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第二章:変わる、代わる
101.責任
しおりを挟む以前似た話をアラストとしたときにアラストも梓の顔を見て笑ったが、千佳が浮かべる表情はアラストとはまるで違い暗い感情を隠しもしない笑みだった。
机に切ったお菓子と紅茶が並べられる。甘い香りの紅茶はきっとジャムが溶かされたものだろう。お菓子も白那と厳選しただけあって美味しそうだ。
それなのに誰も手をつけない。
「ねえ樹なにか言いたいことでもある?」
「……」
「だんまりだ」
「あー千佳いま凄いウザイ絡み方してるけど気づいてる?」
「えー白那って樹の味方してあげるんだー?でも白那も樹のこういうとこムカつかない?かまってちゃんみたいに聞かれるの待ってていいとこどりするの。樹は綺麗で優しくって正しいんだもんねーあー鬱陶し。あ、私この紅茶嫌い。珈琲淹れてよ」
「用意するよ」
紅茶を一瞥した瞬間吐き捨てる千佳にアラストが微笑んでまたキッチンに戻っていく。そんな2人を見ていたら胸のわだかまりはどんどん増えていき胸焼けしてしまう。久しぶりと会ったあとは結婚おめでとうと言おうと思っていた。そんな言葉は全て言えていない。歓迎しない千佳の言動に気後れしてしまったうえに突然始まった攻撃に梓は黙るしか出来なかった。
──なんで皆。
怒りたいのをなんとか堪えて、答える。けれど微笑みを作ることも出来ず当たり障りない言葉さえ忘れてしまった。
「アラストさんのことメイドさんみたいに使うんだね」
「ははっ」
嫌味を込めて言えば乾いた笑いを吐き出した千佳が間をおかずに大きな声で笑いだした。
「やっぱ樹っていい子ちゃんだよねえ。アラストが可哀想で心配する私は優しいんだよねー」
「うわー初っ端からヒートアップしすぎてギブ。いただきます」
「白那相変わらず空気読めないソレ止めてくんない?」
「だって聞いてるだけでしんどいしお菓子は美味しそうなんだししょうがないじゃん」
「はあ……まあいいけど」
「いいんだ?それなら私も気になるんだけど。千佳ってアラストアラストーって感じだったじゃん。変わりよう凄すぎてドン引き」
軽く笑う白那と違って千佳は歯を噛み締めて梓と白那を睨んでいる。机を叩いた小さな拳の力は強く紅茶が零れて机に広がってしまった。
「五月蠅い……!ねえ、私は幸せなの……!なのになんで来たの?神子様は神子様らしくあの城で役割でも果たしたらどう?!」
「千佳。樹たちは」
「アラストは黙ってて!それとももう私の命令さえ聞けないってわけ?」
「……」
命令。以前の関係とはもう違うのだと分かる決定的な言葉だった。なにがあったのだろう。
きっと梓が千佳に会うことが怖かったように、千佳も神子であり続けている白那と梓になにか思うところがあったのだろう。でないと千佳の言動の理由が思い当たらなかった。
──神子様は神子様らしく。
千佳の言葉に疑問は浮かぶが聞ける状況ではないうえ梓にもそんな余裕はない。目を閉じた梓は詰めた息を吐き出す。
「千佳……突然来てごめんね。私達帰るよ」
「アンタわざわざ私を煽りにきただけ!?それなら大成功だから安心してあの城に戻れば!?」
不安定な千佳に梓は言える言葉が見つからなくて黙るしかできない。こういうところがきっと千佳の怒りを買うのだろう。知った気になって口に出さず逃げ出してしまう。
──だけどそれ以上なにが出来るの。
梓は悔しさに俯くが、梓以上に悔しさを抱いている千佳が梓に呼びかける。顔を上げればアラストを指差した千佳が梓を見て叫んだ。
「コイツ使えないの。私は子供が欲しいのに勃たないんだって!」
怒鳴るように叫ぶ声は千佳の悲鳴に聞こえてしまった。
涙を流す千佳がなにを思っているのか分からない。聞いてやることもできない。
「わっ私はこの世界で生きていくって決めたのに!私は家族が欲しいのに……っ」
泣く千佳を見て城で話した時のことを思い出す。
『私はアラストとすっごく幸せな時間を過ごしてるんだ』
『アラストが好きで、なのに、アラストは他の女と!』
そんな千佳を見て梓は冷めた気持ちを抱いていた。道具として召喚されたことは最初から分かっていたのにと、オメデタイハナシだと思いもした。誘拐した人たちに恋するなんてありえないとも言った。
──今は千佳の気持ちが分かる。
ヴィラとテイルに恋をしてしまってオメデタイと思った状況に陥ってしまった。歯がゆくて不安でドキドキして怖くて気になって……伸ばした手が触れるとき心臓も頭もおかしくなる。自分が自分じゃなくなって相手の体温におかしなほど気持ちが乱される。好きだと言われると弾む心は嬉しいと思っているんだろう。ふわふわした感情は未だに慣れなくてその先を考えると進めなくなる。
「そいつが出来るのは稼ぐぐらい」
アラストへの恋心を語っていた口が憎々し気に吐き捨てる。
──千佳は本当にアラストさんのことが好きだったんだ。好きだったぶん悲しくて辛くてしょうがないんだ。
言ってもしょうがないと口を閉ざす梓と違い千佳は口に出しているだけ。分かる……分かってしまう。
だけど。
「千佳……分かるなんて言えない。だけどさ!アラストさんは聖騎士を辞めてまで千佳と一緒に過ごすことを選んだんだよ!?そんな言い方ってないんじゃないっ?」
「どうだか!選ばされただけなんでしょ!?そもそも聖騎士は私達神子に尽くすためにいるんだから当然のことだしっ。あーほんと樹は相変わらず良い子ちゃんだよねえ!アラストが可哀想~って!私だけ悪者ってわけ!?」
「違う!結局アラストさんも自分で選んでこうなったんだもん!境遇に同情はするけど選んだ責任はとるべきだ」
召喚、誘拐。
神子、聖騎士。
恐怖、愛。
様々な事情が重なってそこに見え隠れするルール。誰が、何故、どうしてこうなってしまったのだろう。分からない。けれどそこで生きるしかないのだ。この世界に限らず元の世界だって同じだ。
──決めたのは自分だ。
そこで生きているのは自分なのだから。
梓は自分にも言い聞かせて大きな息を吐きだす。決めたのは自分。思い出す顔がある。けれど、決めたのだ。
──やっぱり私は知りたい。この世界のことも聖騎士のことも神子のことも神様のことも……後悔したっていい。その結果どうなってもそれは私が選んだことだ。
召喚をされたこととは違い自分で選んだ選択に怖くなる。知ることで白那が言ったように許せずヴィラ達と距離を置くことになるかもしれない。それでも。
──決めたのは自分。
腹をくくって顔を上げた梓を見て言葉を失っていた千佳は空笑う。ドンッと机を叩く音が部屋に響き渡った。
「責任……責任っ?私はそんなものでしかないってわけ!?」
「そこは千佳たちの関係だから知らないよ。この話だってそうだけどそれでも余計な口出ししたくなるぐらいには2人とも他人じゃないんだよっ。千佳は自分の我が儘でアラストさんを振り回したことを忘れるべきじゃない。アラストさんだけが悪い訳じゃない」
「良い身分だよね!関係ないくせに私たちのことでこれが良いこれが悪いって判断してくるとかウザイんだけど。ほっんとにウザイ!ってかさ、アンタの話だと私たちってお互い様って言いたいんでしょ?私は神子を利用してアラストを振り回して私のことが好きじゃないって分かってたのに聖騎士の仕事辞めさせて──アラストは最初から最後まで本当のこと言わなくて好きだよって言って……でも私には勃たないって!ハハッ!アハハ!私が本当に欲しいものはくれない」
「千佳」
「アラストは黙ってて!私喋っていいって言ったっけ!?」
声が裏返るほど叫ぶ千佳の声は夫たちにも聞こえているのだろう。沈黙が部屋を支配したときドアをノックする音が聞こえてきた。それでも千佳は続ける。
「それで?お互いさまって許し合えばいいわけ。それで私はコイツをここから解放してやればって?その結果にアンタはどう責任取るの。コイツは家もないし無一文になるんだよ。そんな奴がこの世界で生きてくには傭兵になって魔物退治しかないもん。家もないから酷い内容に挑むしかなくて死んじゃうかもね。それでもハッピーエンド?アンタが望んだのはそういう結末ってわけ」
千佳の言うことはもっともな話だった。
許しあえたとしてその後どうなるだろう。今の関係と変わらずこの家のために稼ぎ続けるだろうか。千佳の夫の1人として過ごす道もあるだろう。だが千佳が言うように家を出て傭兵に身を費やす未来も考えられる。ルトのように店を持って働く道は……あるのだろうか。そもそもアラストが希望する未来を知らない。
ただ部外者が口出ししただけ。千佳がいうように良い悪いを口にして改めろと言っているだけなのだ。分かっている。
──確かに、私ってウザイ。
歯を食いしばる梓を見て千佳は目を細めて微笑む。ゆっくりと動く唇は諭すように優しい声で囁いた。
「せいぜい私を悪役にでもしたら?ヤサシイ樹ちゃん」
バイバイ。
その言葉を最後に梓と白那は千佳の家を出る。冷たい風が吹く空は雲一つない空だった。
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