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第二章:変わる、代わる
143. 「早く終わらせたいね」
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慌ただしく花の間から戻ってきたメイドにただごとではないのだと察した彼はやや身体を固くした。周囲の人間も思わず仕事の手を止めてメイドに注目する。
「報告します。神子麗巳と神子樹が花の間で話をしていて──」
冷や汗を流しながら報告するメイドの手は震えている。
麗巳と樹が2人で会話をしていることはたびたびあった。けれど今回はメイドの表情を崩すほどの何かがあったらしい。言葉を探すメイドにあったことを話すよう促せば、実に面白い話をする。
「神子樹はどうやら過去を見ることができる魔法が使えるようです。その魔法で神が降臨した日のことを見て、神子麗巳と神の会話も聞いたそうです。2人の会話によると──」
メイド曰く、忌まわしいあの日に国を襲った魔物は国を救ったはずの神であり、もう一度この国に姿を現したとき麗巳が死んでいれば再び魔物を呼ぶとのことだ。これに取り乱す多くの人間はいまだ神を盲信し、自分が救われる人間だと思っているものだろう。メイドの報告を信じず声を荒げるものや青ざめ黙りこくるものと様々だが、その姿を見ておかしくなってしまう。
さらに面白いのは樹がルールを肯定も否定もしなかったことだ。言葉を濁すどころか『ざまあみろ』とまで言って、麗巳と同じく魔法を望んだだろうと言ったことも考えれば肯定に近い。
『色んな人のことに気を配れるような人が地雷のような私にソウイウコトをしても、私にも私以外の人にもフランさんにも良いように動くことにはならないと思いますので』
微笑みながら穏やかに接してはいるが、周りを観察して自分の身の振り方や安全な場所を常に探していた樹が自分のなかにある感情をはっきりと表にだした。あって当然の怒りや不満を攻撃的な言葉で口にしたのだ。
──面白いな。
フランは薄く微笑んでしばらく顔を見ていない梓のことを考える。好奇心が強く顔に出やすい子。けれど今後のことを考えて自制もでき努めて周りを見ることができる。人から無理矢理聞き出す命令ではなく会話をすることを普通の選択肢としてとってしまう。
──状況把握ができて攻撃的なことも言えるようになったのなら、次はどんな行動をとるだろう。
麗巳が召喚を無くそうとしていたのは知っていたが、それを公の場で言うことはなかった。それを樹はメイドの目があるところで引き継ぐと言って、自分の口で、召喚を無くすとも言っている。
──当たり前に命令をするようになるんだろうか……それはそれで面白いな。
樹によって神と麗巳の会話が保証されたうえ、神が麗巳に執着していて樹にもその執着を持ち始めているらしいことが分かった。樹の行動一つで変わったことは大きい。
「大事な人が奪われるのは、辛いからね」
神に怒りを抱きながら泣いた樹は奪われた母の姿を見てなにを思っただろう。その気持ちが攻撃的な感情を口にのせて、麗巳が樹に信頼を寄せることになったのだ。
きっと、きっと。
「早く終わらせたいね」
フランは兄のようだと笑った樹に応えたときのように表情を歪めた。
□□□
息さえ凍らせそうな冷たい風が吹いて梓はぎゅっと身体を縮こまらせる。冬の寒さは美しい景色を運んでもくるが、こうも寒いと心は挫けてすぐにでも部屋へ戻りたくなる。甘い苺の香りがする温かい紅茶をシェントと一緒に飲みながら時間を過ごせたらもっと素晴らしいだろう。想像して緩む口元が、冷たい風にまたきゅっと強く結ばれる。
久しぶりに歩く城下町はやはり魔物という存在が感じられないほど賑わっている。常に刺さる視線のなか、ときおり親しく話しかけてくる人に挨拶し、慣れた道を歩く。道すがら見えた色とりどりのジャムが見える綺麗な店には老齢の店主がカウンターに座りながらなにかを読んでいるのが見えた。それに安堵した梓は口元を歪め、先を行く。賑わう人の数が減って、慣れない道。
そしてようやく辿りついた家は当然ながら以前来たときと変わらなかった。
「すみません。あまり時間をかけないようにしますが、ここで待っていてくれますか?」
「勿論でございます」
「……ありがとうございます」
深く頭を下げる兵士に梓もそれ以上なにも言わない。兵士は梓が戻ってくるまでこの寒空のした何時間でも待つだろう。梓としてはどこかで時間を潰してくれてまったく問題はないのだが、彼らが仕事を放棄することはない。自分1人のために面倒をかけてしまうのは心苦しいが、1人で行動してなにかが起きたときのほうが面倒であることも十分理解している。兵士との関係は、以前兵士やメイドが言っていたようにそれ以上であってはならないのだろう。
──親しくなりすぎて個人になっちゃうと駄目ってことだったんだろうな。
名前を知っているメイドはカナリアとリリアとララの3人だけだ。花の間や場内で会うメイドたちとは挨拶も会話もするがそれだけで、彼女たちが梓を神子様や樹様と呼ぶように梓は彼女たちのことを名前で呼びはしなかった。
『あ……樹様』
最初に、一番親しかったリリアが姿を見せなくなった。
『知りたいと思いました』
そう口にしてからはカナリアも姿を見せなくなった。ララはときおり姿をみかけるが、会話ができることは少ない。
変わった状況は、これからどうなるだろう。
門扉を開けて敷地内に入る。人の家に無断ではいる居心地の悪さは冷たい風も追い打ちかけて後ろ向きな気持ちにさせる。できれば留守だといい。麗巳を待っているときと似たような気持ちを抱きながら玄関ノッカーを数度叩いて、待つ。一歩後ずさって息を飲んでしまったのは扉の向こうから足音が聞こえてきたからだ。夫たちだろうか。そうであればいい。
性懲りもなくそんなことを思う自分に微笑む梓は、扉を開けた千佳と目が合った。
思わぬ来訪者に千佳は明るく出迎えていた顔を驚きに変え、白い息を吐き出しながら感情を失っていく。
「びっくりした。白那じゃあるまいし、突然なに?」
「急にごめんね。どうしても話したいことがあって会いに来たの。お願い、少しだけ時間ちょうだい」
「へー、可愛くおねだりして凄いね。ヤサシイ樹ちゃんは聖女様みたいに救いに来たってわけ。あ、神子様だった」
侮蔑の視線は明らかに樹を歓迎していない。最後にあった日のことを考えれば分かってはいたことだったが、聞き捨てならない言葉に梓の眉が寄る。
「……救いにきたってなんのこと?」
「良い子ちゃんはそうやってわざわざ相手に言わせるんだ。アラストのことに決まってるじゃん」
話の続きをしにきたと思っているのだろうか。
戸惑う梓に千佳は瞬いて、鼻を鳴らす。
「アラストの話じゃないの」
「うん。それにお店にも行ってないから会ってもないよ」
「そういうのやめてくれない?聞いてないし。あーほんと、樹と話すと嫌な気分になる。いっつも私が悪者になるんだもん」
「そっか」
「……なにそれ」
悪態ついても怒りを露わにしない梓はアラストに対してまるで興味がないようだ。それも腹立たしい。
『違う!結局アラストさんも自分で選んでこうなったんだもん!境遇に同情はするけど選んだ責任はとるべきだ』
こうなったのは自分のせいだろうと暗に言われているようだ。だから嫌なのだ。梓と話しているとずっと否定されているような気持になる。1人でも生きていけるかのようにすました顔をしているくせに、人をたぶらかし、好意がないのに人の関係に口出しをしてくる女。
──惨めになる。
千佳にできるのは泣かずにいることぐらいだ。
黙る千佳を見て梓は静かに話だす。その内容も実に梓らしいもので、千佳は歯噛みした。
「私、神子が魔法を使えるようになった日のことを知ったの。ルールのことも、麗巳さんが神と話したことも、命令のことも……大体のことは分かった。千佳は私たちがこの世界の人と話せるのは麗巳さんが魔法をかけてくれてるからってこと、知ってる?」
それは初耳だった。
──魔法がかけられている?言葉が分かるための魔法……?
思わず振り返れば、心配そうに千佳を見ている人を見つける。毎日話す、大事な人。自分で手に入れた大事な人だ。
──まだ、与えてもらってるってわけ?
胸を焼く怒りに手が震えた。神子様はまだ話を続ける。
「私たちは麗巳さんに頼りきりじゃ駄目だと思う。もしものために私たちは自分でこの魔法が使えるようになるか、この世界の言葉を学んだほうがいいと思うの。だから「なにそれ」
協力してほしい。
そう言おうとした梓の言葉が遮られる。歪んだ笑みから吐き出される低い声に梓は怖気づいてしまった。それでも背を向ける訳にはいかず千佳を見つめる。
その視線に、千佳は耐えきれなかった。
「どいつもこいつも何様のつもりなの。私だって……っ!」
悔しい。涙が頬を伝って、それも悔しい。
けれど胸に渦巻く想いを口にした瞬間もっと惨めになる気がした。いま千佳を見ているのは同じ境遇にも関わらず他人のために動いている梓だ。
──私は自分のことで精いっぱいなのに。
そのうえ梓は荒れる千佳に戸惑いながらも心配そうに眉を下げ、けれど安易に優しい言葉を言ってはくれない。
──樹なんて嫌い。
同じところまで落ちてほしい。そんなことないよ、大丈夫、気にしないでいいよ。なんの変化も起こさない適当なことを言ってくれたらいい。愚痴や不満を言って最悪な環境を一緒に悲観し続けるだけの関係がいい。
『いい加減私も千佳がウザいよ』
けれど最初から樹はそんな関係にはなってくれなかった。元の世界の家族や友達のようになってはくれない。
『千佳は自分の我が儘でアラストさんを振り回したことを忘れるべきじゃない』
──そんなこと分かってる。
大好きな優しい声、微笑む顔。
最近はもう見ていない。
「──っ!もういいアンタは勝手にしたら!?私は別にそんな魔法いらない!私は大丈夫だしそんな魔法なくてもジョウ達がいるから!」
泣き叫ぶ千佳が扉から離れて家の中へと入っていく。閉まっていく扉の向こうには夫の1人に抱き着く千佳が見えた。千佳を抱きしめる彼は命令されているようにはまるで感じられない。千佳よりも先に手を伸ばして飛びついてくる千佳を守るように強く抱きしめていた。
──よかった。
そんなことを思って、梓は泣きだしたくなる。
『どいつもこいつも何様のつもりなの』
本当に何様だろう。千佳の言葉が突き刺さって、完全に閉じた扉を前にしながら梓はしばらくそのままでいた。けれど冷たい風が梓を急かす。
──まだ始めたばかりだ。
梓は歩き出した。
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