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第二章:変わる、代わる
152.ハリボテ
しおりを挟む温かい紅茶をゆっくりと飲む時間が梓は好きだったが、寒くなった最近はベッドのうえに並んで座りながら話すことが増えてきた。机に置いた短い蝋燭が消えるまで、今日あったことをお互い話尽くそうとするのだ。シェントに仕事がある日はその限られた夜の時間が梓にはとても大事な時間だった。布団のなかに隠れた足は、ときどき、お互いを温めあったりイタズラに攻撃したりする。それは思いのほか楽しくて、一緒に過ごせる夜の時間だけでなく、シェントが休みのときもソファに座りながら似たようなことをしてしまう。
そんな時間を過ごしてきてよく分かったことだが、シェントは気がつけばすぐに梓を優先しようとする。
(気持ちは嬉しいけど……もっと自分も大事にしてほしいな)
そんな不満を抱く梓のささやかな抗議はその小さな手にあった。2人を仲良く包み込んでしまえる大きなストールは、油断すれば梓にだけ多くかぶさってくるため、今日は最初から掴まえている。梓は満足げな笑みを口元に浮かべながらたくさんの話をする。
シェントはクスリと微笑んで小さな手を握った。
「留学という手段はいいかもしれませんね。ただ、以前のような交換留学はすぐには難しいでしょうから、国同士の交流の場を設けることからでしょうね」
「交流の場」
ただの思いつきだった留学が形は変わるものの現実になるかもしれない。胸を張る白那の姿と意気込む美海の顔が思い浮かぶ。
「この国は神が現れてから他の国とどんな関係をとってきたんですか?……王はいなくなって、為政者も」
思案する声は小さくなっていって、最後は途切れてしまう。
ペーリッシュ王。
麗美によって殺された、シェントの親。
「……ペーリッシュは神に祝福された国と呼ばれ、神の依り代や神がこの世を救うために遣わしたとされる神子が実在しますからね。ペーリッシュ王がいなくとも神子が国の象徴となり国を形作っています。取次や雑務といったことは私もしていますが……主だって動いているのは麗巳です」
息を止めていたことに気がつけたのは、握られていた手が撫でられたからだ。目があった瞳は夜を映すのに優しく微笑む。
梓はシェントにもたれかかって目を閉じる。
(麗巳さん)
話を重ねるごとに麗巳は昔のことをポツリと話してくれるようになった。そのなかには現在にまで続けていること、本人曰く政治の真似事という話があった。愚痴混じりに嗤ってはいたが、その大変さは想像に難くない。神子がこの世界で生きていく力をつけるため、麗巳はきっと他にもなにかしているに違いない。言葉の魔法だけでなく、早くその荷を軽くしたい。
誰かのためだと聞こえの言い台詞に自己嫌悪することもあったが、だからと動けるのならば、それは間違いなく必要な力だ。梓は口を開く。
「あの日この国にいて神を目にした人たちの多くは神が説いたことを妄信しているみたいですが、この国の奇跡を体験しても凄い魔法なだけだと片づけてしまう人たちもいるんじゃないですか?」
「ペーリッシュ王が不在なことに疑問視をする人は確かに多くいましたが、麗巳が一喝して黙らせました。ペーリッシュ王は退いたが、代わりに神子たる私がいると……神が次代の王を決めるまでこの国を見届けるとね。それからも神子の存在自体を疑問視する者は現れましたが、そのたびに麗巳が魔法を使うことでその存在は確固たるものになって……今では暗黙の了解となっています。違う真実があるのだと探す者も当然いますが、信じる者は多いですね。噂のなかには神子を裏で操っている者がいる、ペーリッシュ王は暗殺された、神子の魔法は捏造で神を語っているなど、真実を混ぜていくつかありますよ」
「……裏で操ってるんですか?」
「ああ、よく私の名前もあがりますけれど、違いますよ?」
「冗談です」
くつくつと笑う声が頭に落ちてくる。
肩の力が抜けたせいか、眠気を思い出してしまった。似たような状況だからだろうか。ふと、脳裏に懐かしい人の微笑みが浮かんだ。
『これはいい魔法だ。これで君は守られているんだな』
ほっとしたように微笑んでいた、この世界では少数派の考えを持つウィド。
「ウィドさんと連絡をとりたいですね」
「その場合、個人としてよりもお互い国を通して連絡を取るほうがいいでしょうね」
「……私がウィドさんと連絡をとっていたの、知っていたんですか?」
「そうだろうなと予想していました。あのときから……牢屋でウィドと会ったころから梓はすでに魔法を使っていたでしょう?万が一、あいつがルールに触れてしまうことがないよう魔法をかけていたのですが、あなたはあいつの名前を知っていた」
予想していた、あいつ、すでに。
驚きの連続で眠気はどこかに行ってしまった。ストールさえ手放してシェントを見上げれば、梓を見下ろすのはいつもの、それでいてどこか怖くもみえる微笑だ。
(それならもうあのときには)
今更なことに気がついた瞬間、あのとき感じたシェントへの付き合い方について思いを巡らせてしまった。そして、そんな自分に梓は噴き出してしまう。
ウィドと牢屋で過ごした日のことはよく覚えている。牢屋とは思えない充実した環境のなか、牢屋を出れば爆発するようになっているチョーカーをつけたウィドはシェントのことを親しげに話していた。
「ウィドさんと親しいんですね。ウィドさんもシェントさんのことを『あいつ』って言って楽しそうに話していました」
「……それはよかった。ええ、そうですよ。仲はよかった。ヴィラとウィドは人質のように入れ替わりで交換留学をして、私はウィドの監視役としてずっと傍にいましたからね。……牢屋で再会したときは流石に頭を抱えましたし、私情を挟んでしまったぐらいには仲が良かった」
思い出すのは、鎖につながれたウィドと対面したとき、牢屋に慌てた様子で踏み入ったシェントの姿だ。ウィドを見て歪んだ表情はたくさんの感情が混ざっていた。
「交換留学が終わったのは神が降臨したあの日──私たちは、あの日地獄をこの目で見た。親しかった者たちが、人の形をした魔物たちがしたことを私たちは忘れられず……だからもう一緒にいることはできなかった」
言葉少なに語るシェントはついに目を閉じて黙ってしまう。
『神の祝福として機能するときよりも多くの人間で祈ったほうが召喚される神子の人数は少ない傾向があるんです。私は……召喚を消せないのならせめて犠牲者が少なくあればと思い儀式に参加しているだけなので』
『……君は召喚された神子か……すまない。本当に、すまない……』
気軽に呼び合えるほどに仲が良く、2人とも召喚を止めようとする想いは同じだったのに、事件を境に会わなくなったのはなぜだろう。考えて、シェントの気持ちが分かる気がした梓はシェントの手に口づけた。冷たい。頬につけて肌を温めていたら、触れていた指が絡んで、梓を映す瞳を見つけた。
(ほんとうに、この人は)
こみあげてくる想いを飲み込んで、梓は笑みを作る。
「私が使える魔法はどんなものだと思ったんですか?」
「打ち消す類のものかと思いましたよ。けれど、それだけじゃないと分かってあのときは戸惑いました」
「ふふ……それじゃ──ルールがただの口約束でしかないのかもしれないって思ったときは、すっごく驚いたでしょう?」
あのときにはもうその可能性に気がついていて、それなのにルールを守り続けていたのだ。麗巳が知ればきっと眉をひそめて悪態をついたあと、呆れることだろう。
微笑む梓にシェントは悩まし気に口元を緩める。
「……そうですね。けれど確信は持てませんでしたし、結局、どちらでも構いませんでしたから」
梓の魔法がウィドにかけたシェントの魔法だけでなくルールさえ打ち消した可能性も、梓が神子として命令した可能性もある。けれど沸いたもしもはシェントに大きな衝撃をもたらした。
『──黙りなさい。ペーリッシュ王はもう隠居したわ。代わりにこの神子たる私が!あいつが……神が次代の王を決めるまで、この国を見届けてあげるわよ』
可能性を口にしてこなかったのは、麗巳が築き上げてきたこれまでのことが答えだ。彼女の意志を尊重したかった。それが自分にできる贖罪だとも思っていた──顔を見ることは畏れ多く、背中を見ることが多かった彼女の。
もう──麗巳の細い手を取ることはできないが、いまは、ようやく目を合わせることができたのだ。並んで、歩んでいける。麗巳が言う咎を背負うことができる。
(これからもこのことを他の者に言うことはないだろう)
静かに誓うシェントに梓は目元を緩ませる。
ルールが張りぼてだったと明言しないままで、ああ、きっとそれでもいいのだ。それでもよくて。
「馬鹿ですね」
「あなたも、そうするんでしょう?」
「ふふ……同じでしたね」
枕元で揺らめいていた小さな明かりが消える。それは魔法だったのかもしれない。2人は夜に包まれた部屋に驚くことなく互いを引き寄せ合った。
ストールが床に落ちていく。
ときどき話し声が部屋に浮かびあがるが、それを知っているのは布団のなかもぐりこんだ2人だけ。
──冷たい空気が身体に吹きつけて、梓はきゅっと肩を縮こまらせる。肺に入り込んだ冷たい空気はたちまち梓の身体を冷やしていって、花の間を出たばかりだというのに、回れ右をしたくなる。
(今日もしたいことがたくさんある)
言い訳には困らないほど、それでいて切実な問題もある。
(まずは白那と美海さんに留学のこと話したいし、もうそろそろメイドさんに男性の神子のことを再確認しとかないとだし、麗巳さんに他の国に行った神子のこととかも聞いて)
たくさんのことがある。
(神子のことをもっとちゃんと知らないと駄目だ。魔法のことも魔物のことも、分かっていないことが多すぎる。昔と違って会話ができるんだから違いをもっと知っておかないと)
すべきことがたくさんあるときは幸せだ。
たくさんあれば、そのひとつから目をそらすことができる。
(神子が以前のような扱いを受けずこの世界で生きていくためにはどうしたらいいんだろう。召喚をなくすためにあの子の夢が手掛かりになるかな……?そうだ守り神のことも調べて──)
──小走りだった足が、なにかを見つけて立ち止まる。
頭のなか渦巻いていたたくさんの言葉が一瞬で消えてしまった。黒い、黒い髪。温かそうな上着を着ているのに寒そうに身を縮こまらせていて、懐かしい記憶を思い出す。あのときのように不機嫌そうな顔をして、梓を見ている。
(あ……)
風が吹いて開けた視界に、前髪がずいぶんと長くなったことを知った。乱れた髪を手櫛でなおして、瞬いて……ああ、変わらない。
(テイル)
地面を映した瞳は、大きな溜め息が終わると空を、テイルを映した。
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