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【シェントと過ごす時間】
50.忠告
しおりを挟む白のノースリーブワンピにざっくりとしたかぎ編みのカーデを羽織って梓は深呼吸をした。時間は約束の10時より15分程早いが遅れるよりマシだろう。そう思うのに足が動かないのは素直に行きたくないと思ってしまっているからだ。
「何事もなく……無理そうだなあ」
梓は苦笑いを浮かべながら花の間に続く扉を開ける。真っ白に目を焼いた眩しい花の間は甘い香りが漂っていた。恐々進む梓の視界には既に書架の向こうにあるソファに腰かける数人が映っている。なのに頼みの綱の白那はおらず頭を抱えたくなった。かといって戻る訳にもいかず梓は既に席についている神子達に近づく。
「おはようございます」
微笑みを浮かべながら現れた梓を見る顔はそれぞれ違う。白那以外の全員、4人の神子から一斉に視線を受けた梓は怯みそうになる自分を叱咤して続ける。
「初めてお会いする方もいらっしゃるので自己紹介させて頂きますね。私は樹と申します。宜しくお願い致します」
「ほんと固いわねあなた」
反応したのは以前一度会ったことのある美海(みみ)だ。今日もピンクのドレスを着ていて、前会ったとき以上にアクセサリーをつけている。ただ、視線をあちらこちらへ彷徨わせているせいで彼女を勝ち気な女性に見せていた雰囲気はあまりない。
「……」
無言でこちらを睨みつつ目が合うと逸らすのは莉瀬(りせ)だ。まとめることもなく流している髪は先日こだわりをみせていただけあって今日も美しい。美海と違い身体のシルエットがでる紺色のドレスを着ている。
そしてその隣に座るのが初めて会う神子だった。焦げ茶色の髪を緩く巻いた女性で色気漂う美人だ。大人びた微笑みを浮かべる彼女に見惚れる梓を、彼女は笑う。
「初めまして樹さん。私は八重(やえ)よ。宜しくね」
八重は他の神子と違って深緑のロングワンピースだ。そこも親近感が沸く一因かもしれない。物腰穏やかな神子がいるのは予想していなかった梓は内心ガッツポーズをとった。
そして最後の神子と目が合ったとき──後ろから明るい声が響く。
「あっれ私が一番最後?お待たせしましたーっ!」
満面の笑顔を浮かべる白那だ。
「樹先に自己紹介してんの?ズルいって」
めっちゃきまずいと小声で耳打ちしてくる白那に梓は肩の力が抜ける。これでこそ白那だと思ったところでパチンと音が鳴った。扇子だ。小さな音ながら全員の耳に届いたようで花の間がしんと静まり返る。視線を集めたふくよかな神子、麗巳(れみ)が梓と白那を見て目を細める。
「初めまして白那さん樹さん。全員での顔合わせは初めてね……座ったらどう?」
「は、はあ……宜しく」
「失礼します」
白那と梓が席に着くと麗巳はメイドに合図をして席に深く腰掛ける。一番奥の席から梓たちを見るその目は絶対的な自信を感じさせた。観察してくる視線に居心地の悪さを覚えた梓達は顔を見合わせるが、麗巳には知ったことではないらしい。
梓は麗巳を見る。麗巳は淡い紫色のドレスを着ていて黒髪を綺麗にまとめているが、やはりふくよかな体形が印象的だ。麗巳が動く度に腕についた肉がフルフルと揺れている。
「女子会をしているって聞いて私達もしてみたくなったのよ。ねえ、どんな話をしているの?」
「え?え、あー、別に、特にこれと言って、ねえ?」
「そうですね。お菓子のこととか城下町のことを話しています」
「それは樹でしょ。千佳はアラストのことばっかだったよなーそれ、で」
余計なことを言った白那を梓が咎めるより先に複数の視線が白那に突き刺さる。流石に感づいた白那は語尾を小さくして空笑いだ。
「それで?」
「いやそれぐらいってか、駄目ですか?」
「いえ、いいのよ。ただ千佳さんは良くなかったわね。だから神子から外された」
「え?」
麗巳の言葉に白那は目を瞬かせる。そんな白那を見たあと梓を見た麗巳達はメイドがお茶を運んでくるとそれぞれ静かに口に含んだ。梓は掠れた声でメイドに感謝をつげたあとお茶を飲むが残念なことに味はしない。
「私たちは魔物を倒す聖騎士を支えるための神子。それが出来ないようなら神子ではないわ。聖騎士をたぶらかすなんてもってのほかよ」
「アラストはたぶらかされたっていうのかな?千佳はぞっこんだったけど」
首を傾げながらお茶を飲む白那に美海がビクリと肩をはずませながら白那を見たが、カップを置いた麗巳を見ると何も言わずメイドが持ってきたケーキを食べ始めた。
「ねえ白那、気になる聖騎士っていないの?私はフランが一番良いと思うんだけど」
「わっ私……!?え、っと……」
話を変えたのは八重だ。八重は梓と眼が合うとウィンクしてケーキについていた苺にフォークを突き刺す。白那は集まった視線に冷や汗をかいていたが、八重が苺を丸のみする頃には悩むのを止めていた。不穏な空気を感じて萎縮するのは性に合わないらしい。ニッと笑った白那は八重のほうに身を乗り出す。
「フラン~?あれはなかなか裏がある感じだから私はパス。その点イールは嘘吐けない感じがいいよね?」
「あなたさっきから見事に地雷踏んで凄いわね。イールは麗巳のお気に入りよ」
「え」
「あらやだ、私は最近テイルが一番のお気に入りよ」
「……」
八重の爆弾発言に白那は顔を青くしたが麗巳は微笑んだままだ。その代わり莉瀬が顔を青くした。
「私はトアが可愛くて一番いいわ」
知らない聖騎士の名前をあげてうっとりとしているのは美海だ。
──どうしよっかなあ。
梓は既に半分以上食べてしまったケーキを眺めながら身の置き所がない空間に溜息を飲み込む。女性ならではの高い声が響く花の間は今までにないぐらい明るさに満ちているのに落ち着かない。それを白けさせてしまうのがあと少しだというのが分かっているから尚更だ。
千佳のようになるなという警告から始まりお気に入りの聖騎士を言い合うことでいつの間にか互いの牽制になってしまっている。それならば梓を最初から最後まで放置して終わらせることはしないだろう。
麗巳と眼が合った。
「あなたは?樹さん。お気に入りの聖騎士はいるのかしら?」
ごくりとケーキを飲み込む。また、視線が集中した。
「お気に入り、というのはありません。聖騎士の方々にそういう想いは抱きませんから」
「そんなこと言っても一緒に過してたらそうは言ってられないでしょ?ねえ麗巳さん」
「ふふ、そうね。被らないほうがやっていきやすいし、ねえ?」
笑う美海と麗巳に梓は困って眉を下げてしまう。
被らないほうが、という意見は莉瀬も八重も同じらしい。それは白那も同じかもしれない。全員が梓を見ていた。
「なんて言いますか……私は帰りたいんです。だから義務をこなしているだけで個人に思うところはありません。信じてもらわなくてもいいのですがそれだけです。現に私は魔法をかけてもらって聖騎士の方々とは距離を置いています」
何度したか分からない説明をしながら気になったのはそれぞれの反応だった。梓がシェントによって魔法をかけてもらったのは周知のことらしい。これまで会ったことがない神子だっているなかその様子をみるに、梓と白那を除いた神子はそれなりに連絡を取り合っているようだ。現に始まったこの女子会で親し気とはまた違うが麗巳たちがそれぞれの関係を築いているのが見てとれる。
「ふふふ、信じられないわ。それにあなたは帰れるって信じているの?なら聞いてみたらどう?私たちはいつからいるのかって」
麗巳からの思いがけない質問に固まる梓の手を白那が握る。梓も白那の手にもう片方の手を重ねた。
「……麗巳さんたちはいつからこの世界に来たんですか?」
梓の質問に麗巳が美海と莉瀬を見る。
「私たちは前の召喚よ。5年前」
「私はその前、10年前になるわね」
そして続いた八重が麗巳を見て、麗巳は笑みを深める。吊り上がった唇に小さなシワを見つけた。
「私は15年前に来たわ。それでどうかしら?本当に帰れると思うの?」
梓と白那は互いの手を握りしめながら麗巳を見る。歯を食いしばる梓を見た麗巳は喉を震わせ俯いた。その顔が二人を嘲笑っているのは見なくても分かる。
……麗巳が笑うのを止めた。そしてゆっくり顔を起こしてその目に梓を映す。
「ねえ?だから私はお気に入りは誰かって聞いているのよ?千佳のようにならないでここで過ごしたいのならね」
威圧してくる麗巳を見て白那の手の力が抜けていく。帰れない。そう確信した白那はなにを思い出しているのか涙目だ。
けれど梓はひとつ深呼吸をすると白那の手を強く握りしめた。そして白那に微笑みかけると麗巳をまっすぐに見る。
「そうですか。ですがやはり私は帰るまでここにいるだけです」
はっきりと告げる梓に顔を青くするどころか真っ白になったのは美海だ。もう視線を向けることさえ恐ろしいらしく決して麗巳を見ようとはしない。莉瀬も空になったお茶を飲み続けてなんとか場をやり過ごそうとしている。八重は梓を見ながら目を細めて微笑み、麗巳もまた楽しそうに微笑んだ。
「私あなたのその太々しい態度は好きよ。いつ折れるのかって思うと楽しくてしょうがないわ」
「そうですか──ご馳走様でした。麗巳さんお誘いありがとうございました。私はこれで失礼します」
「ええ!ちょ、樹待った!私、っも!」
残りのケーキを一気に食べて立ち上がる梓を見て白那も慌ててケーキをかっ食らう。その手は梓の腕をしっかり掴んでいて、口をモゴモゴしながら立ち上がっても離そうとはしない。しょうがないと梓は立ったまま白那の準備が出来るまで待つが、それを眺めている美海たちは気が気じゃなく数秒を永遠に感じていた。
「──それでは」
「ごきげんよう」
頭を下げる梓にかけられた馴染みない返事に顔を上げれば、この世界に来て15年を過ごしたという麗巳が貫録たっぷりに微笑んでいた。長すぎる年月になにがあったんだろう。同じ世界から来ただろう彼女に梓は微笑み返す。
そして腕にしがみつく白那を連れて自室へと戻った。
花の間から音が消えた。
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