は昼まで一緒に居たから来ないと思っていたのに珍しい。明日から数日がかりの魔物討伐だろうか。
梓はスナッファーを持つ手と一緒に首を傾げる。

「こんばんは、樹」
「こんばんは、シェントさん」
「遅くに申し訳ありません。実は仕事が早く終わったのでもしよければ明日──」

部屋に入ってきたシェントは梓がスナッファーを持っているのを見て梓が寝ようとしていたことが分かったのだろう。申し訳なさそうに眉を下げながらも話を続け、梓を前にしたところで言葉が出なくなる。穏やかで冷静なシェントにしては珍しい顔だ。いままで驚く顔は何度か見てきたが目を見開き時間が止まったようにまでなってしまったのは初めてだ。

「明日?」
「明日……いえ、そうじゃなく……いえ、そうなのですが……髪……」

シェントの言葉に驚く理由が分かったがそこまで驚くことだろうか。もしやこの世界では女性の髪はとても大切なものなのかもしれない。梓は他人事にそんなことを考えながら短くなった前髪を凝視するシェントを見上げる。シェントはまだ混乱しているようで梓の視線に気がつかない。
──魔法が成功した時より驚いてる。
シェントには悪いと思うが梓はなんだかおかしくなって笑ってしまった。

「暑かったので切ってもらいました」
「暑かった……?その、え?れい、冷房は」
「え?冷房なんてあるんですか?」

思わぬ単語に梓が身を乗り出せばシェントははっとしたように顔をふって梓の部屋を見渡す。そしてその目がある一点で止まった。この部屋に元からあったインテリアだ。アイアンフレームの台のうえに水晶玉がのっていてオシャレなインテリアなのだが、これがなかなかの大きさで置き場所に困っていまでは床の端に置いている。

「あの床に置いてあるのが冷房です」
「え??」

今度は梓が混乱して冷房を手に戻ってきたシェントと冷房を何度も見てしまう。シェントもシェントで梓の髪を見てはよく見えるようになった梓の茶色の瞳を何度も見ている。

「こちらはボタンを押すだけで使えるようになっていて消すときもボタンを押すだけで大丈夫です」

説明はしてくれるが視点が合わない。
──まあ別にいいか。
梓はシェントから冷房という水晶を受け取って見つけたボタンを押してみる。特に何もない。ちらりとシェントを見てみたがまだ意識は戻っていないようだ。仕方なく梓は水晶を台に戻すが、そこで変化は起きた。水晶がドライアイスのような煙を吐き出したのだ。ひんやりとした煙は床へと落ちて最後はすうっと消えていく。

「わあ……!」

思っていた冷房とは違うがさきほどまで充満していた暑さが消えて部屋は適温になっている。梓は神に祈りたいような気持になって、代わりにシェントにお礼を言った。

「シェントさんありがとうございます。私これで夏を越せます」
「気に入っていただけたようでなによりです。伝え漏れがあって申し訳ありません。普段使わないもので気が回りませんでした」
「こんな便利なものシェントさんは使わないんですか?」
「私は体温が低いらしく暑さには強いんです。そのぶん冬は苦手ですが」
「え?シェントさんって体温低かったんですか?あ、ほんとだ」

触れた手はいつも温かったはずなのにと思って近くにあったシェントの手に触れれば、確かにひんやりとしている。

「この世界は不思議ですね。電化製品はないのに冷房っていう単語があるどころか形は違えどそのものがある」
「……神子の言うものを再現しているだけにすぎません。神子がいう電気というものが私たちの世界での魔法で、その冷房は魔法で作られたもの、魔法具のひとつです」
「魔法ってそんな使い方もできるんですね」

ウィドは魔法を使う人物を軸に発動して魔物にだけ有効だと言って、シェントさんは万能ではない神の力と言っている。魔法についての解釈は随分と違うようだ。私の目から見たらこの魔法具は仕組みも分からない魔法なのにシェントさんは当たり前のように扱う。私が元の世界で冷房のスイッチを押す感覚と一緒のようだ。

「もしかして花の間がいつも明るいのって、あれも魔法具ですか?」
「はい、そうですね。もしご希望でしたら樹の部屋にも用意できますよ」
「……いえ。蝋燭の生活が気に入ってるのでやめておきます。ありがとうございます」
「そうですか……それで、樹」
「はい」
「手を……」
「え?あ、すみません」

手を握ったまま考え事をし続けていたらしい。すぐに手を離せばシェントさんは視線を彷徨わせたあと微笑んだ。
──シェントさんって本当にいい人だな。誰にも触られないよう魔法をかけておいてもらいながら私から触ったのに嫌な顔ひとつもしない……気をつけよう。
思考に沈みすぎないよう気をひきしめていたら、また、前髪を見ているシェントさんを見つけてしまった。

──そんなに変かな?

視界が明るくなって梓は気に入っているのだがこんなにも見られると流石に不安になってくる。リリアとララに可愛いとお墨付きをもらったことを思い出しながら前髪を触って──ふと、なにを馬鹿なこと考えているんだろうと梓は噴き出してしまった。たかが髪のこと、それも聖騎士のシェントにどう思われようが別にどうでもいいことだ。


「似合いませんか?」


短い髪を持ち上げて梓が茶目っ気たっぷりに笑う。
そしてまた固まったシェントに眉を寄せれば、髪に隠れない梓の表情を間近にみたシェントがようやく動いた。

「とても可愛く思います」
「え」

伸びてきた手が短い髪をつまむ梓の手を掴まえる。梓の手から髪が離れて、けれど梓の顔はよく見えて。

「短い髪なんて考えたこともなかったのですが……とてもよく似合います。樹、あなたはどの姿も美しい」

突然の、それも今まで聞いたことがない言葉に面食らう。
一つ一つ言葉を理解していくたび梓の顔は赤くなっていく。それなのにシェントは真面目な表情を崩さない。それがなにか面白くなくて梓は言い返した。

「つまり私は可愛くて、どんな姿も美しいんですね、シェントさん」

わざと区切って確認するように言った言葉。時間をおいて理解したシェントは眉を寄せて考えたかと思うと目を見開き気まずさのためか視線を逸らした。その顔はいつかのように赤くなっていて──


「えっと、はい。寝ます」


ドアの近くにある蝋燭を消しに行こうとした梓の手をシェントが引き留める。
──熱い。
シェントを見上げれば何か言おうと開いた口が閉じてしまい、それどころか俯いてしまう。これに困ったのは梓だ。まさかここまで諸刃の剣になるとは思わなかった梓はシェントをからかうのは止めようと心に誓う。

「樹、その……キッチンを見に行きませんか?」
「キッチン?」

いつかの逆だと思いつつ言わずにはいられない。
この部屋に来てから冷静さをどこかに置き忘れたシェントはしどろもどろに言葉を続ける。

「樹のお陰で仕事が早く終わって休みがとれましたので、もしよければ城下町に見に行ければと……樹は料理が好きかと思い、それならこだわりもあるでしょうし自分で選びたいのかと思いました。護衛は必要ですから」
「護衛……気を遣ってくださってありがとうございます。それにキッチンのことも考えてくれて嬉しいです。是非お願いします」

嬉しさのあまり梓は先程したはずの自戒を忘れて繋いでいた手に両手で握手してしまう。
──これはセーフだ。しょうがない。
梓はニコニコ笑いながらすぐさま手を離す。

「明日何時ごろにしましょうか?」
「……それでは午後2時に城門前はいかがですか?」
「はい、分かりました」
「それではまた明日」
「え?はい、また明日」

ぎこちない微笑みを浮かべたあとシェントはすぐに部屋を出ていく。てっきり一緒に寝るのかと思った梓は拍子抜けしたがすぐにキッチンのことを考えて頬を緩めた。


「ふふ、楽しみ」


蝋燭を消していく梓は鼻歌まで歌ってご機嫌だ。ベッドに潜ったときでも歌いはしないが表情は緩みっぱなし。
にこにこ、ニコニコ。
緩み続ける表情は心まで緩めてしまうらしい。警戒心がどこかに転がって暗闇に溶けていった。





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