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【シェントと過ごす時間】
49.シアワセナヒビとこれから
しおりを挟む眩しい太陽は気持ちがいいけれど最近は見る度に今日も暑くなりそうだと肩をおとすことが多かった。けれどシェントに冷房の存在を教えてもらってからというものの梓は怖いものなしといった様子で窓の景色を眺めている。その手に握っているのはボウルと木べらだ。
──今日は紅茶クッキーを作ろっと。
鼻歌うたう梓はようやく手に入れたキッチンを見て表情を緩める。シェントとの買い物で見つけたキッチンは調理のしやすさにこだわったお陰でなかなかの大きさになったが、広すぎた部屋には丁度よかった。しかもキッチンと一緒に食器棚やフライパンなどの調理器具に食器類も買ってもらったので、そのキッチンセットが部屋に設置された瞬間嬉しさのあまり涙まで浮かびそうになったものだ。
──嬉しいなあ。
買い物から一週間が経つがキッチンの一角を見るたび梓の顔は二ヤける。この世界に来てから初めて自分で欲しいとねだったもので大きな買い物だったため思い入れは強い。
キッチンにはガスコンロにあるゴトクが3か所ついていてボタンを押すとそこから火が出るようになっている。とはいうもののガスではなくボタンを押すことで封じ込めている魔法を発動して火が点く仕組みだ。攻撃魔法を家事に使うという発想は素敵ではあるが、使い続けていたら魔力切れになるので魔法を使える者に補充をしてもらわなければならないのがデメリットだ。なので梓はマッチで火を点けている。ゴトクの素材が一度熱で形を変えたあとに冷やせば変形しにくいというものでありながら火がつきやすく熱を持続するイーベという特殊なもので、火をつけさえすれば役割を果たしてくれる。魔法を使わないぶんゴトクは使い終わったあと毎回火消し壺に入れなければならないが、作りたいと思ったときにお菓子が作れてお茶を飲みたいと思ったときに淹れられるのだから手間には思わない。
──リリアさんとララさんにもフライパンで作れるお菓子を教えてもらったし嬉しいこと尽くめだ。
成型した生地をフライパンにのせながら梓は可愛いメイド二人を思い出す。特にララはあの一件以来梓に懐いたようで“神子様”ではなく“樹様”と呼んでくれる。それはリリアも時々あったことだが他のメイドは全員“神子様”と呼んでいてそれが当たり前だ。この違いは大きいだろう。なにせララもリリアも他のメイドの目があるところでは自制しているところがあるのだ。
──仲が良くなったらいつかその理由を教えてくれるかな。
生地を裏返しながら希望を思うが悲しいことに冷静な自分がそれは難しいだろうと結論づけている。10歳ぐらいの少女たちをここまで大人びたものにさせた環境は変わっていないのに一時的な感情だけでどうして変わるだろう。そんなことがあるとしたら──そこまで思って梓は考えるのを止めた。怖いと思ってしまったのだ。色んな思惑で成り立つこの環境が変わるとき、それが梓にとって素敵なものであるとはあまり思えない。
変わるのは小さなキッカケからだ。それがいつのまにか大きくなって気がついたら変わってしまっている。
梓が怖いのはそのきっかけに自分がならないかということだ。
意図したわけではないがここで過ごす人と違うことをしてきた自覚はある。聖騎士と距離をとるうえそのための魔法をかけてもらう非協力的な態度だが最低限の義務は果たし豪遊せず権力を振りかざさない。それが良いか悪いかは別にしてメイドや聖騎士、他神子たちの反応からオカシイものであるのは間違いない。
聖騎士とひと月を過ごすうちシェント達は梓を神子ではなく梓としても見てくれるようになった。そしてそれは梓もそうで、だから今彼らとの距離感に悩んでいる。
──私が悩んでるぐらいだから相手もそうだろう。実際シェントさんはそう言ってくれたしテイルだってあのおかしな行動だ。
少し焦げてしまったクッキーをお皿に移しながら梓は溜息を吐く。
次の召喚まで過ごすここでの時間は……一人でも生きていけるように勉強するのがいいかもしれない。状況をみるに今から帰れない場合に備えたほうがいいだろう。帰れないと分かった時点でこの国に居続ける必要性を感じないからだ。窮屈な思いをして生きるより外に出て一人で暮らしたほうがいい。
そこで不安になるのは女性が少ない世界と魔物という存在だったが、梓は気がついてしまった。
厭うものを拒絶できる魔法。
ウィドのときと同じく試すにはなかなか勇気がいることだが、厭うものというのはなにも人に限らないだろう。女性を狙う人は勿論魔物だってこの身体に手は届かない、はずだ。それが実証されたら梓にとってこの世界はなんの危険もないということになる。まだ衣食住をはじめ細々とした問題はあるが、一人森で過ごすことも可能になるわけだ。
──そしたら魔法だって人の目も気にせず使えるし、そのために練習もできる。
まだ法則を見いだせてはいないが魔法が使えた実績のある梓は想像に胸が高鳴る。魔法を思うように使えたならキッチンを使うのももっと勝手が良くなるだろうし実験もできる。そんな未来は楽しくて楽しくて。
「ひとりぼっちの王子様 襲いくる魔物から国を守るため戦う ひとりぼっちの王子様 ポロポロ泣きながらひとりで戦う ある日神様王子様に自分の子供を贈った 大丈夫 大丈夫 王子様はもう一人じゃない」
可愛い挿絵のついた絵本を閉じる。
露店のおじいちゃんが用意してくれた絵本は小さな女の子に向けただろうものだった。この絵本を読んだ女の子は王子様を想像してドキドキしたんだろうか。自分が神子だったらって、神子になろうって思ったんだろうか。
「……そういえばシェントさんが絵本をオススメしてくれたっけ」
どうせだから読んでみようかなと思った梓はクッキーを全部焼いてしまってから花の間に移動する。行儀悪くクッキーをつまみ食いしながら花の間に行けばなかなか美味しくて口元が緩む。そんな梓にメイドから声がかかった。リリアでもララでもないメイドで、目が合うと微笑み、静かに言葉を続ける。
「麗巳(れみ)様より伝言を預かっています。『神子全員でお茶会をしたいわ。明日朝の10時に花の間に来てくれるかしら?もし無理ならメイドに言って頂戴』──とのことですが、参加可能でしょうか?」
「え」
聞かれてすぐに返事はできなかった。なにぶん頭がついていかない。
けれどメイドは梓の返事を待っていて、梓はとくに用事もなく断る理由がない。
「大丈夫、です」
「畏まりました」
微笑むメイドが麗巳という神子に梓の返事を届けるためか背を向けてどこかへと行ってしまう。
──神子全員で顔合わせ……?
どう考えても楽しく終わりそうにはなくて、梓は小さな背中を見送りながらしばらく呆然と立ち尽くしてしまった。
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