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第二章:変わる、代わる
76.取引
しおりを挟む魔物の数が増えた気がする──最近そんな噂が兵士たちの口にのぼるようになった。その噂を聞く度ヴィラは兵士を睨んで黙らせ、兵士は肩を縮こませながら自分の仕事に戻る。余計な不安を煽って民衆にまで届くのはなんとしても防ぎたいところだ。
──だが確かに魔物の数が増えた。
普段より魔法を多く使ったというのに魔物討伐に時間がかかった。報告よりも集落の規模が大きかったのも一因だがこれは調査したほうがいいだろう。ヴィラは剣を鞘におさめ返り血浴びた頬を拭う。そして鼻をついた臭いに舌打ちした。これは1度風呂に入らなければならない。
──もっと早く終わらせるはずだったんだが。
言っても仕方がないことだが文句を言いたくなってしまう。空は茜色になってい境界線は既に影を帯びている。
「今から戻ったら城に着くのは8時ぐらいかな?結構早く着くし今日中に報告書あげていい?」
魔物の素材収集が終わったらしく兵士たちも撤収作業に移っているなかフランが欠伸をしながらヴィラに話しかける。けれどヴィラは返事をしない。
──魔法を使いすぎたせいかな?
フランは今日のヴィラの様子を思い返し納得する。そして梓とヴィラを心配して笑ってしまった。ひと月が始まった最初にこの調子で大丈夫だろうか。
「ヴィラ」
「……なんだ」
「報告書、今日中にあげていい?」
「いや、それは明日に貰おう」
「え?」
「早く戻ろう。魔物が出たら面倒だ」
「……そうだね?」
ヴィラが言うことはもっともだがフランは首を傾げてしまう。いつもなら何かと理由をつけて神子の部屋に行かないようにしていたのに随分急いだように動く。
『……内緒です』
思い出したのは恨めしげな顔。もしかしたら梓が何か関係しているのではと想像したフランはその表情を見られないようにそっと自身の手で隠した。
そうであるならこれは喜ばしいことだった。
そうであるなら──この先に待つのはどういうものだろう。
「フラン?何をしている。戻るぞ」
「あははごめんごめん、ボーっとしてた」
「魔物がいないとは限らん。気を配っておけ」
「帰るまでが遠足だよね」
「……」
朗らかに笑う顔に先ほど浮かべていた暗い表情はどこにもない。ヴィラは違和感に眉を寄せたが、結局なにも聞くことはなかった。聞いても不愉快になることが最近多いのだ。それが分かっているのなら最初から聞かなければいい。
──なのに何故俺は聞いてしまうのだろう。
ヴィラは梓と話した日のことを思い出して更に眉を寄せてしまう。ヴィラには関係ないと叫んだ梓の声が耳から離れなかった。どれだけ言葉を重ねても梓から返ってくる言葉は否定ばかりだ。それなら聞かないまま身体を重ねてしまえばいいのに、なぜ今朝は梓に手を伸ばすことを躊躇ってしまったのだろう。
『お願い離れないで』
『あなたが大好きだからこんなことするのよ?あなたは特別』
神子達は身体を重ねることが愛故といい恋をしているから特別だと言って不必要なほど身体を求めてきた。それが当然と言い、思うままに動けと嗤い、ときに泣きながら縋ってくる。
『私は望んでませんから手を出さないでください』
けれど梓は神子であるはずなのにヴィラに違うことを言うのだ。涙目で必死に訴える梓の顔を思い出してヴィラは大きな溜息を吐く──分からない。
「そんなに嫌か」
ドアを開けてすぐに察してしまうほど暗い部屋。耳を凝らせば僅かに聞こえる寝息にヴィラはそっとドアを閉めた。寝ているのならばと起こさないようゆっくり歩きながら移動するが、ベッドの隣で呑気に眠りこける梓を見つけたとき胸に小さく沸いた気持ちはなんだろうか。
まだ時間は夜の8時を過ぎた頃。梓はいつも11時を過ぎた頃に寝るというのに随分早い就寝だ。
──どうすれば伝わる。
ベッドに膝をつけば沈んで音が鳴るが、梓は起きない。
──どうすればお前は俺を望む。
布団をめくり身体を沈めても、梓の身体に触れ引き寄せても……梓は起きない。
「どうすればお前は逃げない」
抱き締め尋ねるが聞こえるのは寝息だけ。どうやらあの夜のように起きてはいなかったようだ。仕方なく手にある温もりに身体を預けながら目を閉じた。
「う゛──っ!もう、もう……っ!魔法が思うように使えるようになったら絶対、絶対っ!誰も入れない部屋を作ってやる……っ!」
そして眩しい日差しのなか聞こえてきた決死の想いにヴィラの口元が緩む。どうやらするなと言ったのにも関わらずまたもや梓を抱き枕にしたヴィラに怒っているらしい。梓は腕のなかわなわなと拳を震わせていた。
「それなら俺はその部屋に続くドアを作ろう」
「え?」
ヴィラが起きていたとは思っていなかったらしく梓が無防備に振り返ってくる。その顔をじっと見返せば赤くなった頬を否定するように梓が睨んできた。そのうえじっと見ていたことが気にくわなかったらしい手が不満を訴えてヴィラの胸を押し離そうとする。どうしたものかと考えながらその手を捕まえれば梓はうっと怯んでしまって。
──このままだと昨夜と同じことになってしまう。
嫌な予感にヴィラは眉を寄せるが、かといって手を離せば逃げられてしまうのも読めてしまって八方塞がりだ。救いだったのは恐々ではあるが梓から話しかけてきてくれたことだろう。
「な、なんですか」
「昨日余程話したくなかったらしい話を今しようとしている」
「へえ?あ、いえ……そうですねヴィラさん。昨日話したように私の意見は変わりません。お互い丁度いい距離感で過ごしましょう。私はヴィラさんに触れることも触れられることも望んでいません」
一瞬言葉を飲み込んでくれるのかと思ったが、やはり梓はヴィラが聞きたくないことを言ってくる。ヴィラは自嘲に嗤いながら捕まえた梓の掌に口づける。
「触れられることを望んでいないか」
「あ……今そうやって触れるようになったのは厭うものが触れなくなるっていう魔法の拡大解釈という感じで、触れられるからって触れられることを望んでるわけじゃないんです」
「本心は触れられることは嫌ということか」
「……そういうことです。っ」
言葉をオブラートに包もうとしないヴィラは自身に対してもそうらしく言いながら嗤っている。そのくせ梓の手に頬を擦りつけるヴィラの姿はまるで梓に許しを請うようだ。
梓は見ていられなくて視線を逸らすが、手から伝わる温もりやその輪郭が梓に言葉なく訴えてくる。羞恥心で火照る身体のせいで布団はもう熱くてしょうがない。きっとその熱は梓を抱くヴィラにも伝わっているだろう。それが分かるから余計恥ずかしくなって──どうしようもない連鎖のせいで梓は完全にお手上げ状態だった。
「だが俺も言ったようにお前に口づけたいと思うし触れたいと思う……お互い少し譲らないか?」
「え?」
またもや驚きにまかせて顔を上げた梓にヴィラは少し眉を寄せてしまう。それから先ほどと同じように睨んでくる梓を見てヴィラはついに梓を解放した。現状を変えたければ先に何かを変えなければ動かないことは明白だった。梓が折れないのならヴィラが先に折れなければ話は進まない。
それは正解だったようで、梓は嫌だと言うのを止めたどころか疑い混ぜつつではあるがヴィラの言葉を待つようにじっとヴィラの顔を見ている。それから梓はゆっくり身体を起こしてベッドの上に座った。その間ヴィラはキスもしなければ梓の身体に触れることもない。
──譲るって話も覚えてくれてたし、本当に話そうとしてくれてるんだ。
それが分かった梓は逃げた自分を思い出して気まずげに視線を落とす。そんな梓を一瞥したヴィラも身体を起こしてベッドの上に座りなおした。
「お前に口づけるのを控えよう……その代わり俺のことはヴィラと呼べ。さん付けは不要だ」
「え?そんなことでいいんですか?」
ヴィラの提案に梓は素っ頓狂な声を上げてしまうがヴィラは真剣なようだ。そんなことでいいのならヴィラの気が変わらないうちに承諾しておいたほうがいい。梓はすぐに頷いた。
「分かりましたヴィラさ──ヴィラ。でも癖になっているのでしばらくは呼び間違えそうです」
「気をつけてくれるならそれでいい。名前はその者のことを表す言葉だから余計な敬称はいれてほしくない。樹、もう1度言ってくれるか」
「……ヴィラ?」
「そうだ」
梓はヴィラの顔を見ていられなくて視線を逸らしてしまう。ヴィラがきっと名前として呼んだ樹という言葉は名字であって名前ではない。名前で呼ばれたことに嬉しそうに笑うヴィラに罪悪感を持ってしまった。
けれど「それから」と続けられた話に気を持ち直してヴィラを見る。ヴィラは相変わらず表情が豊かではないが真剣だ。
「普段お前に触れるのも控えよう。だがせめて夜は抱かせろ」
「っ?!……ああ!いや………ヴィラさん」
「ヴィラ」
「ヴィラ……言葉が足りない、圧倒的に足りません。抱かせろってソウイウ意味じゃなくて抱き枕ってことですよね?」
「そうだが?」
「ならちゃんとそう言ってください!」
「それで?それも駄目か」
「……抱き枕ですよ」
「ああ」
「分かりました」
本当は良くない。なにせ昨日も今日も朝から心臓に悪かったうえこれが続くとなったら気が持たない。
けれど梓と違ってヴィラは解決策を考えてくれたうえ、そんなヴィラを騙している罪悪感が心をチクチク刺してきて──梓は頷いてしまう。
「そうか」
梓は嬉しそうな笑みを浮かべるヴィラを見て──言葉を飲み込んだ。
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