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第二章:変わる、代わる

98.リスク

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沢山の生地が置かれた薄暗いお店。店の奥には衣類や小物もあるが果たして儲かっているのだろうか。そんな失礼なことを考えてしまうぐらいいつ来ても客はいない。だから安心してルトと話せるのだがせめて店内の灯りはしっかりしたほうがいいだろう。
返事のないルトにもう一度呼びかければ暗がりの中から背の高い男が、ルトが現れる。

「久しぶりだな」
「お久しぶりです」

前来たのはいつだったか、そんなことを考えてしまったせいで思い出したのは暗がりのなか互いの唇を味わった時間。気持ちよさに浮かれて自分から伸ばした手、伸びてきた手……近くに見た黒い瞳を思い出す。
──やっぱりお店が暗くて良かった。
梓は赤くなった顔を逸らして気まずい時間を消してしまおうと話題を振る。

「ちゃんとブレスレットで幻覚を作っておいたので安心してください」
「そうか」
「や、やっぱり便利ですね。こんな便利な物を作れるならこれで生計を立てられるんじゃないですか?」
「そうだろうな」
「なんでお店に置かないんですか?絶対売れると思うんですけど」
「魔力が元になるものだからな」
「確かに大量には作れないでしょうし売り先は限られるでしょうけどその分価値は……」

見下ろしてくるルトの表情は変わらない。けれど自分で言ったことに違和感を覚えた梓が笑みを消してルトを見上げた。おかしいのだ。ずっと、ずっと違和感を覚えていた。

「私、聞きたいことがあるんです」
「言ってみろ」

切羽詰まったような表情の梓と違いルトは試すように唇を吊り上げるだけだ。椅子に座って梓を見上げたルトは梓が何を聞きたがっているのか分かっているようだ。
沢山、沢山聞きたいことがある。そのなかには予想がついてしまって知りたくないことさえある。けれどもう駄目なのだ。向き合いたいと思うのならこれはもう避けられない。知らなかったなんて言い訳はしたくはなかった。それならば知って、それで、決めなくてはならない。

「12年前なにがあったんですか?……神様なんて、本当にいるんですか?」

ルトは答えない。
じっと梓を見続けていて、その視線に思い当たった梓はグルグルする頭をなんとか働かせて拙く言葉を落とす。

「今日初めて──違う。ルトさんも言ってた」

ヴィラとの関係に戸惑っていた夜、指輪越しに話したルトは男や女の、神子の役割について話してくれた。
『この世界のことだ。お前らはこの世界に居るだけでいい』
ああやっぱり、おかしい。

「神子がこの世界にいるだけでいいのはなんでなんですか?城下町に住む人は12年前に神を見たと言っています。神は御伽噺じゃなくて実在するのだとしたら、神子は魔力を沢山持っているだけが価値じゃなくなる。でも私は神様なんて見たことないし一瞬でこの世界に連れてこられたんです。神様の子供なんて言われても……魔力でさえあげてるのかどうかも分からない。神子って敬われてもなにも出来ない」

駄目だ。考えを放棄して質問ばかりしていたら以前のように口を閉ざしかねない。もうこの取引は無しだと怒るだろう。そのはずだ。
けれどルトは梓を見て微笑みを浮かべている。

「お前にならいいだろう」
「なに、なんで」

教えてくれるというのに怖くなってしまうのは何故だろう。立ち上がったルトが梓の頬に手を伸ばす。触れる指は冷たくて心臓がドキリと怯えた。

「きっとお前は俺達を許さない」

──許す?俺達って、誰のことだろう。
おかしいことだらけだ。
ルトは魔物を根絶やしにすると言いながらもその任の最高峰にあるだろう聖騎士に目をつけられないようにしている。聖騎士のことはこの国の者なら誰でも知っていると言っていたがジャムのお店の店主はテイルもアラストのことも分かっていなかった。そして魔法の道具。キッチンや冷房に使われているものやメイドたちが使っている呼び鈴と部屋を繋げる鍵ぐらいしか知らなかったが、ルトは新しく造り上げる能力を持っている。
『ここにいたか。何をしている』
なぜルトは最初に会ったとき梓を神子だと分かったのだろう。
『今回の神子は馬鹿なのか、それともあの城ではそんなことも教えなくなったのか』
会話の節々にあった違和感。
──きっとルトさんはあの城に近しい人だ。
けれどそれならばなぜ城にいないのだろう。もしかしたら知らないだけで勤めているのか。ならこの店は?普段どこに住んでいるのだろう。皆知っていることとして話してくれたことはどこまでが皆知っていることだったのだろう。許す?なにを、したのだろう。

「だがこれだけは約束してくれ。俺が死んだあとは俺のことを誰にも話さずに逃げろ」
「え?」

疑問で埋め尽くされる頭に聞こえてきたのは突拍子もない言葉だ。それなのに梓の頬を撫でる男の表情は変わらない。ルトの性格上こうしたからかいもしないだろうし無駄なことに時間を費やすこともないだろう。
それは分かっているのに、分からない。

「この話をしたあと俺は恐らく死ぬだろう。そのあとの話を先にしておく」
「話したら死ぬって」
「お前はすぐにここを出て城に戻れ。出来る限り怪しまれないように自然にすることが望ましい。それからしばらく日を空けてまた何食わぬ顔でこの店に来るようにしろ。もし先に城の者に俺が死んだことを聞かされ何か知らないかと言われても知らないと言い張れ」
「なんの話をしてるんですか」
「先ほどから言っている「そうじゃなくて!死ぬってなんで」

話したら死ぬ、そんなことが可能な訳がない。けれど思い出したのは牢屋のなか微笑んだウィドだ。
『この牢を出れば爆発するようになっている』
魔法がかけられている?それならば何故ルトにもかけられているのだろう。城の者全員にそんな魔法がかけられているということだろうか。話したら死ぬ、そんな馬鹿みたいな魔法を貴重な魔力を割いてまでかけなければならなかったのはなぜだろう。
話せないことはあると言っていた聖騎士たちを思い出す。リスクとは、このことなのだろうか。

「私は人を殺してまで知りたくない。それを話すと死んじゃうって……脅しとか、言いたくないからとかじゃなくて本当に?冗談ですか?」
「そんなことをしてなんの利益がある。それに俺は冗談が好きではない」
「本当だったらそれこそ……死なずに話せることはないんですか」
「俺はそういうのが嫌いだ。そして俺個人の好みの問題でなくその質問に答えると死ぬだろうな」
「それなら聞きませんよ!答えたら死んじゃうなら聞きたくない」

自分の命をかけた話をするとは思えないほどの落ち着きはどういうことだろう。梓ばかりが声を荒げてしまっている。
──なんで。
分からないと俯く梓を見て、ルトは首を傾げる。

「……なぜだ?お前は知りたいのだろう」
「知りたいからってそんな……ルトさんはなんでそんな、命をかけてまで話そうとしてくれるんですか。神子ってそんなに大事?」
「確かに神子は大事だがお前なら知ったことをそのままにはしないだろう?考えて……それからどうするか決めることができる。それなら話す価値があると思ったまでだ。結局知っただけになってもそれはそれでいい。これは俺の……なんだろうな。罪滅ぼしなのかもしれない」
「罪滅ぼし?なに言って」
「俺は昔聖騎士だった……興味が惹かれたか?」

考えさせようとしているのは分かるが分からないことが増えていく一方だ。ルトがいま城下町にいることを考えれば過去の神子と一緒に城下町に下った聖騎士ということなのだろうか。けれどその相手たる神子は見たことがない。ヴィラもいま城下町に居る神子は千佳だけだと言っていた。ならばルトの神子は亡くなってしまったということだろうか。それともこの世界で可能かは分からないが離婚したということだろうか。
だとしても何故ルトは今の聖騎士に目をつけられないようにしているのだろう。そもそも聖騎士は辞めたいと言って辞められるものだろうか。
なにかがおかしい。なにかが間違ってる。
『死んだ』
『俺も喜んで聖騎士を辞めよう』
『きっとお前は俺達を許さない』
こんな世界で歪な関係を守ってきている神子と聖騎士。神子がその役割から逃れられないように神子のためになんでもする聖騎士もその役割から逃れられないのだとしたら、彼らが聖騎士から逃れられるのは死ぬか神子が望めばとなるだろう。千佳がアラストを夫として望んだのとは逆で気に入らない聖騎士の追放を望む神子も居たのではないだろうか。
──追放だとしたら?それは……。

「ルトさんはなんで聖騎士じゃなくなった……答えたら死んじゃう可能性があるなら答えないで下さい」
「……」
「聖騎士の任を解かれたのは12年前ですか?」

微笑むルトを見て梓の拳が震える。次の質問を急かすように頬を撫でた指は先ほどと違って温もりを持ち始めている。黒い瞳はなにを考えているのだろう。楽しそうに見えるのは頭が混乱しているせいだろうか。
『本当に知りたい?』
聞かれればはぐらかす怖い内容だとトアが言っていた。それが答えだとも言っていて、梓はあのとき1つだけ質問をした。
『トアがそんなに怖がってるのは何に?……誰に?』
誰に──神子。梓達神子が怖いと言っていた。誰に。聖騎士を縛れるのは神子。誰に。魔法を使えるのは男のみ。誰に。聖騎士を魔法で縛ったのは誰だろう。誰に?それならば神子は誰に縛られているのだろう。ルール。誰に。
誰にとっての理不尽なのだろう。

「この国の統治者は誰なんですか?支配しているのは」

黙るルトを見ながら梓はリリアに神子はどこまでなら自由に出入りしてもいいのか聞いたときのことを思い出す。
『基本的に神子様はこのお城の中でしたらどこでも自由に過ごすことができます。謁見の間や王室など出入りが制限されている箇所は兵士がそのように申し上げますのでご協力お願いします』
あのときから勝手に思い込んでしまっていたのだ。

「ルトさん、この国に王様って居ますか?」
「もういない」

誰に、誰、誰が。
半年以上過ごしてきて王様なんて立場の人に会ったことはない。その身分を隠して既に会っている可能性も考えたが、この国の、この世界の宝ともいえる神子にそんなことをするだろうか。それよりもこの地に神子の血と王家の血を繋げるため妻に望むことのほうが納得できる。誘拐までするぐらいだ。自分の妻にと命じるぐらいありえるだろう。けれど梓が接してきた城の人間は聖騎士とメイド、数人の兵士ぐらいのものだ。生贄のように選ばれた聖騎士しか神子の目に触れることが出来ないということだろうか。けれど千佳は城下町に住む男と結婚をしている。

「聖騎士は誰に仕えているんですか。誰に報告を……っ!あなた達に魔法をかけたのは神子ですか?」

ルトは答えず、梓の頬を撫でる。
分からない。

「神様?神様がかけたとでもいうんですか?」

微笑むルトに梓の顔が歪む。この世界で実在するらしい神様。その神様とやらはなぜそんな魔法を聖騎士にかけたのだろう。いや、もしかしたら聖騎士だけじゃないのかもしれない。
『それなら俺達よりも神子から話を聞いたほうがいいかもね』
フランが言っていたことはここに繋がるのだろうか。気を付けたほうがいいと言っていたのは誰のためにそう思って言ったのだろう。

「本当にこの世界に神様はいるんですか」
「いる」
「神様は、どんな姿でしたか?」
「俺の目にはなにも映らなかった。声だけの存在だ」
「あなた達は神様を恐れているんですか?だから、神子も恐れているんですか」
「他の者がどう思っているかは知らない。俺は……言っただろう。罪滅ぼしだ」

聞かなければ答えないこと、聞かれても答えられないこと、話してしまえば死んでしまうこと。嘘は言っておらず、ただ、すべてを話した訳じゃないだけ。
神の子供としてこの世界を助けるべく神子を贈った神様。その神様は何故、この国を守る人たちにそんな呪いじみた魔法をかけたのだろう。
──分からない。分かりたくない。
国を統治する者がいないのに崩壊することなくまわる国。城下町の人たちは国の将来を憂いているようなことはなかった。魔物のことでさえそうだ。魔物に怯えて家から出ないということもなく、楽しそうに笑って毎日を生きている。ままならないことはあるようだが商人は他国を行き来して流通は出来ている。
『神子様』
畏れ、敬われる神子。

「ルトさん」

呼びかけて手を伸ばせば、瞬く目が見えた。けれどルトは疑問を口にすることなく梓を待つ。

「その魔法を解くことは出来ますか?」
「……難しいだろうな」
「解いてください。そのための道具を、作ってください」
「……」

ルトが作る道具は梓に魔法を実感させた。今ないものを新しく造り上げることの出来るルトならば、きっと魔法を無効化できる道具だって作ってくれるはずだ。

「例え神様がかけた魔法だとしても絶対なんてありえない。始まりがあるのなら終わりもあります。魔力なら私から好きなだけとってください。なんだったらルトさんが作りたがってる道具のためにも使っていいですから、お願い。魔法を解くのに協力してくだ……ルトさん?」

懸命に言葉を紡ぐ梓を見ていたルトが顔を背けてしまう。駄目なのかと伸ばした手をルトの頬に置けば、何故だろう──熱い。その顔を自分のほうに向ければ非難に眉を寄せた赤い顔。閉じた唇はなにも言わず、梓にはルトがどうしてそんな表情をしているのかが分からない。
気難しくて面倒な人。背が高いせいで遠くにある顔はいつも影を背負っていて怖く見えるときが多いのに。
──なんで恥ずかしがってるんだろう。
不思議でじっと見ていたらとうとうルトが口を開く。

「お前のためにこの魔法を解けと?」
「う゛……そうです。私はこの世界のことを知らなきゃいけないんです。そのためには魔法で話せないことを知りたくって……見返りはルトさんが作りたい道具のための魔力じゃ、駄目ですか」
「……何故神子のお前がこの世界のことを知らねばならん。神を見たこともなく理由を知らされることもなくこの世界に連れてこられたというのならそんな義理はないはずだ」

この世界にいることが神子の役割だと言っていたのに、義理がないと言う。
──ルトさんが聖騎士だったとき神子と会話をしなかったんだろうか。
梓だけでなく他にも誰か一人であっても恨み言を叫んだはずだ。神子という立場を喜ぶのではなく元の世界に帰してと泣き、こんな誘拐を許さないと思った人がいるはずだ。

「……向き合いたい人たちがいるんです」

話して触れて……それで、向き合いたいと思える人たちが出来てしまった。
会話というものは人生を左右するらしい。
そして、時に色々なものを狂わせるらしい。
知らない言葉の意味、互いの知っていること知らないこと、ズレた考えが色々なものをおかしくさせていく。
梓の頬を撫でていた指に力を感じた。恥じらいと非難を浮かべていた表情が消え、普段見る観察するような……冷たくも思える表情が浮かぶ。変わっていく表情にぞくりとして梓は急に時計を探してしまった。

「長話をしてしまいましたね。また指輪で話しましょう」
「まだだ」

梓はルトから手を離したのに、梓の頬にある手は増えてしまった。両頬掴まれて起こされた顔は低い声を吐き出した唇を見つけてしまう。


「魔力を寄越せ」


苛立ちのせた声を最後に口づけられてしまう。前回と違って梓の反応を見る黒い瞳に熱はなく、息が苦しいと訴える弱々しい力さえ無視している。
──なんで?ああ、魔力、魔力を渡すにはどうしたら。
口づけだけしかしていないのに足に力が入らなくなっていく。遠くなっていく意識のなかどうしたら止めてくれるか考えて。
──ルトさんの魔力が回復しますように。
対価を要求するということは承諾してくれたということなのだろう。それなら梓もルトに返さなければならない。だからひたすら祈り続けて、ルトの胸を押していた手の力を抜いた。

「更に祈るというのか」
「……?」

咽る梓は分かっていないのだろう。だらしなく首に垂れていた涎を舐めとってルトは眉を寄せる。声を飲んだ梓に抱くこの苛立ちがなにかルトには分からない。

「口を開けろ」

息を整えていた身体がびくりと動く。濡れた瞳がルトを見上げて、唇が小さく動く。ルトさん。音にならなかった声が分かったがルトはなにも言わず待ち続ける。そうすれば梓はゆっくりと口を開いて。



「──また来い」



細い首に巻かれる黒いストール。こくりと頷いた梓が店を出て行けばふわり浮かんでルトの手を掠めた。ピリリと痛んだ手を見れば赤い線が出来ている。長い口づけに梓が抗議してきたときにできた傷跡だ。

「……」

舌を這わせれば感じる痛み。赤い血を舐めとったルトはなにを思ったのか俯いた。
表情は暗い店内に隠されて。


「好きなだけ貰うとしよう」


自嘲するように嗤って落とされた呟きが暗闇に消える。






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