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第二章:変わる、代わる
175.目にする、
しおりを挟む麗巳がかけている言葉の魔法から外れるにはこの国の外に出なければならない。そのためいつか実際にアルドア国に行くことになるが、そのまえに交流会を開いたのは正解だった。意思の疎通ができる段階でどのように物事を進めて行くかを打ち合わせできるメリットは大きい。
異文化交流どころか人と会話することに苦手意識を覚えている莉瀬と美海は特にそうだろう。
この世界に来てから恭しく話しかけられることに戸惑いはあったみたいだが、ひとたび慣れてしまえば、積極的に声をかけられるよりよほど楽だったらしい。だから敬われはしても怖気づかず交流を深めようと会話をもちかけてくるアルドア国の人たちに莉瀬たちは分かりやすく怯んでいる。アルドア国から来た5人のうち2人が老齢の男だったことは美海たちにとって大きな安心材料になっているようだ。全員、見目の良い青年であったなら気圧されて交流どころではなかったのが伺える。
美海たちがこの場に残れているのは参加すると言った手前早々に退場するのは気が引けるからだろうが、ウィドの存在が大きいようだ。ウィドがみせる神子を神子と思わせない言動に興味を持ったらしく、たびたびウィドを見ている。
美海たちだけでなく白那も八重もウィドに興味津々だが、梓に譲ることにしたらしい。梓とウィドの事情を知っているからだろう。今はウィドと「じい」と呼ばれた老齢の男以外の人を巻き込んで楽しそうにおしゃべりをしている。ときどきこちら側に指をさしているところから考えるに、梓たちの話で盛り上がっているのだろう。
ウィドとじいが口喧嘩をする向こう側の景色に梓は肩の力が抜ける。起こりうる嫌な可能性が消えていく安心感と身構え過ぎていたことによる脱力のせいだ。
けれどそれはじいにまた謝罪をさせることになってしまった。
「神子様の目の前で重ね重ね失礼いたしました」
「え?いえ、気になさらないでください。仲がいいのはいいことですし、賑やかな場になって嬉しいんです。それにウィドさんの元気な姿を見ることができて安心しました」
「それは私の台詞だ。いろいろ話したいことが──あったんだが」
言い淀む理由を探して顔を見れば、強面の顔に眉を寄せて固い表情をしている。
ウィドらしくない、なんて思ってしまうほど親しみをこめて見てしまうのは、この世界で得た初めての味方だったからだろう。
(どうしたんだろう?)
まっすぐに梓を映した鳶色の瞳が、下に落ちる。つられて目で追っても答えは見つけられない。
「ウィドさん?」
「アルドア国に来るつもりがないというのは、もしかしたら……君の意思にそったものでないのかと思ったんだ。だが……そうじゃなかったんだな」
ぎこちなく笑みを作った瞳に、その瞳がさきほどなにを見ていたのか分かった気がした。梓は指に思い出す感触を撫でて、微笑む。
ウィドに手紙をだしたときとはずいぶん環境が変わった。
この世界で、生きていく。
それしか選択肢がないとさえ思って、気持ちを表すのが怖かったあの日の気持ちはまだある。けれど相談したかったこれからの、未来の話は不安だけでなくなった。
「はい、私の意思です。ウィドさんには初めて会ったときからずっと心配させてしまっていますね。それに今回の件もきっとたくさん力を貸してくださったんだと思います。ありがとうございます」
「なにをいう。私はあの日、君に助けられたんだ。まだなにも返せていないのだから心配ぐらいさせてほしい」
「心配ぐらいだなんて……ふふっ」
言葉通り納得のいっていない顔に慌てて否定していたら、ふと、違和感に我慢ができず笑ってしまった。
親しみはあるのに他人行儀に話してしまうのは長い空白の時間があるからだろうが、牢屋の中にいたときのほうが砕けて話せていたのはおかしな話だ。
それはウィドも同じだったようで、顔をあげたときウィドは笑みを浮かべていた。
召喚されて間もない頃に出会ってから長い時間が経ったのに、ずっと、心配をしてくれた人。国を通じての協力依頼に応えてくれ、この交流の場を作るのに一役買ってくれもした。
「ウィドさん……私もいろいろ話したいことがたくさんあります。まず最初に、私は樹梓と言います。樹は名字で……シェントさんと」
結婚した。
そう続けようとして、以前美海との話で浮かんだ疑問を思い出した。夫婦になったのだから結婚したという認識で合っているのだろうか。この世界の価値観の違いがあるうえ、結婚式のようなものを挙げていないせいか未だに実感がない。
けれど結婚と表して間違いではなかったらしい。
シェントを見れば微笑む顔。梓を見る瞳が眩しそうに細められて、愛しさの込められた視線に、生まれた不安は消えていく。
「樹梓……そうか。教えてくれてありがとう、樹。私のことは変わらずウィドと呼んでほしい。あと先ほどから五月蠅いコイツはソウラだ。他の者もあとで紹介するとしよう」
「是非お願いします」
「それで……シェントと結婚したんだな。おめでとう」
「ありがとうございます」
静かな祝福に微笑めば、ウィドも微笑みを浮かべる。ウィドはひとつ頷くと、シェントに笑いかけ、握手した。
この交流会を迎えるにあたって2人は何回か顔を会わせたことがあったかもしれない。そう思わせるほど、牢屋で顔を会わせたときとは態度が違う。
ほかに気になることといえば、ソウラと呼ばれた老齢の男だ。
ウィドとの会話に口をはさまず微笑を浮かべていたと思えば、話の途中から天を仰ぎだし、最後にはなにかを訴えるようにウィドの服を引っ張りだしたことだ。今も必死に服を引っ張っているが、ウィドは一切無視してシェントと会話している。おそらくソウラは立場的にウィドを主としているはずだが、言動を見るにウィドとずいぶん親しい関係らしい。
じっと見てしまっていたせいか、ソウラと目が合ってしまう。ソウラはぱちくりと目を瞬かせたが、なにか考えるようにウィドを見たあと、先ほど神子様に謝罪を何度もしていたとは思えない勢いで身をのりだしてきた。
「あなた様がアルドア国にいらしてくださるのを私共は首を長くしてお待ちしております」
「え……?はい、ありがとうございます。私も伺うのが楽しみです。ご迷惑をおかけしますが宜しくお願いいたします」
「なにを仰いますか。楽しみなどと思ってくださるとはこのうえない喜び。我が国はいつでもあなたをお待ちしておりますからな……ああ、そうですとも。神子様全員が動くとなれば事を進めるのは難しいでしょうが、ひとりだけならば現状でも対応できるのですが……どうですかな?」
神子様から急に梓に対して話しかけてきたことに面食らっていたら、今度はあからさまな提案だ。梓だけならこの交流会が終わったあとにでもすぐアルドア国に行けると、わざわざ言う理由はなんだろう。ウィドから聞いただろう梓の話は無能な神子ぐらいの情報しかないはず。
『女性が魔法を使えるというのを私は聞いたことがない』
ウィドは女が魔法を使えるということをアルドア国でも言わないほうがいいと言っていた。心配した様子を思い出せばこの情報を話はしなかったはずだが、魔法に興味をもつ神子という情報なら伝えたかもしれない。魔法の研究をしているというアルドア国なら、そんな神子に価値を考える可能性もある。
悪い癖だ。追求しきれない会話に憶測ならべてもしかしてとウズウズしてしまう。
瞳に好奇心がのったことをソウラは気がついたのだろう。話を続けようと口を開こうとして──
「あらやだ、なんだか楽しそうね?」
──赤い唇をつりあげる八重に止められた。
その後ろには莉瀬と美海の手を引っ張る白那が見える。神子全員が動いたことでアルドア国の人たちも集まって、大所帯になっていく。
「これはこれは神子様──」
にっこりと微笑むソウラに八重は楽しそうに笑って、そこに白那たちが加われば内緒話なんて空気は消えてしまった。ソウラたちの自己紹介に混じりつつ先ほどの提案を考える。
今回は顔合わせの意味が強く、ウィドたちは数日滞在したあとに1度帰ることになっている。遠く離れた国ではないことが幸いしたが、魔物がでる道中を考えれば抱えるリスクは大きい。それを何度かする必要があるこの交流会で、アルドア国が得られるメリットはどれほどのものだろう。神子様からの命令に影響を受ける国だろうか。
「樹、じいの考えにのる必要はない」
募る興味に考えふけっていたらしい。降ってきた言葉にハッとして顔をあげれば、厳めしい顔が困ったように眉を寄せていた。牢屋でときおり見ていた表情で、梓からみれば可愛らしいとさえ思うが、莉瀬と美海にとっては怖く感じるらしい。美海にいたっては男性と話すことじたい無理と断言していたのだから強面のウィドは苦手以外のなにものでもないだろう。そんなウィドが低い声を出したものだから、近くで聞いてしまった美海はビクリと震えたかと思うと唇で笑顔を作りながらそそくさと逃げてしまった。莉瀬も逃げようとしたみたいだが八重に掴まって動けずにいる。
これにはなんだか勿体ないような気がしてしまう。人がいいウィドが怖い人とばかり思われてしまうのはエゴでしかなくとも寂しく感じる。
「いろいろ突っ込んで話を聞きたくなりますが、それは別としてアルドア国に興味があるのは事実ですしね。魔法の研究というのもやっぱり興味がありますし」
「……樹は変わらないな。やはり君には早く私の国に来てほしいと思う。神子としての君の力も是非貸してほしいところだ」
「それは勿論。お互いメリットがあるのはとってもいいことです。私も神子って結局どういう存在なのか調べてみたいですし」
「それは結構!素晴らしいことだ!「ソウラは口を挟むな」
梓達の会話を聞いていたソウラが感激に声を上げるが、すぐさまウィドに釘を刺されて輪の外に追い出される。一瞬、ウィドに対して警戒を和らげていた莉瀬も厳しい言動を見て委縮してしまった。
そんな莉瀬の肩を抱いたのは同じく梓達の会話を聞いていた八重だ。実に楽しそうな表情で、可愛がっている莉瀬でさえどうオモチャにすればより面白くなるか考えているのだろう。
「さっきから梓ばかり誘っちゃって寂しいわ。私たちも神子なのにねえ、莉瀬」
「なっ、い、いえ私は別に……私なんて」
「もーなに言ってるの莉瀬。あなたいつまでもソウイウの言っちゃ駄目よ?可愛い顔が台無しじゃない」
「っ!」
無理矢理ひきずりだされたこともあってか、いつもと同じやりとりのはずが茶化されたと感じたのだろう。莉瀬はきつく唇を結んで八重を見て黙りこんでしまう。
梓は羽目を外す八重に声をかけようとするが、ふと、その周りにいるアルドア国の人たちを見つけてしまう。八重たちを見る目は隠しきれない興味が浮かんでいる。アルドア国の人たちからすれば神子のやりとりに驚くものがあったのだろうか。
何気なしにウィドを見るが、ウィドは眉を寄せて八重を見ているだけだ。非難をのせた視線に八重が気づくのは早かったが、その瞳はいつもどおりの期待をのせて笑った。
「ウィドだったかしら?あなたもそう思わない?」
「自分を貶めるような発言のことなら控えたほうがいいと思う。容姿のことを聞いているのなら私は彼女のことを美しいと思う」
「へ」
「え」
生真面目に返すウィドに八重と莉瀬は素っ頓狂な返事をする。予想しなかった返答にフリーズしてしまっている2人の姿は傍から見れば面白いが、梓以外の人にはほかにも思うところがあったらしい。他の人と会話をしつつ聞き耳を立てている器用な白那は純粋に野次馬だろうが、目を見開くソウラの反応は興味深い。それでもやっぱりウィドは周りの空気なんてものともせず、言葉を理解し始めて顔を赤くする莉瀬をまっすぐ見つめている。
(ああ、ウィドだ)
場違いにそんなことを思ってしまって、表情が緩む。
遅れて気を持ち直したのは莉瀬だった。厳しい表情でウィドを睨みつける姿は初めて顔合わせしたときと似ている。けれど何故か梓には白旗をあげる未来の姿が見えてしまった。
「どうせ社交辞令でしょう?結構よ。そういうの止めてもらえるかしら」
「社交辞令?なぜそんなことをする必要がある。私は本心を言ったまでだ」
「なっ、なあ」
「あなたは……莉瀬、だったか」
「な」
「そうよお、この子の名前は莉瀬よ。り、せ」
言葉が話せなくなった莉瀬の代わりに答える八重の姿が近所のお節介な人に見えてしまう。
そんなことを思っていたら八重が鋭い視線を放ってきて、梓は慌てて莉瀬たちに視線を移した。ウィドも表情で分かりやすく八重になにかを訴えていたが、莉瀬と話すことを優先したのだろう。
赤くなった顔に似合わない不安や戸惑いを浮かべて狼狽えていた莉瀬は、突然、半歩近づいたウィドに怯えたように身体を弾ませる。身長差があるせいで見下ろしてしまう形になってしまうのはしょうがないが、強面が加わっているせいでより恐ろしく感じるのだろう。
自分の顔の影響力を知っているのか、眉を寄せていたウィドは気がついたように瞬くと、なんの抵抗もなく片膝をついた。
「莉瀬。あなたはなぜ自分を卑下する。あなたは美しい」
心底不思議そうに問うウィドに隠している嘘なんてないのがよく分かる。それを真正面から受け止めた莉瀬は完全に言葉を失って、顔を恥ずかしさに染めて真っ赤にした。
(ああ、ウィドだなあ)
微笑ましくも映る光景に梓は表情を崩して笑う。
予想が外れた、賑やかで、明るくて、笑い声が響く交流会。
(──ああ、こんなにも変わるのか)
微笑む人が多いなか、表情をくしゃりと歪ませた人は、梓を見て妬ましさに拳を握りしめた。
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