そのステップは必要ですか?  ~精霊の愛し子は歌を歌って溺愛される~

一 ことり

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第4部

アシェルナオ、いい子

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 「あなた。私、すりすりしますわ」

 パウラは、決意に満ちた瞳でオリヴェルを見た。

 あまり甘えてくれないアシェルナオが、弱っている時におねだりしてくれたのだ。

 ここで望みを叶えてあげなければ何をもって母親と言えるのだ、と、パウラの瞳には言葉以上の思いがこもっていた。

 「うむ。だがパウラ、何をすりすりするのだね?」

 夫に言われ、パウラはもう一度アシェルナオの顔をのぞきこむ。

 「アシェルナオ、母様よ。何をすりすりすればいいの?」

 「冷たい……りん……」

 熱にうなされて、眠りと覚醒のあいだを移ろっているアシェルナオの意識は、すぅっとまた眠りの中に落ちて行った。

 「冷たい、りん……?」

 ヴァレリラルドは首を捻る。

 「最近ふよりんが冷たかったから、優しくすりすりして……」

 「キーッ」

 冷たくしたことなんかない、と抗議の声をあげるふよりんに、オリヴェルの言葉は尻すぼみになった。

 「熱が高いナオ様が冷たいものを欲しがっているのでしょう。おそらく飲み物か食べ物と思われます。けれどこれまで熱がある時にナオ様が冷たいものを欲しがったということはありません」

 テュコはこれまでのことを思い出していたが、答えは見当たらなかった。

 「ナオ様は、ご病気のときはお医者様や私たちの言葉を素直に受け入れてくださいます」

 「ナオ様は、お辛いときにもこうしてほしい、あれがほしいと、あまりおっしゃらないのです」

 アシェルナオの枕元に置くための新しい水差しを持ってきたアイナと、ヴァレリラルドたちにお茶を用意してきたドリーンが控えめに発言した。

 「冷たいもので、飲み物か食べ物で、すりすりするもの。テュコたち、何か思い当たることはないかしら?」

 弱っていてもわがままを言わないアシェルナオのためにどうしても何かをすりすりしてあげたいと願うパウラが尋ねると、

 「無意識に欲しがる、というのなら、おそらく前の世界にいた時に口にしていたものだと思う。病気の時に口にしたいもので、そういう話をナオから聞いたことはないか?」

 ヴァレリラルドもヒントを求めてナオの世話をする者たちを眺めた。

 「ナオ様がお熱の時は、食べやすくて消化によいパン粥を召し上がっていました」

 「定番になったとおっしゃいながら、でも好きだから、と」

 「離乳食からずっとパン粥で、何かあれば特製パン粥で」

 「そう言えば、一緒にお出しする果物を好んで召し上がっていました。前の世界でも定番だったのだと思います」

 アイナの言葉に、

 「果物……。アイナ、ドリーン。料理人のところに行き、病人に食べさせてもよい果物で、すりすりできるものを聞いてきて」

 パウラはすりすりできるものの手がかりがつかめたことに喜色を浮かべた。

 



 「料理長に聞いた、病人に食べさせてもよい果物と、すりすりするための調理道具です」

 数種類の皮をむいた果物と、おろし器の載ったワゴンを押したアイナがパウラの前に進み出る。

 「大丈夫かい、パウラ」

 高い身分の深窓の貴族令嬢だったパウラは、エルランデル公爵家という上位も上位の貴族の家に嫁いできた。

 生まれた時から身の回りのことのほとんどをメイドにしてもらってきた、つまり自分では着替えや髪の毛のセットはもちろん、家事一切をしたことがないパウラは、だが自信に溢れた表情で心配する夫を見つめる。

 「あなた、果物をすりおろすだけです。心配することは……いたっ」

 一番端にあった果物を手に取り、いざすろうとしたパウラの指先が、果物よりも先におろし器の尖った部分にあたった。

 思わず握りしめた中指の指先に血が滲む。

 「パウラ!」

 「アシェルナオのためですもの、これくらいなんともありませんわ!」

 血の滲んだ指を乾いた布で押さえるパウラは、血が止まるまですりすりできないことに気づいた。

 「どうしましょう」

 血の滲む指先を押さえながら、パウラは思案に暮れる。

 「お怪我ですか?よろしければ私が治しましょう」

 声をかけたのは、アシェルナオの癒しをするために入室してきたフォルシウスだった。

 「お願いするわ」

 渡りに船のタイミングで、パウラはフォルシウスに怪我をした右手を差し出す。

 小さな擦り傷はフォルシウスの光魔法で治療され、見る間に傷がふさがった。

 「よかったわ。これですりすりできるわ」

 「すりすり、ですか?」

 パウラの手を離しながらフォルシウスが尋ねる。

 「アシェルナオが冷たい何かをすりすりしたものを欲しがっているのです。私、どうしてもそれを自分ですりおろしてアシェルナオに食べさせたいのです」

 「熱が高いですからね、冷たいものを欲しているのはわかります」

 「ええ。では今度こそ」

 言いながら、パウラは慣れない手つきで、一度味わった痛みにもめげずに慎重に剥かれた果実をすりおろす。

 すりおろした果実をそれぞれカップに注ぎ、スプーンをさす。

 やがて数種類のすりおろした果物ができると、オリヴェルがアシェルナオの上体を起こさせる。

 背中にクッションを置いて体勢を安定させたところに、寝台の脇に腰を下ろしたパウラがアシェルナオの口元にスプーンを近づける。

 「アシェルナオ、母様ですよ。母様がすりすりしましたよ。食べて?」

 唇にちょんちょんとスプーンで果汁をつける。ほんの少しだけ開いた唇から果汁が入る。

 違う、と言いたげにアシェルナオの眉が悲しそうに下がる。

 「パウラ、次だ」

 オリヴェルが次のカップを渡す。

 だがアシェルナオはどの果実にも悲しそうな顔をするだけだった。

 「パウラ、残念だが、もう全部の果物を試してしまったよ」
 
 「もう1つ残っていますわ?」

 パウラはワゴンに1つ残っている、まだ試していないカップを目で指す。

 「だけどあれは、色が茶色く変色してしまったんだ。とてもアシェルナオに食べさせられない」

 オリヴェルは首を振る。

 「変色? もともと傷んでいたのかしら?」

 首をかしげるパウラに、

 「この果物は空気に触れると色が変わってしまうのです。塩水につけると変色しないのですが、おいつかなかったのでしょう」

 ドリーンが答える。

 「そういう果物なのですね。でもこれではアシェルナオに食べさせられないわ」

 肩を落とすパウラの目に、苦しそうなアシェルナオの寝顔が映った。



 
 
 いい子ね梛央 私の梛央

 あなたが笑うとお花も笑う

 いい子ね梛央 私の梛央

 あなたが笑うと私も笑う

 私の命 私の愛 可愛い可愛い私の梛央



 母さんの歌が聞こえる。

 子供の頃に、僕と一緒に遊ぶ時に歌ってくれた、その時々で歌詞とメロディが変わる母さん自作の歌。

 母さんの愛情が詰まった歌。

 いつも大きな愛で包み込んでくれた大好きな母さん。

 今は会えないけど、大好きだよ。


 ……ナオ、母様がすりすりしましたよ。少しだけでも食べて


 母様の声が聞こえる。

 口の中にりんごの果汁が入ってくる。
 
 おいしい。小さい時に母さんがりんごをすりおろして食べさせてくれたのと同じ味。

 
 もう少し食べて? あぁ、お口が開いたわ。アシェルナオ、いい子。いい子よ


 母さん、会えないのは寂しいけど、母様が母さんと同じくらい愛情を与えてくれるんだ。だから僕は帰りたいとは思わないよ。だってここには……。



 
 「でも、色は変わったけど味は変わってないのでしょう? それも食べさせてみるわ」

 パウラはすっかり色が変わってしまった果物のカップを手に取り、一匙すくってアシェルナオの口元に運ぶ。

 「アシェルナオ、母様がすりすりしましたよ。少しだけでも食べて」

 声をかけながら、唇の隙間から果汁を落とす。

 やがてコクン、と喉が動いた。

 「もう少し食べて?」

 言いながら、残りの果汁とすりおろした果実を口に含ませると、アシェルナオの唇がさっきより明らかに開いた。

 「あぁ、お口が開いたわ。アシェルナオ、いい子。いい子よ」

 もう一匙すくって、アシェルナオの口に運ぶ。

 離乳食の世話もしたことがなかったパウラは、手ずから食べさせたのは初めてだった。

 食べてくれるのがこんなに嬉しいことだと、こんなに愛情が染み出してくるものだと、感動して涙を浮かべるパウラの目の前で、アシェルナオの瞼がゆっくり開かれる。

 泣きそうな顔で食べさせてくれているパウラと、それを補助するオリヴェル、すぐ傍で見守ってくれているヴァレリラルド、テュコ、アイナ、ドリーン、フォルシウスの姿を見つけると、アシェルナオの瞳に涙が盛り上がり、すっと落ちる。

 「母様……おいしい……ありがとう」

 流れる涙は、琉歌への愛情と、帰らないと思っている申し訳なさと、この世界で自分を大切に思ってくれる人々への感謝が詰まったものだった。


 ※※※※※※※※※※※※※※※※

 エール、いいね、ありがとうございます。 
 
 私は普通の風邪だったのですが、インフルとかマイコプラズマとかいろいろ流行ってるみたいです。
 みなさまもご自愛くださいね(。uωu))ペコリ
 
 
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