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第二章:変わる、代わる

116.「アラストさんも喜びますよ」

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朝、目が覚めて薄暗い部屋を見渡した梓は寒さに肩をふるわせた。窓の外は夜のように暗い。広場を走れば肺は冷たい空気で満たされることになるだろう。

「今日も来ないんだろうな……」

しんどいと言いながらも隣を走ってくれた麗巳とはもう長いこと会っていない。もう一度メイドに言伝を頼んだが返事は変わらなかった。時間をもてあました脳は昔捨てた疑問を思い出す。
──神子の部屋は城のどこにあるんだろう。
神子の部屋は花の間にあるドアに専用のカギを使った先にあって、廊下に隣接しているわけではない。この城で過ごした時間のなか何度も城を歩いたがそれらしいものを見つけることは出来なかった。見つけていたらメイドに言伝を頼むなんて回りくどいことをせず直接会いに行っていたことだろう。
──きっと魔法で隠されてる。
神子の部屋自体はこの城のどこかにある前提で考えれば、それは、暗い背景を連想させる。神子の部屋は隠されている──安全のため──辿りつけるのは鍵を持った聖騎士だけ──閉ざされた部屋。
神子の部屋に繋げるのが専用の鍵だというのなら、梓が麗巳の部屋を見つけても入ることはできない。魔法を解く選択肢はまだ現実味がなく、梓がとれる行動はやはりメイドへ伝言を頼むことぐらいのものだ。
広場で走っているあいだも思考はぐるぐるまわってそのたびに気持ち悪くなっていく。汗がでるまで走ったというのに気分は一向に晴れず太陽が顔を出した空を見上げる顔は暗い。ヒューヒュー喉を鳴らしながら肩で息をする梓はそんな自分を嗤った。

「……私って最低だ」

知りたいとはいえ、麗巳を助ける力になりたいとはいえ、聖騎士をルールから解放したいとはいえ……すべて自分のためだ。もっといえば自衛に近いのかもしれない。
そんな臆病な心が分かっていても聞くことができるのは麗巳だけで、けれど、実際に会えたとしてもどれから聞けばいいのか分からない中途半端な迷いがある。


「こんなのがイイコちゃんなわけないじゃん」


誰もいない広場を眺めた梓はひとり、部屋に戻った。







「樹様ほんとうにこの時間でいいんですか?アラストさんは15時からと言っていましたが」
「いいんです。午後はちょっとしたいことがありますし、アラストさんじゃなくてもおじいちゃんがお店に出てるはずですから」

困惑するヤトラに微笑めば疑問が増したようで迷子のような顔になってしまう。
『金曜の買い物ですが15時ぐらいに待ち合わせしますか?』
昨日ヤトラからの提案に首をふり早朝からと希望したときだって首を傾げていた。いろいろと買い物したいものがあると言えば、時間になったらジャムの店に行くとヤトラは解釈したのだろう。『分かりました』と頷き、そして今日、一番最初にジャムの店に行くという梓に戸惑い眉を下げてしまった。
──分からない。
ヤトラが悩んでいるのが分かっても梓はなにも言うことができない。
『せいぜい私を悪役にでもしたら?ヤサシイ樹ちゃん』
赤くなった目元を緩ませて笑った千佳の顔が浮かぶ。狙ったことではないとはいえ、アラストが働いている店に顔をだして話すのはあまり良いことではないはずだ。そんなわだかまりを抱いてしまったのは次を期待する言葉を聞いてしまったせいだろう。
アラストと千佳は結婚をしているわけではない。具体的なことは分からないが、千佳はアラストを稼ぐことしかできないと言っていて、アラストは千佳の家から出ることが叶わず傭兵業に身を費やしている。アラストは複数の夫に囲まれる千佳と共同生活をしているだけなのだ。
──だから別に、なんてきっと関係ない。
2人の関係がどんなものだったとしても、きっと、こういうことに理性は飾りになる。感情にふりまさわれてしまう瞬間を梓はもう知っている。

──分からない。

難しい顔をして黙り込む梓を見てヤトラは微笑むことに失敗した。
『樹は勘違いしないでしょ?』
アラストの言葉や微笑みを思い出してしまう。梓がアラストを避けようとしているのが分かるが、なぜ、そんなことをするのだろう。アラストに会ってジャムを買うだけの短い時間を避けるために、冷え込みの強い朝の道を歩いて寒さに震えている。
『美味しい』
ジャムティーを飲んだ幸せそうな顔に、なぜ、こうも気が沈んでしまうのだろう。


「あ、おじいちゃんだ」


明るい声。
梓は自覚できるほど肩の力が抜けるのが分かって苦笑いを浮かべてしまう。それでも梓に気がついた店主が微笑むのが見えると、梓は輝かんばかりの笑顔を浮かべた。カランコロン、ベルが鳴る。

「おはようございます。おじいちゃんお久しぶりです」
「久しぶりお嬢ちゃん。会えて嬉しいよ……だが、少しばかり」
「?」
「すまないね。ほんの少しでいいんだ。アイツに時間をあげてくれ」

口ごもる店主に目を瞬かせて数秒、アイツが誰なのか分かった梓は戸惑いに眉を下げる。梓の反応に苦笑いを浮かべた店主は店の奥を一瞥すると小さな声で囁いた。

「お嬢ちゃんもきっといろいろ抱えているんだと思う。だが……今日だけ、ほんの少しの時間だけアイツと一緒にいてやってほしい。今日はアイツの誕生日なんだ。祝ってやってほしい」

シワのある手は気まずげに動きながら自身の手をさすっている。それはどこか不安そうにも緊張しているように見える。
『正直今もどう話したらいいか分からないんだ。こんな態度を神子様にしてしまうだなんて恐れ多いことなんだよ』
神の話をした日のことを思いだせば、梓に願い出ることは店主にとってひどく勇気がいることなのかもしれない。それがアラストを想ってのことだからその関係性に嬉しさに似た安堵を覚え、店主の言動にわだかまりは増してしまう。
黙る梓の背中を押すように触れたのはヤトラ。

「樹様、アラストさんをお祝いしましょう」

微笑む顔。

「お祝い……そう、ですね」
「そうかよかった!叩き起こしてくるからまってておくれ」

悩みこんだ梓が頷いた瞬間嬉しそうに笑った店主の声にヤトラの声がかき消される。慌ただしく店の奥へ入っていく店主を見送る梓は、朝の道を歩いていたときと比べて柔らかい表情だ。
──分からない。
ふと、ヤトラは梓の背に触れていた自身の手を思い出す。指に触れる黒髪を見て動揺してしまったのは何故だろう。手を離せば梓がヤトラを見上げた。少し長くなった前髪が茶色の瞳を隠そうとしている。

「アラストさんも喜びますよ」

勝手に動く口がそのままつりあがる。分からない。違和感を抱いただろう梓がじっとヤトラを見続ける。分からない。茶色の瞳にはヤトラが映っている。分からない。

「樹!」

店の奥から転がるように現れたアラストが梓を見て嬉しそうな表情を顔いっぱいに浮かべる。分からない。申し訳程度に身だしなみを整えつつも寝起きであることが分かるアラストは訓練時代には見なかった姿だ。

「ふふっ、やっぱり違う時間に来た。ここに泊まって正解だったよ」
「それ、泊まってまでする必要ありました?」
「その顔が見たかったからね」

意地悪く笑う顔に梓は目を細め、アラストは楽しそうに笑う。

「悪いね。少し、ヤトラくんを借りていいだろうか」
「え?」
「まだ仕入れ品を持ってこれていないんだ。力仕事なんだが……頼めるだろうか」

先ほどの店主の話から考えればアラストと梓を2人にしてやりたいのだろう。ヤトラでも分かるていのいい言葉だ。けれど、分からない。梓が店主からヤトラに視線を映す。梓自身もどうしたらいいのか分からないようだ。

「分かりました。力仕事なら任せてください」

分からない。ヤトラは梓に微笑んでいた。そして、店主に頷いて言われるがまま準備をして店を出る。
──なぜ私は笑っているんだろう。
カランコロン、ベルが鳴る。
閉じたドアを梓とアラストは2人して無言で見ていた。なにか言おうとしては消えていく言葉に梓は店内を見渡す。それに「あ」と声を出したアラストはカウンターに向かうと紙袋を手にニヤッと笑った。

「じゃじゃーん!ほらっこれが言ってた苺」

アラストが袋を広げると甘い苺の香りがふわりと漂う。たまらず微笑んでしまう梓を見てアラストの表情もみるみるうちに緩んでいく。

「すっごく美味しそうですね。特別なルートって言ってましたけどどこで手に入れたんですか?」
「詳しい場所は秘密。傭兵業してたらいろいろ情報が入ってきてね、折角だしってことでいまは仲間の手を借りてルート開拓してるんだ。ちょっとはじいちゃんの店に貢献できるし傭兵業しててよかったよ」

傭兵業のことを明るくとらえているのはいいことのはずだ。背伸びしているわけでもなく楽しそうに話すアラストの姿は眩しいものがある。
けれど。

「……千佳は知ってるんですか?」
「それは勿論」

頷きつつも首を傾げるアラストから梓は視線を逸らす。その先には真っ赤な大きな苺。その袋をもつ手には、凝視し続けなければ分からないほどの少しの魔力。紫色をした魔力はときどき途切れる形でアラストを覆っていた。千佳から魔力を貰っていないのだろう。それほどまでに同じ家で過ごしながら距離があるのだ。それは。
『良い身分だよね!関係ないくせに私たちのことでこれが良いこれが悪いって判断してくるとかウザイんだけど』
胸のなか形になろうとした言葉が千佳の悲鳴に消えてしまう。
──これは2人の問題だ。
梓は自分に言い聞かせて黙ることを選択する。アラストの楽しそうな声は続いた。

「じいちゃんも俺なら安心だって依頼してくれるようになったし楽しいよ」
「……確かに、すごく生き生きしてます」
「そうでしょ?」

嬉しそうな顔。アラストはいつだってそうだ。いつもにっこり微笑んで……ときどき失敗して。

「アラストさんはお店を持つことは考えていないんですか?」

梓の質問に表情がみるみるうちに変わっていく。
そして静かに微笑んだ顔は先ほどとはまるで違うものになってしまっていて。

「それは……難しいだろうね。できないよ。でも俺はいまの生活がそれなりに気に入ってるよ。磨いてきた腕を役立てるし、じいちゃんは喜んでくれるし、ここで働くのは楽しいしね。勿論、樹に会えるのも楽しみの一つだよ」
「そうですか」
「ひどいなあ本気だよ」
「……だから駄目なんですよ」
「そうだね」

チクリといっても分かってると微笑む顔は諦めにも見える。
なにも言えなくなった梓に微笑み作るアラストは紙袋を手渡した。甘い香りでハッと我に返った梓はお金を取り出そうとして失敗する。梓の手をおさえたアラストは歯を見せて子供のように笑った。

「お金はいらないよ。これ、樹への誕生日プレゼントだから」
「え?あ、いえ、違いますし今日が誕生日なのってアラストさんじゃないですか」
「え?俺が誕生日って知って……じいちゃんだな。ま、いいや。そ、俺今日誕生日なんだけど自分の誕生日のこと考えてたら樹の誕生日いつかなって思ってさ。もしかしたら過ぎてるかもしれないしいろいろ丁度いいからプレゼント用意してみたんだ」
「たしかに過ぎてます、けど」
「それなら丁度いいってことで……受け取ってくれる?」

梓の驚きをみてイタズラが成功したとでもいうように楽しそうだった顔が不安に満ちていく。驚きのあと戸惑いを浮かべ押し黙った梓の気持ちが読めないからだ。
梓自身も自分の気持ちが分からなくてなにもできなかった。甘い香り、触れる体温、不安そうな顔。分からない。誕生日なんてひとつ歳をとるだけの行事に過ぎない。それなのに胸にあふれるこの嬉しさはなんだろう。アラストは自分の誕生日だというのに人の、梓のことをお祝いしようとプレゼントを用意していた。分からない。何故、不安そうな顔をしているのだろう。
紙袋が、ガサリと音を立てる。
梓はその手に紙袋をしっかり持ち、アラストを見上げた。

「ありがとう、ございます」
「……っ!」

プレゼントを受け取った梓にアラストは分かりやすく喜びを顔いっぱいに広げる。嬉しくてたまらないのだろう。探るようにでも恐る恐るでもなく、アラストは梓の手を両手で握り締めた。


「誕生日おめでとう!樹。生きていてくれてありがとう。これからの1年も君が君でありますように」


アラストの言葉に梓は一瞬呼吸を忘れてしまう。この世界なりの誕生日の祝いの言葉なのかもしれない。それでも、聖騎士と神子として過ごした最後の夜、心に棘をつくった言葉と同じようにきっと……忘れられない言葉になる。
目を見開く梓にアラストはようやく自分の行動に気がついて梓の手を離す。そして気まずげに店内を見渡したが、その顔が驚きに固まった。先ほどとは違い梓がアラストの手を両手で握っている。俯くその姿はまるで祈るかのようだ。
白い魔力が梓の手を覆っている。
小さな手に隠れるアラストの手からは紫色の魔力。

「いつも美味しいジャムをありがとうございます」

きっとこれはていのいい言葉だろう。
分かっている。
それでも言わずにはいられなかった。何もしないことを選べなかった。梓はアラストを見上げてようやくの思いで言葉を告げる。

「それで……お誕生日おめでとうございます、アラストさん。これからの1年、あなたがあなたでありますように」

小さな声を最後まで聞いたのだろう。アラストは動揺のせいか少しあとずさり、自身の手を握る梓を見てなにかを言う代わりに顔を真っ赤にした。形になりきらない言葉を呟きつつ顔を隠そうとしては梓を見て、手を見て、恥じらうように顔を逸らしてしまう。梓もいたたまれなくなって俯けば、動く白い魔力を見つけてしまった。
魔力が移る。
交わり変わっていく色にドクリと心臓が脈打って梓は手を離し……すぐに捕まった。沈黙が場を支配する。アラストはすぐにはなにも言わなかった。

「……俺にこんなことしてよかったの?」
「怪我しないようにっていうぐらいのものです」

自分の意志で渡してしまった魔力のことを梓は冷静に話すが、アラストは浮かれ切って真っ赤になってしまった顔を歯がゆそうに変えながら唇つりあげる。
──違うんだ。そうじゃない。
それは言えない。神子としての梓に救われたいなんて思ってもいない。これは自分で片をつけなければならないのだ……そうでなくては自分を許せない。
──俺は。
ああそれでも分かってしまった。このもどかしさがきっとなによりの証明なのだろう。それに先ほどから心臓が五月蠅くてしょうがない。
『思ってもないこと言わないでよ。最低』
泣いた千佳に本当だと言ったあの気持ちは嘘じゃなかった。こんな世界を救うために来てくれた神子を守りたかった。寂しいと泣く神子を大切にしたかった。自分に出来ることならなんでも望みを叶えてあげようと、尽くそうと思ったのだ。
──確かに俺は最低だ。
梓の手を握り締めて感じるのは困惑と熱い体温。嬉しい。茶色の瞳がアラストを不安そうに見ている。嬉しい。もっと、もっとと望んで……でも、いまは駄目なのだ。言えば間違いなく重荷になるうえ梓はあの部屋でひとり思い詰めることになる。
──そういう人だから俺は。
込み上げる想いを飲み込んで、アラストはただ祈る。

「樹」

アラストの呼びかけに梓は答えない。祈るアラストを見て完全に言葉を失っていた。魔力が見えてしまう。紫色の魔力が梓に移って、白い魔力を変えていく。
変わっていく。



「ありがとう、樹。最高のプレゼントだ」



幸せそうに微笑んだ藍色の瞳には、真っ赤な顔をして言葉を忘れた梓が映っていた。







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